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ココマデキタヨ日記
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2002年11月29日(金)
銀河鉄道の夜

「銀河」には殆ど乗客はなかった。私は、書類やパンフレットや
着替えなどがぎっしり詰まっている鞄を、いったん自分の席に置く
と、刺すような冷気のたなびいている夜更けのプラットホームに出た。
    宮本輝「幻の光・寝台車」より

実家に帰りたいと思った。
衝動的なものではなく、以前から薄々ながらそう思っていた。
正月には帰れないだろう。
それは卒業旅行資金を稼ぎ出すために
年末年始のバイトをしたいと思ったからだ。
なら、今のうちに横浜に帰っておきたい。
しかし優柔不断なオレは今日その決断をした。
用意をして京都駅まで出た。

やはり、そう甘いものではなかった。
東京、横浜方面の夜行高速バスはすべて満席だった。
金曜の夜だけに混んではいると予想できたが、
ひとつぐらいは席が空いていると思っていたのだが。

実家に帰るのを諦めて、
京都駅の地下をとぼとぼ歩いた。
ちょうど改札口を通ったとき、
「寝台急行銀河」3分遅れという文字が見えた。
そのとき身体は動いていた。
すぐさまみどりの窓口に飛び込み、
一番安い切符を買った。衝動的だった。
しかし急行だから安いだろうと思って行ったが、
寝台料金がかなり高くついた。

「銀河」はすぐプラットホームに入ってきた。
寝台車は生まれて初めての乗車だ。
車内に入ると興奮してなんだか寝つけそうになかった。

乗客は少なくゆっくりと寝台に腰を落ち着かせ、
流れる夜の景色をしばらく眺めていた。
こうやって少しずつ東海道線で横浜に近づいて行くのも、
たまにはいいもんだと思った。
ノスタルジックに浸る銀河鉄道は、
ガッタンゴットン揺れながら走って行く。
そうしているとあっという間に名古屋に着いた。
そろそろ寝ようと横になったが、
思ったよりも寝心地が悪く、
揺れで何度も起こされた。

夜が更けたのに気づき目が覚めた。
カーテンのを少しめくり外を見ると、
すでに町中を列車は走っていた。
ああ、横浜に近いなーと思って、
ちょっとうれしくなった。



2002年11月19日(火)
4年後

4年前のちょうどこの時期。
大学受験の勉強真っ只中の高校生だった。
「大学生」になるために一心不乱にものすごいスピードで、
受験勉強をこなしていた。

○会という某通信教育の会報冊子に
“何のために大学生になるのか?
どうして大学に入るのか?
についての投稿募集があった。”
(掲載されると1000円の図書券がもらえる)

受験生にとっては、
究極の問いかけであるな、これは。

「経済が、法律が勉強したい。」
とかけっこう当たり前のような答えが
まぁ、多いのかもしれない。
どうなんかな?
でもオレは結構真剣に考えていて、
その答えを幼いなりにひねり出そうとしていた。

大学で環境問題のことを勉強したいなぁ。
でもそれは思い描くだけの漠然としたものでしかなかった。
そこで投稿した内容が、
「大学生活がしたい、楽しんでみたい」
というものである。
勉強して、サークルして、一人暮しして、恋愛して、バイトして、
自由という空間の中で羽を伸ばしてみたい。
かくしてこの投稿は会報に掲載されるに至った。
(当時論文が大得意でひそかにこづかい稼ぎの投稿マニアだった)

大学生活に対する憧れ。
これが4年前のオレそのもの、等身大だった。
その強烈な憧れのおかげで、
目をキラキラさせながら、
腐ることなく大学生活を突進できたんだと思ってる。
すべてが今まででと違って見えて新鮮で気持ち良かった。

等身大。
就職活動も見栄やステータスにこだわらず、
ゆっくりと等身大を探した。
等身大が一番自然な自分で適切なのかもしれない。

しかししかし、
等身大を言い訳に使ってはならない。
「これが等身大の自分だから」
それは前に進む筋力を衰えさせる。
等身大に埋没すると目標を見失う。
自分のプラスマイナスゼロであると同時に
進歩と後退の紙一重でもあるんだと思う。

冷静に今の自分を分析すると、
大学生活残り後わずかになって、
高校生の時に抱いた大学生活の強い憧れが
消え失せなんとなしに日々を過ごしていること。
現状に満足し等身大に埋もれていること。

ここから脱却するためには、
自己暗示を掛けるしかないか。
うーん。








2002年11月10日(日)
ススキコロニー

ススキなんてどこにでもある。
日本の野原風景を代表するススキ。
だからこそ旅好きなオレにとって
ススキは切っても切りきれないほど、
旅の心象風景なのだ。

ススキはやさしい。
その穂のやわらかさがゆらゆらと
秋の風に揺れているその様子は、
心を和ませる。

夕陽にこれほどマッチする植物はないだろう。
ススキの穂が夕陽を吸収する。
すると穂は黄金にまぶしく輝く。
この「吸収」すると言う表現がよく似合うのは、
やはりススキの穂が一番である。

曽爾高原のススキはいい。
何がいいか。
それは独特な地形にあることだ。
倶留尊山の山頂下部から中腹まで広がるため
起伏が豊かである。
だからススキをいろいろな方向から眺められる。
少し上から見ればそのススキ草原を実感できる。
もうひとつは夕陽とうまい具合に方向が合い、
ちょうど夕陽が当たる。
周りは山ばかりだが西の方向だけ山が遠いから
さえぎるものがない。
しかもススキはかなり高いところに生えている。
つまりロケーションばっちりで周囲の景色もいい。

曽爾高原まで有志を募り車で出かけた。
車の渋滞に会いながらも、
夕暮れ時に着くことができた。
本当は自転車で1泊してゆっくり行きたかったのだが、
日時の関係でやむを得ず車にした。

きれいな夕陽とススキを見ることができて満足だ。
はしゃいでみんなでススキの山を上り、
上から見た夕焼けはほんときれいだった。
秋の冷たい風で頬が冷たかったけど、
気持ちは温かかった。
みんなも楽しそうで良かった。

源泉の良さと温泉の良さにこだわり榊原温泉まで行く。
蒸し風呂や露天の樽風呂まであり、
肌はつるつるだった。
そんな秋の一日だった。



2002年11月07日(木)
冠雪

卒論のために琵琶湖環境メッセを覗きに
長浜まで電車でお出かけ。
田村の駅を降りると伊吹山が真っ白。
雪が早くもめちゃくちゃ積もっていて、
今年の冬の厳しさを予想させる。
ひとりしばし見とれていた。

4時間ほど長浜ドーム内を歩き回るが
いまいち収穫なし。
卒論のテーマとマッチするような企業は
結局見つけられなかった。

おもしろかったのが、
いくつかの大企業のブースにいた社員さんの対応。
こっちは学生で格段と年下なのにへこへこして、
こっちの質問に丁寧に説明してくださった。
これが社会人の営業スタイルなのか。
接待されているようで偉い気分になった。
オレはまだ年下にお辞儀できるほど、
人間はできちゃいない。
プライドが邪魔する。

佐川急便もブースでなぜか抽選が当たり、
佐川急便のユニフォームを着たキティちゃんの
ぬいぐるみをもらう。
あぁーつまらんとこで運を使ってもうた。
手を上げてもらいに行くのが恥ずかしかった。

学園祭の出店の試食会をする。
ダシから作ったらなかなかうまい鍋になって、
これはイケル!!
つくねがうまい!!
あとはどう看板を作るかだ。

金ちゃんラーメン初体験。
結構うまくて気に入った。
また食べに来よう!!
誰かラーメン一緒に食いに行こうやぁー




2002年11月06日(水)
自己主張を自己陶酔と履き違えるな

表現(expression)とは何か?
思想や感情を何かに込めて具体化、具現化するということ。
とりあえず簡単に説明するならこんなところか。
表現とは「主観的な方法」だ。
客観的方法と相反する。
内面的・主観的なものを、外面的・感性的に
捉えられる手段・形式によって伝達しようとするのが、
表現であるから、厳密に客観はできない。

つまりは表現とは「主体的」=主観的な手段であると言える。

古来からその表現の手段となったのは言語、文字だ。
しかし現代テクノロジーが発達した21世紀、
オレたちは視聴覚様々に表現を受け入れることができる。
オレはその恩恵を受けインターネットと言う方法にて、
ホームページを作り自己表現を試みた。

しかし自己表現をナルシシズムそのものだと揶揄する輩がいる。
オレはそのナンセンスな指摘に辟易した。
別にナルシシズムを否定するつもりはさらさらないが、
ナルシシズムと言う印象だけで真を得ないその指摘に
がっかりした。

就職活動を通して気づいたことがある。
「自己主張=自己表現」の重要さである。
内定をもらうことのできない友人が言う。
「たった1枚の紙、たった5分の面接でオレの何が分かるんだ!!」

”主体性を持って生きろ”
この言葉を就職を目前にして、
多くの機会を持って目にしたり耳にした。
社会を乗り切る合い言葉だ。
要するに言いかえればこれは、
自己表現、自己主張をして生きろと言うことだろう。
たった1枚でも、たった5分でも、
主体性のある自己表現ができなければ、
一人の逸材として認めてもらえない。
就職試験も社会の場でも共通する点だ。
厳しいことを言えばできるやつはいくらでもいる。
どんなに素晴らしい人間でも
自己表現のできない主体性がない奴は伸びない。

話を戻すと、
オレのホームページは、
数多き中に埋もれてしまった写真の作品を
発掘して載せようと言うところから発展して
今では自己表現の場になっている。
(一方的垂れ流しぎみで恐縮だが・・・)

「生絞りを友達にすすめよう!!」は
某社のコマーシャルであるが、
オレは自己表現をみんなにすすめたい。
その積み重ねは大きな糧となって
返ってくるだろうと思う。

自己表現は認めるけどでもナルシストだと。
勝手に言えば言い。
言うが易し行うは難し。
ぐたぐた言う暇があったら行動しろよ。
言葉で人を隠してしまうのは簡単だ。
必死で手繰り寄せなっければならないのは、
「本質」の答えだ。

ホームページを見てくれている人がいると、
励ましを受けた。
なかなか更新しない「温感」に
愛読者がまだいるとは素直にうれしい。
はりきって更新を試みたい。