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人物紹介


一年ぶりの再会
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部活を辞めてからの私の生活は、どんどん変っていきました。
この二年生から高校卒業後数年間まで、出会いや出来事が多くなり、色んな人との出来事が交差しています。
でも、変らずにこの後数年間、関わりつづけていたのは、やはりK先輩でした。

部室から荷物を引き上げた帰り道。
荷物が多い為、私は珍しくバスで帰宅する事にしました。
Rと通うようになって以来、数ヶ月ぶりで、A駅を利用しました。
A駅は、K先輩の利用する駅であり、バスは一年前に偶然会ったバスです。
バスが来る方向を見ながら、待っていると、靴のかかとを擦るような懐かしいあるき方をした制服姿の男性がやってきました。
K先輩でした。

入学して間もなくの朝のバスで会って以来、約一年振りの突然の再会に、私は驚きました。
K先輩も、「あっ」という表情をしていましたが、バスが直ぐに来たので会釈だけして、私はバスに乗り込みました。
前から数人目で乗った私は、一瞬、どうしたらいいのか迷いました。
K先輩を待って、立っているべきか。一緒に座れる二人掛けに座るべきか。
私は、一緒に座るなんて出来ないなぁと思い、それどころか会話だって出来ないだろうと勝手に決めて、前の方の一人掛けの席に座りました。

後から乗り込んできたK先輩は、席が後方に空いているにも関わらず、私の横に立ちました。
私は慌てて、

「先輩、席、後ろ空いてますよ?」

と挨拶もせずにいきなり言いました。
すると、K先輩は

「ああ、別にいいよ。偶然だな。ビックリしたよ」

と言いました。
私は、またもやトンチンカンな事を言ってしまったと恥ずかしくなりながら

「私も驚きました。すみません。後ろに私が座ってれば良かったですね」

と謝りました。K先輩は、少し笑いながら

「キミが降りたら座れるから」

と言いました。
先輩の口から出る「キミ」という発音には、やはり以前と同じく違和感を感じました。
「お前」という慣れなれしいような呼び方の方が、先輩らしいと思っていたのかもしれません。
K先輩は久しぶりに会った私を「お前」と気安く呼んで良いのか、迷ったように感じました。

「それ、部活の道具だろ?試合か何か?」

K先輩は、どうやら試合の為に私が持ち帰ってきたのだと思ったようでした。

「いえ。部活は辞めたんです」

そう答えると、「なんで?」と聞かれました。
私は、何故か肩を壊した事を言わず、

「顧問と喧嘩しちゃって」

と笑って答えました。
K先輩は、一瞬「え?」と言い、意外だという表情をしました。
先輩の中での私は、上手く話すこともできなかった中学の私で止まっています。
まさか、私が顧問と喧嘩をするようなキャラには思えなかったのでしょう。
だからこそ、私はわざと言ったのだと思います。
「K先輩に見せてた暗い私は、本来の私では無い」とアピールしたかったのです。

不思議そうに私を見ながらK先輩は、

「そんなことするんだ?」

と笑いました。そして、

「俺、今、部活なんだと思う?」

と質問してきました。
突然の質問に、私は全く想像すら出来ず、「いえ、わかんないです」と答えると

「今ね、吹奏楽部なんだよ。笑っちゃうだろ?」

と照れたように言いました。
私も思わず、K先輩のイメージから、そんな堅そうな部活に入っている事が想像も付かず、笑ってしまいました。

「え?じゃぁ、トランペットか何か吹いちゃってるんですか?」

私が聞き返すと、

「いや、歌ってるんだよ。コーラス」

と答えました。
それこそ、イメージに無さ過ぎます。
K先輩の声はどちらかと言えばガラガラ声で、私のイメージの中にあるコーラスとは縁遠い感じがしました。

「え?本当に?」

驚きを隠せずに聞き返すと、

「嘘だよ。俺がそんなんやる訳ないじゃん。信じた?」

と言われ、私は自分がからかわれた事に気付きました。
すっかり信じてしまった自分が恥ずかしくなり、

「ひどーっ からかわないで下さいよ」

自分でも驚くほど親しげな言葉が口から出てしまいました。
と、同時に恥ずかしすぎて、顔を余計に上げられなくなりました。
すると、K先輩は

「なに、そんなんで真っ赤になってんの?」

と、また楽しそうに笑って言いました。
私が、言葉が出ずにひたすら下を向いたままの状態でいると、

「怒っちゃった?ごめんごめん。言い過ぎたかなぁ」

とK先輩が謝り出してしまいました。
私が慌てて、「怒ってないです」と言うと安心したように

「本当は、ドラムやってんだ」

と教えてくれました。
そして、丁寧な事に「ドラムって知ってる?」とまで聞かれました。

「小学校の時に、ちょっと叩いた事あります」

と答えると、存在はお互い知りませんでしたがK先輩と私は同じ小学校の卒業生で、先輩もそのドラムもどきの事は知っていたらしく、

「いや、あんなんじゃなくて。もっと沢山、叩くものがくっついてるヤツ」

と言いました。
K先輩が、「叩くものが」という表現をしたのは、私が分からないと思って、わざと優しい言葉を選んだのだと思います。
そのことで、また私は自分の無知さに恥ずかしさが込み上げてきてしまいました。
そして、またどうやら私の顔が赤くなってしまったらしく、

「俺、またなんか悪い事言った?」

とK先輩に聞かれてしまいました。

「いえ。全然、大丈夫です。気にしないでください」

どこまでもK先輩に気を使わせてしまう自分を、本当に申し訳無いと思いました。
すると、K先輩は、

「俺さぁ、どうも言葉遣いが悪いらしくて、傷つけちゃうみたいなんだよなぁ」

とぼやくように言いました。
それを聞いて私は、ああ、先輩は高校で他の女の人に、そんな風に言われたりしてるんだろうなぁ・・・と想像し、その先輩と同じ高校である見知らぬ人たちにを、羨ましく思いました。

「そんな事、全然無いです。先輩は優しいですっ」

そんな事を想像していたからでしょうか。
咄嗟に口をついて出てしまった言葉に、私自身、びっくりしましたが、K先輩も驚いたように

「そんな、強く言わなくても・・・」

と言い、それでも嬉しいと思ってくれたのか笑ってくれました。

そして、バスが私の家に付き、私が

「じゃぁ、気をつけて帰ってください」

と言うと、

「それは俺の台詞だろ?でも、すぐそこだもんな」

と笑われてしまいました。
そして、私が席を立つと

「じゃ、またね」

と言ってくれました。

そして、案の定というか。
3年前、K先輩に呼び出されて告白された時を再現するかのように、重い道具を持った私は、バスを降りる時によろけて躓きました。
幸い、転びはしなかったものの、荷物を料金箱に思い切りぶつけ、確実にそれをK先輩に見られたはずです。
恥ずかしさで顔を上げられないまま、私はバス停を降りると、バスが行き過ぎるのを待って家に帰りました。

たった10分前後でしたが、私のK先輩熱に、再び火が点きました。
ただ、以前にも増して上手く喋れず、ドン臭さだけを見せてしまったようで、K先輩が私をどう思ったのかが、とても気になっていました。

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退部
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(今日は恋愛の話ではありません)

女子高生活にもすっかり馴染み。
夏休みには、部活の合宿があったりと部活も楽しくなっていった頃。
私の肩に、異変を感じ始めました。

元々、身体があまり丈夫では無く、その為に始めた部活でしたが、逆に筋が人より弱かったせいで負担が掛かりすぎたのが原因でした。
そろそろ、3年の先輩が部活を引退するかという秋頃。
あまりの激痛の為、私は病院に通うようになり、医者から関知するには時間が掛かると言われました。

通院代は、勿論親から貰って毎日のように通わなければなりませんでした。
ただ、温めるだけの治療なので一日500円。
でも、それを毎朝、母親から貰う事が苦痛でした。
嫌味を言われて、泣きそうになりながら500円を握りしめて病院に行った事もありました。
治して部活に出たいという気持ちより、親に気兼ねするのが嫌だという気持ちの方が大きくなりました。

もう、部活を続けられないということを、主将に伝えると部室にくるようにと言われました。
部室に呼ばれるのは、二度目のことでした。
一度目は、着替え様とすると、私の制服のスカーフがありませんでした。

「ちょっと、来なっ」

と迫力ある声に呼ばれて部室に行くと、私のスカーフを手にした3年生の先輩達が居ました。
私は、スカーフを縫うという、校則違反をしていたのです。
とても厳しい女子高だったので、制服の加工は一切禁止されていて、私は先輩たちに厳しく説教をされたことがありました。

その部活は、マネージャーも3年生がやっていて、そのマネージャーの二人が一番怖い存在でした。
その二人の先輩から、自分達が引退した後のマネージャーを引き継いで欲しいと言われました。
三年と二年の先輩達は、仲が悪く、彼女達二年生の中には任せられる人間が居ないからというのが理由でした。
私は何故か、二年生の先輩よりも、三年生の先輩に気に入られていました。
その時までは気付かなかったのですが、その一番怖いと思っていた先輩が特に、私の事を買っていてくれた事を知りました。

でも、運動部は年功序列です。
私が三年の先輩の申し出を受けるということが、二年生にとって面白く無い事はわかりきっていました。
だからと言って、好意で言ってくれている3年の先輩の申し出を、無下に断る事もできません。
どちらかと言えば、主将はその部活で一番強い人。絶対的権限は、マネージャーにある部活でした。
私は、少し考える時間を貰い、雑用をしながらも部活を続けることにしました。

翌日から、二年生の私に対する視線は、とてもキツイものになりました。
まだ三年生が居た事で、具体的に何かをされる事はありませんでしたが、少しでも笑っていたりすると嫌味が飛んできました。

「先輩に気に入られてるからって、いい気になってんじゃねーよ」

それは、私にしか聞こえない程度の声で。

徐々に、私は部活に出るのが苦痛になっていきました。
私の事に伴って、他の一年生の部員までもが、二年生に目の敵にされだしました。
私は、マネージャーにという申し出を断ることにしました。
あくまでも、部活は続けるけれど次期マネージャーは二年生にしてもらい、私は雑用係りで良いという事で。
でも、それも長くは続きませんでした。
3年生の卒業後、私たちと一つ上の先輩達との仲はますます悪くなり、口もきいてもらえない状態になりました。
おかげで、部活の練習自体がろくに出来ない状況になっていきました。

部活の顧問にも相談をしてみたりもしましたが、何の役にも立ってもらえず、逆に私たちを窘められ、二年になっていた部員全員で退部届を出しました。
1週間ぐらい話し合った結果、やはり戻って部活を続けようということになり、退部届の撤回を顧問に求めました。
でも、6名いた中で3名だけが、戻ることを許されました。
彼女達は実力のある子達で、全面的に謝罪をしたとのことでしたが、残り私とFちゃんを含めた3名は、顧問が許さず戻る事は出来ませんでした。
それに対して、私の父親が顧問に会いに学校へ来てくれました。
でも、何故自分の娘たちだけ部活に戻れないのかを聞く父親に対し、顧問は退部届を見せて、出したのだから本人の意思だと父親に言ったそうです。

私は、顧問のやり方が汚らしいと思い、大嫌いになりました。
そして、私の部活生活は、高二の春で終りました。

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振られたショック
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I君と会った翌日。
電車で紹介者である友達に会うと、

「なんかねー。ちょっと違ったんだって。ごめんね」

と言われました。
元々、I君が希望して会ったのですが、実際会ってみたら自分のタイプでは無かったということなのでしょう。

「ああ、いいよ。気にしないで」

と笑って答えましたが、時間が経つに連れて徐々に何故か私の気持ちは落ち込み始めました。
本来なら、O君との一件があって、会うのは嫌だったはずでした。
友達が頼み込んできたので、渋々会ってみただけのはずでした。
ともかく、会うだけの軽い気持ちでした。
「断られる」事があるということを、その時まで、全く考えていませんでした。
なのに、私は思いのほか、大きなショックを受けていました。

I君は、私と別れた後、すぐにその紹介者である友達に言ったそうです。
それが、余計にショックでした。
付き合ってもいないし、ほぼ初対面の顔合わせなので、振られたとは言わないのかもしれませんが。
即座に考える時間も無く、断られたというのは、振られた時以上にショックでした。
今、思えば、お見合いで断られるっていうのと似てるんだろうな、などと笑い話しになりますが、そんな余裕はカケラもありませんでした。

I君に一目惚れをしたとか、好きになりかけたとか。
だから、振られたことがショックだとか。そういうのと少し違ったような気がします。
振られたと言えば、K先輩にも振られた事になるでしょうし、F君も同じです。
でも、彼らの時の数倍、私の落ち込みは激しいものでした。

彼らとは同じ学校で、何度も顔を合わせ、深くは知らずともそれなりにお互いを知っていて、その上で振られたのです。
でも、I君は違います。
たった30分程度会っただけで、終ってしまいました。
たった30分程度で、自分を判断されたのだと感じました。
初対面で振られるということが、物凄くショックでした。

私の中で断られたということが、振られたことになり、それはイコール嫌われたという事になっていきました。

話してみたら、もっと違うかもしれないのに。
近づく時間もくれず、あんだけで私の何が分かったっていうんだろう?
たった一回会っただけで嫌われるほど、私は嫌な女なの?

グルグルとそんな事をずっと考え続けて鬱々としていました。

その頃。ホットロードという漫画が流行っていました。
その漫画の主人公の女の子に、私はとても憧れていました。
彼女の持つ雰囲気に、憧れていたのだと思います。
その他の少女漫画にも影響を受けました。

単純な事に、I君に振られて私が決心した事は、そういう独特の人に流されない雰囲気を持つ女になろうと思い立ったのです。
今まで、K先輩との事にしても、私は自分と言うものがあまりにも無い状態で、相手に翻弄されるだけでした。
まったく異性を意識しない男子や、友達からは、どこか大人びた影があるので(今から思えば笑えますが)、一見近寄り難いと言われていました。
ただ、話してみれば、その頃の私はどちらかと言えば突っ込み役で、バシバシ物を言う面白い子と思ってもらえていたようでした。
なのに、好きな相手の前になると、自分のままでは居られない状態で。
振られる度に、あれは普段の私じゃないのに・・と自分を出せなかった事を悔やんでいました。

部活の為にショートだった髪を、サラサラと落ちてくる程度まで伸ばす事にしました。
元々、茶系の癖の無いストレートな髪質は、すぐに思った通りの髪形になりました。
服装にも、気を遣うようになりました。
そして、前にもまして異性に興味を持たなくなり、代わりに女子高生活を楽しむようになっていきました。

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絡まる糸
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その後、しばらくはO君達と朝の電車で会う事がありました。
その度に、私は嫌な想いをしました。
私を見てそっぽを向くO君の変りに、他の男子校生が何やらヒソヒソ言いながら私を見るといった事があり、相当自分は嫌われたんだなと、その度に憂鬱な気分になりました。
そして、私たちが車両を替え、O君達が時間をずらした事で会う事は無くなりました。

変りに、時々、同じ中学だったO君達と同じ高校に通う二人の男子に会うようになりました。
一人は、部活も一緒だったクラスメイトのA君でした。
A君は、元々とても綺麗な顔立ちでしたが、高校に入って髪型も変り、とてもカッコ良くなっていました。
私が部活で嫌がらせを受けていた時も、卒業間際の時も、卒業した後で中学に同窓会として行った時にも、A君は何も変わりなく何かと話し掛けてくれる唯一の男子でした。
私は、彼を高校の部活で出会ったFちゃんに紹介する事にしました。

Fちゃんは、私服もかなりお洒落で、高一にしては大人びた子でした。
学校帰りに待ち合わせをして、二人を喫茶店で会わせました。
でも、数日後に朝の電車で、彼の方から無理だと言われました。
Fちゃんにそれを伝えると、彼女の方も気乗りしなかったと答えてくれました。
その後も、彼とは度々電車で会っていましたが、秋頃、パタリと姿を見なくなりました。

と、同時に。
もう一人の同じく中学が一緒だった男子、K君も見かけなくなりました。
K君は、中学でいわばツッパリとして目立っていた子でした。
高校に入っても同じようなスタイルで、電車で会うたび、いかつい目つきでしたが、私は中学3の時に彼と体育祭の応援団の時に接する機会があり、彼の優しい笑顔に惹かれたことがありました。
クラスメイトの中にも、恋愛というよりはファンとしてK君を好きな子が居て、ファンクラブなどを密かに作っていた事もありました。

偶然なのでしょうが。
A君とK君は、殆ど同じ時期にその高校を退学したのだと、社会人になってから知りました。
それを知った同じ頃、卒業後のFちゃんの噂も聞き、街でバッタリ再会しました。
私は、部活以外でFちゃんと殆ど接点がなく、卒業の頃には疎遠になっていました。
Fちゃんは、噂によるとその地元のヤクザの女になったとか。
街で出会ったFちゃんは、あまりにも雰囲気が変っていて、お互いに気付いていたにも関わらず、声を掛け合う事が出来ませんでした。
このFちゃんとは、それから10年以上経ってから、今度は病院のエレベーターで再会しました。
その時、側にいた男性がやはりヤクザっぽく、声を掛けることはお互いにしませんでした。

A君とK君が退学した事を知ったのは、就職した先で同期入社した彼らと同じ高校出身のSからでした。
A君は、学校に馴染まなかったらしく、出席日数も少なかったようでした。
浮いた存在だったので、いじめにも多少遭っていたとのことでした。

同じように。K君もいじめに遭っていたらしく。それで退学したという事でした。
K君の場合は、あのツッパリを通してたが為に、他の中学出身のグループに相当な暴行を受けたそうです。

しかも。その2人に対し。
いじめをしたグループの一人と、私は社会人になって会う事になったのです。
目の前で話している同期の男。Sがその張本人でした。

それから数年後に、また私は今度はそのSの話と、A君とK君のその後を知ることになりました。
やはり、同じ中学出身でA君K君と同じ高校に通っていた、Uからでした。
Uは、S達グループの酷いいじめや、A君がその後、地元から居なくなったこと。
K君は自分で商売を始めた事等を話してくれました。

SとUとの話は、高校卒業後のことになり、勿論中学の時も高校の時も接点が全くない相手でした。
このO君と同じ高校の男子と私はしばらく、何かと関わり続けることになります。

話が前後してしまうので、順を追って書いていきます。

O君との事が終わり、一ヶ月ほど経った頃。
今度は別の友達に頼まれて、やはりO君と同じ高校のI君に会いました。
O君との事があったので、あまり気乗りしませんでしたが、I君から頼まれたのだと、その子に懇願されました。

部活が無かった夏休みのある日。
地元の喫茶店で、その子とI君と3人で会いました。
それまで見かけた事はあっても、気にした事が無かったのですが、会ってみるとI君は、A君と似た雰囲気がある綺麗な顔立ちの男子でした。
とても落ち着いた大人びた雰囲気で、タバコを吸っていました。

私は一目ぼれをする性質ではありませんが、それでも惹かれるものがあり、緊張しました。
会話は、ほとんどポツリポツリ程度で、記憶がありません。
30分程度で、そのまま店を出て、別れたのだと思います。
その帰り道。
私は、見知らぬおじさんに声を掛けられました。
「ちょっと、エキストラで出てみない?」
いわゆるスカウトだったみたいです。
でも、私はそういう事を信用していなかったので、断って帰りました。
偶然、その夜、家に来た姉にその話をすると、そのおじさんは姉の顔見知りでした。
本当におじさんは映画監督で、撮影で側に来ていたということを知りました。

下らないけれど、スカウトされたのだということで、それまで全く自信が持てなかった私は、少しだけ自分の容姿に自信を持てた気がしました。
そして、今日会ったI君の事を考え、次に会ったらこの話をしてみようかなぁ。
などと考えるほど、浮かれていました。

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そして、話は先になりますが、その後、高2か高3の頃、同じ子の紹介でFちゃんとI君が付き合っていた時期がありました。
またこれも、大袈裟に言えば、何か絡まった運命の糸という気にさせられる事でした。

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誕生日
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O君の何が嫌だったとか、不満だったとか。
そんなハッキリとした理由などなかったのかもしれません。
でも、デートの翌朝、いつものように爽やかな笑顔で手を上げるO君を見た瞬間、
この人のことは、好きじゃない。
そう思いました。

恋愛経験ほぼゼロに等しい段階での私が、相手に何かを求めたりできる状態では無かったのですが。
というより、その頃の私は、自分の意志をハッキリと人に伝える事が出来ない性格でもありました。
強く何かをどうしたいという想いを、自分の中ですら持つ事が無く。
だからと言って、何もかも他人の言う通りになれるほど、我が弱い訳でも無く。
いつでもどこでも、何をしていても。何かが上手くいかず、心に突っかかる何かを感じていました。
小学校から中学の途中までは、どちらかと言えば我が強く主張も強かった自分とは、全くかけ離れた状況に陥っていました。
いつでも、少し宙に浮いているような。
自分の事が自分でないような。そんな感覚でした。

O君にそれまで、徐々に惹かれていたはずが、二度目のデートで何かを嫌だと感じたのでしょう。
単純に書いてしまえば、あまりにもくだらない理由になります。

デートの計画性が全く無く、ただ歩くだけで疲れてしまった。

多分、これだけの事でした。
これだけの事に、私は半ば苛立ちをおぼえ、嫌になったのです。
自分の意志をはっきり持っていないにも関わらず、私は相手に引っ張ってくれる事を望んでいたのだと思います。
自分が意思表示が出来ないから、余計にそういう相手を望んだのかもしれません。
歩きつかれた私に気付いてくれることを、望んでいたのだと思います。
もっとデートらしく、観光スポットに行くとか。お茶するとか。
そういう事を、率先して連れてってくれる事を望んでいたのだと思います。

今、考えたら、その頃の普通の高校生のデートなんて、その程度だったのかもしれません。
ただ、一緒に歩くだけで楽しい。それが普通だったのかもしれません。
でも、私には身近に同級生の男友達が殆ど居なくて。
周りから聞く話は、殆どが年上の彼氏の話で。
高校一年生の男の子の実情など、私は全然知りませんでした。
その時は、何が自分で嫌だったのか分からなかったのですが、今ならハッキリ分かります。
私が求めていたのは、エスコートしてくれる大人の男性だったのです。

と同時に。これも、後から気付いた事ですが。
私の中で、初恋の相手であったK先輩が全てになっていました。
理想の男性像が、K先輩になってしまっていました。
だから、O君の中にK先輩を探し、そして、この人は違うと。そう思ったのです。

私は、O君と付き合っているつもりはありませんでした。
言葉でハッキリと言われない限り、友達以上になっていると思う事は出来ませんでした。
でも、もしかしたらO君は、既に付き合ってると考えていたのかもしれません。
私が二度目のデート以来、O君への気持ちが冷めるばかりなのに対し、O君は徐々に積極的になっていきました。
断っていた遅い時間の電話も掛かってくる事があり、私はその度に親にビクビクしていました。
朝、駅で雨の日以外、ほぼ毎日私を待っているようになりました。

それは、私に好意を持ってくれたO君の行動なのでしょうが、私は困りました。
毎回、親の顔色を見て神経を遣う電話に、疲れました。
かと言って、電話をしないでくれとは、言い出せませんでした。
朝、待っていてくれても私がO君と居る事で、時にはRが電車で一人になってしまう事もあり、彼女が気を遣って遠慮してくれることなどが、すごく重荷でした。
待っていてくれなくていいから。とは、やはり言い出せませんでした。

今でも、何かを断るということが、私はとても苦手です。
ましてや、相手が好意でしてくれている事を断るのは、傷つけるようで一番嫌な事でした。
今では、それでもやんわりと言えるようになりましたが、その頃の私はまだその方法を知りませんでした。

次第に、O君のその好意が疎ましく感じられるようになっていきました。
断れない自分の性格で自分の首を締めていき、その苦痛は徐々にO君の方へ向き始めました。
とても、極端な性格でした。
嫌ならば、捨ててしまえ。切ってしまえ。見ないようにしてしまえ。
そういう考えしか出来ない性格でした。
大体、親が厳しすぎて、私は自由に恋愛をできる状況に無い。
そう思いました。だから、恋人なんて作れない。
親の事が、その頃の私には何よりも大きい理由でした。

7月の中ごろ。O君の誕生日でした。
私は、覚えていませんが、何かプレゼントを買いました。
その箱に、手紙を入れました。

今まで、親切にしてくれたお礼と、O君とは付き合えないこと。
もう、あまり会わない方がいいというようなこと。

具体的な理由は一切書かず、一方的な言わばお別れの手紙を書きました。
それを、その誕生日の朝、同じように駅で待っていたO君に渡しました。

その日を境に、O君と話す事は二度と無くなりました。

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私はO君を怒らせて嫌われたようでした。

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二度目のデート
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嘘をついた後味の悪い電話の翌朝。
いつものように駅に着くと、O君が後から走ってきました。
Rが遊びに来ていると嘘をついた翌朝です。

Rには、駅まで歩いてくる道の間に、正直に「Rの名前使っちゃった」と前夜の電話の事を話していましたが、それでも私は、内心ヒヤヒヤしました。
思わず、私に会う為に来てくれていると分かってはいても

「どうしたの?」

という言葉が後ろめたさから、つい出てしまいました。
O君は、

「いや、昨日、電話大丈夫だったかなぁって思ってさ」

と相変わらず爽やかな笑顔で答えました。
その頃、私はO君のこの笑顔と屈託の無さに触れるにつれ

O君を好きになれるかもしれない。

そんな事を考えるようになっていました。
心のどこかで、私はやっぱりK先輩が好きだった自分を捨てきれていなかったのだと思います。
K先輩と比べてしまえば、O君に対しては最初から同級生という意識があるので、余計に子供っぽく感じられました。

その朝、O君から次の日曜日に会えないか?という誘いを受けました。
私はその休日、両親とその知人の方と一緒に、海に行く予定がありました。
朝から出かけるので、昼過ぎに駅で待ち合わせをする事にしました。

私が中学3年の時、姉はもう家を出ていました。
前夜の電話で私は居ないハズの姉が電話を使うと、嘘をついていたのです。
姉は、やはり自分が学生の時に、親の厳しさで不自由な思いをしたのでしょう。
私の気持ちを察してくれました。
丁度、前の週末に私は姉の家に遊びに行っていたばかりでした。
私は、姉に買ってもらったばかりの洋服やバックがあったので、二度目のデートで服装に困ることが無く、それだけでも晴れ晴れとした軽い気持ちで待ち合わせに行く事が出来ました。

デート当日。
海から、待ち合わせの駅までは、かなりの距離がありました。歩いて30分はかかったと思います。
早めに着いた私は、それから20分ほど待ち、O君は10分遅れて来ました。

6月の終わりの、梅雨の合間の快晴の日で、待ち合わせの駅周辺は観光客が沢山居ました。

「どこ行こっか?」

会うとすぐにO君に聞かれました。
私も全く何も考えて居なかったので、そのまま私たちは行き先も決めずに混雑の中を歩き始めました。
その時点で、私は朝から数時間、海風に当たって居た事もあり、少し疲れていました。
本当なら、私からどこかの店でお茶でも・・と誘えば良かったのかもしれません。
でも、私にはその一言が言えませんでした。
自分から相手にお金を使わせるような事を言うのは、躊躇われました。
そのまま、繁華街を過ぎ、私たちは山道のハイキングコースへ歩いて行きました。

途中、O君は喉が渇いたと言って、自販機でジュースを買ってくれました。
自分でお金を払うというと、O君はこれぐらいいいよと断りました。
それを持ってハイキングコースの途中、今思えばとても景色の良い場所へ行きました。
今思えばというのは、その時の私には景色などどうでも良かったのだと思います。
私はO君の隣を歩いているという緊張感と、既に会ってから1時間近く歩いたので、ヘトヘトでした。
デートというだけで、今まで駅で話していた時と違い、私が意識しすぎているせいか、会話もなんだか弾みませんでした。

O君が座ろうかと言ったベンチは、木で出来ていて、私は服が汚れる事が気になりました。
そのまま、何も気にせず座ってしまったO君の手前、自分だけハンカチを出して敷く事は、なんだか出来ませんでした。
O君の横に並んで座るという事で、余計に緊張したせいか、喉がカラカラに乾いていたにも関わらず、私はジュースを半分も飲む事が出来ませんでした。

それから、またひたすら山道を歩き続けました。
途中、カップルに何組が擦れ違い、皆、楽しそうに彼に腕を絡ませて笑っていました。
私はそのカップル達を羨ましく思いました。
O君の一歩後ろを歩きながら、自然に出来ない自分にも嫌気がさしていました。
せっかくのデートなのに、全然楽しいと思えない自分が居ました。
あても無く歩き続けるだけのデートに、疲れ果てていました。

結局、私たちは3時間近く掛けて山から山を歩き続け、家の近くまで辿り着きました。
そこは、Rの家の近所でした。
「送るよ」と言ってくれたO君に対し、「Rのとこに寄って行くから」と嘘を付き、別れました。
気疲れと歩き疲れで、私はもう限界でした。
O君と一緒に居る事に、苦痛すら感じ初めて居ました。
そこから、家までの20分近い道のりを歩きながら私は、何かが違う。そんな感覚を持っていました。
上手く言葉で表現出来ないけれど、その感覚はO君と歩いている間中ありました。

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嘘つき電話
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O君から好きとも付き合おうとも言われないまま、なんとなく2-3週間が過ぎていきました。
その間、O君の方が積極的に声を掛けてくれたり、駅で待っていてくれたりした事で、少しずつ二人の距離は縮まっていったように思います。

出会いの時よりも親しくなれたのですから、以前より会話も弾みそうなものですが、私の場合は、その逆でした。
K先輩の時ほどではありませんでしたが、やはり、私はO君の前で緊張するようになっていきました。
私の緊張の度合いは、恋愛感情と比例していたのかもしれません。

好きな相手には、毎日でも会いたかったし、声も聞きたいと思っていた頃でした。
でも、私の家は厳しかったので、電話を掛けて貰う事すら出来ませんでした。
時と場合によっては、取り繋いでもらえない事もあったので、掛けて来て貰っても、相手の気分を害してしまうのが嫌だったのです。
なので、O君には親が厳しいので、電話を遅くには掛けないで欲しいと御願いしていました。
O君はバイトをしていたので、掛けられる時間がどうしても遅くなる事から、掛かってくる事はありませんでした。

ある日、両親の帰宅が遅い日がありました。
滅多に無い、O君に電話ができるチャンスでした。
が、いざ掛けようとすると、どんどん上がる心拍数と共に、手が震え出しました。

一体、何て言って電話を掛ければいいんだろう?

何故か、そんな事を一生懸命考えました。
ただ声が聞きたかった。それだけの理由で電話をして良い相手とは思えなかったのだと思います。
必要以上に、自分の立場というものを考えすぎていました。
まだ、彼女になった訳でも無いのに、馴れ馴れしい事をして嫌われたく無い。
そう思っていました。
でも、声が聞きたいという衝動が抑えきれませんでした。

そして、電話を掛けた私は嘘を付きました。

「今ね、Rが遊びに来てて、電話しなよって言われて・・・」

勿論、Rなど居ません。私は電話をした口実を作ったのです。
O君は驚いたように、言いました。

「こんな遅い時間に来てるの?」

言われて初めて、その時間が夜9時近いことに気付きました。
電話を掛けようと思い立ったのは、まだ7時台のはずでした。
それ程、私は長い時間、電話の前で悩みつづけていたのです。
O君の不信そうな声に、私はたじろぎました。嘘を付いた自分が嫌でした。
それでも、演技を続け、今帰るところだと言いました。
電話口で、「じゃぁ、また明日ね」と一人芝居を続けました。

O君は、暗い夜道を帰る居るはずも無いRのことを、電話の向こうで心配していました。
私は、電話なんかしなきゃ良かった。嘘なんかつかなきゃ良かった。
そんな事を考えて後悔で頭がいっぱいになり、何も言葉が出てこなくなりました。
それに、O君が気づいたかどうかは分かりませんが、

「いや、でも、電話くれて嬉しいよ。」

と言ってくれました。
「今日は、親は居ないの?」と気遣いの言葉も掛けてくれました。
優しいO君の言葉に、ますます私は、自分の不甲斐なさが嫌になっていきました。
途中、妹さんが部屋に呼びに来たらしく、O君は照れたように笑いながら

「うちの妹、うるせーんだよ」

と言いました。そして

「タイミング良かったよ。俺、ついさっき帰ってきたところだったんだ。」

と言いました。
O君はバイトから帰ってきたばかりで、これから夕飯だとのことでした。
なので、私は

「それじゃぁ、御飯食べて」

と電話を切ろうとしました。
O君は、それでも

「いや、いいんだよ」

と電話を切らずに居てくれようとしました。
その後、何を話したのか、よく覚えていません。
ただ、印象に残っているのは

「本当に、Rちゃんと仲良しなんだね」

という一言でした。
私は、自分が嘘をついた罪悪感と、ぐずぐず電話の前で迷っているうちに時間が過ぎ、もうすぐ家に両親が帰ってくるかもしれないという不安で、上の空だったのだと思います。
多分、掛けてから10分程度の会話だったと思います。
早く電話を切りたくなった私は、

「そろそろ、御飯食べないと冷めちゃうよ」

と言いました。
O君は「そうだねぇ」と言いつつも、

「うーん。せっかく電話貰ったのになぁ。もうちょっと平気だよ」

と、なかなか電話を切ろうとしませんでした。
それどころか、

「電話代掛かるよね?掛け直そうか?」

とまで気遣ってくれました。
それからまた10分ぐらい、O君のバイトの話などを聞いていたのだと思います。
その間中、私は、時計に目が釘付け状態でした。
外の車の音に耳を澄まし、いつでも電話が切れるようにと神経と尖らせていました。
それほど、私は親に電話をしているのを見付かる事が怖かったのです。
怖いというより、何か言われる事が面倒だったのかもしれません。
それに、こうして話している間にも、親や、親の知人から電話が入っていたりするかもしれないと思うと、気が気ではありませんでした。

そして、私はまた、嘘を付きました。

「ごめん、なんか姉ちゃんが電話使うっていうから」

そう言うと、O君は、「あ、ごめんごめん」と言いました。
嘘をついたことで、謝らせてしまいました。

私は正直に、親が帰ってくるので長電話が出来ないとは、言えませんでした。
そこまで、気を遣わなければならない親だと知られたくなかったのかもしれません。
私は、自分が他の家の子たちと同じでは無いと思っていました。
家での自分を、好きな人に知られたくないと思っていました。

「じゃぁ、また明日の朝ね」

と言って電話を切った時、私は電話を切れるという妙な安堵感と共に、自分から声が聞きたくて電話しといて、申し訳無いという気持ちとが入り混じっていました。

嘘を付いた事がある人なら、分かるかもしれませんが。
言葉では表現しきれないような後ろめたさのようなものが、ずっと心に貼り付いてしまいます。
まして、他の第三者の名前を出してまでの嘘を付いてしまった後、例えそれがバレるはずの無い事であっても、絶えず会話に神経を尖らせる事になります。
それは、私が小心者だったからなのかもしれませんが。

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それだけを比べたら、私はO君よりもずっと恵まれた生活環境でした。

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通学
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私の家から通学する電車に乗るには、二通りの行き方がありました。
二つの駅のほぼ中間に住んでいたので、高校生になった最初の頃は、K先輩が利用するのと同じ駅であるA駅まで、自転車で通っていました。
Rとは、時間と車両を決めて、A駅の一つ先のB駅から一緒に通学していました。

ある日、部活から帰ってくると、自転車が無くなっていました。
その頃はまだ、自転車の登録番号など無かったように思います。
自転車置き場に毎朝置いていたのですが、鍵を外し忘れたことで盗まれてしまっていたのです。
親に物凄く怒られました。

元々、私は公立の高校へ入るように親に言われていました。
経済的に私立はキツイという事だったのでしょう。
私は、自転車の代わりにバス代をくれとは、親に言えませんでした。
それからは、しばらくの間、毎朝駅まで30分ぐらいの道のりを歩いて通学する事になりました。
今までよりも早い時間に家を出てバス通りを歩く私を、もしかしたらK先輩がバスから見るかもしれない。
見られるのは恥ずかしい。そんな事を考えていた事もあります。
そのうち、Rとより親しくなり、私はRの家まで15分ほど歩き、そこから一緒にB駅までの残り15分を一緒に通学することにしました。

O君は、いつもA駅から友達と電車に乗ってきていました。
O君とは続かない。そう思い込んでいた私は、その日の朝、Rと歩きながら昨日の事を報告し、出来れば車両を変えようかと思っていました。
でも、他の友達もB駅から合流して一緒に通学していたので、なかなか言い出し辛いまま、駅につきました。

その駅は電車の先頭車両のところ、ホームの端の一ヶ所にしか改札が無い駅でした。
ホームの数段の階段を上がって、電車が来る方向に目を向けると、向こうからO君が歩いてきます。
目が合うと、O君は手を上げて、手招きをしました。
Rに行って来なと言われるがままに、O君のところへ行き

「なに?どうしたの?」

と聞きました。

「一緒に行こうかと思って家出たんだけどさ、ギリギリで焦ったよ」

O君は、息を切らしながら言いました。
どうやら、O君は、私に会う為にこの駅まで歩いてきたらしく。
線路沿いの長い一本道で、私たちの後姿を先のほうに見たけれど、間に合いそうに無いので、改札を通らずフェンスを乗り越えてホームに入ったとの事でした。

私は、そのフェンスを乗り越えて来てしまったという行動が、あまりにも無茶で可笑しくなりました。
「まじ、焦ったよ」と言って笑うO君の屈託の無さに、それまで重かった気持ちが消え、軽く言葉が出てきました。

「そんなに無理しなくても。昨日会ったばっかりだし、電車で会えたじゃん?」

私がそう言うと、

「いや、そうなんだけどさ。電車だと他の連中居るから話せ無いじゃん?」

とO君は答えました。
わざわざ、私と話す時間を作るためにO君が来てくれたのだということを知り、素直に嬉しいと思いました。
結局、二人で話せたのは2-3分程度だったと思います。
すぐに電車が来てしまい、同じ車両に乗り込んだ後はそれぞれの友達の所。いつもの定位置に。
O君は、いつもと違う行動をした事で、友達に冷やかされているようでした。
私は私で、一つ前のA駅から乗ってきている友達に、朝からラブラブ〜などと冷やかされました。

O君とは、まだこれから付き合うとも何とも。そういう話はしていません。
冷やかされて嬉しかった反面、それは実感の伴わないものでした。

その頃、O君は近所のコンビニでバイトをしていて、私は私で毎日部活に出ていたので帰宅時間が違い、会えるのは朝の電車だけでした。
それからも、数回、O君は駅に来てくれた事もありましたが、大概の日はそれぞれの友達と同じ車両で挨拶をする程度でした。

ある日、部活が無い土曜日に友達と一緒に電車に乗り込むと、そこにO君が一人で居ました。
私の学校の駅は、O君が通う高校の乗り換え駅でした。
最初、驚いて軽く頭を下げるだけで、そのまま友達と一緒に私は居ました。
やはり、友達の手前、恥ずかしかったというのもありました。
一駅過ぎた頃、O君の方を見ると手招きをされました。

私は、O君のこの手招きが好きでした。
やはり、男の兄弟が居ないせいでしょうか。なんとなく、同じ歳でもその仕草に兄のような年上の男性の雰囲気を感じたのだと思います。

学校では、紹介してくれた友達から話を聞いた子などに、その後の進展などでからかわれ、冷かされていました。
周りからそうはやし立てられると、なんとなくその気になっていく。
そんな事も手伝って、私は徐々にO君を好きになっていきました。
会えば、心臓がドキドキしました。
顔も、声も、仕草も。少しずつ好きになっていきました。
午後の穏やかな日差しが当たる電車の扉の前で二人で話をした記憶は、今でも強く残っています。

好きになっていくと、どうも私は悪いクセが出てくる性格でした。
そのままの自分で居られないというか。
半ば、自分自身を演じてしまうというか。
きっと、よく見てもらいたいからなのでしょうが。
後で思えば、つく必要の無い嘘を付いてしまう事もありました。

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光と影
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同じ中学出身のRと一緒に通学し出して、数日で、私はその事に気付いていました。
毎朝同じ電車の同じ車両に乗ってくる男子校の生徒の大半が、私達の方を見ていました。
特に、O君達隣中学出身の男子校生は、その態度があからさまでした。
視線を感じて振り返って見ても、私が彼らと目が合う事はありませんでした。
皆がみんな。私の隣のRを見ていたのです。

変な言い方かもしれませんが、私は綺麗なRが自慢でした。
Rが皆の注目を集める事に対し、私は当然だと思っていました。
本当に綺麗な子でした。
なので、O君の

「Rちゃんて、すげー可愛いよね」

という言葉を聞いた時、ショックよりもやっぱり。という気持ちでした。
私は、そのO君の言葉に対し、

「うん。可愛いよね。O君達も、いつも見てるでしょ?」

と返しました。
嫌味のつもりも無く、仕方ないよなという気持ちで出てきた言葉でした。
それに対し、O君は突然言い訳めいた口調になり

「いや、亜乃ちゃんも可愛いよ。」

と言ってくれました。でも、私は別に敗北感で言ったつもりもなかったので、

「いいんだって。女から見ても、Rは本当に綺麗だもん。」

と答えました。
O君は、自分の失言を誤解されたく無いといった風に

「あの子、目立つもんなぁ。俺の友達がさぁ、Rちゃんに惚れちゃっててさぁ」

と弁解をし始めました。
私の中で、O君に対する疑いに似た感情が沸いてきていました。

この人も、多分、他の友達と同じく、Rを目当てに電車に乗ってた一人なんだ。
なのに、なんでRでは無く、私との紹介の話を受けたんだろう?

私は笑いながら、O君に聞きました。

「いいっていいって。O君だって、Rの事いいなぁって思ってたんでしょ?」

別段、好きになった訳でも無く、友達の付き合いで会っただけ。
それは、お互い様だと私は思っていたので、その答えがYESであっても気にしなかったと思います。
O君は、私の言葉に対し、

「あー、最初はね。でも、Rちゃんってお高い感じがするじゃん?
 だから、俺は亜乃ちゃんの方が、ずっといいなぁって思うよ」

と答えてくれました。
その言葉は、自分の失言をフォローする為だったのかもしれないし、本音だったのかもしれません。
でも、その時の私の耳に残ってしまったのは、「最初はね」の一言でした。

やっぱり、そうなんじゃん。

という気持ちを飲み込み、私は笑ってO君に「ありがとう」とだけ言いました。

O君の家は、私の家よりもRの家に近く、待ち合わせもRの家の近所でした。
二人でRの家の側を通った時に、私はわざわざ「ここが、Rの家なんだよ」と教えたりもしました。
O君の気遣いからか、「ふ〜ん」と言ったきり、別に興味も無いような素振りを見せてはくれました。
そして、しばらく歩くとO君の家の側だったらしく

「あそこが、俺の家なんだよ」

と教えてくれました。
好きな人の家だったら、私はそれだけで嬉しかったのだと思います。
でも、私の心は、なんとも言えないモヤモヤした感情が渦巻いていました。
再び、湿ったカーディガンとスカートが気になりだし、早く帰りたいと思いはじめていました。
そこで、「じゃぁ」と言って別れようとすると、

「いや、送ってくよ」

とO君は言いました。
断ると、

「男が送ってくのは、当然じゃんか。俺が送られてどうするよ」

と笑いながら言って、私たちは、私の家まであと数分のところまで一緒に歩きました。
O君は、別れ際

「また、明日の朝ね。」

と言って元来た道を、戻っていきました。
その後姿をしばらく見送った後、私は家まで駆け足で急いで帰りました。

O君との初デートは、ほんの2時間程度歩き続けるだけのものでした。

家に着くと、両親が帰って来ていました。
私は、勝手に着ていったカーディガンを母親に見付からないように、庭でこっそり脱ぎ、家に入りました。
そして、しばらくしてから、親の目を盗んで庭からカーディガンを持ち、タンスに仕舞いました。

そんな自分の行動自体が、すごく惨めに感じました。
Rの事を、本当は好きだったかもしれない男と会う為に、親にビクつきながら会いに行ったなんてバカみたい。
何も自由にならないこの家も、O君も嫌だと、急にイライラし始めました。

それまで。
綺麗なRと一緒に居る事に、何も感じていなかった私は、きっと異性を意識などしていなかったのだと思います。
かと言って、Rに対する嫉妬心が沸き起こるような事もありませんでした。
ただ、なんとなく寂しい。そんな気持ちで一杯でした。

私は何も考えずにRと一緒に居るけれど、周りが見てるのはいつもRで。
そのすぐ隣に居る私は、Rの影になって、誰の目にも見えてないんだろうな。

そんな事を、始めて意識させられた初デートでした。
それは、妬みとか卑屈さとか、そういう事ではなく、仕方の無いことだと素直に感じた事でした。
別に、男子校生にモテたいとか、見られたいとか。そんな意識も全く無い、中学から何も変らぬ私だったから。
Rが誰もが認めざるを得ないほどに、綺麗だったから。
そう思えたのだと思います。

O君は、その夜、電話をくれました。

「ちゃんと、帰れた?」

と言って。
その優しさは、嘘ではなく彼本来の優しさであり、異性として意識して好きになるには、その頃の私には十分すぎるものでした。
多分、Rの話が無ければ。

それが私のプライドなのかどうかは、分かりませんが。
私を見ていない人を、私は好きになれるわけが無いと思っていました。
だから、O君とのことは、続く事は無いと。
O君も私も、義理で会ってみただけ。
二度と二人で会う事は無いんだろうなと思い込んでいました。

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初デート
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O君は、その電話で私を下の名前「亜乃ちゃん」と呼びました。
正直、やはり呼ばれなれていないせいか、不快感はあったものの、思ったより抵抗なく、その呼び名を私は受け入れました。
私はと言えば、やはり下の名前で呼ぶことは出来ず、最後まで名字のまま。O君と呼び続けていました。

紹介されてから始めての休日。私は、O君と会う約束をしました。
梅雨に入ろうかという頃の曇り空で、少し肌寒い日でした。
高校に入ったと言っても、厳しい女子高で部活が忙しい毎日を送っていた私は、やはり中学の時と変らぬ生活を送っていました。
相変わらず、休日には家に居て、特に友達と出かける事もありませんでした。
少しのお小遣いを貰ってはいましたが、洋服を自由に買えるほどではありません。
何を着て行けばいいのか、物凄く悩みました。

両親が出かけた後、私は母親のタンスを漁り、可愛らしい配色のカーディガンをこっそり借りて行くことにしました。
が、出かけようかという時になって、そのカーディガンに汚れがある事に気付きました。

なんと言っても、私にとって、男性とデートするのは始めての事です。
たった少しの汚れが気になり、浴室でそのカーディガンを洗い始めました。
今にも雨が降り出しそうな天気の日に、脱水機にかけられない服が簡単に乾くはずもなく。
殆ど乾かぬまま、とりあえず私は友達であるRの家に行きました。
Rにも手伝ってもらって、生乾き程度にまでした時点で、既に約束の時間は過ぎていました。

急いで待ち合わせの場所に行くと、O君は既に待っていました。
遅れたことを謝り、とりあえず、近所を歩く事にしました。
私は、生乾きのカーディガンの水分が、だんだんと下に落ちてきて、スカートにその水が染みていくのを気にしていました。
初めての男性とのデートだというのに、私の心臓は全然ドキドキしませんでした。
心の中で、何やってんだろう?早く帰りたいなどと思っていました。

その頃のお互いの家の近所には、山があり、その道を2人で歩きながら話をしました。
途中、ぬかるんだ坂で、先に降りたO君が手を差し出してくれました。
私は、一瞬ためらいながらも手を繋いでもらった時、私の心臓はようやく、ドキドキし始めました。
そのO君のとても自然な行動に、男の人なんだなぁと好意を持った瞬間でした。

話を聞くと、O君には妹が居て、お父さんが居ないということでした。
彼は、会ってもやはり私を「亜乃ちゃん」と呼びました。
その名前の呼び方について、私は聞いてみました。
O君は、

「だって、名字じゃぁ、なんかおかしく無い?」

とあっさり答えてくれました。
考えてみたら、クラスメイトであれば名字を呼び捨てでも渾名として自然ですが、全く違う学校同士で初対面で、渾名で呼び合う事の方が不自然なのかもしれません。
私は始め、全くの他人ということで、それじゃなくても男性が苦手だった事もあり、かなりバリアをはっていた状態でした。
でも、O君のその気取らない自然な態度に、肩の力が抜けていきました。
馴れ馴れしいと感じたO君の態度ですら、徐々にそれを親近感だと思えるようになっていきました。

二人の会話は、当然のようにお互いが知っている友達の話になりました。
どちらかと言えば、話しているのは殆どがO君で、私はそれを聞いている状態でしたが、不思議と苦痛を感じませんでした。
紹介してくれた女の子である友達の、中学時代の話。
毎朝同じ電車で会う、O君と一緒に通学している友達の話。
そして、私が一緒に通学している友達の話になった時。

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O君に好意を持ち始めた私の気持ちに、その一言が、つっかえ棒になりました。

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「恋愛履歴」 亞乃 [MAIL]

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