ジョージ北峰の日記
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2013年05月07日(火) 青いダイヤ

 
   純真で無垢で白紙の状態で生まれてきた子供たちの健全な成長のために、大人はこれから先何が出来るのでしょうか ?

   今後、良いことも悪いことも含めて、すべてを管理することが困難な(夥しい量の情報が社会全体に氾濫し続ける時代)情報社会を迎えて如何対処出来るのでしょうか?----これから先の子供教育は、どうあるべきなのでしょうか? 

  想像するだけでも解決し難い困難な問題が数え切れないほど沢山存在することに気付きます。

   ただ、新しい子供の教育システムが子供達の自由な発想や行動を奪うことがあっては絶対ならないということだけは心に留めておきましょう。

   一つの宗教、イデオロギーあるいは封建制度などの外圧が人間の自由な思考や行動原理を強く縛っていた時代には、文明の進歩が著しく停滞してきたことは衆知の事実です。

  子供の教育システムを考える上で“思考と行動の自由”を奪うことだけは絶対に避けなければならないーーーーというのが歴史から学んだ私達の教訓です。

  戦後、日本でもノーベル賞を受賞する学者が増えてきました。いずれの受賞者もある意味で思考がユニークで自由な発想を大事にしてこられた方々ばかりです。最近ではスポーツ界でも文芸の分野でも世界で活躍する日本人が増えてきました。
  このような学者、スポーツ選手、作家(漫画家も含めて)や芸能人を輩出してきた戦後の日本の教育システムは、ある意味で成功だったと評価できるかもしれません。その結果世界中の人々が日本のユニークな分化に興味をもつようになり、日本語を学ぶ外国人も増えてきました。それは戦後日本の教育の大変評価できる点だと思います。
 
  また幸いなことに、多くの日本人には世界の分化を吸収する際に阻害要因になるような厳密な意味での宗教観やイデオロギーがありません。その結果良い面としては、どんな宗教、どんな分化に対しても偏見がなく対応出来ます。
  一方悪い面としては、自分たちの行動を律する宗教的規範がありません。例えばキリスト教のように人が生まれながらに背負っている“原罪および贖罪”のような宗教的観念が身についていないのです。 
  以前、日本の精神文化の堕落に危機感を持った作家が日本の伝統的精神文化の復興を叫んで切腹した事がありました。
  日本人が西欧とは違った、本来持っていた倫理観を回復しょうというのです。しかしこのような考え方に賛同する人は現代の日本国憲法が孕む(はらむ)危険性をよく指摘します。

  その是非は差し置くとしても、新しい憲法が子供の自由な発想や自由な行動を縛るものであっては、歴史の逆戻りになるということだけは先に述べたとおりです。
  アメリカの徹底した信教の自由、言論の自由、つまり国民全体が“自由”の価値観を共有してきたことが、アメリカを世界第一の国家に押し上げてきたという事実だけは忘れないでおきましょう。

  その上で、子供の教育を再度考えてみます。
  まずは、大人と子供は区別するべきでしょうか?
 国によって若干の違いはありますが、ある一定の年齢に達すれば子供は成人式をすまし、大人としての責任を果たさなければなりません。いずれの国でも、子供と大人と境界を設けていて子供は法的に社会から守られています。子供を持つ親は子供を育てる義務を負っています。親は子供が一人前の大人になるまで精神的にも経済的にも支援しなければなりません。
 このような体制下では、実は子供に本当の意味での自由はなさそうです。
  しかしそのことは子供にとって不都合なことでしょうか?
最近オリンピックの金メダリストやスポーツ界で活躍している人達のサクセスストーリを見ていると、親の愛情に溢れた指導がいかに大切か分かります。
  その他の分野でも同じことが言えるのではないでしょうか。例えば学問の分野でも、親の教育が絶対必須でないとしても、重要な要因になっていると考えられる例はいくつもあります。


  親の教育には憲法はありません。自らの経験に基づく教育をある時はやさしくある時は厳しく子供に伝えようとするのです。時と場合によっては体罰もあります。しかし親の体罰は多くの場合愛情から出るものであり、最後には“親子が共有”しうる“手段”として理解しあえると思います。
  
  私が見る限り、大人と子供の区別は親が子供を一人前にする責任をはっきりさせる意味で必要であると思います。
  一方子供には何の責任もないのでしょうか?そんなはずはありません。やはり社会に貢献できる大人になる為の責任(義務)があるでしょう。
 

  親子の間には本来宗教もイデオロギーもありません。ただ愛情に裏打ちされた人間関係から生まれる肌と肌の触れ合が教育の原動力となっているのではないでしょうか。人間の体に例えれば1個の細胞を形作る源“DNAのふれあい”ということでしょうか。


ジョージ北峰 |MAIL