ゆれるゆれる
てんのー



 ねるねる

知恵熱とは、「慣れない勉強に頭が痛くなって出る熱」のことではありません。
はあ〜体だけじゃなくココロも弱くなっちゃうんだね。
こんなときはさっさと寝る。

金曜の夜?
みなさん楽しんでますか?(笑)
その前に相手だろ。〉俺

ひさしぶりに携帯から。もうだるすぎ。

2003年10月31日(金)



 raison d'etre (日本語使えよな)

はてしのない停滞感、凶暴な無関心、どろりとした食欲。

毎日のニュース、周囲にいる腹立たしいだけの人たち、逃れられない軽蔑の感情、無能への言い訳。コンプレックス。

毎年もみじが散るように毎日必ず催す便意、友達から聞いた怖い話、鳴らない電話。

感情と語彙を書き留めておこう、俺にとっては意味がある。
などと考える今日の自分の頭の悪さ。

神経質そうにいらいらしてみせるだけで、頭がよさそうだと錯覚するやつら。俺。
一方で、世界には頭のいい人と頭の悪い人の2種類がいる、と信じているやつ。俺。

おいら。おっとせいのきらひなおっとせい。
でもやっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ、「向かうむきになってるおっとせい。」


パクリは文化だ。文化って何だ。

人が登場しない日記。人の存在しない世界。
銃でこめかみを撃ち抜く。2日に1ぺんの割合で見る夢。



と書き残して、七輪と練炭を買い込んでくたばったら、この日記になにがしか意味を求められるだろうか。
大丈夫、文学はそういう人のためにあるわけじゃないし。



世界は皮肉でまわってる。
皮肉をもっと。言葉をもっと。それからmoneyをもっと。



世界はたった一つの片想いのためにまわる。
世界は一曲のPOPSと、一杯の冷酒があればまわる。
女の子を一人振り向かせるほうがずっと難しい。

2003年10月30日(木)



 かわいくないことばたち

ってなわけでさぼりがちな俺。
そろそろ限界か? という声も聞こえ始める。

そしていつまで経っても時代に追いつけない俺、なんと今更ながらに『六番目の小夜子』、恩田陸さんですね、読んでみました。

なんつっても売れっ子さんの鮮烈デビュー作。
面白くないわけがない。

・・・・・・はあ。
21世紀の小説たちにどうしても聞きたいことがある。
一つだけ。
みんなこんな口調で時代を生き抜いてるんですか??
つーかみんな高校のときこういう言葉遣いしてたんですか??????
言葉遣いだけで白けちゃう俺ってだめなのかな。

言文一致運動が必要なんではないんか。
ちょっと立ち読みした舞城王太郎『阿修羅ガール』はかなりそのへん意識してる風で気になった。
何事も思いつくより最初にやってみせるのがすごいことなんである。

「六番目の・・・」はストーリー以前のところで引っかかりまくってしまって、世界に入っていけなかった。

さてと。

2003年10月29日(水)



 

かは〜寝不足ですわ。今日はつらかった・・・
世間の狭さなどを感じてみた月曜日でした。
それだけ。それだけ。

2003年10月27日(月)



 あかし海峡大橋

あかし大橋


あかしたちとあかしへあかしやきを食べに行った。

明石では明石焼を「玉子焼」と呼ぶらしい。
うまいなあこれ。真剣に。

大蔵海岸で「明石大橋」をさせたらいよいよ帰らないと(↑)。
大阪の夕焼けはけっこうきれいだった。

信じられないほどビール飲みまくりの日曜日だった。

2003年10月26日(日)



 ずっと残していく記録としての日記、それを読まれると

X年後、息子か娘にこの日記を読まれている場面を想像する。

というか、たとえば自分が中学生ぐらいのとき、親の独身時代の日記を読むようなことがあったら、と想像してみる。

「俺もいつかはオヤジ(オフクロ)みたいになるんだ・・・」
なんて悟ってしまうだろうか。
「若い頃からヤナ奴だったのか」
なんてバカにしてしまうだろうか。

そのまえに、俺は結婚して、子供を持つ立場になるだろうか。
なんてね・・・。

未来のお前へ、
おい、何年も前の日記ニヤニヤ読んでんじゃねえよ。(メタ意識ふうに)
笑うんなら心から笑えよ。

たたたたた。
迷える子羊、悩める子ヤギ。いまだに。
つつつつつ。




明日から、週末ちょっくら出かけてきます。
そのあいだ日記書くのかな。俺。自分のことながら。

2003年10月23日(木)



 

正義のための制度ではなく、合法かどうか判断すればいいだけの制度だったんだ。
楽だよな。




もお〜連日精神的にやられてます。
たいへんだー

2003年10月22日(水)



 エンピツ。けったいなその時代

エンピツという箱物について。

何のめぐりあわせか、人様の日記なんてものを堂々と読めるご時世になった。

日記は誰にでも書けるものだし、それをWEBに公開するのも別に難しいことじゃない。まあいろんな意味で鈍感な人のほうがWEB日記には向いているとは思うけれど。

もちろん、毎日きちんとつけ続ける人もいるし、思い出したように月に2,3度更新する人もいる。日記なんだからどっちが偉いというわけでもない。
僕のIDは87761番だが、「生きている」日記の実数はもっとずっと少ないだろう。

今日も、よく読んでいた日記の一つがおしまいになるということを知って、少し考えてしまった。

普通の人間たちが吐き出した言葉の墓場。

そんなことを思った。
それに、墓場がいやなら、クリック一つで世界から抹殺できる程度の(IDごと消去できるし)言葉の価値についても。

すごいなあ、と心から思う日記が一つある。
もう3年近く続いているのだが、作者さんはまだ中学生。
まだこの人が小学生のころに始めた日記なんだが、

ものすごい。
小学生離れした、なんてもんじゃない。

たとえば小学校の卒業式の日に、来賓が「ゆくゆくはみんな高校を目指す」みたいなこと言ってるのにかみついて、高校行くだけが人生じゃないなんて言っても、そう言う奴に限ってしっかり勉強してる、みたいなことを書いている。

少なくとも小学生の俺にはこんなこと書くアタマはなかったよ・・・。

まあいいさ。
他人の日記ネタで自分の日記を埋めるとはな。
よくないな。

でもほんと、けったいな世の中になったもんです。


ていうか、女子中学生の日記をちらちら覗いてる26歳男ってどうよ。
うげ。

2003年10月20日(月)



 本多孝好さんの

本多孝好『MISSING』。

正確にはまだ読み終わってませんが。

俺いわゆるミステリーってほんと読まないんだよな。
読まないからうかつなことは言えないけど、ほら、殺される人物が、ただ殺されるためだけに出てきて、筋書き通り殺されてる気がするから。

むきになってジャンル分けをするのも変だけど、とくにミステリーと言われる一群は、書き手を選ばずやたらステレオタイプな描写、造形が多い。
つまりは事件の構成のために都合のいい職業やら年代やら性別やらの人物が、とってつけたように利用されていることが多い。

「エイズが来たみたいに」発言で名高いM前首相もびっくりの博愛主義の巣窟だよ。
とさんざんにこき下ろしておいて、MISSINGに手をのばす。

この人の本読んだことないけど、ダビンチ誌上ではいつもすごい人気なんだよね。
都市伝説を巧みに描く、とか。心地よい風が吹き抜けて行ったような読後感、とか。
「このミステリーがすごい!」なんかにもよく選ばれてるし。

で。
おもしろい。それなりに。
固定観念もかなり薄い。さすがに抑制が効いているというべきか。K応卒高学歴マンセー。
でもな。薄いけれど、あるんだよな。
文体はおしゃれで軽やか。「僕」がいかにもなインテリ崩れ風のコメントを連ねることで、言葉に飢えた女の子たちはますます本多作品に吸い寄せられていくだろう。

20年前だったら、「鼠」も登場して、つぶやいたに違いない。「やれやれ。」

ハルキ大先生の呪縛は21世紀も健在だ。
本多センセイにはがんばってね、といっておこう。
2回目を読みたくなるような作品がいいな、と。

俺は紙芝居を楽しみにしているんではない。
血湧き肉躍る大スペクタクル、涙なみだのストーリー、それだけで小説ってなりたってるものなのか?

根本的に力不足なんじゃないか、と思う点がかなりある。
おそらくそれは、書くほうの力量と同時に、読む側の力量についても。

だってさ。『源氏物語』は、ヤリチン貴族の性遍歴小説じゃないだろう。もちろん宮廷の陰謀ドラマでもないし、王朝大河ドラマでもない。仏教思想ドラマなわけもない。

俺たち一般人が小説を読むとき(映画を観るときも)の技量なんて、子供がヒーローもののアクションを見るのとそんなに変わるわけじゃない。
物語の展開にどきどきして、興奮したりがっかりしたりするだけだ。

でも、書く側の人間の技量がそこでとどまっていては、ねえ。
つまり主人公の「僕」が、限りなく作者その人に重なっているようだと、こいつは実はこういう人格しか描けないんじゃないか、ということになるわけで。

たとえばカズオ・イシグロ『僕たちが孤児だったころ(原題"When We Were Orphans")』では、作者自らインタビューで「語り手の“私”を信頼しすぎないで、文章の裏の意味を読み取ってほしい」と話している。
“私”はいかにも冷静そうに事態に対処していくのに、小説の中の現実とはだんだんズレが生じていく。“私”がなにかとんでもない思い違いをしていることが、読者に少しずつ分かってくる・・・というしくみだ。

こういうのを読むと、ああ力量だなあ、と思う。

まあ、現代イギリス屈指の大作家と比べちゃかわいそうでもあるけれど。

んでも、これだけ書いたってことで、俺が本多センセイにそんじょそこらじゃない期待をしているということははっきりしてるんじゃないかと思ってます。
おもしろいんだよ。でも。
あとは、もう一回読みたくなるような・・・。

2003年10月19日(日)



 なんと。

地味にサイト管理用メールアドレスを変えていたのだが、

なんとメーラーの設定をしてなかった・・・・・・

ひどすぎ。

ごめんなさい。ごめんなさい。

言い訳すると、設定したあとにPCが怪しくなったので、少し前の状態まで復元したんです。メール設定の前の状態に。
そのあと再度設定するのをきれいに忘れていたんだ。

かなり重要なご意見メールなどもあった。
あからさまに信用を失っていることだろう。

メールくれた方、すみませんでした。

2003年10月18日(土)



 no memory left

ガキの頃からの友人から、ひさしぶりに連絡があった。

高校時代、俺が一番よくつるんでいたうちの一人が自殺した、と。

俺の中でかなり遠い存在になっていたそいつ(Mといった)の顔を思い浮かべた。

愕然とした。

ほとんど何も覚えていない。



毎日放課後にはマージャンをした。
よくカープの試合を見に行った。
TMNのCDをエンドレスにしてマンガを読んだ。

ほんの8年前のことだ。
こんなことを覚えているのに、Mが何を話していたか、何に入れ込んでいたか、何を考えていたか・・・確かにMから聞いたはずのことを、俺はきれいさっぱり忘れている。

Mは自殺した。


Mよ、俺はとても久しぶりにMのことを思い出して ――web日記のネタにしているよ。


Mは死んだ。
俺は死んでいない。

2003年10月17日(金)



 

定休日

2003年10月16日(木)



 みなそれぞれに

好きな映画は、ときかれることは多い。
そしてきかれるたびに、かなり真剣に悩んでしまう。
こういう質問に即答できる人というのは2種類に分かれるのではないか、と思う。
すなわち真の映画達人か、映画をほとんど見ない人か。

きくほうだってそんなに大した返事を期待しているわけじゃないんだろうが、話の接ぎ穂にこういう質問を持ってくるのはやめていただきたい。

ここに第三の人物像がある。
すなわち映画は好きだが、金も暇も不足がちで映画欲求不満の俺。

尊敬する人物は、ときかれて
「猪木です」
と即答するやつを、俺は基本的に信用できない。

「一番好きな映画はタイタニックです」
と断言する人のほうが、はるかに信頼できる気がする。

うんぬん。

僕のとても好きなサイトに「亞細亞とキネマと旅鴉」というのがある。かなり前から覗いているが、コンテンツがあまりに膨大で、まだまだ目を通していないところも多い。それでここを見るたびに「映画が好きです。旅が好きです。」なんてほざいている自分が恥ずかしく思えてくる。

旅には元来、意味なんてないもので、映画は所詮、虚構にすぎないもので――だからこそ好きなんだ、と強がってみても、なにか面白い発見があるわけでもない。

そこに文章力、構成力の付け入る隙が生まれるんだと思う。
この作者さんが観ているそれこそ膨大な数の映画タイトル(しかもロードショーではなく、新文芸坐や中野武蔵野館といったハコばかりだが)、そして映画と文学を飛び石のように伝う旅行の記録。

金子光晴を引っ張り出そうと思ったのもそもそもこのサイトのおかげで、この作者さんは「他人の旅」とあっさり言ってのけているが、俺は素通りできずに金子の言葉にいちいち突っかかってしまった。

今だって金子に突っかかり、沢木耕太郎に突っかかり、「地球の歩き方」や「旅行人」に突っかかり・・・。

好きな映画、
尊敬する人物、
印象に残った場所、

ほっておいてほしい、そして、いいものはいいなりに、つまらないものはそれなりに、俺にとっては興味深い。
みなそれぞれに。アン王女はずいぶん賢かった。
ジェラートでもなんでも食ってくれ。

2003年10月14日(火)



 洋食屋へ

創業50年以上という、とある洋食屋へいく。

深い焦茶色の店内。
シックと言うのも、なんだか恥ずかしい。

老婦人、といっていい年齢の女性が3人、窓際に座っている。
その手前には僕より少し年上という感じの女性とその母親らしき人の2人連れ。
そのさらに手前に僕たちが座る。
これで2階は満席だ。カウンターのみの1階にはまだ客がいない。

ここのタンシチューはほとんど伝説化しているらしい。
コースもあるけれど、何を頼んでも箸で食べる、というのがこの店での流儀らしい。
じっさい、何を食べても、まさに「洋食」なのだ。

80をとうに超えたおばあちゃんは、今もときどき厨房に立つらしい。

「熱するべし、老ゆるべからず」
とすごい達筆で書いた森繁久○の色紙がちょっと色あせて、掛かっていた。

「ずいぶん以前にね、寄らして頂いたことがあるんですよ。」
窓際の老婦人が、まだ若いウェイターと話している。おそらく彼が生まれる前の話なんだろう。

身勝手だけど、この店がずっとずっと続くといい、と思う。

2003年10月13日(月)



 りんけん、上原知子、あけみお??

お役所イベントのゲストにりんけんバンドや名護のエイサー団体が来るというので、朝早くからとことこと出かけた。

全国の伝統芸能の継承と未来、とかいう、どう転んでもつまんなそうなイベントだったが、詳しい出演時間が分からないので入り口に並んで最初っから見る。
おかげで巨大なホールの最前列に陣取った。

大勢のばあさんがゆらゆら踊るのを見つめるのもくたびれるので、何とかならないかと思っていたけれど、けっこう捨てたもんでもない。

とつぜん女子高生がTシャツ+ショートパンツで小太鼓たたきつつ目の前で踊り始めたときは思わず天に感謝した。
(ただしその周りを浴衣姿の男子が取り巻いてて邪魔なんだけど。)

りんけんバンド(っつーか上原サンとりんけん氏)は午後おそくの登場で、巨大なホール、客席から遠く離れたステージ、シンポジウムの直後で冷え切った空気、と最悪の状況だったのに・・・

すーごーいー。

「嘉手久」〜「唐船どーい」の2曲で観客をみんなカチャーシーさせてしまうこの2人・・・すごすぎます。

知子ねーねーの歌声は・・・人類の財産です。まじで。
日本の、とかケチくさいこと言うな。沖縄の、そして人類の宝です。
こんな唄者の芸をタダでたんのうするなんて贅沢すぎ。
全部で5,6曲やったかな。「仲島節」すばらしいの一言です。

(そういえば前にこの歌声聴いたのも、無料イベントだったな。
コザの全島エイサー、7年前か・・・。若かった。われながら。)


名護のエイサー、っていうから青年会かと思ったら、名護市内の子供たちの集まりだった。「あけみお太鼓」とかいうらしい。

ちゅうか・・・琉球國祭り太鼓ぢゃねーかYO!
いきなり「ミルクムナリ」だし。「島人ぬ宝」って、おーい。
よくまとまってて、レベル高かったけどね。
でも基本的に琉球國祭り太鼓じたい、ちょっと趣味ちがうかなって感じなので。まあ仕方ないんだけど。

ふつうに沖縄市あたりの青年会を呼べばよかったのにね。そういうの期待してたってのもあるけど。

どうでもいいが、司会のF・元国営放送アナウンサー!
彼らの終わり際に出てきて、
「感動をありがとう!!!」

ソリャナイヨ
そそくさと帰ってしまいました。

2003年10月12日(日)



 のうなし

完璧な日記などといったものは存在しない。完璧な彼女が存在しないようにね。

2003年10月10日(金)



 健常者だと

「医者はカウンセラーじゃない。患者と同じ人間なんだ。」

どうやらカウンセラーは人間じゃないらしいです >白い○塔



今日の中国新聞に、とあるNPO法人の理事長の話が載っている。
なんでも55年体制を崩壊させたHそかわ元首相の奥さんだそうだ。

(前略)
そんな慈善の気持ちでSO(注:活動の名前)活動を始めました。
(中略)
人間の純粋さという面では知的障害者のほうが上です。ごう慢な健常者が健常者のためにつくった価値基準で世の中を判断していたことに気付いて、あぜんとしました。
知的障害者は本当に心が純粋で邪心がありません。

(後略)

まあ、理事長なんて名誉職みたいなものだろうから、どうか現場の邪魔をせず、じっとしておいてほしい。

こんなんが法人の顔じゃ、根本的に疑われますけどね。NPO法人S。
これを日本中の地方紙に垂れ流すK通信社も、まるっきりチェックもできないどころか気付きさえしない新聞社も(以下略)


野党第一党のKん党首の息子というのが、不登校問題で市民運動に携わっているらしいんだが、この坊ちゃんのウリというのが「自分もかつて不登校だった」というのである。
不登校になった理由というのが「生徒会長選挙に落選し、人間関係に不信感をもった」というのを聞いて笑ってしまった。ナイス脱力。

恵まれている幸せな人というのは、いるもんですね。

こいつらは差別や偏見のおかげで地位を手に入れた人種。
自分じゃ死ぬまで気付かないだろうけどな。

俺?
一介の貧乏人です。純粋ですともさ。

2003年10月09日(木)



 つきや

名 月 や あ の ど こ や ら に 靴 の あ と   抱 影



月というのは自転と公転の周期がほとんど同じ――30日で地球を一周する間が月の「1日」なので、いつ月を眺めても同じ面がこちらを向いている。

だから月の裏側にUFOの基地がある、なんてお話もあるわけだが、つまり地球のどこで、いつ見上げても、まったく同じ月が浮かんでいるわけで、どうもだまされている気もする。

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも

は今のハノイで故郷を思って詠んだ歌だそうだし、遠距離恋愛で電話して「同じ月見てるんだね」ってのがクサイ台詞になるのも、なにかあるに違いない。

そんな俺は「月、明るっ」としか言えない現代アホウ。
はあ〜語彙語彙。



い ま 食 つ た 芋 皿 の う へ 後 の 月   (て)

2003年10月08日(水)



 題しらず

最近さぼりすぎです。

継続は堕落なり。そして、堕落は継続する。

そして今日も休むのであります。す。す。

2003年10月07日(火)



 インターナソナル、ホテル・ハイビスカス!

「ホテル・ハイビスカス」見てきました。


やっとやっとやっと、ですね。
那覇のリウボウで、映画館まで行きながら断念したのもついこないだ。
広島のサロンシネマはがらがらだったけど、オリオンビールが1本、普通についてきました。ぬるかったですが。

初めて映画館でビール飲んだ。
「今日だけよ」って言われてる文化祭の高校生みたいでいと楽し。
腹減ってたからけっこうキタ。音響すごいし。

映画?

えい、あっきさみよー! もう、でーじやっさー!!
はっしぇー、ゆくしむにーやあらんどーー。


ちょっとね、沖縄に興味のない人にはわけわからんとこもあちこちあったような気がしましたけどね。

まあ、ええか。
手の届くところにいつも三線があって、どこでも即席のステージになって、はい、うたおうねーおどろうねー。
すべてが心地いいリズムで動いている。

東村宮城、出てきましたねー。
パイン畑は、上の開拓区かな? 他は・・・わからんかった。
あのシーンだけはなぜか優越感にひたりつつ見てしまった。

みえこ、最高やなあ〜
こんな女の子をもってきた時点で、半分以上この映画は成功していたんでしょう。
「ミンタマー しなす」
ノートにみえこが書いた、この一行だけで俺はノックアウトされました。

登川誠仁さん。
やっぱり、やっぱり、素敵だったね。
唄とよー、三線がよー、別のもんでなくして、こうちゃんぷるうしていっぺんに流れ込んでくるわけさー。
三線ひいて歌う人はたくさんいるけどもよー。
この人と、カディカルー(嘉手刈林昌)だけは別格。
わーんぐとぅ、ふりむんでも、そのくらいはわかるさー。

たしか誠小(セイぐゎー)、「ナビィの恋」のときは生まれて初めて酒を絶ったって言ってたけど、あれから飲んでないのかな?

あのしわがれた、しぶーい低音が、ずいぶん澄んだ声になってた。
よりはっきり、美声なのがわかったけど。
とにかくかっこいい。必ず生唄、聴きにいってやる!

「わたしはあんまり、悲しい唄を歌いたくない。なぜといって、自分が泣いてしまうから」
と言った、インタビューの言葉を思い出す。

はい、あと何回見てしまうんでしょうか。

2003年10月06日(月)



 Jack The Ripper

秋の番組改編。
今日もRCC(中国放送。TBS系な)に新番組が登場、

『王様のブランチ』

ん?
マダヤッテタノカコノ番組・・・。

ちゅうか、まだリポーターやってたのか「あさりど」・・・。
まあ、番組見てないけどね。公式ページで発見してせつなくなった。

実は学生時代「王様のブランチ」が大好きで、深夜の子番組「王様のお夜食」までばっちりチェック入れてたことは今まで誰にも言っていません。




こんばんは。
実は今日は楽しみにしてた映画の公開日だったんですが、そんなこんなで(何がじゃ)見に行くことができず、しょんぼりです。
何がしょんぼりって日記に書くことがないからです。

web日記のネタ作りのために都心の高級料理店や有名な美容院へ出かける、つまりネタのために日常を「演出」する主人公、なんて設定の小説があったが、これはなかなかうまいところを突いている。

起伏に乏しい他人の毎日をひたすら綴った日記などくそ面白くもないし、ネットに垂れ流す価値もない、とは日記を書いている本人が一番感じていることだ。

まあそれは、錯覚に過ぎない可能性だってあるのだけれど。
誰にとって何が価値か、なんて、一概に決められるわけがないんだから。

どんなに文章がつたなくても、身の回りのごたごたしか書いてなくてもいいから、あの人の日記なら読みたいなあ、っていう人なら俺にはいるけどな。



切り裂きジャック(Jack The Ripper)は、予知夢を見た人の通報によって逮捕されていた。ってさ。(ほかの番組でも取り上げられてた気もするが。)

夏にね。
「探偵ナイトスクープ」で石田靖探偵が「お年寄りの色恋」を調査してて、60くらいのばあさんが「わたしゃ一人もんになったから、これからや」って話している ――という不可思議な夢を見た。
と、周りにいた(パインツアーの)人に話したことがあったんだが、

昨日のナイトスクープ、「お年寄りの性の目覚め」ってまさにこれだった。。
覚えてないだろうな。誰も。
それにしてもこのデジャヴ





つかえねー

2003年10月04日(土)



 ごまみそずい

ストリーミングメディア(asxとかramとか右クリックで保存できん奴な)を保存できるツール、なんてのを引っ張り出してきて、こつこつと原田郁子氏@クラムボンの番組をためこんでいる。

比べて聴いて思ったんだが、

郁子たん、洗練されましたね・・・・・・・・・がっくし

〜わけですよ。
とか
〜らしいんですね。
とか多用して。

ここはJ−WAVEかと思いましたよ。

んでまあ、10日も前に公開された番組に突っ込むのもなんなのだが、
3曲流すのに、
ポラリス→自分の歌(「藍色夏恋」の主題歌)→Small Circle of Friends
って。

仲いいのはわかるけど、ほんまにsmall circleですがな。
あかんよほんま。

もうすぐアルバム発売だそうで。
ファン心理ばんじゃい。

2003年10月03日(金)



 あ、うつなんで。

うつ度チェックというものをしたら
「軽度のうつ症状が疑われます。早めに病院へ行って検査されることをお勧めします」
と言われてしまいました。

秋ですね。




UTU度チェック(宇都宮隆)だったらよかったのにね。
まあ、俺のUTU度はまるで高くないと思うが。




広島で借金を苦に飛び降り自殺しようとした男性がテレビカメラの前で無事救出、というニュースが駆け巡っていた。

アナウンサーたちがこぞって妙なことを言う。

「借金を苦に自殺を図ろうとした72歳の男性が〜」

いや、「図ろうとした」んじゃなくてすでに「図った」だろう。
妙なことを言う奴らだ。そのうち「計画する予定です」なんて平然と言いかねない。
全国ニュースとローカルと、同じせりふを繰り返していたから絶対間違いに気づいていない。

「署員が男を説得しています。あ、ただいま男の身柄を確保しました」

ふつうに「男性を救出しました」って言ってはいけないんだろうか。
現行犯逮捕だよなこれじゃ。

重箱の隅をつつくようだが、こういう無自覚は恐ろしい速さで膨張する。

「なぜ日本のマスコミは『オサマ・ビンラディン氏』と敬称で呼ぶのか。『〜容疑者』と呼べ」

なんていう幼稚な絶叫に、きちんと対応できる言葉のプロがどれだけいるか。

寝ますか。うつ気味だし。は。

2003年10月02日(木)
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