マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) パート探し


この所、短期のパートを見つけるため、新聞募集を見掛けては出来そうな仕事の面接に行くと言う慌しい毎日だったので、又日記が途絶えてしまった。
しかし、短期仕事はなかなか見付からず、やはり何処も長期で頑張ってくれる人が欲しいとの事や、年齢の面で断られてしまう仕事が多い。
いっそ、腰痛持ちを事前に話しておき、長期希望と偽ってでもいったんは入り込んでしまい、店の目処が立った頃、「一ヶ月様子を見てみたのですが、やはり腰痛が酷くなって来たので・・・」と辞めようかとも思ったのだが、やはり期待を掛けさせておきながら騙すようで良心が咎める。
長期の希望者が現れるまでの繋ぎでもいいから働いて欲しい・・・という場所が無いか、今必死で探している所だ。
これからも2件ほど行って見ようと思っている。

皆さんの大切なお金を極力店の資金だけに回せるよう、生活費くらいは早く自分で稼がないと・・・・・・。
さぁ、出掛けてきます。





2005年01月31日(月)


 (日記) 支援の輪


皆様の支援の輪が広がり、目標額の半分以上が今集まっています。
ありがとう・・・・・・。本当にありがとう・・・・・・。

これらの愛しいお金たちは、良い店が見付り次第、直ぐに引き出せるよう、大切に大切に保管してあります。

この分で行くと、営業開始希望月の3月には、目標額が集まり、良き日に開業する事が出来そうです。

昨日も、長年店を経営している大先輩の(E)ちゃんに電話を掛けてみたところ、彼女が経営している店が有るビルの一階奥に、こじんまりとした綺麗な空き店舗があり、マキがやるなら大家に直談判してくれるとの事で、又一つ希望が出てきました。
友人の店の近くなら、一人で経営してても安心ですし・・・・・・。

その場所は松本市の【裏町】と言うところで、名前はいかにも裏町人生・・・と言うような、うらびれたイメージを彷彿とさせるのですがww私が経営していたEPOCHから歩いて1・2分の飲み屋街です。

当時は駅前か裏町かと、人気を二分してたのですが、今では多少閑散としてきてしまった物の、返って繁華街に軒を連ねるよりは隠れ家スポットとして重宝されそうで、私らしくて良い様な気もするのです。

まだはっきりと決めたわけではないのですが、今私の中でイメージしている店の料金設定と、支援者への還元方の一案を出してみたいと思います。

例えば、通常、男性4000円女性3000円で、2時間飲み放題で過ごしていただくと言うのが基本の料金。
飲み物は、バーボン・ウイスキー・ブランデー・焼酎類・ソフトドリンクを数種揃え、好きなものを好きなだけ飲んでいただき、手の込んだ突き出し1品・チョコとスナックの小さな盛り合わせ一品、カラオケ一人5曲まで無料と言う形です。
ビールは別料金になります【一缶500円〜600円】
尚、長時間の希望者は1000円増しです。

そして、定番のフードメニュー【500円〜1500円くらいまでの物】の他、その日の仕入れによるお勧め料理【やはり500円〜1500円くらいまでの物】を数品置き、マキュの料理の腕前を存分に発揮したいと思ってます。

ボトルを入れたお客様は、その料金から1000円引きのセット料金で、アイスやミネラルはお代わり自由です。(突き出しやカラオケは同じです)

そして、出資金額にも寄りますが、地元の飲み仲間や顧客には一口30000円の融資を募り、その人のみ、来るたびにセット料金から毎回1000円を引かせてもらい、月に3回の割りで来て貰うとして、1年間で元を取っていただくようにしたいと思います。

遠方の支援者が来た場合は、ボトルなり、私の手料理なり、好きな飲み物を、その支援金額に基づき、サービスさせてもらうと言う形は如何でしょうか・・・。


などなど、色々な考えが浮かび、又色々な人達のアドバイスを参考に、色々な案が浮かんで来ています。
ともかく、遠方の人が来た場合でも、新たなお客様が来た場合でも、直ぐに溶け込めるようなそんな雰囲気の店を心掛けて行こうと思っています。

EPOCHの頃から私は客を選んできました。
周りの雰囲気が壊れてしまうような人間や、酔っ払いや、場を読めない人は、極力断ってきました。
なので、客筋の良さには自信が有ります。
初めての人でも安心して、心からリラックスして楽しんでいただけるよう、精一杯努力しますので、気軽に遊びに来てください。


2005年01月28日(金)


 (日記) 朝の風景


フゥーリィーの車の車検が17日で切れているので、今、アタシが会社への送り迎えをしている。
朝5時半に起き、支度をし、6時20分ごろに家を出る。
まだ薄暗い靄の中を走っていると、普段見慣れない風景が見える。
会社まで片道20分ほどのミニドライブだ。

通いなれた道ではないので慎重にハンドルを握るのだが、ついつい山々の美しさや信濃川の美しさに、わき見運転になってしまう・・・・・・。

今朝は所々の川面に霧の柱が立ち、なんとも幻想的な不思議な景色が見られた。
帰り道はグンと明るさを増し、先ほどまでは靄掛かっていた風景がより鮮明になる。

先日は雪を被った山々が、朝焼けでピンク色に染まり、そのピンクより少し黄味掛かったまん丸の大きな月が出ていて、泣きたくなるような美しさだった。
私は思わず、そのままその景色の中に溶け込んでしまいたい衝動に駆られたものだ。

信州の風景は美しい。
まだまだ知らない景色が一杯ある。

助けてくれた友人達のお陰と、格安で車検を任せられる友達のお陰で、明日車検を取る事が出来そうだ。
朝の幻想的で美しい景色が見れるのも、明日までだ、と思うと少し寂しい・・・・・・。

先日、友人のHPにお邪魔したら、そこに【よそ日暮らし】と言うリンクが貼られていた。
ワクワクして覗いてみると、写真と詩や文章で綴られた、それは美しいページだった。
文章の上手さはもちろん、写真の撮影技術はプロ級だ。

アタシはカメラは1000円の携帯電話の酷いカメラしか持っていない。
カメラの技術も無い。でも、もしもカメラが有ったら、きっと、アタシも信州のこんなに素晴らしい風景を撮る事が出来るんだろうなぁ・・・と思った。
でも、撮影技術が無いからダメか・・・・・・。(笑)


所で、話は変わりますが、昨日友人の【M】と二人で見せてもらって来た店は、上に部屋も付いているのですが、あまりにもアタシのイメージと違い過ぎ、全くお金を掛けずに営業まで漕ぎ着けるのは、殆ど無理だとわかりました。
他の店の鍵を用意してないとの事で、昨日はその一軒だけしか見られませんでしたが、早急に他の店を見せてくれるとの事でした。

尚、店の営業方針や料金設定など、ただいま検討中ですが、決まり次第日記にてお知らせします。


2005年01月27日(木)


 (日記) 甥の登場


今、マキュキュギャラリーを久々に覗いてみたら、何と、先日バアバの葬儀で久々に会った甥【K】が初登場(初カキコ)していた。
甥と言っても、従姉妹の息子なので正式には何と呼ぶのだろうか・・・・・・?

ネット友人のバツが去年の暮れ、新宿のイルミネーションの美しい画像を送ってくれていたので、実はアタシの甥もイルミネーションのデザインしたらしいよ〜♪ なんていうレスを書いたのだが、まさか【K】が、バツが送ってくれた画像そのもののイルミネーションデザインをしていたとは、その時点では全く知らなかったのだ。

バアバの葬儀の後松本に帰る際、従姉妹に新宿の高速バス乗り場まで見送ってもらった時、従姉妹は息子の晴れ舞台を私に見せたかったらしいのだが、もう殆どが取り外された後だった。
「なんだ・・・。ついこの間まで、あそこらへんにKのイルミネーションが飾ってあったのに、もう外されちゃってるね・・・・・・」と残念がっていた。
なんせ暮れの28日・・・・・・。タイミング悪く年始に向けてのディスプレーに丁度変わる時期だったのだ。

でも、思わぬバツからのプレゼントで、甥の力作を、ちゃんと画像で見ることが出来てたなんて・・・、こんな処にも偶然の必然性がドラマチックに展開された気がする。
バツ、アナタはやはりラッキーボーイ【オジサン】です。

昨日にしろ、今日にしろ、こんな風に良い偶然に沢山出会えるようになったという事は、アタシの人生に少しずつ光が差し始めている兆しなのかも知れない・・・・・・。

甥は従姉妹の一人息子で、アタシの息子である哲朗より一つ上だ。
お互い、何かといっちゃ、行き来をしていたので親類の中でも最も近しい仲だ。
子供の頃からつい最近まで、Kはとある劇団に居た。TVCMや一寸した役でTVに出演してたりしてたのをアタシも何度か見掛けている。Kは喜劇役者で有った伯父【MN】の実孫だ。

以前は従姉妹と二人でスキーをしに来たりして、木曽にあるフゥーリィーの実家に皆で泊めて貰った事もある。
ともかく、赤ん坊の頃からずっと見てきたので、その成長振りがまぶしい。
従姉妹に似て、色々な面でとてもしっかりしているので、今では親類の中で、一番の出世株ではないかなぁ・・・・・・【?】

【K】よ、アタシャ未だに人に助けてもらいながらしか生きられないような、情けのない人生を歩んでいる、どうしようもない叔母だけど、早く出世して、アタシの【からくり箱】をPRしてくれ・・・・・・!!【悲願!】
そして哲朗を何とか東京に引っ張り出してやってくれ・・・・・・!!【切願!】

アタシ達親子は、何時まで経ってもダメダネェ・・・・・・。

でも、何とかして必ず名誉挽回してやるから、遠くから応援頼むね〜。

ともかくこうして親類などがHPに顔を出してくれると、アタシはとても嬉しい。
遠く離れた血縁が、一瞬たりとも私を気に掛けてくれたと言う事実が、とても嬉しい・・・・・・。


追伸・・・

Kへ

もしも私の日記を読んだら、投票箱クリックしてね〜【一票入るので】
日記休んでたので、かなり順位落ちてしまいました。【泪】
そして友達にも宣伝してください。
順位が上がれば何処かの編集者の人が見ているかもしれないので・・・・・・。【汗】
なんせ、出来る限りの可能性に賭け、何かで浮き上がろうと必死なんですよ・・・(苦)



2005年01月26日(水)


 (日記) 嬉しい人に会えた


昨日、ハローワークの帰り、滅多に通らない道を偶々車で通ったら、【まるも】のご主人が散歩をしていた。
ご主人に会うのは1年ぶりくらいだろうか・・・・・・。偶然も偶然だった。

【まるも】と言うのは、松本の女鳥羽川沿いにある、古〜い老舗旅館だ。
一階部分がクラシカルな純喫茶になっていて、鹿鳴館時代を思わせるような雰囲気で、私はその店が大好きで、昔はよく通っていた。
それにコーヒーが飛び切り美味しい・・・。

旅館は素朴で小さいが、ヒノキ風呂のお風呂があり、私はまだ泊まった事はないのだが、親類や友人が来た時には必ずと言っていいほど紹介させてもらっている。
その旅館には、タレントの永六輔や、各種有名人や、作家の方も良く来られ、旅館のご主人と深い交友関係に有る方が多いと言う。

私の母の子供の頃からの親友で、熱海に住み、親類付き合いをしている照子ママ【私は幼い頃からそう呼んでいた】は、私達が松本に移り住んだ頃から、最愛のご主人と年に2〜3度ほど松本に来ては、必ず定宿としてその旅館に泊まるのだ。
【まるも】のご主人ともすっかり仲良くなり、私と照子ママよりも頻繁に普段の交流があるのでは無いかとさえ思う・・・。(笑)

生憎、数年前に照子ママのご主人は肺癌で他界したが、その後も照子ママ一人で遊びに来ては、パパとの旅情を偲びながら【まるも】に泊まるのだ・・・・・・。
「まるもの朝食が飛び切り良いのよ・・・。でも、私が好き嫌いが多いもんだからパパが昔怒ってね・・・・・・」と、照子ママがパパの想い出話を涙ぐみながらするもんだから、私はちょっと悲しくなってニガテなのだ・・・・・・。(苦笑)

その照子ママも一昨年癌になり、今は療養中だが、とても元気になったそうで今年の4月ごろには再び松本に遊びに来れるらしい。
年の暮れに電話が入り、そう知らせてくれた。

【まるも】のご主人は目の病気をし、今では全盲に近く、もうお年も90に近いだろうか・・・・・・。しかしとてもお元気で、朝の散歩、神社の参拝、温泉通いは欠かしたことがないそうだ。
白髪で大柄で、気品のあるそのお顔立ちは、文豪か歌舞伎役者を思わせる。
そんなご主人が杖を付きながら、ゆっくりと農道を歩いていたので、照子ママの事を知らせてあげようと、車を止め駆け寄った。
ご主人は殆ど目は見えないはずなのに、私の声を聞いただけで、私を思い出してくれたのだ・・・・・・。

暫く立ち話をしているとご主人が今は何をされているのですか? と聞いてきた。
今の悲惨な暮らしぶりを話すわけにも行かず、「ええ・・・、趣味でエッセイのような物を書いてます」と言ったら、ご主人が「私の友人に作家が居て、近々【まるも】を書いた本が出来上がるそうで・・・・・・」と言う。
なんでも、深志高校の卒業生で、有名な作家が居るそうなのだが、その人が【まるも】を題材に何かを書いたのだろう・・・・・・。車を変な場所に止めっぱなしだったので私はその事が気になり、詳しくは聞けなかったが、その本を持ってその作家さんが近々【まるも】に来るそうで、私に紹介してくれると言う。

ご主人は財布の中からわざわざコーヒーチケットを2枚取り出し私に渡し、「詳しくあなたの書いたものの話を聞きたいから近々お茶を飲みに来て下さい」と言ってくれた。
うれしいなぁ・・・・・・。
又少しチャンスに近づけるかも知れない・・・・・・。

明日私が見に行く一軒の店は、純和風の一杯飲み屋で、少し私の感覚とは畑違いの店なのだが、そこは【まるも】の位置から女鳥羽川をはさんだ対極にある店なのだ。
店を見に行った後、友人の【M】と二人でお茶でもしよう・・・・・・。
ご主人はお話が好きで、いつもいつも、為になる興味深い話を沢山してくれる。
ステキなクラッシックを聴きながら、大正ロマンのようなレトロな雰囲気の中で、落ち着いた気分で美味しいコーヒーをくゆらせご主人の話を聴いていると、なんだかほのぼのとした嬉しい気分になれる。
今の私にはそんな時間も必要なのかもしれない・・・・・・。


2005年01月25日(火)


 (日記) 思い色々・・・


肋骨にヒビを入らせ、一週間の安静を取り、やっと今日からフゥーリィーが仕事に復帰した。転倒した時、変な体勢で倒れたため、身体を庇い足を強打したので、膝にも又水が溜まってしまっていたのだ。
医者からは「二週間は絶対に安静に・・・」と言われたが、そんな余裕はない。

しかし、細木先生の占術は本当に怖いほど良く当たる。
私が初めて六星占術の扉を開いたのは、マダ昔の夫と居た頃なので、23〜4年くらい前だろうか・・・・・・。
離婚の危機に直面したのがきっかけで、その頃からずっと人生の羅針盤にしてきた。

私の去年の年運はまさしく乱気。本当に乱れに乱れた・・・・・・。
そして一年ズレなので、今年、フゥーリィーの年運が乱気に入ってしまった。
しかしこの期に及び、乱気に入った途端、骨にヒビが入るなんて、嘘のような本当の話ではないか・・・・・・。
しかも相殺殺界月に・・・・・・。
しかし、もう一年辛抱すれば、後はお互いに最高の年周りになる。

フゥーリィーが木星人(+)で、私が水星人(ー)だ。
総合的な相性は、私から見ると夫は最高の相性なのだが、夫から見ると私は小殺界の相性に値するらしく、一緒に居ると怪我や健康に支障をきたす事が多いらしい・・・・・・。【これも当たっている】
二人の殺界月は、私が12・1.2月で、夫が1・2・3月。なので4ヶ月続く事になる。12月〜3月までが注意を要する月なのだ。
なので特に暮れから年明けにかけて必ず毎年波乱尽くめになるのだが、今年は何時に無く大きな乱気が訪れた・・・・・・。
2月で私は殺界月が明け、後の3年間は人生最大の良い時期に入る。なので、店の開店は、例え間が空いたにしても十分準備を整え、3月以降にしたい・・・。
夫に幸運期が来るのには、後一年の我慢だ・・・。


昨日、本屋に行き、毎年必ず買っているのだが、今回買えずにいた星座別のミニ本を2冊を買ってきた。木星人と水星人専用の本だ。
それを読んでいて、あまりにも的中しているので総毛立った。

今年の私の運勢は・・・。
マイナスの水星人は、人生の再スタートを切るには願ってもいない【再会】と言う運気で、昨年は【乱気】という中殺界と言う事もあり、精神的に滅入ったり悩みも多かった事でしょう。 しかし今年は・・・・・・ ー中略ー ・・・・・・又、あなたの周りには不思議と人が集まってきます。多くの人との出会いに支えられ、物心両面で援助がもたらせる時なので、人生の巻き返しを図るには願ってもいないチャンスでしょう・・・・・・。
と書かれてあった。

本当に今の私にぴったりな運気のようだ・・・・・・。

11月辺りからの一連の様々な出来事で、一時はフゥーリィーとの別れも考えた。
いつもかつも大変な時期に限って怪我をしたり、痛風になったり、膝に水をためたり・・・。私が精神的に一番へこみ、私自身体調を崩しても、毎回必ずと言っていいほど、私より尚更具合を悪くするフゥーリィーに、看病や家事や支払いなど、いつも一人背負わなければならなくなり、普通なら同情すべきものなのに文句や罵倒ばかりを浴びせていた・・・・・・。
そんな自分に自己嫌悪を感じながらも、切羽詰まった時の夫婦と言う物は、しなくても良い喧嘩までしてしまう・・・・・・。

フゥーリィーと私はお互いにお互いが大好きなのだ。
14年も一緒に暮らしているのに、いまだ飽きも来ないし、本当に愛情深く居られている。
割れ鍋に綴じ蓋であり、魂レベル【原田真裕美語録引用】がきっと全く同じ人間同士なのだと思う・・・。
でも、その永遠の仲の良さと引き換えに、私達が一緒に居ると、何かとてつもない不幸に見舞われる事が多いような気がしてならないのだ・・・・・・。
もしかしたら、二人が一緒に居る限り、辛いアクシデントが永遠に続くのではないか・・・・・・。二人は一緒に居ちゃいけない夫婦なのではないだろうか・・・・・・。
そんな気がしてならないのだ。

昔、背後霊が見えると言う友人に、二人の相性を見てもらった所、二人の絆はとても固く、愛情の持続も永遠なのだが、フゥーリィーに着いている十二一重を纏った気位の高い女性が、二人の仲に嫉妬し、引き裂こう引き裂こうとしている。
と言うような話をされたことがある。その話が今回の一連の出来事でふと蘇ったのだ・・・。

なので、もう、いっその事、フゥーリィーと別れ別れになり東京にでも行こうか・・・。などとも真剣に考えていた。
これ以上一緒に居たらもっとお互いに不幸になるのではないかと・・・・・・。

思えば波乱万丈な私の人生の中でも、フゥーリィーと出会ってからの20年(友達期間を含め)は、益々辛い事が多かった。
店の開店直後の母の癌・母の死・母の借金の肩代わり・自分自身の癌・息子との断絶・新たな借金苦・・・・・・などなど。
大きな物はこれぐらいだが、細かい事を含めると数え切れない。

きっと私達は、本当に前世は仲の良い男女の双子だったのかもしれない・・・・・・。
余りの仲の良さに弟に恋した魔女が嫉妬し呪いを掛け、来世で二人をわざと出会わせ、恋をさせ、死ぬほどの苦しみを与えているのだと・・・・・・。
そんなギリシャ神話的な物語が、ついつい浮かんできてしまう。(苦笑)

「ねぇ・・・? 私達、別れたほうがいいのかなぁ・・・・・・]
今回、そんな会話を沢山していた。

しかし、お互い、どうしても別れる事など出来ないだろう・・・・・・。
きっと私達は別れたら、生きていけないのかもしれない。
心と身体の半分を失う事なのかもしれない・・・・・・。


さぁ、フゥーリィーも頑張っているのだ。
私も短期のパート探しに行って来よう。


2005年01月24日(月)


 (日記) 昨日の日記に添えて


昨日の日記への賛同者の方々に、心からの感謝と共に、新たに付け加えさせていただきたい事があります。

もしも参加していただける場合、一人の方からあまりに高額な支援を受けるわけには行きません。10円でも100円でも本当にお気持ちで支援してください。
そして50万と言う、店舗を開業させられる資金が集まり次第、即座に打ち切らせていただきます。

尚、マイナスからのスタートなので開店しても直ぐに利益が上がるとは思えません。
安定し、取り敢えずは生活が成り立つよう軌道に乗せるまでにはかなり時間が掛かると思います。
勿論皆様が私の店に来てくれた場合には、心よりのサービスはさせていただきますが、寄付金に付いては返済や収益や配当などは先ず無いと思ってください。
あくまでも、志望者だけ、そして無理のない金額で、義援金のおつもりで応援していただけたら幸いです。

そして、送り主のわからない物は受け取るわけには行きませんし、御礼の仕様が無く困りますので、金額に限らず、必ずお名前(NH)と連絡先をお知らせください。

尚2月を準備期間とし、回転資金が集まり次第、殺界明けの3月の吉日に店を開店するつもりで居ます。
それまでは短期のパートを探し頑張るつもりです。




2005年01月23日(日)


 (日記) この一週間の事・・・


先ずはメールや携帯電話や、BBSで心配してくれた方々へ、何の返事も出せなかった事を心からお詫びします。
なんと返事を書いてよいのか解らず、又、どうなって行くのかも解らず、どうする事も出来ませんでした。

しかし私の事を心配してくれている人、応援してくれている人、私の日記のフアンの為にも、このままでは申し訳ないという気持ちに押しつぶされ、ようやく今日の日記で謝罪したいと思い、書く事にしました。
皆様へのお詫びの気持ちから、この一週間、私が思っていた事、起きていた事などを正直に書きますので読んでください。

先ずは8日の土曜日で仕事を辞めてしまいました。
友人の忠告通り、初日から失望感が強く、ママの考え方や商売に対する余りの傲慢な姿勢に強い反感を持ち続けて来ました。
背に腹は変えられぬと言う理由で入ってしまったのですが、やはり、ダメでした。
客や従業員の心を、玩ぶかのような商売のやり方、人の使い方に、居れば居るほど憤りを感じずには居られませんでした。
何度か講義しましたが、それ以後尚更、屈辱的な扱いを受けるようになり、もうこれ以上の我慢が出来なくなりました。
従業員やお客達には引き止められたけど、生きる為のお金が無くなる事を覚悟の上でとうとう辞めてしまいました。

どちらにしても、溜まった家賃をボーナスで整理しなければ家を出て行かなければならないと言う約束も以前から有って、普段の家賃の倍近い物も払いましたし、ボーナス払いの車のローンもありましたし、明後日に控えた車検費用の事もあったのですが、歳末からの色々なアクシデントや、ボーナスが前回よりも10万も少なかった事など、多くのことが重なり、20万ほどのお金が既に足りない状態なのです。生活費もとうとう、僅か一万になってしまいました。
しかし、もうこれ以上の借金を重ねる事は不可能なため、成す術は何もありません。

残金一万余りと言う最悪な状況下での退職は、無茶だとは解っていましたが、あんな人間の下で働くくらいなら飢え死にした方がましと言う結論に至ったのです。
もしも、経営者と言う物が全てそういう類の人ばかりだとしたら、私が働ける場所はもうどこにも有りません。
最後に残った1万円で何処かへ旅立ち、二人で車に排気ガスでも引き込んで死のうか・・・などと話していたのです。笑いながらの話だったのですが、私は本気にしていましたし、その覚悟で居たのです。

そんな中、息子から催促の電話が来たのです。
実は数日前、新しく出来た彼女と自慢のお雑煮を食べに行きたいから、お雑煮の用意をして待っててと言う電話があり、電話自体や息子に会える事は嬉しかったので、ついつい「いつでもおいで」などと言ってしまったのですが、「今日当たりどお?」と仕事を辞める前日当たりに突然電話が来た時、経済的な理由からドタキャンをしてしまったのです。
でも、今回だけは最期に顔を見ておきたいとも思い、彼らを招待したのです。
9日・10日と二日を掛けて大掃除をし直し、なけなしの一万で飲み物や食材を買い、11日に最期の晩餐のつもりで彼らを迎えました。
そうしたら彼女が大変私の家の雰囲気を気に入ってしまったらしく、翌日、何と今度は二人で泊まりに来たのです。(苦笑)
彼らはとても楽しかったようで、2日間も泊まって行きました。
彼女は文章が好きらしく、私のHPに噛り付いていました。
片親の彼女にとって私達夫婦は理想の親らしく、帰るときには別れが寂しいと泣いていました。そんな二人が帰ったのは昨日の夕方です。

彼らのいる間、何度も何度も色々な人々から電話やメールを頂きました。
でも、彼らの前でそういう話も出来ず、又、パソコンに向っても何を書いたらいいか解らず、彼らが帰ったら何とかしなければ・・・と思っていました。
そして皆様に謝罪して、死へのドライブに行くつもりでした。
そうしたら、フゥーリィーに「アレはジョークだよ! 俺達が死ねるような人間ならとっくに死んでるだろう・・・!」と言われ、あまりにもあきれ果て、思わず吹き出してしまった所です。

今日、息子の彼女から、メールを貰いました。
「お母さんがプリントしてくれたいくつものエッセイ、今、大切に大切に読んでいます。
特に【7月7日7時7分のキス・・・】と言うエッセイ、とても感動して、泣きながら読みました。【中略】どうかフアンである皆のためにも、新たなフアンになった私のためにもエッセイを書き続けてください・・・。と・・・。
どうやら彼女は私のBBSや、電話に出なかった事などで、ただならぬ雰囲気を察していたのかもしれない・・・・・・。

そんな一週間を迎え、もう、殆どお金も使い果たし、仕事も無くし、どうしたらよいのか、どうなっていくのか私達にも今の段階では解りません・・・・・・。
今は何も考えられない状態です。
そんな状況でしたので、ご心配を掛けて居た事は承知の上で、何のご返事も出来ずに居ました。
BBSの温かい書き込みを見るたび、涙が溢れ、早く何とか返事をしなきゃ・・・とは思うのですが、今は、少しゆっくりと眠りたい気持ちです。(この3日間、毎日が徹夜に近い状況でしたので・・・)

今朝久々にメニエール症候群が起きたのでしょうか・・・・・・。
寝てても起きていてもフラフラで立ち上がる事が出来ません。
きっと精神的な疲れと身体の疲れが一気に出たのでしょう・・・・・・。
この日記を書くのが精一杯です。

死ぬ事は怖くて出来そうもないので、絶対にそれだけは無いから安心してください。
ただ日記を書けるような状態になるまで、もう少しだけ見守ってください。
誤字脱字を修正する余裕がありませんので、世見苦しかったらごめんなさい。

取り急ぎご報告まで。


2005年01月15日(土)


 (日記) 心のレベル


今日BBSに嬉しいカキコがあった。
一年半ほど前、失恋で死のうとしていた若者から突如メールを頂いたのだ。
自分も別の意味で死ななければならないような状況だったので、私はありていの慰め方はしなかった。
と言うよりも、最初は、失恋くらいで死んでたら、アタシの命なんか幾つ有っても足りゃしないよ!などと突き放した言い方をしたと思う。
そして私が抱えてる【生きるためのお金が無いんだぞ!】問題なんかを説き、ジョークを交えながら、それ以後、メールのやり取りなどをしていたのだが、つい先日、すっかり立ち直り、そのお礼にどうしてもエッセイ集を完成させるため、僅かながらでもお礼のカンパをしたいと言う申し出を頂いた。
ずっと断り続けては居たのだが、とうとう根負けした。
彼の【早く皆にステキなエッセイ集を読ませてあげる責任が貴女にはあるのです】と言う脅迫(笑)に負けたのだ。
その為には、いつまでも片意地を張ってるばかりが脳じゃないそうだ。(苦笑)
そんな彼の書き込みを、彼の了解も得たので此処に紹介したい。

僕は2?歳の男性です。
1年以上前、彼女に振られ死にたいと落ち込んでいた時、たまたまマキュキュさんのホームページを知る事になりました。それから日記とかBBSの虜になり、大変苦労したんだなぁと思い、思い切ってこの方なら私の悩みを聞いて貰える気がしてメールで相談しました。その時のアドバイスで勇気を頂き、フリーターですが貧乏ながらもこつこつ働きました。現在の僕があるのは、マキュキュさんのお陰です。本当にありがとうございました。
何とかマキュキュさんに恩返しがしたいと思い色々考えました。最近日記には、本を出版されると書かれていて、マキュキュさんも僕と同様貧乏なので僕が出した答えは”誠意はお金だ”と思い、そんなに余裕はないんですが僕の出せる範囲で寄付したいとお願したら断られました。でも僕は自分の出来る範囲でしたいと何回言っても同じ答えでした。こうなったら僕も後には引けません。本当にあの時のアドバイスがなかったら・・・・・を脅迫まがいで何度も訴えた結果、振込み口座を教えていただきました。ここでもあの時マキュキュさんから教わった事が実践できるように成長しました。人間は不幸な時こそ”最大なる心の財産を得るチャンス”がある思いました。何とか本が出せるよう祈っています。長々と書きましたのをお許し下さい。


こんな温かい心のレベルを持った真摯な若者が居るかと思えば、人の心やプライドをズタズタに切り裂き、屈辱を与える事に喜びを抱いているような低レベルの人間も居る。

昨夜は松本に雪が降っていた。
エネルギーの先生で、アタシの恩人でもある【M氏】が松本近くでたまたま仕事の依頼があったというので、僅かな時間でも会おうと言う事になり、松本駅前でお茶を飲みながら一時間余りと言うアタシの仕事までの時間をエネルギーの会話で楽しんだ。
【M氏】との別れがけに降っていたみぞれが、後に雪に変わったのだ。
その雪の中を、電話を掛けてきた経営者に命令され、何と厨房兼マネージメント役で雇われたはずのアタシまでビラ配りをさせられたのだ。
そもそも、電話での言い方に棘がある。
「皆で何やってるの? お茶飲んでくっちゃべってるの? そんな事してるならビラ配ってきてよ」だとさ・・・。
キャッチバーやキャバクラじゃ有るまいし、スナックでビラ配りさせる店が有ると言う事自体信じられない。

しかも50オバサンのアタシまでが哀しいかな、何で、真冬の雪の中、店のビラを配らなきゃならないんだ・・・・・・。
かえって客減るぞ!!(笑)
松本中に知り合いがどれほど居るかと思うと、それだけでもう辞めたくなるほど情けない・・・・・・。

昨日はアタシの他に2人の女性が居たのだが、若い女の子の方が風邪を引いているのでアタシが庇ったら、「じゃぁ、マキちゃんと【M】チャンの二人でやって来て」だとさ・・・。
こんな寒い冬に平気でビラ配りをさせられる冷酷さが、アタシにゃ、理解できない。
客の居ない時間は、一時たりとも座っててはならないんだと言う考えの経営者なのだろう。

普段は私だけずっと立ちっぱなしにさせておいて、新しい客がきても紹介しようともしてくれない。
自分たちだけで盛り上がっておいて知らん顔だ。
忙しい時は忙しい時で、僅かな人数だけで店を切り盛りしてると言うのに、経営者はマイク一本動かそうとしないし、あれほど忙しいクリスマスパーティーや、1周年のパーティー時期を皆の協力があってこそ乗り越えられたというのに、大入り一つ出そうとしない。

従業員有って初めて店は成り立つと言う事をもっと利口な経営者なら解る筈だ。
従業員を大事にしないから皆辞めて行くんじゃないか・・・・・・。
自分は9時半ごろになってノコノコ出かけて来て、ただただ座って客と飲んでるだけのクセに・・・・・・。
経営者としても人間としても、私が見てきた中では本当に最低なレベルの人間だ。
25分延長しても、1時までしか付いてないし、20分くらい前に店に入っても7時からになってるし・・・、少なく付ける事は有っても、多く付けてくれた事なんか一度もないじゃないか。
そこまで金にがめつく、シビアになれる人も居るんだなぁ・・・・・・。
このうそつきメ!!

同僚の【M】ちゃんと文句タラタラ言いながら、ガタガタ震えながら、ビラを配っている自分達が情けなくなったよ・・・・・・。【泪】
そんな屈辱的な使われ方をされても【食うためだ! 生きるためだ! 我慢我慢!!】と、悔しさに歯を食いしばりながら、半ば意地で働いている。(笑)
いつかそんな輩を見返してやるためにも、協力者に恩返しするためにも、必ずエッセイで身を立ててやる!!

エイエイ! オ〜ッ!!

今日は私が知る同じ人間でも、こんなに心のレベルが違う人間が居るのだと言う事を、まざまざと見せ付けられたような気がして、あえて比較してみた。



2005年01月08日(土)


 【エッセイ】 バアバの本葬


翌日、従姉妹の【N】と斎場に向かい、本葬に出席する。
昨日の通夜とは又少し違った顔ぶれもあり、縁遠かった私にも声を掛けてくれる人などが何人か居、その都度、遠い記憶がよみがえり、不思議な懐かしさと哀しさが胸を打つ。
「アナタ、バアバの事が大好きだったものねぇ・・・」などと涙ぐみながら言われると、その都度引っ込みかけた涙が、又溢れてくる。

今日は杉田さんの奥様と、奥様のお母様も来ていて【海を渡るバイオリン】で子役として出演していた杉田さんの二人の子供達とも、初めて対面した。
あのドラマのワンシーンが感動的に蘇る。
ドラマを見ていた段階では、杉田さんの実子だとは気付かず、バアバとの電話でその事を知ったのだが・・・・・・。そんな気分で見直してみれば、あの画面の子供達と同じ顔の子がすぐ側に居るのが不思議な気分だ。
もの凄い名演技を演じた二人の乳児に、改めて拍手を送った。

それにしても、バアバの存在感は誰に取って見ても、立派で、尊く、かくもありがたき存在だったのだなぁ、と思うと、今更ながらバアバの生き方、及び、死に方の素晴らしさを痛感させられる。
これほど多くの人々が単なる義理だけではなく、バアバを愛し、バアバの死を悲しみ、バアバとの別れを心の底から嘆いている・・・・・・。
そんな人って、この世に僅かではないかと思う・・・・・・。
そんなバアバと出遭い、身内として多くの時間の関わりを持てた事は、私にとって本当に誇るべき事なんだと、つくづく感謝したい。

私や従兄妹達を含め、複雑な家庭に産まれ育ち、家庭愛に何らかの飢えを感じていた者達にとって、バアバはそれを埋めてくれる唯一の癒しの存在だった。
誰もが自分の両親よりも、むしろバアバを愛しみ尊敬していたのではないかと思う。
四谷の伯父の家に出入りする全ての人々にとって、バアバはやはり、偉大な心の母だったのだろう・・・・・・。
そんな思いを抱きながら、私は本葬と初七日の法要の席に座っていた。

やがて、葬儀も初七日の儀式も終わり、出棺となった。
棺の中のバアバに皆でお別れをする。
【N】の「ありがとうバアバ!!」と言う嗚咽と共に、皆の「ありがとう」が続く。

本来ならば、【聖母バアバ】と言うエッセイをバアバ自身に読んで欲しく、バアバの棺に入れるために今回の葬儀に出席したはずなのに、昨日杉田さんに渡してしまった事を思い出し、バアバの棺に入れる肝心な分が無い事にアチャ・・・と狼狽する。
もう一部、なぜプリントしてこなかったのだろう・・・・・・。
酷く自己嫌悪を感じた。
これじゃ、本来の目的が本末転倒ではないか・・・・・・。
ついうっかりではあるのだが、大間抜けもいいところだ。

こんな所が私の大バカな所であり、ダメな部分であり、ドジな所でもあり、バアバが最期まで私の事を心配していたと言う所以なのに・・・・・・。

ごめんねバアバ・・・・・・。でも、きっとバアバの事だから私の隣にもちゃんと来てくれ、もうバアバの心の目でとっくに読んでくれているよね・・・。【と、自分で自分に言い訳をしている私である】


やがて遺骨となったバアバの骨が皆の前に現れた。
この骨はどこそこの骨で・・・と説明を受ける。
皆は先ず、その骨の多さに驚いた。
火葬場の担当者から「これほどの丈夫な骨を持っていないと、92歳までは中々生きられないでしょうね」と聞かされ、皆で納得した。
のど仏は少しだけ形が崩れてはいたが、他の骨はしっかりとしていた。
私は【N】の妹である【R】とバアバの骨を拾った。

そう言えば、バアバの家の仏壇に、亡き祖父の、のど仏が小さな骨壷に入って置かれてある。
祖父ののど仏は本当に立派な物で、正に、仏様が座禅を組んだ形をしているのを、小さい頃から、バアバに良く見せてもらっていた。
きっと、バアバののど仏と、お祖父さんののど仏は、これから仲良く仏壇の中で並ぶ事になるのだろうか・・・・・・。

皆で控え室に戻り、食事をし、酒を飲み、皆が和やかな明るい空気で、思い思いの会話に花を咲かせている。
そんな風景を見ながら、今度皆に会えるのはどんな時なのだろう・・・などと言う思いが巡る。
やがて喪主の【G】と、杉田さんの挨拶があった。

【G】の挨拶では、バアバの様態が急変し、病院に駆けつけた時には、既にバアバの息は無かったとのこと。
【人に看取られるのは嫌だ】と言う、バアバの願い通り、本当に人の手を最期まで煩わせる事無く、ひっそりと去って行ったのだという。

そして杉田さんの挨拶が始まる。
「私も今まで多くの葬儀に出席をしてきましたが、これほど感動的な葬儀は今までに無かったと思います。【N】が最期にありがとうバアバ! と声を掛けて居た通り、玉子さんの人生は、人に愛を与えるだけの人生で・・・・・・中略・・・・・・家の中もしっかり片付けてあり、正に立つ鳥跡を濁さずと言う言葉通りの、人生の終え方でした・・・・・・後略」
しんみりと、又、穏やかに、温かい気持ちで皆が聴き入っていた。

そして知人達と別れを交わし、連絡先を交わし、杉田【G】の家に親族だけで移動する事になった。時計を見るとまだバスの時間まで数時間もあるので、私もお邪魔した。
前に来た時にバアバが座っていた席に、バアバの姿は無い。
杉田さんの家では、皆で冷蔵庫の整理をしたりしながら、時間を惜しむように、私は従姉妹達との雑談に耽っていた。
私はバアバが使っていたご飯茶碗をバアバの形見として貰ってきた。
丁度お茶碗を割ってしまったので、バアバのお茶碗で明日からご飯を食べよう。
亡くなった人のお茶碗は縁起を担ぎ、割ってしまう物だと言う人も居たが、良いさ良いさ。バアバの事をいつも偲びながらご飯が食べられるなんて、最高だ。
もしも、何かが障り、天に召されるならもっと本望だ。

やがてバスの時間が来、バアバの遺骨が安置された祭壇に本当のお別れを告げ、従姉妹の【R】に【N】と一緒に新宿まで送ってもらい、【N】に見送られ、私は高速バスで松本に帰って来た。

本当に良いお葬式だった。
バアバを大好きな人だけが集まった、本当の意味での告別式だ。
私も、たとえ数人で良いから、本当に私の事を大好きだっ人だけに見送られたい・・・。


杉田さんにお願い事がある。
出来れば是非、何れ、バアバをモデルとした素晴らしいドラマを作って欲しい。
バアバの人生を、私達だけの想い出だけにしておくのは惜しいような気がしてならないのだ。

今回の葬儀は本当にドラマのワンシーンの中に自分自身が立っているような気がして不思議だった。
バアバを知ってからの49年間と言う、長い長い人間ドラマの歴史が、とうとう幕を閉じてしまったと言う大きな喪失感がある。
そんなバアバのドラマをもう一度画像で見たい。


バアバ、さようなら・・・・・・。
今まで本当に、ありがとう。
そしてお疲れ様でした。

いつかきっと、こんな私でも、バアバに心配を掛けないような人生を歩んで行けるよう、絶対に身を立て直すつもりで居ます。
だから、見守っててね。

本当は、もう、天国でじっくりゆっくり休んでもらいたいので、お願い事や弱音は絶対に吐きたくないけれど・・・、もしも、もしも、本当に崩れそうになったら、私の側に来て、昔のように背中を叩いてね・・・・・・。
バアバのあの笑顔で、温かい手で、背中を叩いてくれるだけで良いの・・・・・・。
それだけできっと私はバアバを感じ、又元気に頑張れるから・・・。

「松本にも私の可愛い孫が一人いるんだって事、いつも忘れてないからね」
バアバのあの言葉、何よりも嬉しかったんだよ。
その言葉を、バアバの私への宝物の遺言だと思い、頑張って行くからね。

どうか天国で、先に旅立った皆と共に、安らかに穏やかにお眠りください。

合掌


2005年01月07日(金)


 【エッセイ】 バアバの通夜


幡ヶ谷の世々幡斎場で行われたバアバの葬儀は、私の中ではとてもドラマチックで感動的な葬儀だった。
あの日に遡って、記憶の限りに今回のエッセイを書こうと思う。


高速バスが首都高の渋滞で30分ほど遅れ新宿に着き、電車に乗り換え、私が2年ほど住んでいた幡ヶ谷に着いてからも、町並みを散歩する余裕もなく、会場に滑り込みのセーフとなった。

控え室に入ると、懐かしい顔ぶれが一同に揃っている。
しかし、一人一人と挨拶を交わしている時間は無い。
取り敢えず、たった一人だけ健在でいる叔母に祖母【水町庸子】のビデオを貸す。
その息子である従兄弟達や数人の親類、知人達とせわしく言葉を交わし、式場へ。

バアバは23日の明け方に亡くなり、遺体は翌日から斎場に安置され、今回の予定では、本日が通夜。明日は本葬・初七日の法要までを2日掛かりで一気にやってしまうらしい。

バアバの優しく微笑んだ遺影の前に立つと、バラバラと涙が溢れた。
本当にマザーテレサのような穏やかで優しく美しい顔をしている。
「ごめんね、バアバ・・・。やっぱ、来ちゃったよ・・・」
心の中でそう呟き、両手を合わせて黙祷。
従姉妹の【N】に呼ばれ、二人で受付の手伝いをする事になり、しばし香典の整理と名簿の整理を手伝う。
【誰だ誰だ! 私にそんな役目をさせたら危ないと、今、呟いた人は!(笑)】

ふと見るとDrコトーの吉岡さんと目が会う。
彼も式場には座らず、ずっと受付前に立ち、バアバの通夜に立ち会っている。
私の真正面だ。口髭と顎鬚を少し伸ばし、とても凛々しい顔をしている。あの【北の国から】の純君の頃の幼さはもう何処にも無い。
吉岡さんの生の顔を見るのは、従姉妹の【A】の葬儀以来だ。
【かっこいいなぁ・・・。私、貴方のフアンなのよ・・・】と、ドギマギする。
卑しいのだけれど、たまにチラチラと、ついつい、見詰めてしまう。
携帯カメラで写真が撮りたかったが、さすがに止める。(苦笑)
そこで吉岡さんの花輪だけ写して来た。【マキュキュギャラリーに掲載中】

伯父のお弟子さんに受付を代わってもらい、お坊様の経を聞き、焼香を済ませ、通夜の式が終わり、皆で棺に横たわるバアバの顔を触る。
【冷凍バアバになっちゃってる・・・・・・】
冷たく硬いその顔に触れた時、私は、【これは魂の抜け切った着ぐるみなんだ・・・】と思い込むようにした。
明日はバアバが骨になっちゃうんだなぁ・・・・・・。そう思うと又、新たに涙が溢れる・・・・・・。

控え室に戻り、飲んだり食べたりしながら、改めて皆とゆっくり会話する。
その席には吉岡さんの姿はもう無かった。【ちょっと残念!】
親類だけでも100人近い。その他、バアバに世話になった伯父のお弟子さんや役者さん達も来ている。
バアバの系列や、その他を含むと、もう、誰が誰だかも、誰が誰の子供たちなのかも解らない。
私の従兄妹達に遅がけの子供達が生まれ、その子供達がじゃれあい、騒いでいる。
私達の40年前の姿そのものだ・・・・・・。

従姉の【A】を筆頭に、7〜8人の従兄妹達が集まり、法事や何かがあると、皆で不謹慎にハシャギ、笑いの会場になってしまうので、バアバや母達に皆で良く叱られた物だ。
その叱られていた私達世代の元子供達が、親になり、叱る役をやっているから可笑しい・・・・・・。時代の流れがまぶしい・・・・・・。

そして久々に姉にも再会した。
実は、アタシには血のつながった姉が一人居るのだ。
母が、私の父と結婚する前に結婚していた人との間に出来た子供だ。ようは俗な言い方をすれば種違いの姉。
ある事情で母子は引き裂かれ、ずっと消息もわからぬまま離れ離れに暮らしていたのだが、母が癌になり、余命が半年と宣告された頃、【もう一度会っておきたい】と言う母の意志を尊重し、何とか探し当て、再会を果たしたと言う大きなドラマがあったのだ。
初めて姉に会った時は、私よりもずっと母に似ていて、私はとても驚いた。
母の40代の頃と同じ顔をしていた。
それ以来、姉妹としての付き合いも始まり、故、親類との付き合いも私以上に積極的に参加しているようだ。
彼女【Y】は、私よりも5つ上で、板橋に住んでいる。
【Y】も離婚経験者で、哲朗と年の近い二人の子供が居るのだが、子供達どうしも、たまに電話などでの交流はしているようだ。

サテサテ・・・・・・、一同にこうして従兄妹や親類達に会えるのは、もう、誰かの葬儀くらいしかないのが切ない。
なので、久々に会えた従兄妹達と話が弾む。
【N】の兄の【N2】が、しきりに私に東京に帰ってくるようにと誘う。
ゴールデン街に店を出せ出せとうるさいのだ。(笑)
今が店の出し時らしい。ゴールデン街なら格安で店が出せるのだと言う。
私は従兄弟の【N2】とは昔から仲が良い。どちらも不真面目で親類の中では、はみ出し物なので、同病相憐れむの仲なのだ。(笑)
【ちなみに従兄弟の【N2】は今現在、キキキリン達と富士カラーの正月用のCMに出ている。桃屋のCMの声も亡き伯父に変わって担当している】

そうこうしている内に杉田さんが「遠いところから有難うね」と声を掛けに来てくれた。
こんな事にもドギマギする私は、度素人も良い所だ。

「さっき、吉岡君の写真を撮ろうと思ったけど、さすがに辞めました」と言うと、「当たり前じゃないか、コラ」と笑っている。
そこで私は細心の勇気を振り絞り「これを読んでみて下さい」と、杉田さん宛てに書いた手紙と、バアバの事を書いたエッセイ群を渡し、マキュキュのからくり箱の宣伝をしておいた。
こんな事でもドキドキなのだ。
杉田さんは「今度暇が出来たらHPを見てみるよ」と快く応えてくれた。
【やったぁ〜♪】
そして記念に携帯カメラで写真を撮らせてもらった。【それもバアバの遺影と共にマキュキュギャラリーに掲載中】
これだけ言うのが精一杯なほど、実は私は奥ゆかしい人間なのだぞ。(笑)
「海を渡るバイオリン、とても良かったです」と言うと、杉田さんは「そうでしょ?」とニヤケていた。


最期にバアバの顔をもう一度見に行き、「明日又ね」と、もう一度冷たいホッペを触った。
この日は、従姉妹の【N】の家に泊めてもらい、真夜中まで色々なバアバとの思い出話をしながらたくさん飲んだ。
明日は本葬だ。
明日はどんなお葬式になるのだろう・・・・・・。
そんな事を考えながら、もう酔っ払っちゃって知らぬうちに眠っていた。

【明日に続く】


2005年01月06日(木)


 (日記) 冷蔵庫の大掃除


今日からフゥーリィーが仕事なので、ようやくパソコンに向かえるようになった。
文章を書いてないと、自分が人間なのかどうなのかも解らくなってしまうほどのアタシなので(笑)この一週間は長かったなぁ・・・・・・。
久々に日記を書くと、何故か照れくさいような気になる。

しかし今回の年末は、30日まで仕事だったし、その前はバアバの葬儀や、義母の退院&義父の一時退院なんかが有ったりして、夫婦共々何かと気忙しい暮れだった。
それに付け加え、普段中々行き届いた掃除などが出来ないため、30日の昼間と大晦日の半日は、部屋の掃除や冷蔵庫の掃除などで明け暮れていた。

そして大晦日の夕方から年取りの支度に入って、定番のご馳走と(オセチは食べない家なので普段口に出来ない好きな料理)年越し蕎麦で飲んじゃぁ、食っちゃしていた。
ほろ酔い気分で2年参りもし、おみくじはアタシが吉・フゥーリィーが大吉で、嬉しい予感・・・・・・。
今年こそ、貧乏脱出して、何とか一花咲かせたい。


所で・・・、冷蔵庫の掃除って、なんて楽しいんだろう・・・・・・。ついつい髪振り乱し【ショートヘアーだろうがよ・・・】夢中になってしまう・・・。
思いもよらぬ物などが出て来て、懐かしいやら不気味やら・・・・・・。
冷蔵庫の徹底的な掃除は、いつも怖さ半分、楽しみ半分だ。

今回は、何故か、冷蔵庫の中から無くした手袋の片方が出てきた。(笑)
きっと、買い物から帰って慌てて手袋を脱ぎ、買ってきた食材と共に紛れ込んだらしいのだが、とても気に入った手袋だったので、片方だけでも取って置いて良かった・・・・・・。
両手袋の一年ぶりの再会がなんとも嬉しかった。
去年の暮れ辺りから冷蔵庫の奥で眠り続けていたのだろう・・・、可哀想に・・・。

その他は、どこかのフリーザーパックのCMじゃないが、小鉢の中で化石化した、正体不明の食料などが出てきたりして、ビックラこいた。
さすがに昭和の物は出てこなかったが、それに近い、未開封の蜂蜜や、ジャム、強壮ドリンクなどが奥の方から出てきた。
平成2年物のアンチョビの缶詰などもあったが、年代物もいい所だ。
無論未開封なれど、ハテ・・・? これは食せるのだろうか・・・・・・?
と思い、いったんは捨てようとしたが、一応アンチョビと蜂蜜だけは取っておいた。(笑)
これもマタマタ忘れ去り、きっと徐々に冷蔵庫の奥の方へ追いやられ、次に発見するのはいつのことやら・・・・・・。
その内プレミアが付くかも知れん・・・・・・。

ずっと昔、物凄く高いキャビアを外国土産に貰い、もったいないから・・・と、ずっ〜〜〜っと取って置いて、そのまま忘れ去り、賞味期限切れになり、泣く泣く捨てた記憶がある・・・・・・。
こんな所がアタシの貧乏性の悪癖である。


2005年01月05日(水)


 【ご挨拶】 謹賀新年





昨年中は【マキュキュのからくり日記】ご愛読いただきまして誠に有難うございました。

皆様の投票箱愛情クリックのお陰で、此処しばらくは安定した順位も保てるようになり、嬉しい気分で年の締めくくりを迎えることが出来ました。
それと共に、昨年は公私共に色々と波乱の多かった年回りでしたけど、何とかかんとか新年を迎える事も出来ました。
これは、皆様の支援による物だと、つくづく感謝の気持ちで一杯です。

今年も、赤裸々かつ、涙と笑いと人間味を取り揃え、楽しいホンネ日記を書いて行きたいと思ってます。
引き続き、応援してくださいね。

今年はエッセイ集を完成させると言う大きな目標も有りますので、是非是非、ご協力ください。


尚、大晦日から、フゥーリィーとゆっくり水入らずの時間を過ごしています。
食っちゃ飲み、ゲームやTVを楽しみ、呑んじゃ又食うと言う、自堕落なお正月を迎えているわけですが、普段、全然すれ違いの夫婦生活をしているので、亭主をほったらかしなアタシャ、こんな時にしかフゥーリィーのまとめお守りをしてやれないので、中々パソコンに向かう時間がございません。

そんな訳で、元旦の日記を、こんな時間【ただいま三日の早朝3時】に書いている次第でございます。

今日の夜からアタシは仕事始め。
明日の4日までフゥーリィーが休みなので、落ち着いて日記が書けるのは、5日の朝からになりそうです。
落ち着いて日記を書くにゃ、亭主元気で留守が良い。(笑)

取り敢えずはご挨拶でした。


2005年01月01日(土)

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