みちる草紙

2002年10月31日(木) ドクター・スキンヘッド

朝、目を覚ましたら7時40分だった。つまり、どんなに急いだところで大遅刻である。
う〜ん困ったなぁ。でももう慌てても始まらない。ノーメーク出社ってのはイヤなものだ。
5分や10分の遅刻でオズオズ言い訳するより、大儀名分掲げて堂々と午後から行ってやる。
そう、こんな時には仮病仮病!Ψ(`◇´)Ψ 

気分がすぐれないんですぅ…と作り声で、毎日7時出社が日課のTに電話をすると
『無理して来てくれるのは有難いんですけど、先ず病院に行って下さい』
そこで、素直に従うことにした。おくすりの袋をたっぷり持って行って見せびらかせば
一応それらしく見えるだろう。いや、実際、立派に風邪を引いているのだから
病院で診察を受けたって差し支えはあるまい。もう半月以上引きずっていることだし。

どこも同じだろうと近所のクリニックに行った。ちんまりとコギレイな、新築の建物である。
入って見ると、待合室のソファーは、一体どこらへんに病気が巣食うのかと訝るほど
矍鑠たるおばあちゃんたちでいっぱいで、それは大賑わいであった。小さい子供の姿はない。
保険証を受付に預け、問診表に症状を書き入れて、どっこらせと腰掛ける。
壁にはめ込んだテレビでは、NHKが日本舞踊か何かの番組をやっていた。
杖を脇に立てかけた一人のおばあさんが、受付の女性を相手に大声で喋っている。

ば 『あたしゃね、昔は踊りやってたのよ。でも今はこの足でしょ。もうだめさ』
受 「そうかー。踊りは中腰とかなるから辛いよねー」
ば 『そうそう。中腰はね、もう膝が痛くて全然ダメ、中腰は』
受 「××さん、着物とか自分で着れるの?」
ば 『はぁぁ?何?』
受 「き、も、の、と、か、自分で、き、ら、れ、る、の〜〜〜?」
ば 『いんや着れない』
受 「実はうちの娘は、今バレエを習ってるんだよね』
ば 『・・・・・・・・・・・・』沈黙
受 「・・・・・・・・・・・・」同じく黙り込む

おばあさんが意図的に無視したのか、耳が遠くて聞こえなかったのかは分からないが
なあなあ語で相手をしていた受付の中年女性は、気まずく咳払いをして仕事に戻った。

アタシは病院関係者たちが、老人に対して丁寧語を使わないことが、どうも気に食わない。
うんと年上の、それも患者(お客)に対し、いきなり“だよねぇ”もないだろう。
どんな大病院の看護婦も、大人の患者に対して“○○さん、何々しようね〜”とか
平気で言うが、せめて“何々しましょうね”くらいの言い方が出来ないものかね。
彼らにしてみれば「親しみをこめて」「患者の目線に下りて」そうしているつもりなのかも
知れないが、あんたら医療技術を盾に病人をコバカにしてないか?と言いたくなる。

尤も、彼らはまかり間違っても患者に「有難うございます」と言ってはならないのだそうで
それは建前として、病気になってくれて有難うでは具合が悪いということか、はたまた
患者は「客」ではなく、尊い医術で以って病気や怪我を「治してやっている」から
礼を言われる筋は自分たちの方だという、肥大した自意識の所為なのだろうか。
…そんなことが気になるのは、アタシくらいかしらね(-_-;)

順番が回ってきて、診察室に入ると、つるっぱげのドクターがニコニコ座っている。
毎朝玄関前の歩道を几帳面に掃いており、アタシがチャリで蹴散らしているオジサンだわ。

禿 『どうなさいました〜?』何やらカマくさい猫なで声。
め 「風邪を引いて咳が止まらないんです。耳が塞がったように聞こえにくいし
   ノドも痛くて朝から鼻かんでばかりです。それと、ちょうどひと月前に転んで
   捻挫した足首が、未だに痛んで正座がちゃんと出来ないくらいなんです」

立て板に水のごとく、ここぞと症状をまくし立てた。
パゲ先生は、聞き取ったことをフムフムとカルテに次々書きとめてゆく。
それをじっと見つめながら、内科で怪我を診てくれと言うのは、ひょっとして
見当違いだったかと一瞬思ったのだが、パゲはすぐ両足のレントゲン写真を撮った。
レントゲン撮ると、医者は儲かるからな。かなり懐疑的→(¬。¬)

禿 『分かりますか、ここ。左はちゃんとくっついているのに、右足はこんなに
   隙間が開いて… 転んだ拍子に靭帯がこう引っ張られて伸びたんですね』
め 「わぁ、本当ですね」
禿 『まだ少し腫れている。本当は絶対安静です。毎日サポーターを着けて下さい。
   そうすれば少しは楽ですよ』
め 「サポーターですか」
禿 『スポーツ用品店で売っている…こういうものです。(言いながら取り出す)』
め 「はぁなるほど、有難うございます。(それをもらえるのだと思い礼を言う)」
禿 『いや、これは私の、自分用なんですけどね。(慌てて引っ込める)』
め 「・・・・・・・・(くれるんじゃないのか(-o-;))」

やはりと言うか、捻挫したらすぐに診察を受けるべきだったらしい。あとの祭りだが。
思っていたより丁寧に診てくれたあと、そのつるっぱげ医師は、こう付け加えた。
禿 『若いから、早めに処置しないとすぐにくっついちゃうんですよ』

よく、病院は老人の社交ロビーだと聞くのだが、そこで若いと言われ喜んだら
やっぱり差支えがあるだろうか。



2002年10月21日(月) 雨上がり

昨夜は宵の口に仮眠を取ったせいか、明け方近くまで寝付かれず、今朝は寝坊した。
『うぇいかぁ〜っぷ 起きる時間だよ〜♪』と耳元で最愛のぱぱの声(目覚まし時計)が
アタシを目覚めさせようと、愛をこめて幾度も幾度も同じ文句を唱えているのに
目玉が眼窩の奥にめり込むほど深く眠っていたため、夢の中でぼーっと反響するだけ。
部屋があまりにも薄暗いので夜が明けた気がせず、ようよう意識がはっきりしてきて
パラパラと雨が出窓のガラスに当たる音を聞き、んっ!とぱぱ時計の針に目をやり
ヤバイ!Σ( ̄ロ ̄;)と跳ね起きる。雨の朝、性懲りもなく繰り返されてきたシーンである。

雨が降ると、駅まで20分ヒーハー息切らせて歩くか、渋滞覚悟でバスに乗るかしかない。
つまり、普段より最低10分は早く家を出なければならない訳だが、その10分の余裕を
生み出すことが朝はどんなに困難なことであるか、貴女も女ならば分かるだろう。
だが、今朝のアタシはそれほど慌てなかった。遅刻し慣れてド厚かましくなったのか?
それもあるが、近頃、同僚(正確には上司)Tが、とても優しくなったからである。

Tは以前の温厚なTさんに、いやそれ以上に無害な人柄に戻った。
もともと仲が悪かった訳では決してない。だが、今月初めの殺人的な忙しさにあって
お互い目を三角にして気が立っていたせいか、募るイライラは恐るべきポテンシャル‐
エネルギーを孕み、些細な鍔迫り合いが思いの外の大爆発を引き起こしたものと見える。
ところが、アタシが、衝突の翌日にはケロリとしてい(るフリを努め)たのとは逆に
Tの方はそれこそ腐れた女みたいに、ずぅーーっと低気圧のままだった。
まるで人が変わったように陰険になり、拗ねた態度をこれでもかと押し通す。
年は同じだが、ここではアタシの方が後輩なので、一応シタテに出てやっていたらまあ…
(やつの仕打ちは11日の記述を参照されたし)
男のくせに何だこいつ!(-"-;) とアタシも体調が悪かったので、キレるまでが早かった。

以前なら『あれやっといて下さい』『これやっといて下さい』と、人に仕事を頼むのに
にべもなかったのが、ここ数日は『ご多忙のところ申し訳ないんですが』と必ず
前置きされるようになり、些か背筋が寒くなるほどである。
ただ、アタシのギリギリ出社は何も今に始まったことではないから、喧嘩の前も後も
素行が変わらないのはきっと褒められていい筈… は、ないか(-。-;)
もとい、
であるからこちらも通常は「ああん?(-"☆)」という顔で引き受けるところを
「はい♪分かりました(*^。^*)」とか、たえずかわいらしく応答し、お互い腫れものに
触るような調子で気を遣い合って、当面は良好なパートナーシップを保っている。

思えば、先々週の一幕には、アタシにも一抹の後ろめたさがない訳ではなかった。
常日頃、社長はいつも、“付き人”と目されるTに(だけ)つらく当たる。
会議の席上などでは、衆目の中、ボロクソのケチョンケチョンにこきおろされる
そのさまは、気の毒さのあまり、正視に耐えないほどであった。
それだのに、フェミニストを標榜する手前か、女性に対しては決して声を荒げない。
そこにつけ込み懐に逃げ込んだつもりはないのだけれど、ハタの声を聞けば
『Tさんらしくない意地悪は、あれは言うなればジェラシーよ』とのことらしく
だからと言って処遇の不当さへの憤りを、アタシにぶつけてこられても困るのだが
これが逆の立場ならきっとやり切れないだろう、と神妙な気分にもなるのである。
アタシもクタクタだったが、彼も疲れていたのだろう。恐らく遥かに。
相手を思いやれなかったのは、もしかしたらアタシの方だったのだろうか。
丁重ではあるが、どこか気を抜かれたようなTを見ていると、良心の痛みを禁じ得ない。

風が雨雲を吹き飛ばし、晴れた夜空に月がこうこうと照り渡っている。
明日の朝は、遠い駅まで歩かずに済みそうである。



2002年10月19日(土) 野良猫

ぼんやり目を覚ますと、カーテンの隙間から鈍色の光が洩れていた。
曇っているんだな。何時だろうと枕もとの時計を見れば、もう11時を過ぎている。
ゆっくり身体を起こすと肩から爪先までドンと重たく、動くたびギシギシ軋むようだ。
よく寝たのだろうが、取りとめもない夢ばかり見て、少々の余剰の眠りでは
一週間分の仕事の疲れがすっかり取れはしないものだと分かる。空腹感もない。

可燃ゴミを出す日であることを思い出し、うすら寒い部屋へ這い出て上着を引っかけた。
アパートの階段を降りきると、アタシの姿を見とめた一匹の野良猫が、ゴミ置き場から
走り去るところであった。烏に負けまいと、くさい袋を食い破っていたのだろう。
ふと、ゴミ袋の谷間に、痩せおとろえて毛の湿った、汚い子猫がいるのに気付いた。
近寄ってそばにゴミを置いても、逃げる様子もなくじっと蹲っている。
ただ荒い息をしながら、灰色の恐ろしい目でアタシをじっと見据えているのであった。
べっとり寝た毛並みや骨の浮き出た身体つきから、その子猫は飢えきっている上に
恐らく病気で、もう立ち上がって逃げ出す力も残っていないのだと思った。
振り返ると、さっき目の前を横切って行った猫が、少し先で様子を覗っている。
ついて来れない子をおいてその場を離れるしかなかった、親なのかも知れない。

アタシは自分の部屋に戻り、冷蔵庫を開けて何か適当な食べものはないかと探した。
ミルクが良かったのだが買いおきがない。ハムを挟んだ小さいパンが残っている。
それをリードペーパーにくるんでゴミ置き場に戻ると、もう子猫の姿がなかった。
道と駐車場を区切るブロック塀の角を、しょんぼり曲がって行く弱々しい後ろ姿。
後をついて行くと、子猫は車の下で、こちらを振り向くように見ている。
「おいで…おいで」しゃがんで手招きしたが、猫はその場を動こうとしない。
「ほら」紙を広げてパンを下に置いてみた。やはり近寄っては来ない。
5分ほどそうして待ったが、とうとうその子猫は車の陰から一歩も踏み出そうとはせず
縁の爛れたうつろな目を、恨めしそうにこちらへ向けるだけであった。

一瞬、その瀕死の生きものを、部屋へつれて帰ってやろうかと思った。
だが、早朝出かけ深夜に帰宅する一人きりの暮らしで、どこまで構ってやれるだろう。
そしてまた、その子猫のあまりの汚らしさに、たじろいだのも事実であった。
パンをそこへ置いて立ち去れば、或いは飛びついて貪り食ったかも知れないが
そうでなければ、他所の家の駐車場にゴミを残して行くことになる。
アタシは諦めてパンをくるみ直し、そこを離れた。そうするしかなかった。

夕方から激しい雨が降り出した。秋の日はとっくに落ち、部屋にいてさえ肌寒い。
痩せた子猫のことが気にかかった。あの弱り方では、そう長くはもたないだろう。
この雨にはひとたまりもなく、今夜のうちにもどこかの軒下で息絶えてしまうであろう。

何年も前の凍てつく冬の朝、全身濡れそぼった哀れな姿の猫を見たことがある。
暗い空から今にも雪が落ちてきそうな、吐息もまっ白い煙に変わる寒い日で
アタシは着膨れ、駅へと急ぎ足で向かう途中、その光景に出くわしたのであった。
そばの魚屋でホースを持った店主が、店先にジャージャーと水を打っていた。
ずぶ濡れの猫は雫を垂らし、痩せ細った身体を強張らせてトボトボ歩み去って行く。
ぞっとする思いで、猫に水を浴びせた男の顔を見た。それは平然としたものだった。

子牛はやがて食われるため、乳を取るため、皮を剥がれるために生まれてくる。
いずれ殺されるのであるが、貴重な資源、資産として死の前日まで手厚く養われる。
では野良猫は何だろう。彼らは人間の間で、飢え追い払われるために生まれてきたのか。
ゴミを漁り、雨に震え、車に轢かれ、疥癬に蝕まれて野垂れ死ぬ、ただそれだけのために。
天然記念物に指定されでもしない限り、野良の獣に法的な保護はない。
コンクリートとアスファルトに塗り固められた街で猫たちは生まれ、或いは主人に捨てられ
それでも生きてゆこうと、乏しい餌を求めてその日一日を命からがら凌ぎきる。
人々が彼らに関わるのは、駆除する時と、路上にさらばえた骸を片付ける時である。

アタシは気力が衰えている時、そんな無駄なことをよく考える。



2002年10月18日(金) すれ違うふたり

スケジュールの殆どを札幌〜神戸出張で埋める会長が、珍しくオフィスに顔を出した。
最近は殆ど週に一度来るか来ないか、部下たちとの以前の親密さも薄れつつある。
社長との確執は深まる一方で、誰もが口には出さないが、会長の辞任を予感する中
それでも日々届けられる彼宛の郵便物や書類の点検は、欠かす訳にはいかないので
アタシがメールを出さなくとも、寄らざるを得なかったのだろうが…。

「おはようございます」『おはよう…』会長は心なしかやつれて見える。
他の人たちも挨拶はするが、皆目を背けるように、すぐ自分の仕事に戻ってしまう。
近頃ではメールの返事にジョークをまじえることも、全くなくなってしまった。
『めい子さん、悪いんだけどこれを経産省の秘書課に届けていただいて、その足で
 厚生労働省の疾病課へ行って、これこれの書類をもらってきてくれますか』
「分かりました。じゃあ今すぐ行ってまいります」
アタシが会長から書類を受け取った時、折悪しく社長が入ってきた。
今日もまた違うサングラスをかけている。パッと見はどこのインテリヤクザ(▼_▼メ)

『あっどうも…』と小さく声をかける会長。目礼だけで無言の社長(+▼_▼)
見えない火花が散るのと同時に、アタシは何故か逃げるようにドアの外へ出た。
お使い先は目と鼻の先の霞ヶ関、しかも経済産業省と厚生労働省は隣り合っているので
毎回トコトコ歩いて行く。いずれも同じように門前で警備員に名刺を見せ通してもらい
同じように“特別警戒中”の看板が立った入口から、同じようなエレベーターホールの
赤く塗られた扉の前に辿り着いて、それぞれの目的の課へ向かう。
近所とは言え、二つの省をハシゴして用を済ませ戻った時には小一時間が経っていた。

「ただいま戻りました」と報告に行くと、会長は既に姿を消しており、そこには
代わりに社長がデンと座っていた。やば…なんかむっつりしてる(~_~;)
『…あのおっさん、何しに来てたの』
「(何しにって…) 郵便物がたまっているので、処理しにこられたのではと…」
あなたがたは、互いに意気投合した2人でこの会社を立ち上げたのではなかったのか。
『めい子さん、忙しいのに何を取りに行かされたの。ちょっと見せて』
『Hさん(会長)のスケジュール、今どうなってんの。見せてくれる』
言われたものを恐る恐る渡すと、社長はそれらを見比べながら『ふん』と苦笑し
『小樽に帯広か。大学の先生のとこばっかり行ってんなぁ…ったく』とぼやく。
一昨日の全体会議も、わざわざ会長が東京にいない日を選んで秘密裡に開かれ
もちろん『会長には召集通知を出すな』と命じられたのであった。何もそこまで。

ヘッドハンティングした優秀な女性サイエンティストが、今月から事業部長として
一員に迎えられ、更に来月、新たに敏腕の役員が経営陣に加わることになるのだが
つんぼ桟敷に置かれている会長は、そのいずれの人事に関してもあずかり知らぬまま。
のみならず、役員報酬ですら、会社設立当初の実に10分の1にまで減俸されている。
社長が多角展開を目論む事業計画においては、会長はいま完全に部外者の立場だ。
このまま行けば遠くない将来、H会長が社を去るのは火をみるより明らかである。

ビジネスの世界って、アタシなどが思うより遥かにシビアなものなのだろう。
しかし、そっとお茶を出すと『ありがとう』と寂しく微笑む、めっきり痩せこけた顔。
社長に気兼ねしてスーツケースを引きずりそそくさ退出する、かつての威風堂々の後ろ姿。
それらを思うと気の毒で胸の痛みを覚えつつ、かと言ってどうすることが出来るでもない。
飽くまでアタシは、一介のヒラ社員でしかないのであった。



2002年10月11日(金) 天網恢恢

随想・みちる草紙をある日ふと書き始めてから、はや1年の歳月が…(-。-;)
当初は三日坊主に終わる懸念もしたのに“ALL_LIST”で全タイトルを並べてみると
ズラリなかなか壮観。結構書いたじゃん、うーむ塵も積もればだなぁと自分で感心する。
しかし、もともと気が向いた時しか書かなかったにせよ、4月あたりからめっきり
アップ数が減り、9月に至ってはたった1日…。4月と言えばアタシが今の会社に
入社した月である。そして、以後は殆どが会社ネタ。これは偶然でも何でもない。
4月からのアタシには、自宅⇔会社の毎日しかなかった…。・゚゚・(T◇T)・゚゚・。

9日に同僚Tと烈しく衝突した。10日の冷戦を挟んで今日、波動砲発射!!
どうぞ「めいこよ、またか」などと冷たく言わないで欲しい。事ここに至った経路には
アタシの苦渋と忍耐に縁取られた痛恨の日々(←やや大袈裟)が刻まれている。
到底抱えきれない量の仕事をたった一人で担わされ、そのストレスは生半可ではなかった。
連日の過酷な残業に耐え、熱を出してもあえて欠勤することなく、与えられた任務は
食事や睡眠をへずってもこなさねばならず、それこそ骨身を削ぐようにして誠実に
(ぶぅぶぅ文句はタレたが)働いてきたつもりである。なのに…あの野郎…!!
Tの無茶苦茶な指示に、アタシが血を吐くような咳をしながら、それでも机に張り付いて
こつこつ仕上げているのを知りつつ、ひとかけらの情けも見せようとはしなかった。
その挙句、立っているのがやっとのアタシに、更なる残業命令を平然と下したのだった。

高熱にあえぎ精根尽き果て、アタシは同僚Tに三行半を突きつけたあと
日頃から親しくしている女性サイエンティストに電話して、ことの次第を話した。
彼女には恩義を感じる場面が多々あったので、先に挨拶しておかねばと思ったためである。
「これ以上Tさんと一緒に仕事をしろと言われるなら、こんにちこの場限りで辞めます」
そこから事態は急変し、半分虚脱状態でぐったりオフィスに戻ったアタシは、出し抜けに
社内体制の大幅改編を知らされることとなる。

実際にアタシがこれまで任されていたのは、社長秘書としての仕事の他に
2社分の管理(経理、総務人事、コンサル事業)なのだが、特にこの地獄の一週間は
全ての〆切が集中した3本立ての事業諸申請手続きと、決算期の会計資料作成で忙殺。
Tは、実にその9割をアタシ一人に回し、もう限界だと幾ら訴えてもそっぽを向き
『休み明け15日にあれとそれの予約を入れて、今日資料を全部完成させておいて下さい。
 それと今からこれに行ったあと、法務局へ行って○○をして来て下さい』
と矢継ぎ早に指示を下し、唖然としているアタシに『分かりましたか』とダメ押し。
Tはアタシが熱があるのを知っている。顔に書類を叩きつけてやりたかった。

それは晴天の霹靂だった。
社長からの通達は、今後めい子はTと離れ、本来の秘書業に専念せよとのことであった。
アタシの辞意を聞くと同時にTは社長にそれを報告し、社長は直ぐさまサイエンティストに
電話してアタシの説得を指示したのだと、あとになって彼女から聞いた。

『私が社長に、めい子さんがどんなに沢山の仕事をたった一人でこなしているか
 ご存知ですよね?と訊いたら「オーバーワークは知ってる。悪かったと思ってる」
 と社長は答えて、Tさんには
「きみが原因でめい子さんが辞めると言うのなら、僕は彼女を引きとめて
 きみを切るからね」と言ったそうですよ。だから辞めちゃだめですよ』

それを聞いて、涙がどっと迸った。
果してTは社に戻るや、掌を返したようにアタシを優しく労わるのであった。

社長がハーレムパーティーを開くというので、週明け仕事の第一号は会場の予約である。



2002年10月05日(土) 悲しい酒

夜の銀座。
大いに飲みかつ喰らった勢いで、皆が上機嫌にカラオケボックスへなだれ込み
アタシは社長はじめ上司連中に暴言を吐きながら、隣に座ったおない年の弁護士に
「せんせ、でゅえっとしましょ♪」と言ったとか言わなかったとか
また社長を捕まえて「あら、お金儲けのことしか頭にないのかと思ったら♪」
と口を滑らせ『その発言はイエローカードだぞ♪』と和やかに注意されたりとか
そんなのは、瑣末な事象である。思い出しただけでも顔から火を噴きそうで
キリキリ胃痛を起こしそうなほど月曜日からの出社が億劫になるとしても。
酒席に臨む最初は、いつも「今回こそは淑女風に」と気を引き締めてかかるのに
結局なんでいつもこうなるかなぁアタシ。

気がつくと11時半をまわっており、急げば電車の時間には充分間に合ったのだが
社長が『みんなタクシーで帰ってくれていいから』と言うから、んじゃまぁ折角だし
ってことになって、途中まで同じ方向の部長と一台のタクシーに乗り込んだ。

「運転手さん、最初野方で1人降りるから、そのあと光が丘に行ってくれる?」
『はい、承知しました』

車の後部座席で頭を揺すられてみると、思いの外酔いが回っていることが分かる。
コメカミがものすごい力で締め付けられ、脳味噌は前後左右斜め方向にと
千切れんばかりに引っ張られているようだった。
幸い、気をしっかり持っていれば嘔吐はせずに済みそうだと思い、努めて部長に
研究所のことやヴァイオリンのことなど、聞きかじったばかりの話題を拾い出しては
取りとめもない会話を途切らせぬようにした。
相手の話すことは酔った頭をつるつる素通りして行き、それでももっともらしく
相槌を打つうちに部長の中野区の自宅に着き、酔っ払いらしい大仰な挨拶をして辞する。
車はそこから一直線にアタシんちへ向かった… 
筈だった。

「ねぇ運転手さん、ここからどのくらいかかる?時間」
『う〜〜ん。20分か30分くらいだねぇ』
「あら?もっと近いかと思ったらそんなに?そう。ふぅん」

一瞬だが、妙だとは思った。しかし例え幾らかかろうが、あとで立替精算されることだし。
ただ不必要に大回りされてはと、メーターを睨む恰好で座席の真ん中にどっかり陣取る。
アタシが早く降りたがっていると察したのか、運ちゃんは許す限りとばしてくれていた。
ああ、家に着いたらお茶飲むだけで何もしないで、のめりこむように寝てしまおう。
と、うつらうつらしながら考えていると、不意に車が止まった。
『はい〜着きましたよ』

さて、駅前だと言うものの、それは全く見知らぬ風景であった。
金曜の深夜、アタシは一体どこへ連れて来られたというのか。

「…あ?…あの、おじさん。ここ、どこ?」
『な〜に言ってんのお客さん。ひばりが丘の駅じゃない』

そこで酔いが一気にぶっとんだのは言うまでもない(-_-;)


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