みちる草紙

2004年10月31日(日) イラクに死す

現地時間30日の夜、バグダッドで、星条旗に覆われた邦人青年の遺体発見との報。
予告通り、頭部は切断され、その首は胴体の脇に置かれていたという。
無事の救出は絶望的と、誰しもが思った今回の人質事件であった。
前日に別人の遺体が彼ではないと確認された時も、楽観出来る状況ではなかった。
黒覆面の武装犯に髪を鷲掴みにされ、無理やり顔を引き起こされる、無防備な若者の姿。
あれが、家族の見た、生きた肉親の最後の映像となったのである。

24歳とは言え中味はまだほんの子供、無邪気に動乱のイラクに渡った彼が
首を切り落とされる断末魔の恐ろしい地獄絵図。
“遺体は別人”と聞いて一旦安堵し、今また悲しみのどん底に突き落とされた家族。
それらに繰り返し想いを馳せずにはおれない。

日本人男女3名が人質となった時、家族らは半狂乱に救出を訴え自衛隊撤退を求めた。
そんな彼らに国内の非難が殺到し、アタシはむしろ同情したものである。
無論、避難勧告を無視して自ら招いた災いに、政策を翻せとは不遜な要求とも言えようが
異国の地で日夜生命を脅かされ、一方で同国人にまで糾弾されねばならないのか、と。

だが、その前例がありつつ今の情勢下でのイラク入りとは、全く愚か過ぎる行為であった。
彼は、不本意にせよ、結果的にスクープな自殺を決行しに、かの地に乗り込んだ訳である。
『自衛隊のイラク派遣が彼の命を奪った』
との一部の見解は、今更に取って付けたかの如き、乱暴な履き違えであろう。
青年を殺害した武装集団は確かに、人質を盾に日本自衛隊の期限内撤退要求はしたが
用もないイラクに足を踏み入れさえしなければ、死なずに済んだのは分かり切っている。
彼はまた、何も自衛隊駐留に抗議、阻止する使命感から、命を賭した訳ではないのだから。

犠牲者の父親は痛ましくも、迷惑をかけた詫びと、支援に対する感謝のコメントを寄せた。
打ちひしがれた両親の口から、国家に対する怨嗟は聞かれない。
それは、過去の3人の例を踏まえ、慎重を期した言葉選びでもあったのだろうが
悲痛の淵にありながら、我が子を亡くした嘆きを手放しに訴えられない親が哀れだ。
多くの自国民が、悼むより“自業自得”と冷ややかに迎えた、最愛の息子の死。
残酷にもそれを痛いほど知る両親の心が、その二重の苦しみが、ただただ哀れである。



2004年10月28日(木) 一路湯河原へ

外来の予約時刻は11時。今朝は6時半に起床し、7時半に家を出た。
日帰りの予定ではあるが、万が一に備え、紋次郎の餌を多めに入れてやる。
「もんや、いい子でお留守番してるんだよ」
やつはひとっ走りしたそうであったが、さすがにかまってやる余裕はなかった。

それはちょうどラッシュの時間帯。久しぶりに満員電車に揺られ、息切れがした。
品川から新幹線で熱海まで行き、東海道線の各停でひとつ手前の湯河原に戻る。
毎回思う、通院というよりは小旅行と呼ぶに相応しい遥かな道のり。
病院の送迎バスは出た後だったので、路線バスに乗り病院前で下車、急坂をてくてく登る。
退院したのは猛暑の盛りだったが、今では抜けるような秋空の下、吹く風が冷たい。

院内はいつになく静かで、驚いたことに、普段は大混雑の待合室が今日はガラガラ。
そしていつもなら必ず誰かしら知った顔に出会うのに、今日に限って誰も見なかった。
また、予約時刻の30分以上前に受付を済ませたにもかかわらず
診察室に招じ入れられたのは、漸く12時も間近になってからであった。
今日は医師の数が少ないのだろうか。新潟へ応援にでも駆り出されているのかしら?

『骨はもうついていると思うよ』 X線写真を見ながら主治医が言った。
「本当ですか?」
『うん、足はちゃんと動くね?ちょっと見せてくれるかな。ほぉ〜優秀だねぇ』
ブーツを履いてあの坂を登ってこられるほどなのだから、歩行に問題のあろう筈はない。
『ただね、スクリューを抜いた時に当然穴が開きますから、その部分だけ一時的に
 弱くなるんだよね。だから抜釘は…骨が充分強くついた、術後1年くらい、ということで。
 手術の翌日から歩けるようになるから、今度は入院も4〜5日で済むよ。
 ただ抜糸が2週間後だからねぇ。おうちが遠いから、それまで入院してもらってもいいけど』
「うーん…。それは、またその時に考えます」
次回の診察日は再来月、12月15日と申し渡される。

手術後2週間、サツマイモ色にむくみまくった抜糸直後の足。筋状の内出血も。
腫れがひどいため、足首の曲げ伸ばしが全く不可能だった頃。病院のベッドにて。
    

現在、縫目を指で撫でると、スクリューの頭がぽこぽこ指先に感じられます。
ケロイド体質なのか、依然みみずのような傷跡が赤く残っています。自宅のこたつにて。
    

ここまではるばるやって来て、まっすぐ帰るのも何だか勿体無い気がしたので
手土産を買い、入院中紋次郎を預かってもらったお宅に寄ってそのまま一泊してしまった。
もん、ごめん。お母しゃんは明日帰るから、もう少し待っててねm(__)m



2004年10月27日(水) いのちのたいせつさ

昨夜はやばやと寝についたので、今朝は6時半にぽっかりと目が開いた。
うむ、久々に健全な目覚め。起きてベッドから足を下ろすと、もんが待ち構えていたように
柵に走り寄って「出してぇ!」と訴えてくる。そして室内疾走にしばしお付き合い。
それにしても冷える朝であった。こたつの温もりがしみじみと有難い。
そうだ、明日は月に一度の外来で、また湯河原に行かなきゃならないんだった!
寒くなったからなぁ、何着て行こう。新幹線、脱線したりしないだろな…(^_^;)

熱いココアを入れてぼんやり見ていたニュースによれば、日本人と思しき青年がまたもや
アルカイダと見られるイラクの武装集団の人質となり、殺されかけているという。
その時点では身元が分からない。しかし、助けてくれとボソボソ哀願する日本語は
あれは日本人のものだ。呆気にとられた。
あれほど退去勧告されながら、まだ日本の民間人がボサッと残っていたというのか?
あれほど世論を騒がせ、かつ憤慨させた半年前の人質事件を
まさかこいつは知らなかったとでもいうのか?

お昼前、昼食の支度をしようと米を研いでいたところ、またしても地震。
米粒を掴んだ手を水に浸したまま、固まる。くるか?くるか?緊迫の一瞬…。
テレビはすかさず、新潟の中継に移った。あちらではマグニチュード6弱で
4日前のあの瞬間と同程度の揺れであったらしく、女子供が抱き合い叫喚していた。

夕方のニュースでは、行方不明になっていた母子が土砂に埋もれた車の中から
レスキュー隊によって運び出される現場を映し出していた。
小さな男の子は生存が確認され奇跡的に助かったが、母親は既にこと切れていた。
車中にはまだ幼い女の子が取り残され、救出は困難をきわめる状況らしい。

新潟中越地震に比較して、イラクの人質事件は心なしか扱いが小さい印象を受ける。
それはそうだろう。同胞の心情としてもだ。地震の被災地への国をあげての支援よりも
遊び半分にイラク入りしたたった一人の不心得者の救出が優先に値するなどと
一体誰が思おうか。
よりによってこんな時に、こんな馬鹿げたことで、またぞろ国家の威信が試され
莫大な金がつぎ込まれようとしているとは。
表向き『全力で救出にあたりたい』としながらも、政府は舌打ちしていることだろう。
『自衛隊は撤退しない!』
憮然と断言した首相の表情には、苛立ちが滲み出ていた。
新潟視察を出し抜いた真紀子氏にはボロクソ言われるし、ご苦労さまである。

『すみませんでした』と小さく呟く人質青年。すみませんで済むなら自衛隊は要らない。



2004年10月24日(日) 瑞穂の国の悲劇

『新潟県中越地震』と命名された、昨夜の地震のニュースで各局もちきりである。
多くの人が病院に担ぎ込まれ、自家用車の中で夜を明かした人も多いという。
秋は深まり、しかも日本海側とくれば、深更は恐らく骨身に沁みる寒さ。
被災地付近の病院の医療従事者は、一度にドッと押し寄せた患者への対応に追われ
医師も看護婦も、それこそ寝ずの治療にあたっていることだろう。

病院のスタッフも県内在住であろうから、その家族も当然ながら被災しているに違いない。
しかしこのような状況下で、他の勤めならまだしも、医療に携わる以上
刻々増え続ける患者を放り出して我が家に駆けつけることは当然許されず
彼らは果して、家族の安否だけでも確認出来ているのだろうか。

家屋倒壊、土砂崩れ、道路陥没、新幹線脱線、そしてライフラインの寸断…
見るも無残に潰れた家々の映像に、人々の無念と恐怖は察して余りある。
ただ、神戸の時のような、火災による被害の拡大がなかったことが救いである。

この災害がもし、あの国で起きていたら。
もし日本が、発展途上の貧しい国だとして、また阪神地震のような過去の教訓がなく
あらゆる物資が欠乏し、救援システムが全く整備されていなかったとしたら…。
迅速な支援救助と復興がなされ、被災者たちがせめても
「日本国民で良かった」と思える、可能な限りの対応を政府に望む。



2004年10月23日(土) 天地鳴動

空模様は若干怪しかったが、散歩を兼ねて買い物に出かけた。
秋になってから紋次郎の食欲が凄まじく、買い置きのペレットや干草が底をつきそうに
なったので、某ドラッグストアで買い溜めする必要があった。これがまた重たいの何の。
今回は何とか降られずに済んだ。寄り道しながらの往復で、3キロは歩いただろうか。
日頃の運動不足がたたり、腕は痺れ、足は棒。セルライトに充ちた身体が重い…。
へとへとに疲れて自宅に帰り着いたのが、確か午後6時頃。

買い物袋を解き、こたつに足を入れるか入れないかの時、突然、部屋全体が揺れた。
「んっ!揺れてる?」
もんを見ると、何かを注視するように上方を見据え、かしこまっている。
アタシも身動きを止めて息を詰めた。
カタカタカタカタ…
目玉だけ動かし部屋の中を見渡すと、パソコン机、本棚、食器棚が、ヤバいくらい
ゆさゆさと揺す振られている。揺れは、これまで経験がないほど、実に長いこと続いた。
このまま揺れ方がひどくなり、この家具類が倒れてきたら、アタシに支えられるだろうか。
いや無理だ。こんな非力で、ましてこの足じゃ。
建物がいよいよミシミシ崩れ出したら、紋次郎の他に何を持って逃げようか。
恐ろしさに身体が強張り、固唾をのんで、揺れがおさまるのをじっと待った。

グラスに注がれたお茶が小刻みに震えなくなった頃、NHKを点ける。
その時はサッカー中継を放映していたが、すぐに画面がニューススタジオに切り替わった。
震源は新潟。そしてそれはなんと、マグニチュード6強の大規模地震であった。
それ以降、24時間以上にわたって地震の報道が続き、アタシも入浴時の中座のみで
深夜までニュースを見続けた。新潟では余震が相次ぎ、大変な混乱状態であるらしい。
何と気の毒な。洪水の被害甚大な新潟の夏が、まだ記憶に新しいというのに。

これでもかと、次から次にやってきた尋常でない数の台風で、今年は多くの人が死んだ。
そして、あと3ヶ月で、未曾有の被害を出した阪神淡路大震災から10年が経つ。
日本は今一度、あの試練を味あわなければならないのだろうか。



2004年10月20日(水) 紋次郎生誕1周年

今日は、お馴染み我が愛兎・紋次郎の、1歳のお誕生日です。

とは言っても、正確な誕生日は分からないため、我が家にやってきた
2003年11月21日時点で生後1ヶ月程度として、飼主の独断で
10月20日を生誕の日と定めることにしました。

こぉ〜んなちっちゃかったもんが…
   

   

今ではすっかり、こぉ〜んなですからね。1年とは早いものです。
   

   

よくぞここまで無事育ってくれました(下痢はたまにするけど)。
今後とも、もんの成長を共に見守ってやって下さいませm(__)m



2004年10月18日(月) イングリもんGERI

1歳のお誕生日を前に、うちの紋次郎がまたまたお腹を下してしまいました(T_T)
前回の下痢から立ち直って、まだ1ヶ月しか経っていないのに。

おおよちよち、かわいそうに。
   

たんとブラシかけてあげるからな。早くよくおなりよ。
   

もん、すんだわよ。「ん?もう?」
   

暴れるもんを押さえつけ、この間獣医さんでもらったお薬を、注射器で無理やり口に注入!
心を鬼にするめいこ(`ヘ´メ) 少々手荒だけれど、死んでしまったら元も子もない。

看病の甲斐あって、なんとか翌日には回復しました。気が気じゃありませんでした、全く。



2004年10月15日(金) 天高く我肥ゆる

本日は朝からよく晴れております(^^) いっそこの身も虫干ししたいくらいです(爆)
今月に入ってから毎日毎日雨ばかり。久々に何て気持ちの良い晴天!
もんが5時半に叩き起こしてくれたので、張り切って掃除洗濯にいそしみましたぞ♪
ああ、怪我をしていなければ、今頃オフィスでつまらぬ仕事に翻弄されていたものを。

玄関から見た景色。見事に雲ひとつありません。
   

別の方角も。すっきり晴れ渡っています。
   

この、何度も撮影しているお馴染みの“玄関から見た風景”ですが
実は、少しずつですが微妙〜に変化し、違う顔を見せているのです(@o@)

2002年1月29日『安かろう悪かろう』 2004年8月15日『終戦記念日トワイライト

その…特養ホーム(左手のピンクの建物)が建ったり、畑地に駐車場が出来たりと。
まぁ、ただのカントリーヴューには違いないのですがね。
何にせよ、とても23区内とは思えない長閑かさと言えましょう(自慢)。



2004年10月14日(木) 秋曇り、白昼夢

間断なく咳が続き、もうどうにでもなれという気持ちで、薬を規定量以上飲み込む。
クリアナール、レスプレン、テオドール、シングレア、キュバール、etc..etc..
副作用より、激しく咳き込むあまり肺が破れたり肋骨が折れたり、その方が遥かに恐ろしい。
ただ、少し効いてきたかな、というところでやおら煙草を喫うアタシって…(汗)

呼吸が楽になると同時に眠気が襲い、ベッドに這い込んで惰眠を貪る。
そして、いつものことだが、とても妙な、取り留めのない夢を見るのである。

学校に通う夢だ。大学のように長机が何列も並び、生徒らが静粛に席に着いている。
遅れて教室に入ったアタシは、仕方なく一番前の、黒板の真正面に座を占める。
内容はよく覚えていないのだが、その夢には
遠い昔、卒業式で別れたきりのクラスメイトたちが次々に登場するのである。
皆、それぞれの顔も、いや名前すら忘れかけていたような、故郷の古い友だち。
恐らくは、今後二度と出会うことがないであろう人たちばかりだ。
夢の中でアタシは一体、何年生なのだろう。これは中学なのか、高校なのか。
「アタシは現在成人しており、従ってこれは夢だ」と、何故か一度も自覚したことがない。
しばらくして目覚めてからも、ぼーっと狐につままれたような心持ちである。
こんなにいい年になったというのに、十代の学生でいる夢を見たことは数知れない。

ふと、今日は何かの日だったろうかと思う。
何のことはない、3年前にこの日記を書き始めた日だ(思い切り不定期で)。

目が開くとまた喘息の発作が始まった。ベッドの上で身体が跳ね、海老のように曲がる。
はあ、胸が詰まる。く、苦しい、くすりくすり…。
人間は死の直前、それまでの人生のハイライトシーンの幻影が
あたかも走馬灯のように眼前を駆け巡るという。

あれはただの白日夢だ、決して走馬灯なんかじゃない。
…と思いたい。ゲホゲホッ(;´д`)



2004年10月12日(火) ドメスティックヴァイオレンス・ショー

この頃、深夜帯に限り4チャンネルが映らない。
他は全局、夜中も通常どおりクリアに放映されているのに、日テレだけが砂嵐。
うちだけなの?それとも、何か不祥事があって自粛でもしてるの?(-_-;)
NHKに次いでよく見るチャンネルなのに。

8チャンネルに変えると、リングの上で殴り合う白人男女の姿が目に跳び込んできた。
アメリカ辺りの、とあるショーを紹介していたようなのだが
60歳くらいのマッチョマンとプラチナブロンドの玄人っぽい女性がタッグを組み
対するは、いかにも素人な二人の女性で、こちらは母子らしい。
驚いたことに、母娘が、実の夫(父親)と愛人を相手に死闘を繰り広げているのであった。

妻が愛人に掴みかかり場外乱闘の最中、夫(父親)は愛人を庇い妻の髪を掴んで
リング上に引きずり上げて投げ倒し、娘の首を太い腕で手加減なく締め上げている。
娘もパイプを振りかざし急所を蹴り上げたりしてみるが、老人とは言え筋肉隆々の男を
組み伏せられる筈もなく、息を詰まらせぶちのめされて、あえなくマットに沈む。
夫(父親)と愛人は、勝ち誇りながらのびた母子を見下ろしてネットリ接吻を交わしていた。
クラブDJ風の日本人が「これ本当の家族なんですよ」とVTRを解説。

リングを取り巻く観衆は熱狂している。これは一体…。一応ヤラセなんだろうか?
シビアな客が、八百長を承知でここまで沸くというのも考えにくいが。
女同士の闘いなら面白いだろうが、屈強な男が女を滅茶苦茶にいたぶる見世物とは
いかがなものだろう。まして相手は“妻と実の娘”という設定。
娯楽ショーだからと割り切って観戦するには、あまりにきつ過ぎるブラックジョークである。

見ていて胸が悪くなったので、テレビを消した。

アタシの祖母は、普段は優しい人なのにプロレスが大好きで、生前は子守の傍ら
よくTV中継で興奮していたものである。幼いアタシもそばで一緒に見ていたが
ある時、額に噛みつかれて血を流す男が、自分の父親に見えて仕方がなくて
『あれはお父さんじゃないのよ』といくら言われても、聞かずにおいおい泣いていた。
そこへ当の父がひょっこり帰ってきて
『ワシがあんなのに出る訳ないだろう』と、その時は大笑いされたが。

件の家族バトルは好評で、相当な興行収入(?)をあげているらしいのだけれど
外国人の発想って、時々理解を超えていると感じることがある。
身内に手をかけるような悪趣味なショーが、間違っても我が国で流行ったりしませんように。



2004年10月11日(月) 正しい台風一過とは

今回は関東直撃を期待された台風だが、昼寝(〜夕寝)をしている間に通過してしまった。
そして普通、台風一過とは、突き抜けるように晴れた蒼天と相場は決まっているだろう。
ところが、ちっとも晴れないじゃないか。台風が行ってから既に2日が経過したが
どんより曇ったまま雨が降ったりグズつくばかりで、太陽が殆ど顔を出さない。勝手が違う。

独り雨の音に耳を傾け読書に耽るのは、アタシ的には正しい休日の過ごし方の
一つではあるのだが、連日こうだとまたやり切れない。
第一、お洗濯や布団干しの都合があるからなぁ。



2004年10月08日(金) 花粉症も治ります!?

昨日出かける予定であったが、部屋でウダウダしてる間に日が暮れてしまったので
今日、またしても台風迫る大雨の中、外に出なければならない羽目になった。
郵便局に用があるので、土曜日の明日では遅いのである。うーむ…(-_-;)
そんな訳で傘をさして、自宅から20分はかかる駅前までとぼとぼ歩く。

小為替を現金化するのと、浜省ファンクラブの年会費払込みとを済ませたあと
まあせっかくここまで来たことだしと、西友LIVINやダイエーを見てまわる。
いずれもリーグ優勝を賭けて、球団歌をこれでもかと館内に流している。
若鷹軍団はまだいいが、耳について離れないライオンズのすっぽんソングには閉口。
松崎しげるの歌唱力は評価するけど…(やっぱり『愛のメモリー』のがいいな)。

雨足が一向に衰えないためそろそろ帰りかけた時、ファイテンのショップの前で足を止めた。
これ、女の人がウェイトリフティングしてるCMのだな、洗濯物満載の物干し竿で。
足を折って入院中、同室のバスケ娘が首にかけていて、ファイテンとは何ぞやと問うと
事細かに教示してくれたやつだ。何でも、肩こりが治って身体が軽くなるのだそうで。

中には、色とりどりのチョーカー様の紐が、ずらり所狭しと陳列されてある。
興味本位に店内に入ると、若い男性店員が即座に近寄ってきて勝手に説明を始めた。
実験と称し、指に特製リングや紐を絡めて重い紙袋を持ち上げさせられたり
純金を溶かしたという水を飲んで立位体前屈をやらされたりと、何だかせわしない。
高濃度の純金溶解水を飲み続ければ花粉症も治ると、若い女性店員は断言する。
「あれ?金って水に溶けるんだっけ?」
するとここぞとばかり 『はい!ウチが初めて水に溶かすことに成功したんです!』
ああそうですか。
アタシは腕力がない上、生来身体も固いので、正直なところ違いはさほど感じなかった。

ここは、店員数名が代わる代わる人を取り巻いて、大仰にプレゼンしに来るのがど〜も
胡散臭く、そういう攻略マニュアルでもあるのだろうが、洗脳攻勢ぽくて薄気味悪いのね。
容易く暗示にかかりたくないので、納得してはいないという怪訝な顔を一応して見せたが
バスケ娘が『よく効く』と言っていたし、ものは試しと首に巻くタイプのものを1本購入。
商品バリエーションはどれも値が張り、また格別欲しいものでもなかったのだけれど
チタン粒子を練り込んだハイテク紐で本当に体調が良くなるものか、体験してみたくもあった。

言っとくけど、アタシにプラシボ効果は通用しないぞ〜o(`θ´)o



2004年10月06日(水) どうせなら 1/f 揺らぎの方が

何日ぶりかに晴れたので、朝からシーツやカバーなど、溜まった洗濯物を思い切り干す。
昨日までの肌寒さも和らぎ、空気がひやりと心地よく澄んで実に爽やか。
という訳で、今日は洗濯と掃除に励んだ。(何故か炊事だけはさり気なく省く)

会社勤めに追われた日々は、休みの日はグッタリ疲れて起きられず、こんな風に
居住空間を整頓するゆとりもなく、人が訪ねて来る日以外、部屋はちらかり放題であった。
ものがあるべき場所に収まり、清潔に整えられている状態とは、そこに住む者の精神も
安寧に保ち、逆に、忙し過ぎる生活は人間を駄目にするものなのだ。

このストレスの堆積のない毎日がずっと続けばどんなにかいいのにと思うが…。
ただ一つの弊害は、ストレスが減ればその分確実に太るということ。
それは、長い入院生活で証明された。身をもって。

こうして一日穏やかに過ごしていたが、24時近い夜中に地震があった。
今のは?と思う間にもかなり大きな横揺れが延々と続き、水をごくごく飲んでいたもんも
ハッとこちらに向き直り息を詰めている様子。傾けて置いたワインボトルが
本棚でグラグラと揺らぎ、戸棚の中のカップがカチャカチャ鳴る。微かな胸騒ぎ。
今、この本棚と戸棚がアタシの上にまっすぐ落ちてきたら…!(゚_゚;)
しばらくして揺れが止まったのでテレビを点けた。『テレビ局の震度計は震度3を…』
とのテロップが。嘘だ、あの揺れ方は3どころじゃないぞ。4はあった筈だ。
ニュースをやっているチャンネルを探すと、各地の震度が関東地方を中心に広い範囲で
表示されてあり、思ったとおり、23区はほぼ4となっている。

今度は地震か。またぞろ新しい台風も近づいていると言うし、今年は一体どうなってんだ。
阪神淡路大震災の時のように、そろそろ被災グッズを常備しておく必要がありそうな。
アタシの平穏な日々は、ことによれば天変地異によって破られるのか。



2004年10月05日(火) 雨が降ります雨が降る

今朝早く(6時頃)、寝入りばなを、紋次郎の暴れる音に叩き起こされた(-_ゞ

ケージの隅に、三角コーナーのようなトレー式トイレを置いてあるのだが
もんは、トレーに被せてある簀をくわえて放り投げ、ペーパーサンドの下に敷いてある
トイレットペーパーを引きずり出して、もぐもぐ食べていた。
「こらっ!」怒鳴ると一瞬ピタリと静止するが、それ以上おしおきがないと分かると
平気で続きをもぐもぐやりだす。いかん、こうして飼主がナメられるようになっては…。

     

「この不良うさぎ!やめっつーのが分からんのか、この!」
頭をピタンとはたくと『ブッ』と鳴く。「ブじゃない!」ぺしっぺしっ☆
経験上分かったのは、もんがトイレの簀を引っくり返すのは何かを訴えたい時である。
例えばチモシーを食い尽くして追加が欲しいとか、外に出て走り回りたいとか。
今回は、しばかれてブーブー鳴きながらも、ケージ内を落ち着かず行ったり来たりハタハタ
跳び回っているので後者であろう。もんは、運動不足で身体がナマるのをとても嫌う。
目が覚めると同時に咳の発作が出たので「もん、ちょっと待ってくれ…」と声をかけたが
通じる相手じゃない。ゲホゲホ咳き込みながら薬を麦茶で流し込み、ケージの扉を開ける。

なんでこんな薄暗いうちから走りたがるんだよう。留め金を外してやると待ちきれずに
頭突きで扉をドンと開け、もんは人間さまを押しのけるように嬉々として滑り出た。
出してやるのはいいが、こいつを外に放している間は片時も目が離せない。
この前はパソコンのコードを齧られ、アダプターごと取り替える羽目に(被害額1万円相当)。
その上、本は齧るしティッシュをくわえて逃走するし、放っておくと形あるものが全滅する。
今朝は、テーブルの下をもの凄い速さでビュンビュン駆け回り、箱ものに近づくので
(奴はカドを齧るのが好き)方向転換させにお尻を叩くと、またロケットのように走り出す。
30分ほど付き合ったが、薬が効いて瞼が重くなり、たまらず巣にお引取り願いアタシも寝た。

今日は一日中、本当に朝から晩まで、ひたすら雨がしとしと降り続いていた。
洗濯物がたまって困る。部屋が湿気るので部屋干しはいやだし、窓も開けられない。
夜行性のもんは、昼間はぼんやり目を開けて眠っているので、割合静かだ。
いっそ昼間は起こしておき、明け方寝てもらおうかと思うが、そうも行かないだろうな。
することがないので、ベッドで本を読んでいるうちに、いつの間にかまた寝入ってしまった。

秋晴れが続いたら、もんを知人に預けて、足慣らしにどこか旅行に出かけよう。



2004年10月04日(月) 雨の日のお出かけ

宵から朝にかけ冷たい雨が降りしきる中、所用で池袋に出かけた。
全くなんでアタシが出かけると決めた日は、いっつもこういう天気なんだか(-"-;)
部屋に潜んでいる分にはいいが、雨の日の外出は何かにつけ煩わしいことだらけだ。
丹精こめて真直ぐセットした髪が、雨粒を孕んでチリチリに膨張する。
靴が傷む。ハネがあがる。バッグが濡れる。傘の雫で左肩がずぶ濡れになる。
傘を持つせいで片手がふさがり、荷物が嵩張る。
また、最寄駅までゆうに一駅分の距離があるので、雨が降ると通勤が殊に難儀になる。

池袋は、いつもながら駅も街もゴチャゴチャして、こんな天気でも人が溢れていた。
もうかなりスタスタ歩けるようになり、杖なしで雑踏を縫うのも割とへっちゃら。
定期が満期になったので継続手続きをするために、西口の某信託銀行に向かったのだが
街頭で、就職情報誌(おまけ付き)やらサラ金ティッシュやら、何やかや配られて
辿り着くまでに小ぶりのトートバッグがたちまちはちきれんばかりになった。誤算だ(-_-;)
銀行でも、継続の特典としてピーターラビットの小物類を色々もらい(これは嬉しい)
傘をさしたらもう両手がいっぱい。しかもこれから本屋に寄らなければならない。

自宅の近所の書店はマンガ本は充実しているのだが、新潮や岩波の類は店晒しばかりで
ついでがあれば、池袋の芳林堂で目当ての文庫本を買い込んでこようと思っていた。
ところが… なっ、ない!
しばらく来ない間に、品揃え豊富なあの本屋さんが、忽然と姿を消していた(ToT)
代わりに、アメリカから上陸した有名な禁煙喫茶がデカイ顔で店を構えている。
なによう〜。この土砂降りの中、わざわざバスと電車を乗り継いでやって来たのに。
がっくりきて踵を返し、側にあったファーストキッチンに入って煙草を点けた。

人の入れ替わりが激しいせいか、様変わりするのも早いなぁと、つくづく都会ってものを思う。
ぼやぼやしてたら、後ろからどんどん踏み潰されそうな気がするもの。
ちょっと珍しい叢書なんかも置いてあって、密かに御用達と恃んでいたのに、芳林堂。
何処かに移転したのかも知れないけれど、断りもなくいきなり無くなっちゃってさ…。
そう言えば、西口外れの地下にあったいい感じの居酒屋も、去年訪れた時は既に無かった。
当初は東武で洋服を買って行く予定だったが、荷物が増えたのでくたびれて
そのまま帰って来てしまった。風邪気味でまだ頭も痛いし。
入院で太っちゃって、この秋着られる服がなくなったから、実は弱っている。

アタシが家に入ってしばらくすると、あんなに降っていた雨がピタリとやんだ……。
この夏は、怪我で引っ込んでることが多かったから雨が少なかったのかなぁ。



2004年10月03日(日) 風邪を感じて

朝からずっと雨がバシャバシャ土砂降りで、冷える一日であった。
夏の間同様、短パンにTシャツで座っていると、肩と膝小僧が冷たくなってくる。

鼻がグズグズ。鼻炎か?
鼻腔の奥がチクチクして、クシャミ鼻水が止まらない。
換毛期だからとまめにブラッシングしていて、もんの毛が舞うせいだろうか。
もんは珍しく温順しくかしこまっているが、入れてやるチモシー(牧草)を瞬く間に平らげ
くりくりした瞳でこちらをじっと見ている。既に食べきって、更に追加が欲しいのだ。
どういう食欲だおまえは。もうとっくに肥満うさぎのフォルムだぞ。

   

立て続けに喫うタバコがまずい。煙を吐く度に軽い吐気。瞼が重い。歩くと目が回る。
あ、頭の奥もじーんと鈍く痛むな…(-_-;)

お風呂で温まっても、相変わらず鼻がむずむずするので
花粉飛散季の必需品・鼻炎用の噴霧器を鼻の穴に突っ込み、シュパシュパ。
何とも、人さまには見せられない間抜けな図である。へっくしょん!

どう〜〜も調子悪いのは、風邪でも引いたんだな。
今夜はパブロンのんで、早めに休みます。



2004年10月02日(土) 千里眼の男

子供の頃読んだ日本の昔話に『天狗の隠れ蓑』というのがあった。
(彦一とんち話だったかな?自信がない…多分違うだろう)
遠い記憶でディテールは定かでないが、大体以下のような筋である。

昔あるところに、一人の悪知恵のよくはたらく若者がいた。
若者は、身に着ければたちどころに姿が見えなくなるという“天狗の隠れ蓑”を
是非手に入れたいと策を練り、一本の火吹き竹を携えて山に入った。
そこで、高い木の枝に跨り、それを遠眼鏡のようにあちこち向けて覗きながら
「やあ、見える見える。花のお江戸に京の都!この千里眼で何でも見えるぞ!」
とか何とか、辺りに聞こえるよう大声で叫んだ。
それを聞きつけた天狗が、貸してくれと声をかけたが、若者はわざと応じない。
遂に焦らされた天狗は、宝物である隠れ蓑と交換にその“千里眼”を奪い、早速覗いて見た。
ところが、もとよりただの竹筒で京の都が見晴るかせる筈もない。
騙されたと知った天狗は悔しがったが、隠れ蓑を着てすたこら逃げ出した若者の姿は
既にどこにも見えず、追いかける術がなかった。
まんまと隠れ蓑をせしめた若者は、姿が見えないのをいいことに、方々で
悪さのし放題であったが、結局正体がバレて村人に懲らしめられるというオチである。
科学至上主義の現代における最高精度の遠眼鏡は、ハッブル宇宙望遠鏡だろうか?

FBI超能力捜査官のジョー(ジョセフ)・マクモニーグル氏は、地球の裏側をも見とおす
千里眼を持つ驚異の男として、日本で紹介され評判になった人物である。
以前から、エリート超能力捜査官が数名出演し、迷宮入りとなった怪事件を
次々解決してゆくシリーズ番組を、毎回わくわくしながら見守っていたのだが
中でもマクモニーグルには、際立って超人的な印象を受けたものであった。
氏が他の超能力者の追随を許さないのは、イメージを描写する際の卓越した画力だ。
衛星写真さながらの地形の俯瞰図や、遠近法を駆使して描いた建造物や風景など
サインペンでさらさらと一気に描いて見せる。ひとくちに透視と言っても
解釈を他者に委ねるアバウトさはなく、彼が提示するのは飽くまで
取材レポートのように詳細で緻密なイメージである。う〜ん。これが何とも不思議。
かつてケネディ大統領を暗殺した犯人は、公にはオズワルドであるとされているが
マクモニーグルは否定した。これも、この人が言うんだからそうなんだろうと思ってしまう。
また、やはり真犯人が挙がらず時効が成立して久しい、かの三億円事件の
実行犯が現在悠々と暮らしている場所は、なんと九州の福岡なのだそうだ。
今更見つかったところで不起訴処分とは言え、あの瞬間、もしかしたら
犯人は福岡のどこかで肝を冷やしていただろうか…。

        

堂々とした押し出し、もの静かで落ち着き払った風情、鋭く見据える眼光。
今やすっかりマクモニーグル贔屓のあたくし♪

途中、観客相手の余興で、透視能力テストなるものを実施したので、アタシも酔狂に
紙とペンを用意して実際に挑戦してみたのだが、ターゲットに結構近いイメージを
描き当てることができてとても興奮した!(*゚∀゚*) わっ!うそっ♪

それと気づかず超能力が眠っていたのかしら?ロト6買ってみようかなぁ。



2004年10月01日(金) 迷惑メール対策を強化せよ

またしても、携帯電話にどこの誰とも分からぬ相手からメールが届く。

畜生!先日あれほどドメイン単位でブロック処理したってのに、まだ来るか。
内容は相も変わらず、出会い系サイトからの汚らしい未承諾広告のようなもの。
ご丁寧に『メール不要の方はこちらから』と、配信停止処理用のリンクも貼ってあるが
こんなところにうっかりアクセスして、現存するアドレスの痕跡など残したらコトである。

アタシが使っている携帯は、業界首位争いから転落し低迷中のvodafone。
同社の契約者同士なら電話番号だけで届くという種類のメールであれば
当てずっぽうに番号を組み合わせて、たまたま送れてしまうこともあるのだろうが
インターネットなどから送られてくると、アカウントが一体どこで漏れたのかと気味が悪い。

今回は "××××@docomo.ne.jp~ " か。「~」って何だ。一応ドコモなのか?これは。
送信元が同じvodafoneであれば、迷惑メール申告窓口に即刻通報してやるところだが
他社ドメインからだと、ブロック機能を使ってドメインごとシャットアウトするしかない。
そもそも窓口に申告しても、契約解除という厳しい措置を、伸び悩むvodafone社が
本当に容赦なく講じているのかどうか、悪いけどアタシは疑っているのだ。

docomoは友人に利用者が多いため、ドメインブロックする訳には行かない。
指定アドレスの受信許可とドメインの受信拒否を併用出来れば一番良いのだが
docomoから来た迷惑メールは、こちらの契約が他社であろうと、当のdocomoに
文句言っちゃダメなんだろうか。

激しく憤りながらdocomoのサイトで調べてみると… なんだ〜あるじゃないの。
迷惑メール相談センターとか経産省への情報提供ページ とか、そーゆーのが。
docomoでは載っけてるのに、vodafoneはどうしてこういうのを紹介してないんだろう。
(元電電公社であるNTTのバックボーンにお役所の係わりが深い分、手回しがいいとか?)
大体、携帯本体の“迷惑リスト”も、登録件数が20件じゃ到底間に合わんだろうが!(-"-;)
ついでに言うと、若いやつらがテレビ放送を携帯で見て店先で騒ぐというvodafoneのCMが
どうも気に食わない。これでどの面下げて『マナーも携帯しよう』なんて言えるのか。

不思議と、auからの迷惑メールはまだ一度も届いたことがないんだなぁ。
うーん… 今vodafoneの契約を解除すると違約金を取られるのだが…
案外、ゴネ得ってことはないだろうか。真面目に思案中である。


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