みちる草紙

2004年04月17日(土) こうして足を折りました

午後6時に予約をしてあった近所の歯科クリニックへ、しぶしぶ自転車で向かう。
出来れば仕事が休みの日は、外へ出ず日がな部屋で横になっていたい。
けれど、二日前にオヤシラズの大抜去手術を済ませたばかりで、頬の腫れ方は人相が変わるほどのもの凄まじさ!
例え気休めにせよ消毒でも何でも、取りあえず医者に見せておかなくてはという思いに、不精なアタシも背中を押されたようなものだった。

これまで練馬春日町駅へ向かうには、歩道もなく信号だらけの蛇行した細い通りを、車をよけながら不便をしのんで通っていたのだが、最近、別の大きな道路が完成したので、今回そちらを使った。駅まで一直線で道幅も広く安全快適である。今後は専らこちらを利用することになるだろう。目指す歯医者は駅のはす向かいにある。

ぽっかり穴が開き、シコるほど周辺が腫れ上がった歯茎に消毒液をチョンチョン塗るだけで、診療はあっという間に終わった。念のために、痛み止めの薬は多めにもらっておいた。
さて帰りましょうと自転車にまたがり、もと来た道を戻りかけたが
「そうだ、もんにいちごを買って行ってやろう」
とふと思い立ち、自宅とは反対方向に、駅上のスーパーへ向かった。
春日町駅前は、そこから道路が何本も放射状にのび、車と自転車と歩行者が入り乱れて非常に混雑するところでもある。
駅ビルに隣接して立体駐車場があり、そこを歩道がぐるり取り巻いている。車道を横切り、右側の歩道に乗ろうとしたが、すれ違う対抗車をやり過ごしているうちに乗りやすいポイントを過ぎてしまい、仕方なく段差が少し高めのところでエイ!とタイヤを乗り上げるしかなかった。

それはもう、一瞬の出来事であった。
案の定というか、そもそも歩道と平行に走りながらヒョイと斜めに上がろうとしたのが失敗で、ハンドルを取られて自転車は見事に歩道側に引っくり返った。右足首を車体と歩道の縁石の間にガチンと挟んだのが分かった。
いやというほど身体を路面に叩きつけられながら
「トホホ・・歯抜いて痛い思いした直後になんでまたこうなるの」
「ああまた二年前と同じとこ捻っちゃったなぁ」
確か、咄嗟にこんな思いが過ぎったのを覚えている…。

ところが、起き上がろうといくらもがいても、自転車の下敷きになった右足を引き抜くことが出来ない。膝から下が萎えたかのようにどうやっても動かず、腕を使って懸命に這い出ようとしながら、傍を車が次々走り過ぎて行く車道に泣きたい気持ちでぺったり倒れていた。
『大丈夫ですか?起きられますか?』
現場がちょうど立体駐車場の出入口前だったため、警備員が駆け寄って来て、倒れた自転車を立て、駐車場の壁に寄せてくれた。
「あ、足が… うぐぐ(;´д`)」 立てない!何故か足に全く力が入らない。
『いいですか?じゃあ両側から支えますから…』
警備員さんが二人、両脇に肩を入れて助け起こしてくれたが、依然右足はブルブルヘナヘナ。左足一本に体重をかけてバランスをとるしかなく、歩道の隅に置いてくれたパイプ椅子にヨロヨロ倒れこむように腰掛けた。

一人の警備員が『救急車呼びましょうか?』と訊ねる。
自力で帰宅するのは無理だと思い、他にどうしようもなく頷いた。
もう一人がアタシの足を見て、にべもなく言った。
『これは折れてますね』

ウウ…まぢかよ……(-_-;)

こうもきっぱり断言するってことは、この人これまでに何度も骨折を見てるんだわ。
ならばきっとその通り、本当に折れているんだろう…。あーあ。
一方では、どうかただの捻挫であってくれと祈る気持ちでいながら、また一方で、生まれて初めての骨折を苦く確信するに至る。
実際、踝の辺りは腫れたというよりくの字にひん曲がったように見え、折れた骨が大きく突き出たかのようであった。足首全体が通常の二倍ほどの太さになっており、不気味な青緑色に染まっていた。
あの時の痛みがどの程度のものであったのか、何故か殆ど記憶にない。
ただ、萎えて痺れて膝下がガクガクしていたことだけ覚えている。

救急車はなかなかやって来なかった。
『遅いねぇ。聞いたら、土曜日でみんな出払っちゃってるみたいなんだよ』
それは折りしも夕飯時。日が沈んで薄暗くなりかけ、駅前は車と、買い物客や電車から降りてきた人々で次第にごった返してきていた。
20分ほど待っただろうか、けたたましいサイレンの音が近づいてきて、アタシが腰掛けているところから少し離れた場所に救急車が止まった。
野次馬らが好奇の目で見守る中を、大仰にストレッチャーに縛り付けられて車内に運び込まれる。すみませんねぇ、生憎血みどろの見ものじゃなくって。

会社の名刺と、「後日知人が引き取りに来るから」と、已む無くその場に置きっぱなしになる自転車のキーとを、駐車場の警備員に預けた。
救急車の車内で横たわったまま血圧を測られ、隊員の質問に答えて住所、氏名、年齢等を告げた。
別に出血があった訳ではないので意識は始終はっきりしていたが、右足はストレッチャーから落としてブランと垂れ下げておいた。両足を揃え踵でまっすぐに支えておくと痛いので。いずれにしても、車の揺れや振動で足が振れるとやっぱり痛むのだが。
『今日は土曜日だから受け入れ先がねぇ… ××病院とM病院、どっちがいい?』
「どちらもかかったことがないので、よく分かりません」
『じゃあM病院にしようか。貫井だし、通院するにも近い方が楽でしょう』
「…それはお任せします」

あとで思えば、この選択が大間違いの元だったのだが、その時は貫井のM病院が大ヤブぼったくりのインチキ糞病院だなどとは知る由もない。
車中では、あれやこれやの事柄を絶望の淵でツラツラ考え続けた。
会社での月曜日からのこと、部屋で留守番しているもんのこと。
そして何より「もんのためにいちごを買おうなんて気を起こさず、あの広い道を真っすぐ帰って来りゃ良かった…」
などと先に立たぬことを激しく悔やみつつ、折れた足をぶら下げて、ヤブ病院へ従容と搬送されて行ったのである。

横になったまま自分の乗った救急車の唸る音を聞き、内部をしげしげ見回しながら揺られ揺られていたら、不意にサイレンが止み、停車した。到着したようである。
ドアが開き、ストレッチャーの滑車をゴロゴロ転がして、M病院の中に運ばれてゆく。
視界の両側を過ぎて行く壁を見ていると、随分と古びた建物であるのが分かる。心細さと一抹の不安。
診察室らしき部屋に通されると、救急車のストレッチャーに乗ったまま、看護婦に血圧や体温を測られ、心電図を取るために上衣を脱がされた。
色が黒くギトギト脂太りした医師が、大きな声でにこにこ陽気に、ずっと離れた場所から問診してくる。疑念が湧き起こる。
無闇に愛想がいいけど、何科の医者だろう?骨折とかも一応分かるのかな。
『今何か飲んでいる薬はある?…へぇ喘息ねぇ、随分色々飲んでるんだねぇ。でもどれも喘息のと言うより、アレルギーの薬だねぇ…。ああ、歯医者さんの薬があるのか、じゃあ痛み止めは出さないでおこう。同じなんですよ』 沢山もらっておいて良かった。
次に、レントゲン室でようやく病院の台の上に移されたが、胸部、腹部のレントゲン、そして1枚毎にやたらと待たされながら患部のCTを何枚も撮られた。手際が悪いな、ここの技師は。

撮影を終え、診察室に戻されると、看護婦が患部に湿布を貼り、足の大きさに合わせ調整出来る針金入りのスポンジ板をあてがって包帯を巻いた。
スキーで骨折した人の足みたいに、アタシの右足はたいそう大袈裟な造りになった。
『すっごい腫れてますね!』
看護婦やヘルパーの人たちは皆、アタシの足より、抜歯でおたふく風邪のようにまんまるく膨れた顔の方に驚いていたらしい。

あがってきたレントゲン写真を見て、アブラ医師はことも無げに言った。
『骨折してますね』

「本当に!? 本当に折れてるんですか?( ̄ロ ̄;)」
『本当に折れてますよ。ひびが入った程度ですけどね。
 じゃあ入院しますか。まぁ取り合えず2週間経過を見て、手術するかどうか…』
ああ、困った!今仕事がたまりにたまって、まして月曜日は休めないというのに。
それでもともかく、骨折と聞いて他にどうしようもないものと思い、入院に同意した。
看護婦が『今、大部屋が全部塞がってて個室しか空いてないんですけど、1万5千円のお部屋と3万円のお部屋、どちらがいいですか?』と訊いてくる。
「それ、1日の金額ですか?」
『そうです』
「…そんなにするものなの。じゃあ仕方ないから、1万5千円の部屋で」

果して、通された“特別室”はと言うと…。
すりガラスの入った鉄板のようなドア。窓に黄ばんだカーテンがかかり、天井板はひびでも入っているのかガムテープが貼られている。
入口のすぐ側に錆びたいびつなロッカー。古めかしい茶色の革張りの小さなソファーが一組。年季の入った小型のテレビ。製氷室に霜がつく式の小型の冷蔵庫(内部の棚は割れている)。冷蔵庫の上に卓上スタンドが横倒しに置かれて点いていたが、あれは間接照明のつもりだろうか。
ベッドの枠組みには埃がどっさりたまり、ナースコールのボタンなど手垢まみれである。
こんなオンボロ部屋なのに随分いい値段取るなぁ。1泊でも3万か…(-_-;)
狭く薄汚い部屋に取り残され、降り立つことも出来ずベッドに腰掛けて呆然としていると、診察室で見たのとはまた別の、ひときわ表情の暗い看護婦がのっそりと入って来た。
『もう夕食の時間は終わったから、コンビニででも何か買ってきてもらって』
ニコリともせず億劫げにそれだけ言い残すと、部屋を出て行った。

じょ、冗談じゃない!こんなところに2週間も居られるものか!(`◇´)


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