Cookie's Diary
映画のタイトルがついているものは
ネタバレのものもあります。

2003年04月30日(水) 我睇0左「ブエノスイアレス」&「ハッピーフューネラル」(ネタばれ有)

(昨日4月29日の日記から続く)
目覚まし時計をセットしておいたので8時半には起身出来た。
昨日、沖涼しておいてよかった。
身支度をして家を出て銀座に向かうも黄金星期に
入ってるしこの時間だと戯院につくのは開映15分前。
立ち見だったらどうしようとちょっと心配になったが
戯院に着くと予想していたより並んでる人は少なかった。
戯院ではレスリーが載ってる昔の雑誌やグッズ、CD、
映画のサントラが販売されていた。

予告編では次回上映の「欲望の翼」の予告が流れた。
脚のない鳥ヨディにも逢いたい。

「ブエノスイアレス」号泣ではなかったけどやっぱり泣いてしまった。
この作品は何度もスクリーンで見てる作品で観に行った日によって
ウインの気持ちになって観たり、ファイの気持ちになって観たりするのだが
今日はどちらでもなかった。
ラストのほうでファイがもう戻って来ないことを知って
ウインが咽び泣くシーンがあるけど、そのシーンは心が痛かった。
−戻ってこないファイ=戻ってこないLeslieに重ねて観てしまった…。
「ブエノス…」はタンゴ音楽がとても好きだ。
音楽と映画の1シーン、1シーンがものすごくしっくりくるのだ。
けれど今日はタンゴのメロディが痛く心に突き刺さった。
私たちはLeslieの曲やLeslieが唄った歌を聴くと
Leslieを思い出してしまうけどウインやファイも
何処かでタンゴのメロディを聴く度にお互いを思い出すのだろう。
もう1つ「ブエノス…」はウインの煙草を吸う仕草がとても好きだ。
別の作品でもLeslieの煙草を吸うシーンはセクシーだ。

映画を観終わった後は日本橋の「糖朝」へランチをしに行った。
ランチタイムに行くのは初めてで、たくさん人が並んでいたけど回転が
早くて10分くらいで席につくことが出来た。
ランチメニューの中の陳皮と蝦のお粥と小豆の漢方ゼリーを注文。
陳皮は香港に行った時に必ず少し買って帰るけど
お粥のどこに陳皮が入ってるのかわからなかった。
ランチライムにが小菜がついてくるが出てきた白身魚の
揚げ物がちょっとしつこかった(-.-)。
漢方セリーは身体に優しかった。

今日はLady's Dayなので新宿で上映してる
「ハッピーフューネラル」(原題:大碗)も観賞した。
ネタバレになるが生きてるからこそ自分の死後をこうして
欲しいって言うことが出来るんだよなあと思った。
この時期に観るにはちょっと辛辣なテーマだった…。



2003年04月29日(火) Leslieの映画観に行けるかもしれない

7:00出社。だいたいの人は今日から黄金星期放暇なのよね。
羨ましい…。最近平均睡眠時間が3〜4時間なので肌もボロボロ>_<。
星期ニは2つの顧客からの注文データを入力しなければいけない。
いつもはふたりでそれぞれの顧客のデータ入力をするのだが
もう1人のW君が別の仕事で忙しい為今日は1人で
データ入力を行わなければいけない。
今日我幾點鐘返屋企?而家我唔知呀。

15:00頃…課長に今日の業務終了が日付をまたいだ場合
明日の仕事もある程度終わらせていくので水曜日お休みしても
いいか聞いてみたらOKだった。
今日と明日にかけて仕事を頑張れば明日は放暇だー。
今週は星期日しか休みがないと思っていたのでちょっと嬉しい。
明日は睡眠確保の日だ(寝だめって出来るものじゃないけど)

22:40頃
W君が別作業のめどがついて思ったよりも早く(これでも)
フロアーに戻ってきた。半分仕事をバトンタッチする。
想像していたよりも早く本日の業務が終了しそうな予感。
明日はレスリー追悼特集「ブエノスアイレス」@銀座の日だ。
もしかしたら行くことが出来るかもしれない!
と思ったらちょっとだけ疲れがどこかに飛んだ気がした(^^)。
そうそう、今日はエンドレスだと思っていたので
LeslieのCDを何枚か持って行き営業からの解答データを
待っている間コンパクトDISCで聴く♪(職場は音楽を聴いてもOK)

翌日1:00…全ての業務が完了。
仕事量にしては早く終った。(これでも)
課長が請食飯して下さるというので同じ部署のK君、
W君も一緒にDennysで食飯。
課長とKさんは車通勤だから(社員の殆ど)夜11時過ぎに
ご飯を食べて帰ろうという時はたいていファミレス。
深夜なのに私はビビンバ丼と芒果布甸を食べた。
課長とKさんはサラダとガーリックトーストのみ。
そういえば先日別のファミレスに課長とKさんとランチ食べに行った時も
ふたりはサラダとコーヒー&オレンジジュースのみだった。
減脂してるそうだが…夜中の食料摂取は好ましくないとして
ランチタイムに↑のメニューじゃ栄養不足じゃないかと心配。
ファミレスの芒果布甸、上のほうは麻々好食だったけど
下のほうがヨーグルト風味になっていた。
香港&台湾式の芒果布甸が好みな私は最後の方は
あまり好みでなかった。

2:40 帰宅、沖涼

4:00前 目覚し時計の時間をセットして就寝



2003年04月28日(月) 好耐見0左広東話0既老師


今日はこの忙しい時期には珍しく早く退社させてもらえたので
(明日が日付を越えての残業ということもあるんだけど)
約半年ぶりに某所の中華CD舗頭に行って、昔のLeslieのCDを買った。
某所付近には広東語の老師が住んでいる。
今回、香港のLeslieのお葬式に先生の提案でお花を献上した。
(カサブランカとピンクのガーベラ)
先生がお花代を立替えて下さっているので某所に行ったついでではないが
会えたらお花代を支払いたいと思ってので先生に携帯メルで連絡してみた。
ちょうど今日は有空時間だったのでカフェでお茶をした。
3年ちょっと前に広東語を習うのを辞めてからも、何度かコンサート会場や
イベントで会ってはいたけど簡単に挨拶を交わすくらいでちゃんと会って
話すのは実に久々だった。
最初は日本語会話だったけど、記憶をたどりながら頑張って広東語で
私が会話し始めたら先生の会話は殆ど広東語だった。
先生と話して自分リスニング力衰えてるなあと思った。
話の話題でだいたいの意味は理解出来るんだけど聴唔到な単語がたくさん。
でもなんとなくわかるフリして頷いてしまったわ(汗)
けど久々に広東語話して広東語の発音が好きだなあって思った(^0^)。



2003年04月27日(日) どうしているだろうか?

例によって休日の今日は午後過ぎまで寝ていた^^;
Leslieが逝ってしまった後、何人かの朋友や知り合いとは
一言二言だけどメールで会話した。
けど連絡がつかない朋友や知り合いが何人かいる。
香港人のLeslie迷のY小姐と北京に留学してるM小姐など
彼女達はLeslieのことどう受けとめているのだろうか?
それともまだ受けとめられないでいるのだろうか?
大丈夫かな?我擔心イ巨0地。
あっ、でも私も連絡していなかった朋友がいることを思い出した。
今度手紙を書いて送ろう。



2003年04月26日(土) 韓国風お好み焼き&「冬のソナタ」

給料日1週間前後半、極貧生活突入である(爆)。
今は日曜日しか超級市場で食料品を買うことが出来ない。
極貧生活では納豆&味噌汁、ペペロンチーノをよく作る。
後、最近はまってるのは100円ショップで売ってる韓国風お好み焼き。
極貧なので入れる具はキャベツ&もやしなんだけど結構美味しい。
韓国といえば一昨日の「冬のソナタ」時間変更になっていてあやうく
録画しそこねるところだった。
ユジンの動揺する気持ちよくわかる。
自分の好きだった、そして逝ってしまった人に一様な人が現われるんだもの。
でも、それによってサンヒョクはどんどん不安な気持ちになっていく…
ドラマや映画って登場人物、それぞれの気持ちになって見ると
その時によって違う気持ちになる。音楽もいい。
主題歌の台湾版を張信哲が歌っているCDは昨年の夏に
台湾に行った時に買った(因為我鐘意張信哲)
張信哲の歌うバージョンもせつなくて心に響くんだけど
ドラマを見ていたら、オリジナルソングも聴きたくなってしまった。

そういえばKBSの「冬のソナタ」サイトでは
日本語掲示板が出来ていた。



2003年04月25日(金) 今日は

涙雨だった。今年の4月は雨が多い。
そして新宿でレスリーの追悼集会があったそう。
…といっても私は有做0野で行けなかったんだけど。
本棚を少し整理していたら、昔の写真集
「100%張國榮」が出て来て1頁ごと眺めた。
写真集を見てもわかる作品ごとに役になりきってるレスリー。
でも「異度空間」の写真集は今は開けない…



2003年04月24日(木) 祝!「紫胡蝶」カンヌ国際映画祭出品

劉[火華]が出演した「紫胡蝶」が今年のカンヌ国際映画祭の
コンペ部門に出品されることになった。
久々に明るい話題で嬉しい(^0^)。
まだ未見だけど「ふたりの人魚」はすごくよかったので期待している。
世界の人に劉[火華]、中国映画を知ってもらう絶好の機会だ。



2003年04月23日(水) 手携電話壊0左…

昨日も帰宅したのは午前0時をまわっていた(爆)
ものすごーーーく眠い中、メイクを落とすために
洗面台に立ったんだけど胸ポケットに携帯を入れていることを
すっかり忘れていて、水を流れてる洗面台に携帯が落ちてしまった>_<。
急いで取ったのでとりあえず、通話とかメル受信は、なんとか
出来ているんだけど、充電器繋いでもいないのに充電中と出てしまう。
6月の機種変更までは持ってくれーーー。



2003年04月22日(火) SARS

香港で多数の感染者が出て大騒ぎになっているSARSだが
北京でも感染者が9倍と昨日の日経に出ていた。
その影響で「お針子」の宣伝で劉[火華]の台湾行きがあやういらしい。
久々の台湾なのに。
SARSの影響で中国進出の企業も足止めをくらってるし
いろんな意味で打撃が大きい…。
早く回復してくれるといいんだけど。
喘息持ちの私は今は北京も香港も行けないなあ。

ところでレスリー関連のBBSによればレスリーの魂が無事
帰れるように祈る日だった。
11:30でもその頃仕事中だったので去洗手間の時
ちょっとだけお祈りした。
レスリー5分くらいしかお祈り出来なかった。對唔住!
でも、たくさんのファンがきっとあなたの為に祈った。
皆の祈りが一つの大きな祈りになって届いたかな。



2003年04月21日(月) 久々に夢を見た

昨日は午後からちょっと頭痛と吐き気がしてきたので定時で退社。
レスリー関連のBBSで「CUT」にレスリーへの追悼文が書かれてる
と情報が出ていたので本屋に行って立ち読みした。
(給料日前なので没有銭なの。給料が入ったら買わなきゃ。)
”永遠を信じていたのに…”。
心有る人のひとりひとりの追悼の言葉が心に痛く響く。

帰って軽く食べて頭痛薬を飲んで頭を冷やして
8時前に布団に入ったけど薬が効いてくるまで寝付けなかった。
ちとつらかったなり。
2時に目覚めたのでメルチェックだけをして目覚ましの
起床時間を確かめて再び就寝。(2度寝というのかな)

そしたら夢を見た。レスリーの夢を…。
私は嬉しいことがあっても悲しいことがあっても翌朝に自分が
記憶出来る夢はめったに見ることがない。
昨日のレスリーの夢…それはレスリーが天国から来て
演唱会を開いてくれた夢だった。
ホールはどこだろう?行ったことのないホールだった。
前にも舞台があってそして四面にもなっていた。
もしかして紅館だろうか?
レスリーはとびっきりの笑顔と時々挑発して皆を楽しませてくれた。
天国から来て演唱会を開いてくれたと認識したのは
終盤のほうでスタッフから白い花を一輪ずつ配られた。
レスリーが言う『久しぶりだから皆とダンスを踊ってあげるよ。
でもその後僕が皆から白い花をもらったら暫くの間お別れ。
でもまたすぐ逢えるよ』と。
私が覚えていたのはここまでなので、一緒に踊った夢や
白いお花を渡したところは記憶されていない。
目覚めた時また泣きたい気分だった。
でも思った。逢いたいと思えば夢の中ででも逢えるんだって。
ブエノスアイレスのファイみたいに。



2003年04月20日(日) >_<

昨日は仕事上のトラブルで退社時間2時。
家に帰宅したのは3時だった。

今日はカミングスーンTVとTVB大富のレスリーの追悼番組を見た。
「恋戦沖縄」のプロモ来日時のレスリー可愛かったなあ(*^^*)。
過去のレスリーの発言で
『僕はハプニングは気にしない。ハプニングを楽しんでる。』
という言葉が心に痛い…。



2003年04月19日(土) 土に返る

今日は同じ部の営業マンが試験管に入った植物を持ってきたので何かと聞いたら、
今、1番売れてる都内一等オフィス街の花屋で売られてるもので
OLさんが買って行くそう。
真空管になった試験管の中に色のついた栄養液体が入っていて緑の植物が
入っていて周りはお洒落に飾られている。
緑の植物はやっぱり都会の喧騒の中で働いてるOLさんの心を癒してくれるんだなあ。
ただ試験管の中で植物は成長していくので大きくなったら鉢に移し替えて
あげないといけないんだけど。

もう1つすごいなあと思ったのは土に返る鉢。
バクテリアと何かで作られていて植物が大きくなって庭に植え替える時に
鉢に入った植物ごと植え替えてあげると、鉢は土に返ってなくなるそうだ。
花の世界に入って間もないけど、花の世界も随分と進化しているなあと感じた。



2003年04月18日(金) 久々にHP更新

4月1日以来気、持ちが落ち込んでずっとHP更新してなかったけど、
少しずつ復帰してきたので久々にLiu Ye Newsを更新した。
いやあ、暫くチェックしていない間に新作映画やら、新作ドラマの
ニュースがいっぱいでびっくり(@▽@)
私的には劉[火華]の尊敬する姜文との共演だし
「茉莉花開」がどんな作品になるのか気になるところ。
でも陳沖監督の「天浴」(シュウシュウの季節)は私的には
受け入れられなかったので微妙なんだけど…。



2003年04月17日(木) 携帯着メロに

♪American PieをDLした。
J社の携帯は中華明星の着メロがあまりないのよね(;_;)
もう少ししたら楽譜本買いに行って手入力しようかな。
その前に6月になったら機種変更だ。



2003年04月16日(水) 而家幾點鐘?

4月16日
この日はやっぱり「欲望の翼」のヨディを思い出す。
そういえば何年か前に原宿で香港映画が特集上映された時に
この映画を朋友と一緒に観に行ってワダエミさんのトークを聞いたなあ。
「白髪魔女傳」の衣装合わせの時、Leslieとってもはしゃいでいたって
おっしゃっていたなあ(^^)



2003年04月15日(火) 今、いちばん観たいLeslie映画

Leslieの追悼特集として映画が4月末から3週間公開される。
再びスクリーンでサムやウインに会えると喜んでいたら
上司から1年でいちばん忙しい時期なので5月半ば迄は
日曜日以外は出勤して欲しいと言われてしまった。
モーニング上映だし日曜日しか映画観に行けない(;_;)
と嘆いていたら、6月にも追悼上映があるとネットに情報が載っていた。ほっ。
「欲望の翼」、「ブエノスアイレス」など観たいLeslie映画はたくさんあるけど
私が今、一番観たいのは「色情男女」(夢かける人)。
情けないけどLeslieがとっても可愛いんだもの!

先日は会社帰りに彦ちゃんの餌を自給すべく
バス停留所4つ分歩いてタンポポの花を摘んだ。
家に帰ってあげたら花までたいらげてしまった。

そういやもうすぐ新職場に来て3ヶ月が経つ。
転職セミナーのコンサルタントが3ヶ月を乗り切れば
頑張っていけるとおっしゃっていたなあ。



2003年04月14日(月) 思うままに

Leslieが逝ってしまってから今日で2週間が過ぎた。
この2週間正直日記を書く気分になれなかった。
仕事をしたり、映画を観たり、朋友と会って気持ちが落ち着いたかなと
思ってもふとした時に思い出すと悲しくなって涙でぼろぼろになってしまう、
またある時はすごく虚脱感に襲われて無気力になってしまったり…。
後、自分の中の背面に封印してあったものが前面に出て来て
いろいろなことを思い出したり、考えたりした。
まだ自分の気持ちが落ち着くまでにはかなり時間が
かかりそうだけど、Leslieのことも含め
ありのままの気持ち&日常を日記に綴っていくことにした。
(私が使ってる日記ツールはback dateで日記を書くことが出来るので)



2003年04月13日(日) 我睇0左Leslie追悼節目

昨日は会社を出たのが夜の11時過ぎ。
今週は15時間労働が週2日もあった。
最終巴士は当然終ってるので会社から駅まで歩いた。
普段駅から巴士に乗ってくるルートのほうが距離的には
近いけど、学校の通学路のような人通りが少ない道なので
避けて10分くらい遠回りだけど別のルートを通って駅まで歩いた。
我的公司は99%が車通勤なので遅くなっても的士代が出ない>_<。
車でも10分くらいかかるので初乗り料金では駅まで行けないし
残業で遅くなる度に自腹で的士代払うのは嫌なので(結構孤寒な私)
40分くらいの距離を歩いた。
ここ暫く、睡眠不足の日々が続いていて疲れが
たまっていたせいか今日はお昼過ぎまで爆睡。
起きてから録画しておいたけどなかなか見る気持ちになれなくて
しまっておいたのだけどようやくLeslieの追悼番組を見た。
過去のバラエティ番組やトーク番組で屈託ない笑顔で話す
Leslieを見てると、もうこの世にいないことが嘘のように思えた。
後生な頃の跳舞には思わず笑ってしまったし。
トーク番組でパーカー姿のLeslie可愛かった(*^^*)。
でも、8日の出棺の日の番組を見たら一気に現実に引き戻されてしまった。
やっぱりもう、この世にはいないんだ…。
唐先生のつらそうな姿見ていていたたまれなくなってしまった。
でも私にはどうしてあげることも出来ない。
香港のパパラッチが傷心の唐先生をこれ以上苦しめないようにと再び願った。
お葬式の会場にはたくさんの白い花が供えられていた。

真っ白なお花だけど、Leslieあなたの元へ届く時は
皆の想いや情熱で真っ赤な深紅の花束になって届くことだろう。



2003年04月12日(土) 泣きたい時に泣けるということ

レスリーが逝ってしまってからというもの帰宅してはネットで
彼への追悼文を読んでは皆同じ気持ちなんだなと少しだけ気持ちが
癒される毎日。
彼のことを好意的、友好的に書いてある週刊誌は購入した。
はじめは”逝ってしまったことが書かれた雑誌はつらくなるから
買うのはやめようと思っていた。
でも本屋でその頁を開いたらレスリーが笑顔で微笑んでた。
悲しい顔をしたレスリーの顔を見るのはつらいけど、笑顔の
レスリーだったから購入してしまった。

ネットのレスリーへの追悼といえば常盤ちゃんが彼女の公式HPで
彼に対する追悼文を載せているのを読んだ。
彼女もレスリーが逝ってしまった日に訃報を知っていたけど
仕事があったから泣きたい気持ちをずっと我慢していたんだ。
私は4月2日に家で思いっきり大泣きすることが出来たけど
つらい気持ちをこらえて仕事をしなければならなかった常盤ちゃんは
さぞつらかったことだろう。
女優さんは悲しい気持ちの時も笑って演技をしないといけない。
女優さん以外にも接客業などの仕事に携わってる人は
笑顔でお客さんに接しないといけない。

先日職場の昼食時にOさんが
『何をしてる時が1番安らげると思える?』と聞いてきた。
0さんは寝てる時が1番安らげるそうだ。
だから毎日布団に入って寝る瞬間は幸せを感じるんだとか。
彼女が私に『夜、ふとんに入る時は幸せを感じない?』と聞いてきたから
私は「明日は早起きしなくてもいいとわかっている休み前日の夜は
幸せだけど、普段は翌日のことを考えてしまうから…」と
そして『お風呂に入ってる時』が1番安らぎを感じるかなあ』と答えた。
そういえば私はお風呂の中でよく泣くなあ。
泣きながら、涙をお湯で洗い流す。そうすると落ち着く。
だからお風呂に入る時、安らぐのかもしれない。
そして泣きたい時に泣くことが出来るのはありがたいこと
なんだとしみじみ思った。



2003年04月11日(金) 「冬のソナタ」と「ガン&トークス」

BSで今月から毎週木曜日にオンエアされている
「冬のソナタ」に何気にはまってる。
田中美里さんのアテレコがちょっとオーバー気味なのに
苦笑しながらも1話目からビデオにとってしっかり見てる私だったりする。
のドラマは昨年台湾旅行に一緒に行った朋友が
ペ・ヨンジュンにものすごくはまっていてVCDジャケットや
ポスターなどはたくさん見せてもらって知って知っていたけど
高校時代のシーンがあることをドラマを見て初めて知った。
眼鏡をかけていないペ・ヨンジュンを初めて見た。
(動くペ・ヨンジュンを見たのも初めてだけど。)
ペ・ヨンジュンは綺麗で賢そうな瞳を持っているなあと思った。
そういえばドラマ開始前の番宣で
視聴者の皆にひとこと挨拶をした時にペ・ヨンジュンの話していた
日本語、短かったけど流暢で綺麗だったなあ。
ストーリーはベタでコテコテな内容だけど続きが気になってしまう。

韓国ものといえば先日「ガン&トークスを
観に行ったけど何とも思わなかった。
でもこれは自分が虚無感を感じて抜け殻のようになっていた
時に観たからということはわかっている。
出ている俳優、4人ともそれぞれ個性があるもの。
気持ちが落ち着いたら再度観に行きたいが
私の気持ちが落ち着く頃には上映は終わってるだろうな。



2003年04月10日(木) 生日計画

昨日は会社を出たのが夜の11時半前だった。
7時出社だったので15時間労働(-.-)。
運良く会社の取引先の方に車で駅まで
送ってもらったので電車に無事乗ることが出来たけど
でなかったら、終電に間に合ったかどうか…。
1年で最も忙しい黄金星期はいったいどんなことになるやら…

先日、Leslie迷のK小姐とLeslieが逝って
しまってからはじめて会った。
(前からお粥を食べようと計画していたので)
安くて旨いもの好きのK小姐と私はそこの
お粥屋さんが結構お気に入りでよく利用する。
お粥屋→喫茶店と場所を変え
Leslieのことや仕事のこと等を話した。
いつも会って食事をする時と変わらなかった私達だったが
Leslieのことを話した時二人とも泣きそうな表情で笑っていた。

K小姐と私は似た関係の職場に勤務してる。
お茶をしながら、私達は9/12に百合かカサブランカを
買って飾る計画をした。
そしてお休みをもらえたら公休をとって
Leslieのお誕生日会をする計画をした。
誕生日会にはLeslieが生まれて、私たちと巡り逢えた事を感謝するんだ(^^)。
そして美味しい物を食べる。
そんな計画をしてたらちょっと元気が出てきた。
広東語の老師が教えてくれた「有縁」という言葉を思い出した。
Leslie迷の皆は縁があってLeslieに逢ったんだ。
縁がなければ通りすぎるだけの出会いもある。
「有縁」好きな言葉だ。
そんなことを考えていたらちょっと元気が出てきた。



2003年04月08日(火) Leslie出棺の日

香港時間11:00Leslieのお葬式が行われた。
この時の様子はネットでLiveで流れたが
私は仕事だったので見ることが出来なかった。
お昼時に買い物に外に出たら風が強く
街路樹の桜の木が大きく揺れて桜の花びらがたくさん落ちて
アスファルトの上で渦を巻いていた。
桜の花も寂しいのだろうか?
歩きながらLeslieが天国で幸せでいられますようにと祈り
同時にこの世にいる唐先生の悲しみ、苦しみが癒えますように
と祈った。

人間をはじめ生まれてきた生き物はいつかは死ぬ。
小さい時からそのことを知っていて
生きるということは死へ向かう旅だと思っていた。
私は「死」が怖かった。
死んで肉体が滅びてしまうと魂はどうなってしまうんだろう。
泡がはじけるように消えてしまうのだろうか…ということを
考え出すと怖くて悲しくてどうしようもなくなっていた。

でも今日帰ってLeslieのお葬式の様子を
ネットのニュースで見て、BBSでLeslieを愛している
人たちの書きこみを読んで肉体は滅びても
魂は人の心の中で生き続けるということがわかった。
Leslieはたくさんの人に愛されている。
そして、これからも
LeslieのビデオやVCD、DVDを観られるようになったら
100回観ると100回Leslieに会うことが出来るんだ。
まだ今はそんな気分にはなれないけど…。



2003年04月07日(月) 我唔能[多句]鐘意0既0野

Leslieが逝って今日で1週間が過ぎた。
Leslieが逝ってしまって以来、好きなものが食べられない。
お腹は空くし、日々のご飯はちゃんと食べることが出来る。
でも先々週に大好きなライチや柚子茶の大瓶を買って来たのに
一向に食べたい気分にならない。



2003年04月06日(日) 朋友からのメッセージ

高校の時からの朋友からT小姐から携帯にメッセージが届いた。
(同じ携帯会社の電話を使ってる)
もうそろそろ気持ちを落ち着かせなければと思って
いたところに届いた彼女からのメッセージは
『生きてると思わない人の”死”とぶつかってしまったりするよね。
悲しい時はたくさん泣いた方がいいよ。で、たくさん泣いた後は
元気になってね』と。
彼女とはここ3〜4年、年に数回携帯メールのやりとりを
するくらいだが私がどん底で落ち込んでいる時
短い文章ながら的確な言葉で私を励ましてくれる。
彼女からのメッセージを読んでまた私はたくさん泣いた。
家で独りでいる時迄涙を我慢する必要はないんだ。
気持ちが落ち着くまでたくさん、たくさん泣こう。

昼からは髪を切りに行った。
いろいろ物要りなので、家のタウン誌に入っていた
ファミリーカットサロンに初めて足を運んでみた。
シャンプー付きで通常のヘアサロンのカット代金の
半分以下でカットしてもらえる。
ヘアサロンのドアを開ける時は安いけど
ちゃんとカットしてもらえるのかとちょっとドキドキだった。
でも想像していた以上に良くカットしてもらえた。
どんな風にカットして欲しいかも聞いてくれたし、ブローもちゃんとしてくれた。
ただシャンプーをしてくれたお兄さんがシャンプーの時にちょっと爪を
立てられたのがちょっと不満だったけど…(-.-)。
地肌に優しくシャンプーしてくれ。
でも髪を減らしてもらい軽くなったので、シャンプー後の
ドライヤー&ブローの時間が短縮出来そう(^^)



2003年04月05日(土) 祈り

今日も残業。かろうじて今日は終バスには間に合った。
でも忙しいと気が紛れる。
Leslie関係の掲示板に今日は香港マンダリンオリエンタルホテル前で
追悼集会があり、世界中のファン皆でLeslieの為にお祈りしましょうと
書かれていたので、私は会社から駅までのバスの中で
Leslieの魂が苦しみのない安らかな場所に行けますようにとお祈りをした。
今日も雨が降っていて寒い、私が涙が枯れるまで泣いた4月2日も
雨が降っていた。空もLeslieのことを思って泣いているのか。

帰宅したら通っていた広東語教室の老師から
4月8日の出棺日に4人くらいの朋友どうしでお花を供えませんか
という提案の電話がかかってきた。
勿論、その提案にOKした。
皆でお花をたくさん供えてあげてLeslieが寂しくない
ように送ってあげよう。



2003年04月04日(金) Leslieのこと、母のこと

今日も風が冷たい。
職場では大輪の百合が花瓶に飾られている。
(私の会社は花関係の職場)
大きくて白い百合を見るとLeslieを思い出してしまう。

Leslieの自殺についていろいろ考えてしまった。

SARS、戦争などとLeslieの事を同時に考えてしまっていたが
Leslieの自殺の要因が「鬱病」であることを
Leslie関連のサイトやネットのニュースで知り、
私はLeslieの死と母の事を思い出し強く重ねてしまった。
日記に母の事を書くのは初めてだが
私の母は私が中学、高校の時、躁鬱病がひどくノイローゼだった。
他人にとっては些細なことでも母はすごく悩み
私や妹に『生きていてもいいことがないから一緒に死のう?
お母さんと一緒に死んでくれる?』とよく言われた。
その時、父と妹、私の3人で必死で何度も母の死にたいという
衝動の気持ちをとめた。
その時はその時はどうしてまだ見ていない未来までを
不幸と決め付けてしまうの?と私は中学、高校生ながら思っていた。
母の死にたいという衝動の気持ちが強い時、
父が出張などで不在だと大変だった。
母はやはり、私と妹に『お母さんと一緒に死んでくれる?』
と言い、『今日はお父さんはいないから、あなたたちが寝ている間に
家に火を放って死ぬことだって出来るんだよ』
と言い、そんな夜は私や妹も朝方まで眠れなかった。
私もまだ死にたくなかったし、母にも生きて欲しかったから。

…母はノイローゼがひどくなると私や妹に対して暴力がひどかったので
私も妹も社会人になったと同時に家を出た。
母は気分の良い時、自分で生計を立てられるようになったら
独り暮らしをしてもいいと言われていたので。

母親(両親)の元を離れて10年以上経ち、今は母の鬱病も
落ち着いているが(私たち母子は少し距離を置いて付き合ってる
方がうまくいっている)
私の中では”死にたい”という言葉が今も心のどこかに引っかかって
いて母と離れた今でも時々、胸の奥がえぐれるように苦しくなって
しまうことがある。
私はそれまで”死にたい”という気持ちが理解出来ず、否定的だった
のだが、昨年1度だけ…失業して、転職活動がなかなかうまく
いかなかった時に向かってくる電車にすうーっと吸い込まれそうな
気持ちになったことがある。
このまま吸い込まれてしまったら永遠の眠りにつけるのかなと。
でも我に返り、ぼーっとした無感情な気持ちで家に帰り
玄関を開けたとたん涙がぼろぼろこぼれてきた。

私は母の”死にたい”とい思った時の気持ちをわかってあげる
ことは出来ない…。
私が電車に吸い込まれそうになった時の気持ちでさえ
自分で理解出来ないのだから。
だからLeslieがマンダリンオリエンタルホテルの24階で
”死にたい”と思った気持ちを理解することは絶対に不可能なのだ。
メールをやりとりした朋友がLeslieがどうして死にたいかと思ったかは
最愛の唐先生にも理解出来ないと思うと言っていたが本当にそうだと思う。
Leslieがこの世にいないという事実だけを受け止めなければ。
でも正直まだすごくつらい…。



2003年04月03日(木) 今日は風が強かった

会社でいつも以上に元気良く挨拶をして
明るく振舞い、がむしゃらに仕事をした。
今日は珍しく定時少し過ぎに仕事が終わった。
急いで帰宅をした。
身体の中の涙の袋が飽和状態で苦しい。
家のドアを開けると我慢していた涙が一気に溢れてとまらない。



2003年04月02日(水) 涙がとまらない

ゆうべは明け方に寝たはずなのに
今朝は休みにもかかわらず朝の6時過ぎに目が覚めた。
2時間ちょっとしか寝ていない筈なのに目が冴えている。
昨日のことをほんのちょっとの間忘れていたが
朝の民放のテレビ番組で”Leslie自殺”の報道が流れた。
Leslieは本当にこの世からいなくなってしまったんだ
テレビを見ながらボロボロ涙がこぼれてきた。
正直、仕事が休みでよかった。
今日仕事に行っていたら大変なことになっていただろう。
(涙をこらえて必死に仕事をしてらっしゃった方、ごめんなさい。)
朝から晩まで涙が枯れるくらいたくさん泣いた。
身体の中の水分を全部出し切るくらいに。

明日は仕事なので、気持ちを少し切り替えようと
家の近くの映画館にレイトで「クローサー」を観に行った。
けど私ってば「クローサー」で大泣きしてしまった。
身体の中の水分は全部出し切ってしまった筈なのに。
今の私は感情がどんなものにもシンクロしてして
涙が溢れてきてしまう。



2003年04月01日(火) Leslie自殺

今日は地元の映画館が\1,000デーだったので
レイトで映画を観に行く予定だったが
仕事が予想外に長引き退社したのは夜10時過ぎ。
レイトの映画はとっくに始まっていたし、身体は疲れていた。
とりあえず翌日は休みで観に行きたい映画が何本か
あったので風呂に入って早く寝なきゃ等と会社から
駅までの終バスの中で考えたりしていた。
会社の最寄駅に着いて電車を待っていると携帯に1通のメールが入った。
それはLeslieが自殺されたことを知っていますか?という内容だった。
今日は4月1日だしApril fool?
でもメルを送って来てくれた朋友は決して悪い冗談を
言ったりするような人ではない。
私は彼女に確認のメールを送った。
すると彼女から『"香港在住の朋友からマンダリンオリエンタル
ホテルから飛び降り自殺をした"というメールが届いた』
と返信が送られてきた。
このメールを受け取ったとたん一気に目がさえ、疲れが(悪い意味で)
吹き飛んでしまい、身体の震えがとまらなかった。
それでも嘘と信じたい気持ちがまだあった。
でも、もう1通『○○さん(私の本名)レスリーが死んだ』と
いうメールが入ってきた。
玄関を空けて家に入ったとたん涙が溢れてきた。
どうして???
煙草もやめて健康にも気遣っていたLeslieなのに
どうして自ら命を絶ってしまったの?
ネットにはLeslieが自殺した時刻は香港時間の18:40過ぎと報道されていた。
この時間は私は仕事に追われていてそんなこと気付きもしなかった。
日本のニュースサイトでもとっくに報道されていたのに、
帰る前の22時前にはまだLeslieの訃報を知らずに自分の運営している
明星の掲示板に暢気なレスを返したりなんかしていた。
ネットでいろいろ見て泣きながら、お願いだから嘘であって欲しいと
考えながらも身体が疲れていていつの間にか眠ってしまっていた。


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