与太郎文庫
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1997年09月17日(水)  敗者の条件 〜 アイーダ先生との対話 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970917
 
 その夜(1971011.)は、こういう会話だった。
 
「アイダ先生は、とても頭がいいんだ。こないだ会ったとき、眠れない
夜に先生の《敗者の条件》を読みました、と話しかけたら、先生いわく
“ぼくは夜の敗者を書いたんやないで”と返された」
 
 ここで四人は、なごやかに笑いあった。つぎのやりとりまでは。
(つづく)
 
── 著者は西洋史専攻の学者で、《アーロン収容所》の著者としても
有名である。
 戦国時代と西洋のルネサンス期から、闘争社会の中の敗者の条件を浮
き彫りにする。
日本版の『君主論』といってもよかろう。著者は自らの視点を徹底した
合理主義者の視点に置く。和歌や茶道などは下らぬ暇つぶしでしかない
ととまで言い切る。
 西洋人の残酷さを自らの体験の中に求める。
 著者はビルマで捕虜生活を送った。日本軍の士気は捕虜となっても高
く、死を恐れない覚悟があったという。英国人は、死の覚悟を持ってい
る者を殺すことでは復讐にならないと考えた。「恩赦で日本軍は解放さ
れる」という情報が捕虜たちの間に出回る。しかし、その恩赦はいつに
なっても実行されない。そしてまた、恩赦がだされるとの情報が出回る。
しかし、恩赦は実行されることなく捕虜たちは刑場に送られるのである。
死を覚悟していた人間に、生きる希望を抱かせ、家族との再会を思わせ、
幸せな生活を思い出させ、生への執着が出来たときに、ためらいもなく
殺す。これが、残酷さなのだという。
 宿敵としての親子関係にあった斉藤道三の生涯や織田信長という覇者
の息子として生まれてしまったがゆえに悲劇を味わうことになった織田
信雄、信孝。あるいは、敵からの挑戦にあたり最後の最後の賭けをため
らったがゆえに死を迎えたサヴォナローナの話など、残酷さと厳しさの
中で人間の一面を見ることが出来る。武勲を立てすぎたがために人生を
失敗したヴァレンシュタインなどは、現代にも言い当てることが出来そ
うである。
── 《闘う保守 〜 憂国読書録 〜 20030407 磐南総合研究会》
── 会田 雄次《敗者の条件 1968 中公新書》
 
── あんがい京都大学教授・会田雄次先生も、旧字体にこだわられた。
 多田道太郎教授と一緒に「アイーダ大行進」などと夜の街をさまよい、
たどりついた店で、先生名義のウィスキー・ボトルを書きかえることに
なった。酔っ払ったいきおいで与太郎が代りに署名していると、先生は
「なんや、またケッタイな略字を使いよって」と不満気だった。しかし
著書をみるかぎり、旧字体で“會田”と印刷されたわけではない。
── 《然かざりき 19560101 虚々日々》一部改稿
 


 会田 雄次 西洋文化史 19160305 京都 19970917 81 /“学者タレント”
http://www.akara.net/itousei/tada.jpg
 
 多田 道太郎  仏文学 19241202 京都       /京都大学教授
http://www16.ocn.ne.jp/~jinzou/aida.JPG
 

 
 未完雑稿《幻の酒場》
 
 三大学者酒場→三高酒場(勘定は安いが、理屈が多い)
一、勝きぬ(祇園の四姉妹)
二、ロジェ(京大人品研究所河原町出張所から祇園支所に)学者バー
三、舶来居酒屋・いそやん(最後の野次馬)
 
── 《役者酒場:杉ざか屋の客たち》
 杉ざか屋(誤=杉さか屋&杉さか家)075-561-1289 
── 《逆立ち芸者》《どつきの、おたかはん》など、別稿に詳述。
 他に、ホリデーバーガー、ちぐさ、キンコンカン。
 
── 会田 雄次《女体の美しさはどこにあるのか 19641210 点展》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641210
 
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作成日: 2005/10/14


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