みちる草紙

2005年12月29日(木) 本年のラスト・みちる

今朝の通勤電車は比較的空いており、行きも帰りも悠々座ることが出来た。
この世界有数の人口過密都市では、全くもって年に一度のこと。
暮れの29日になっても出社せざるを得ない貧乏OLにとり、せめてもの慰めとなる。
ああ、いつもこうなら通勤も苦にならないのに…。

会社は年内ギリギリいっぱい(明日まで)意地汚く営業するのだが
アタシはささやかな抵抗に1日休みを取り、本日が仕事納めであった。

退社後、帰りに年賀葉書を買った。
今日になってやっと 「もしかしてもう売ってないんじゃ?」 と思い当たり
局に電話をかけて訊いてみると 『ありますよ、東京版のなら』 との返事。
ラスト・ミレナリオ目当てのごった返す物見行列をよけつつ郵便局に向かう。
「無地のインクジェット紙を50枚」 『はい、2,500円です』
実にあっさり買えた。
他ではとっくに売り切れだろう。さすがは中央局。こういう時だけ感心する。

今頃? …そうですよ、これから年賀状制作に取りかかるのですよ。
明日熱海に向かうのは無理かも知れない… 今年もやっぱり大晦日になってしまうのか。
今回ただでさえ少ない年末休暇の一日を潰し、私は年賀状を書くのね。。。

こうして、一年中で一番好きな月である12月も幕を閉じようとしている。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
来年も宜しくお願い申しあげます m(__)m



2005年12月26日(月) ラスト・ミレナリオ

退社後、同僚と丸の内ミレナリオを見てきました。
もう何年も機会を逸してきたけど、どうやら今年が最後らしいので
ここは一つ、話のネタにでもと思って。

真っすぐ行けば会社の目と鼻の先なのに、交通整理の順路に従い
大きく迂回して歩くことになる。月曜だというのに祭りのような混雑。
何だ何だ、このクソ寒いのにもの好きが多いな。その一人なんですけど。

ゲートの正面に続く道は完全にホコ天状態。
物見高い観衆の大行列はひと塊ずつ区切られ、その都度足を止められた。
明治神宮の初詣の参道と同じ方式だった。

         

   

         

         

大通りの手前までは、少し歩いては止まり、を繰り返していたが
それを渡りきってしまうと、あとはノンストップでズンズン歩かねばならない。
写真を撮りたくても後ろに大勢つかえているので立ち止まれない。
これら(特に一番下)のブレはそういう訳。

しかも、煌びやかなゲートのまん前に到着すると同時に
デジカメがいきなり電池切れ…_| ̄|○
そこで仕方なく携帯のカメラに替えたが
こっちの方が綺麗に写っていた…_| ̄|○

きらきら眩しくゴージャスな正面ゲート。
どよめきが上がり、皆がてんでにカメラを翳す。
お〜。すご〜い。きれ〜。
人工美もなかなかのもんだ。全部で電球何個使ってるんだろう。

煌く回廊は延々長く伸びており、全部くぐる必要もあるまいと
途中でわき道に逸れた。幾重にも連なる電飾の門は美しかったが
その一つ一つはそう大したことないので。

そのあと、オアゾの中にあるレストランで、カレー五穀雑炊をいただく。
ランチ時はOLが行列を作っているそうで、同僚が是非にと言うので寄る。
確かに美味しかったが、たかが雑炊に1,200円はないと思った。



2005年12月23日(金) 次代を担う子供たち

生まれた子供にこういう名前(下記)を付けるのは、暴走族カップルくらいかと思っていた。
ところが今は殆どの若い親に、おかしな当て字を好む傾向が見られるらしい。

『海外で通用するように』西洋風の名前を付けるのだ、という言い分を時々聞くが
バカじゃなかろうかと思う。通用するのしないのって、一体何がよ?
では、サダヤッコやイチローを、外国人が覚えられなかったとでも言うのか。
(外国人を真似るより、彼らの耳にエキゾティックに響く方がよほど良い気がするが)
何処へ行こうと、名前は名前として音で認識され、それ以上でもそれ以下でもない。

が、「名は体を表す」というのは、本当だと思う。

古風な名前を付けられた子供は、比較的知能が高いという統計まであるという。
(ここで言う“古風”とは、単に日本人の“名前らしい名前”を指すのだが)
つまり、これはどういうことかと言えば
子供のまともな名前が、付けた親のまともさを反映していることの
裏づけと見て良いかも知れない。
昔、女の子の名前は大抵「○○子」だったが、今あえて「子」を付ける親は激減し
今現在の、低年齢の少数派○○子ちゃんは、割と賢い子が多いのだそうだ。

それから、平成の大合併後の新市名、平仮名だとどうしても
そこの市議が単純バカ揃いだろうと思いたくなる(ごめん、市民の方々)。
『誰にでも読めるように』という無駄な配慮は、漢字の読めない民を増やすだけ。
読めなければ、読み方を調べれば良いだけのことである。

アタシの故郷も合併で市の名前が変わったが、腹立たしいことにそれが
日本一ダサい市名にランクインされるほど、市議の無粋を露呈するバカ名なのである。
今後の生涯、出身地をひた隠しに生きてかなきゃならなくなった。どうしてくれる!

まだまだいっぱいあるんだけどな、日本人の堕ちた美意識・センスについては。


↓アタシがまともでないと見なす名前のごく一部 (某所より引用)
 場末のスナックもどきのイカレポンチ名がずらり並ぶ。
 
楽気 らっきー  礼加 れたす  来夢 らいむ  呂偉 ろい
上人 うえると  季生 きき  心愛 ここあ  騎士 ないと
留樹 るーじゅ  南椎 なんしー  心夏 ここなつ  聖来 せいら
海鈴 まりん  折雅 おるが  星光 きらり  愛舞 いぶ
紅亜 くれあ  偉大盛 いであ  紗音瑠 しゃねる  愛果夢 あいかむ
奏日亜 そふぃあ  美似夢 みにむ  茶彩羅 てぃあら  夏偉樹 ないき
実果林 みかりん  湖林檎 こりんご  響 のいず  奏夢 りずむ
未来 ふゅーちゃ  路未央 ろみお  天子 てんし  瀬詩瑠 せしる
乃絵瑠 のえる  美羅乃 みらの  蘭素 らんす  理在 りある
大也 ダイヤ & 主人 モンド (双子)   楽瑠琥 らるく & 詩慧瑠 しえる (双子)

我々の老後の社会を担うのは、こういう名前を選んだ親のDNAを受け継ぐ
キテレツ君たちだと思うと、それだけでも、日本の将来を憂えたくなりませんか?



2005年12月20日(火) 夜食

          

カレーうどんではありません…^^;
賞味期限を一年以上過ぎた、普通のうどんです。

一昨年くらいに親が(いらないと言うのに)送ってきた。
以前、送られてきた乾麺が、讃岐うどんの風上にもおけぬほど
クソまずかったのでクレームをつけたら、次は半生タイプになった。

不埒者につき、生まれ故郷の食べものが大して好きではなく
地元名物の麺類も、好んで食することはもともとない。四国に旨いものなし。
(でも稲庭や揖保の糸は喜んでいただく裏切者)
よって毎度、賞味(消費)期限破りも甚だしいのである。

それにしても…
こんなまっ黄色に変色するものかいな?うどんって。

一瞬、躊躇するにはしたが、食べものを粗末にすると罰が当たるので
「カビてなきゃ平気だろう」というノリで茹でてみた。

味…。

石○製麺の乾麺よりはマシ。

と言いつつごめんなさい。
やっぱり半分以上残して捨てました。。。 _| ̄|○



2005年12月19日(月) 年賀状

…って、もうそろそろ準備しないとマズイんじゃ?

毎年、クリスマス前の今くらいになると一応思うのだが
大抵は会社が休みになってからグズグズ取りかかり
年内ギリギリに投函する羽目になる。
そう言えば今年の年賀状も、投函したのは大晦日だっけなぁ。
土壇場に追い込まれないと動けん性格なので…orz

年を経る毎、年賀状をやり取りする相手が減ってきた。
昔は毎年欠かさず出していたのが、この頃では何かと理由をつけて
サボることが珍しくなくなってきたためかも知れない。
プリントゴッコがパソコンに替わり、格段にラクになった筈なのに。
(手間の度合はどうも別みたい)

ノートPCを買ってから、冬はこたつの側から益々離れられなくなった。
ペンタブを使うには、手をかじかませながら古いデスクトップに
向かわねば… ああそんなこともう出来ない!^^;
ならノートにインストすれば良いものを、CDがどっかに紛れ込んでしまった。

変な話だが、毎回、下手でも自分の意匠でこさえると決めているので
何となく市販の絵入り葉書を利用するのには抵抗がある。
きっと、出さないよりずっとマシに違いないのにね。
こうして皆と疎遠になって行くのだなぁ…(^_^;)

ただ、リストにない人からもらった年賀状に返事を出す際
いかにもあとから出したらしい文言 『年賀状ありがとう』 だけは
入れぬよう気を付けております。例え消印がつこうとも。



2005年12月07日(水) 遅刻

今朝、いつも通りの時刻(7:45)に家を出、いつもの電車(8:00発)に乗った。
大江戸線では運良く座れたし、特に何ごともなかったのだが
何故か
「(乗り換えの)中野坂上駅で嫌なことが起こらなければいいなぁ」
という思いがふと頭をよぎった。全く偶然に。

果して、降りて丸の内線のホームに向かっていると、前方で
駅員が何か叫んでおり、改札機の前で人垣ができているのが見えた。

『ホームには下りられません。もう人が一杯ですから!
 大江戸線で来られた方は引き返して新宿で乗り換えて下さい!』

なんと、丸の内線が止まっていたのだった。
地下鉄の連絡駅でありながら、ホームが怖ろしく狭い中野坂上駅の
ラッシュアワーは、それでなくとも人が線路にこぼれ落ちんばかり。
今日は、知らずに改札を通ったものの、そこで立ち往生する人々が
階段の上までうじゃうじゃと溢れていた。

なんだよ〜(-_-;)イライラッ
今日に限って、やけに大勢の客が坂上からドッと乗り込んできた訳だ。
でも、ただでさえ小さい大江戸線の車両が、これでは乗車率が
何百%になることやら。あれに乗って新宿まで行くのはイヤだ。

会社に電話を入れつつルートを考える。
結局バックして西武線に乗り換え、池袋から丸の内に乗ろうとしたが
あらら…池袋でも遅延証明を配ってる。つまり丸の内全線ストップか!

やむを得ず、そのまま山手線に乗った。これは予定外の大迂回。
20分くらいはしょうがないかと思ったが、実際には40分も遅刻してしまった。
会社に着き、遅延証明書を見せるには見せたけど、これって…
上司は寝坊遅刻を疑わなかったかなぁ?(汗)

不思議なのは、アタシ以外の誰一人として
遅刻をしていなかったことであった...orz



2005年12月06日(火) 愛それは儚く

こたつに首までもぐりながら、プロジェクトXを見る。
戦後、テレビの普及に押され低迷した時期もあったという、宝塚歌劇復興の物語。
進退の勝負を賭けた作品は、あのベルばらだった!(@_@)
いやぁ、見ながら何だか胸が熱くなって、感動で目が潤んできたわい。

ベルサイユのばらの雑誌連載当時は3歳だったから、リアルタイムでは読んでいない。
宝塚での初演時も、まだ小学校にすら上がっていなかった。遅く生まれ過ぎた。
そしてその舞台をテレビでも放映しており、それでこの作品を知ったと思う。
覚えているのは、階段の中ほどに佇むマリー・アントワネットの口上である。

『わたくしはフランスの王妃なのですから。この、マリー・アントワネットは!!』

そこで幕が下りたような…遥か遠い記憶。
見ているアタシの後ろで、父がぼそっと呟く。
『このマリー・アントワネットはほんまにおった人で、首を刎ねられるんよのう』

おとん、就学前の児童に向かってなんちゅうことを(-_-;)
果して、その言葉が幼い頭に長くこびりついて離れなかった。
'50〜'60年代、フランス文化が若者の間を席巻した時代があったそうだが
うちの父も例外ではなく、あれこれフランスをかじったようだ。

後年、小学生になってから単行本を買ってもらって読み
以来何十年と取り憑かれることとなる因縁の大作である。
ガキのくせに、現代の泰平の世の「恋愛もどき」は何てつまらないんだろうと思ったり。
いや実際、大人になった今でさえ思う。この絢爛豪華な大ロマンの迫力の前には
今どきの貧乏くさい不倫ドラマなんぞハナクソみたいなものだと。

まんがは色々と読んだが、何が一番好きかと問われれば、迷わずこれ。
自分のルーツはここに突き当たるような気さえする。

         

宝塚の初演でオスカルを演じたのは榛名由梨だったらしい。(その後アンドレ役)
美しく、かっこいい。確かに適役。やっぱり昔の女優の台詞回しはいいなぁ。
オル窓の宝塚公演もやはりテレビで一度観たが、その時榛名はクラウス役だった。
(なのに、番組では関西弁バリバリのおばちゃんになってて…(ノ_ー、))

会社の斜向いに宝塚劇場があるが、今でも沿道を熱いファンの群れが埋めている。
一度くらい、生の舞台を観ておくべきかしら。


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