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2003年06月21日(土) どうしようもなく

 愛しいと思って、会いに行きたいと思って、本気で時間や金を計算している自分に驚いてしまう。貴方の事が好きなのだろうか、本当に。単に性欲を満たす為だけではない気がするけれど、でもそうでないとも言い切れない。
 抱きしめて欲しいんだ。貴方の身体で何もかも埋め尽くして欲しい。己の中に渦巻く嫉妬とか欲望とかその他諸々の醜さや汚さを全部埋め尽くして欲しい。
 たった五時間ばかりの逢瀬を本気で考えている己は貴方が好きとか言う以前に、逃げ出したいだけなのかもしれない。

 花吹雪。鮮やかに艶やかに。いつまでも好きな人だと思った。この人に一度でいいから抱かれたいと思う。一夜の夢で構わないから、ただ一度だけ。いつか。


2003年06月18日(水) 唆す。

 それは貴女の勝手な思い込みというか、責任転嫁というか。痛い目に遭うなら遭えばいい。貴女の周りには己でなくても気にかけてくれる人間が沢山いるだろうから、彼らに頼ればいい。彼ら―己が意図しているのは唯一人[彼]であって、彼のような影響力のある人間の側で穏やかに花開いていけばいい。それくらいの影響力も無く、大勢の中の一人でしかない己が何を云ったところで単なる過干渉だと云うのは確かに正しいのだろう。眉を顰めて不愉快を押し隠しているつもりならばそれは欺瞞だ。見え透いた嘘を吐く位ならいっそ突き放してくれたらいい。
 干渉しないというのは付き合わないということとほぼ同義だと思う。付き合うとは多かれ少なかれ干渉しあい影響しあうことだろうと思う。それが無いなら付き合っていく、関係していくということの意味も実体も無いのではないだろうか。[結局の所それは貴女自身の問題]と割り切って何も云わないで表面的に付き合い、穏やかに安らかに嫉妬も焦燥も心配も何も無く。それでいいんだろう。それならばにこやかな顔で嘘を吐かないで欲しい。近寄ってなどこないで。無意味な関係なら要らない。そういう関係でいいなら己を乱さないで欲しいだけ。
 もうどうでもいい。切り捨てた人間をもう一度拾い上げる事が出来る程、己は余裕のある人間ではない。感情的で単純で幼い、子供に過ぎない。だから己は切り捨てる事が怖くて切り捨てる事を出来るだけ少なくして、そうしているつもりだけど、それでも己は己自身の苦痛になるような感情を抱いてまで貴女と付き合い続けていくだけの意味を見出せない。
 だからさよなら。そういうことで。

 それを君が言うのは何故かな。過干渉は君の方だと思うけど。過干渉で過保護。自分のしていること、分かっているつもりなのかそれで。


2003年06月09日(月) 不安材料

 メル友になりませんか、と云いたくなる。擬似的に頭の回転が速くなったような感覚が楽しいと思うから。彼ほど頭が良いわけじゃなくて、でもそれなりに頭が良くて、思ったように返してくれる。ほんの少し違った答えを返す。それが楽しい。君の方が己を選んでいたら、と考えなくも無い。でもそれでもきっと今と同じ状態に陥っていたんだろう。結局は己自身の問題で、彼らの問題ではないのだから。

 事故の後遺症というのは一体いつ頃出てくるのだろうか。己は醜くて卑怯で、それで彼を縛れないかと一瞬でも本気で考えてしまった。彼はそれでも本当に離れたい時には離れてしまうのだろうけれど。
 首の左側面から肩にかけてが痛いのだがこれが事故の所為なのかそれとも単なる肩こりか分からない。病院に行こうか。


 抱きしめてくれる腕なら他の誰だって良い。今は君しかいないから、他の誰も君を理由に抱きしめてくれないから、己は君以外抱けない。馬鹿馬鹿しい。要するに精神の問題ではないということなのだ。結局は人間は肉体から離れられない。どれだけ精神的恋愛を謳ったところで、肉体関係を結べば浮気だということになる。それがどうした。己は友人とでも寝られる。己が男だったら最低の男になっているだろう。女という肉体のリスクが己を戒めている。それでも一度突き抜けてしまったら、己は感じなくなるだろう。リスクも、モラルも。あるのはただ安堵にも似た快楽のみ。
 人間は肉体だけでも精神だけでも生きていけないのだろうけれど、どちらによりウェイトを置くかということはあるのだろう。それは己の稚さ故なのか、己は肉体の感覚がより高位になる。抱きしめられて好きにならないでいるのは難しい。それでも抱きしめられていないと、抱きしめていないと眠れない。何も考えなくなるまで、限界を超えて気絶するようにでないと眠れない。
 人間として見ていると云ってくれたこと、本当に嬉しかったけど、己は人間として女という属性を捨てられない。決してニュートラルにはなれなくて、意識して己を持っていっているだけ。だから結局のところ己は女として見られたいのかもしれない。そして同時に女として見られるのが嫌で、中性の立場に己を持っていく。その時に人間としてと云われてもやはり何らかの違和感を持つのだろう。矛盾、我儘。でもやはり今まだ己は恋愛とか言うフィルターを通して人間を見ているから、人間にとって性別は捨てきれない要素であるのだろうと思う。男だから、女だからという社会が要求する型、脳の形、肉体という容れ物、精神という主体、その全てが性を持つ。無意識に、意識的に、当然のように。だから切り離せない。そして肉体は容れ物だけれど、主体でもあって、精神と肉体とそのどちらが欠けても己は存在できない。では肉体が主体ならばやはり肉体が属する性に左右されても仕方がないことなのか。
 性差は個人差の一つであると考えることも出来よう。それでも切り取られたその部分はやはり個人差と云うには共通項を持ちすぎている。
 人間の殆どは強制的、洗脳的な異性愛者だと、何かで読んだ。社会が求めるから異性愛を選ぶ。では求められなければ人間はどちらを選ぶのだろうか。



 全てを消耗するなんて馬鹿らしい。でも己は君にそれを求める。己は君だけになってしまったら君を切る。そんな自分は嫌だ。
 そうか、そうなんだ。貴女だけになってしまう前に己は離れたかったのだ。貴女を好きで堪らなくて、貴女自身さえ見えなくなるほどに溺れてしまった己が嫌で、何とかしたかったのかもしれない。それなのに。傲慢で我儘だ、本当に。自分から切るのは楽なんだ、見限ってしまえばいい。他人の心持など本当には理解できないのだから気にしないで、見限ってしまえばいい。でも、見限られるのは嫌だ。まだその人に心がある状態でいきなり無理矢理に奪われる。苦しくて絶えられない。本当に傲慢。


2003年06月08日(日) 怖いという意味が良く分かった気がする

 抱き合って、温かいのは心地良い。虐めて、悶える様を見ているのは楽しい。一緒に過ごしている時間が楽しくないとは思わないし、正直楽しいのだろう。でも心底怖いと思った。泣きそうなんだろう、その声に怖いと思った。
 君の中は己でいっぱいなのだろうか、己に捨てられたら崩壊してしまうものなのだろうか、怯える姿が物凄く怖い。根源的な恐怖と嫌悪感を抱いて、それに屈した己は本当に小心なのだろう。己は本当に一つ間違えた。選択を、決断を、大きく一つ間違えたのだ。もう戻れない過去へ戻れるならやり直したい。

 現状維持。それが己の出した結論ともいえない結論。己が少し慣れてきて、周りも少し慣れてきて、そういうのが当たり前で自然になってきたら、惰性のように続いていくのでもいいかもしれないと思った。それに付随して得られる仮初めの信頼関係とか友人関係とかそれから何かを学び、踏み越えて己を作れたらと思う。
 踏み越える。恐怖も嫌悪も、友情も何もかも踏み越えて、突き抜ける青空を見たい。君を踏み台にして己は違う何かを見られるだろうか。



 己の中に何も無いという焦燥感、そしてそれをどうしようとも思えない脱力感に、支配され、服従し、安穏と日々を送っている。


2003年06月04日(水) ルサンチマン

 己の中に確たるものが無いことが本当に苦しい。
 己の中に言葉が無いことが本当にもどかしい。


 話をしないか、と云われて車に乗った。雨の降る夜の駐車場。何の話かと思ったら、注意されたと。そう、頼んだんだ。何故彼女なのかって、何故彼女じゃいけないんだ。彼女以外の誰、誰だったらいいんだ。己の中に感情だけがぐるぐると渦巻いてそれなのにまともな言葉一つ出てこない。己は嫌われたくないんだ。己は見捨てられたくないんだ。だから…
 彼の意外な程の幼さ、自分中心さに不信感を抱く。君はそれでもいいかもしれないけれど、友人ってそういうものなのか、友人って相手の状況も考えずに遊びに誘うことなのか、そういうものなのか。
 大事だと思ってるなら気に入っているというのなら少しは考えろよ。

 嫉妬にまみれた。


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