流れる水の中に...雨音

 

 

玉のをよ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りぞもする - 2002年07月15日(月)




きみが隣に眠ることに 安心を覚えることも なくなって
きみの寝息に 夜の淋しさを 紛らす感覚も 薄れてきて
きみを厚く覆う固い殻と 私が纏う冷たい鎧の跳ね返り
交わることのない 境界線

きみのなかにいるのは たしかに私で
わたしのなかにいるのは そしてきみで
でも そんなこととはまた別の
孤独が私に食らいつく


手をのばすと そこにきみがいるけれど
その手はきみの 体表をなぞるだけで 心には届かず
きみの声も 私を包むけれども 心を掴めず
それでもこうして手を携えて ずっと先にあるものを共にみている


来年の秋がリミット と囁かれて
苦笑いしてる私の気持ちを どうかきみはもう一度さらってほしい

きみは優しいのか それとも無関心か
その どちらともわからぬきみの 余裕は
この私を また別の方向へと 追いやる

きみの前に張り巡らされたシールドに弾かれては
私は ピンに翻弄される ピンボールの球のように
あちこちで ちいさな摩擦を生みだす


私の肩を掴む誰かを 振り返って それが誰かと見定めることも
そんなことだけは しないで生きてこれたのが
私のプライドであり 私の生き方であったけれど

どうかこれからも私に それだけは守らせて欲しい
どうか どうか お願い


時は巡るから
全ては変化してゆくから。



私の気持ちを塞止めるものは 今にも崩れてしまいそうで。


















...

傲慢さと通小町と花の時間。 - 2002年07月10日(水)



女は少しくらい 自分自身の評価に傲慢であったほうが良いように思う。

と 言えば誤解を生んでしまうかな。
自分自身の評価に傲慢な女性は なぜだか実際以上に
美しく見えたりもする(こともある)
私が出会った中で 飛び抜けて傲慢であった女性は二人。

二人ともモデルだった。

実際には もっともっと傲慢な女性と出会っていたのだろうけれど
本当に頭の良い女性は傲慢さを表にださない。
いざというときのために 爪は隠してあるようだ。


彼女達は 若さゆえの そして美しさゆえの 傲慢であった。
まるで世界が自分の手の中におさまっているのではないかと
本気で思っていたのではないかと 思ったりする。
そんな彼女達を 少し滑稽ではあったけれど 私は嫌いではなかった。
美しく流暢に流れる言葉が 人の批判をするときにだけ
崩れて醜い言葉の片鱗が見え隠れした。
はべらせていた スーパーカーを持つ男性たち。
プレゼントの洪水。
昨夜の艶話。
彼女達は活き活きしてた。

あれから10年。
彼女たちはどうなっているんだろう。
ひとりはあるいわく付きの財産家と結婚し 今ごろ某姐御か。
もうひとりは 例のハンサムさんの秀才くんと結婚か。


花の色は うつりにけりな いたづらに
 
      わが身よにふる ながめせしまに


才色兼備の小野小町も 老いては人目を避けるように
世を避けて 独り篭ってしまったようであるけれども
小野小町の傲慢さゆえの失望の大きさと同様に
彼女達にもその恐怖が次第に襲い来るのか。


能の題目に「通小町(かよいこまち)」というものがある。
小野小町が主役ではなく 小町の元に百夜通いをした深草少将が主役の物語だ。
傲慢な小町が 少将の思いを疎ましくおもい難題を課せる。
「100日通い続けられたら愛を受けましょう」と。
99日通いつづけ 100日目の夜に 
通うことができずに死んでしまった少将が
小町への想いを諦めきれずに 霊となってまでも付き纏うという話。


死んでまで なお執着されるとは なんとも羨ましいことか。
傲慢さが みせる魔法だけでは けっしてこんな風にいかないだろうけれど
傲慢さが作りだす 虚飾の様なものは あるようにおもう。


まあ それに 女性に傲慢さが許される時間は 短いのだから
もっともっと 女の子たちよ 傲慢になりなさい って感じ。


花の時間は短いのだから 綺麗なうちに 目一杯輝いてくださいな。


















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あのころの夏休み - 2002年07月08日(月)



夏の朝 目覚めると飛び込んで来るのは 
風を孕んで膨らむ白いカーテン越しに見える 深く蒼い空。
そう。ただ 空しか見えない。
建物も樹も電線も 阻むものもなく見える夏の空。
耳に残る蝉の声。積乱雲。プール。暑い暑い陽射し。


一体私の「夏」は何処にいったのか。
子供のころ。
この時期になると一学期中に溜め込んだ荷物を小分けにして
夏休みに向けて家に持ち帰っていた。
帰り道 暑い陽射しを受けながら 荷物の重さに辟易したけど
やがて来る夏休みに心を躍らせてた。
短縮授業で給食がなく 家で用意される昼食に 
いつもホッとしていた。
あの 妙な安心感と 心の底からしんみり滲んでくる嬉しさと
あれほどの重い荷物を背負った懐かしい頃は 何処にいったのか。


毎年夏休み前の短縮授業のころに行われてた私のお誕生日会。
仲の良い友達を家に誘って お祝いしてもらってた。
その日の学校の帰り道 急なお腹の激痛で道路に倒れ込んだ11歳になったばかりの日。

姉達が全員いなくなった14歳の夏。
毎日を一人きりで退屈に過した。
おんなじレコードを繰り返し繰り返し ターンテーブルに乗せて
流し続けた 一人きりの夏休み。


きまぐれな遊びを繰り返してた高校生の夏休み。
大学生の異性に大人を感じていた。
受験と友達と異性と遊びと。
そんなものがごちゃまぜになってた高校生の夏。


硝子戸をあけると 夏の熱気が流れ入る。
コンクリートに熱せられた 都会の夏は窒息しそうで
密閉した室内に冷房をかけつづけて麻痺してしまった感覚。
今は本当に あの夏なのか。

紫外線を避けるように 日々をおくる。
子供の頃よりも白くなった肌の代償は
あの懐かしい夏の喪失。

白い日傘をさしながら その影のしたで 遠い目をして懐かしむのは
もう戻れない あのころの夏休み。










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きみの考え方ときみの手法 - 2002年07月07日(日)


きみとの違いをずっと感じてきた。
きみのアグレッシブな考え方ややり方を
ある意味では違和感を感じ またある意味では凄いなと感心もしてきた。
私にはない食い下がりかたと 自信に裏打ちされた攻撃性
そういう強さの影に私はいつも守られてきた。

私だって何もできないわけではない。
自分なりのやり方で 自分なりの正当性で 自分なりの平和的な解決を
導くやり方を持っている。
だけれどもそれは きみには生ぬるいらしく
きみはわたしにきみとおんなじやり方を求めてくる。

わたしに 「食らいつけ」と叱咤する。
わたしに てなづけられるなと 連呼する。

きみとおなじ考え方を持たない私にきみは
苛立ちを感じ 結局とりあげる。その問題を。
そしてきみはきみのやり方で それを消化する。

これを繰り返すうちにわたしは 「何もできない者」に
されてゆくのか。
自分のことすらままならないものにされてゆくのか。
自分ですることに不安を感じる者になってゆくのか。


きみが私をそんなふうに変えてゆくことをきみは気づいているのか。


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社交的 - 2002年07月01日(月)





私の親戚は 以前 宝塚歌劇でタカラジェンヌとして舞台に立っていて
ある男性とお見合いで結婚した。
その男性は外科医で 彼女とお見合いした理由は
「社交的な女性を妻に迎えたいから」だった。

彼女が本当に社交的かどうかは別として
「タカラジェンヌ=社交的」という等式が
彼か、もしくは世話人のどこかで成り立っていたのだろう。


社交的って、いったいどこで判断するんだろう。
のべつ話続ける人を社交的というならば
私は社交的になどなりたくはない。
言葉数など少なくとも 社交的でありうるのではないかな。
人を好き嫌いで判断せずに誰とでも一通りのおつき合いをすること。
これならば社会経験をしてきたならば誰でもが通ってきた道でしょ。
あちこちに顔をだすようにして顔つなぎをすること。
誰だっけ、言ってたよ。

「妻は襦袢の襟のようであること」

出なくてもおかしいし、出過ぎてもおかしい。


ん。
どうしてこんな話題になったかというと
「きみは社交的でない」 と
今日 彼に叱られたからだ。


びっくり。
私はうまれてこのかた自分のことを社交的だと信じてきたから。



あ。
これを聞いて笑ってる人 若干2名。

おだまりなさい。









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