与太郎文庫
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1947年12月25日(木)  虫のいろいろ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19471225
 
── 晩秋のある日、陽ざしの明るい午後だったが、ラジオが洋楽をや
り出すと間もなく、部屋の隅から一匹の蜘蛛が出て来て、壁面でをかし
な挙動を始めたことがある。(昭和22.12・・)
── 尾崎 一雄《虫のいろいろ 194801・・ 新潮》初出
 
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── 『焼跡のイエス』は、この作者の幻想的作品にしてはめずらしく
時と所がはっきり示されていますが、東京全体が「焼跡」であった昭和
二十一年の世態が生き生き描かれています。『私は生きる』の素材は戦
争中のことですが、そこにみなぎる作者の強い自信と意欲は戦後になっ
てはっきり自覚されたものでしょう。戦後の大きな特色である女性の開
放は、戦前から「生きる」ために闘ってきた作者を鼓舞すること大きか
ったと思われます。この作者にかぎらず、戦争の直後は多くの男性が虚
脱状態にいたのにたいして、女性があたえられた環境に順応し、これを
利用して溌剌と生きはじめた時代です。
『晩菊』の女主人公と彼女の古馴染の男との関係は、この世相をうつし
だしているとともに、作者自身の世間にたいする身構えを象徴していま
す。
 これらの女性の強い闘いの姿勢にくらべて『虫のいろいろ』『桜桃』
の主人公の男性は一見弱々しい感じをあたえます。しかしこの両者には
一脈通じる純粋性と強靭さがあります。『虫のいろいろ』の作者を当代
のもっとも男性的な作家とよんだ女流作家はそのあたりの消息に通じて
いるのでしょう。
『桜桃』に描かれた男の虚栄心と悲しさは、おそらく女性には理解され
ない性質のもので、この意味でこれも男性的作品といえます。
 このあたりまでの作品は、いわゆる戦後の混乱期の所産です。『桜桃』
が発表されてまもなくこの作者の死が世間をおどろかしたのは、昭和二
十三年のことです。
 その翌年あたりから、戦後の直接の混乱からぬけだした文学が少しず
つ見られるようになり、社会はまだ騒然としていましたが、人々の生活
感情は落着きをとりかえしはじめました。
 
── 中村 光夫《世界短編文学全集17 日本文学/昭和 19621220 集英社》P204-11
 


 Seneca,Lucius Annaeus -4/-3‥ Spain Rome 65‥‥ 68 /Marcusの二男
 Darwin,Erasmus  医師  17311212 England 18020418 70 /Charlesの祖父・博物学・哲学
 Darwin,Charles Robert  18090212 England 18820419 73 /博物学“進化論”
 Fabre,Jean Henri 昆虫学 18231221 France 19151011 91 /18231223(岩)〜昆虫記《Souvenirs Entomologiques, 1879-1907-1910》
 Hearn,Lafcadio  作家  18500627 Greek  19040926 54 /〜《Kwaidan 190404・・》1896秋、日本帰化→小泉 八雲
 牧野 富太郎   植物学 18620522 高知  19570118 94 /文久 2.0424 土佐〜《牧野日本植物図鑑,1940》
 山田 吉彦  小説/翻訳 18950111 鹿児島 19750725 80 /きだ・みのる〜ファーブル昆虫記/にっぽん部落/気違い部落周游紀行1894故1982101386
 林  達夫  文化史評論 18961120 東京  19840425 87 /
 尾崎 士郎    小説  18980205 愛知  19640219 66 /〜《人生劇場,1933 < 》
 尾崎 一雄    小説  18991225 三重  19830331 83 /〜《暢気眼鏡,1937》
 Heifetz,Jacha  Violin 19010202 America 19871210 86 /Russia 〜Sarasate y Navascues,Pablo de《Zigeunerweisen,》
 平井 呈一    英文学 19020616 神奈川 19760519 74 /谷口 喜作の双生弟
 中村 光夫   文芸評論 19110205 東京  19880708 77 /19880712
 茂手木 元蔵 西洋古典学 1912‥‥ 東京  19980625 86 /横浜市立大名誉教授

 
── 人間を低くし、動物を高めて、接触点を作り、次いで同視する点
を設ける。これが現在流行している高遠な学説の一般的方向であった。
また今日でもそうだ。ああ、この至高の学説──これは今の時代の病的
流行である──の証明の中には、大学者エラズマス・ダーウィンのあな
ばちのようにお笑い草に終るものがどれくらい、堂々と主張されている
ことか、実験の光に照らしてみたらわかることだろう。  
── 山田 吉彦・林 達夫 訳《ファーブル昆虫記(一)19930616 岩波文庫》P149
 
── ところが、以上述べてきたことは、すべてこれは、真の「昆虫世
界のロマンス」への、ほんの序説に等しいものなのである。
 この驚くべき文化に関連して発見される、最も驚くべきことは、性の
抑制の発見である。蟻生活のある進歩した種類のものにあっては、その
大多数の個々のものに、性というものがぜんぜん欠如しているのである。
さらに高等な蟻社会になると、性生活は、だいたいにおいて、その種族
の存続に必要な範囲内だけに、存在しているものらしい。けれども、そ
の生物学上の事実そのものは、その事実が提供する倫理上の意味ほどに、
驚くべきことではない。というのは、この性的機能の実践上の抑制、な
いし調節は、じつは、自発的なもののように思われるからである。
── Hearn, Lafcadio《虫の研究・蟻》
── 小泉 八雲/平井 呈一・訳《怪談 19650916 岩波文庫》P180
 
── 万人のうちで、英知に専念するのみが暇のある人であり、このよ
うな者のみが生きていると言うべきである。それは、彼らが単に自己の
生涯を立派に守っているからだけではない。/彼ら以前に過ぎ去った年
月は、ことごとく彼らに付加されている。われわれがひどい恩知らずで
ないかぎり、(略)
── セネカ/茂手木 元蔵・訳《人生の短さについて 19801117 岩波文庫》P042
 
“だが、忙しいといふのはどういふことなんだ”
 《いそがしい指 19710217 》《六月十三日の死と愛 199206・・ 》
 小泉 八雲《怪談・耳なし芳一》→《うたとことばとコーラスと》
 
(20061114)
  


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