『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2007年06月25日(月) きみへの宛名のつけられない手紙

きらいなものたちが
胸のなかを啄みに、やってきました。
悲鳴を上げられたらよかった、
ここにいることをあなたに伝えられたら
よかった。

つつかれたキノウのなかにきみがいるから
ぼくはそれだけは守りたかったのに
その自信が揺らいでいくのがとめられないで、毎日
漠然とやりすごすことを第一にして
なんとか息をつないでいる、なんか

悔しいじゃないか
情けないじゃないか
口の中を噛んで、瞼のなかの闇を睨む、
ぼくは
どのような絵に、見えますか。

ゆらぐ
ひめい
いたみ

あなたは、まだ、ぼくのことを、いると思ってくれてるだろうか

………。

めぐる疑問でした、
その重力から逃げられないで
幾つになったのかと尋ねられたら
うつむくしか今はできない気がする

足元にすべりおちた顔を拾ってはりつける
笑顔、というなまえの。ぼく、それは上手いんだ。
全然、自慢にできなくなったくせに、でも上手いんだ。

きえかたについてかんがえてしまうあたまのかたすみ、
みんないなくなったよね、あなたも……たぶん
ぼくをとめにはしってくるひとなんかいないんだと
がなりたてるこえがします
いまだにけすことができないこえです
ぼくを、ときどき、ぱくりとのみこむこえ
たまにほんとうさえひきずりだす

さびしいという理由だけで
そばにいられたらよかった
さびしいとか好きだってことくらい
口に出して伝えても
悪いことはなかった……かも知れないのに

きみは知らない
ぼくの笑顔は
砕けなかったから
ぼくが砕かなかったから
知らない

……もうキノウは手のとどかないところ

あなたは
写真のなかにしか
いない。


烏の鳴き声が毎朝ひびいて
あたし、
からだをぎゅうぎゅうとちぢめる
引き剥がすように夜が終わって
ごめん、もう言わないから。
泣きつくみたいなことは、しないから、

……あたしはなにをすきだったのだろう。



5:29、真火



2007年06月21日(木) day and day

夏至が近いので
「夏至」をみたく思いました
ベトナム映画、みずいろのみどり

ばかばかしいようですが
この日だからこの日だからこの日だから
記念碑をうちたてるように何かをしたく
足掻いているようでなりません

・・・・・・・・・・

長いこと持ち歩いたカメラが寿命をむかえた模様、で
間に合わせに、それ以前に使っていた古いやつを持ち出して
私用のものへと変える。
家人はすでに写真を撮らないというので。

長いこと持ち歩いたカメラさん、お疲れさまだった
アスファルトに落としてごめん、
お風呂にも持ち込んだし屋久島の山まで登ったよね
ハードに付き合ってもらいました、ありがとう、ありがとう

最後に、そらを写した
きっといちばん好きなそらとみどりを

本体は捨てられるわけもなく枕元に横になっているけれど
まるで、イノチを抜き取るような気がして
ためらった最後のカートリッジを使いきること

次は、一眼レフを買おう
できたなら
そうしてわたしのこの目がいちばんきれいと見ているこの
小さな小さなせかいの呼吸を焼いてやりたい

欲張りでごめん

ここまで欲張りにしてくれて
ありがとう

・・・・・・・・・・

ふいに、やや、クスリがうまくきかないため
からだのほうはねじられています
乗り切れば「らく」が待っているよなど
諭されてもわたしは知りません
台所の床にかじりついて自分をもっともいためつける方法を
さぐっているばかなからだのもちぬしです
連日はちょっとくたびれるよと言ってみたら
涙がごろごろ出たので自分で自分におどろきました
あああんた泣きたかったの?

・・・・・・・・・・

半月かかった風邪が、どうやら抜けて
咳だけで半月未満の月をみた日

・・・・・・・・・・

あたしはここにいるでしょうか

いなくてもいい、とダレかが言い
いないほうがいい、と
あたまが囁き

会えないひとのことばかり思い出しそうになる
もうまるで恋人を思うよりもつよく

輪舞。



6月21日、晴



2007年06月05日(火) 骨とリズム。

肘が痛むのは、ひっきりなしに
あたしがあたしを、たたきつづけるから
ごつごつごつごつごつごつごつごつ

もう、なじみきってしまったスピードでテンポで
顎の歪むのでないかと思うような
それでも止まらない腕がずっとずっと

気がつくとバスの中で音が響く
奇特なまなざしがむけられる
あたしは
それだけど
止まらない止まらない

帽子もかけているめがねも放り出してかなぐりすてたいの
血がにじんでいるかも知れない頬だった

両手をにぎりしめて耐えようか
気がつけばほどける
なにかを見つめて紛らわそうか
ひとつの映画を見切ることも
どうやらできない

しっかりと本をもちただひたすら
そのなかに没入するくらいなので
優雅じゃないの
お風呂にまで本を持ち込んではまりこんでいるのは別に
ただ、ひとつの手段なんだろう
気を逸らせておくための

物語は特別
きっと特別
あたしを救わなくとも
手伝ってはくれる、と
まだ、しんじられる

・・・・・・・・・・

ブレーキがひつようなのに
それがみつからないで走っています
きみがひつようだとは言いません
会いたいとはいいません
ただ
いつまでも走って止まらなくて時間は流星のようにながれて
気がつくと必要なかったはずのモノの山を築いていた
これはもう、ほとんど病気だ、と
あたしはそれを見て考える、けれど
山は高くなっていくばかりだ

好きなものがなくなると思ったとき
愛してるものが失われると思ったとき
それの何十倍かの質量をもって、そのあとを埋めようと
ただ無駄にお金とエネルギーばかり浪費してしまう傾向を
いまだに留めているらしい
このからだへ

きみは、ほんとうは
なんといいたいのですか。


6月5日、深夜


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真火 [MAIL]

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