KENの日記
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2017年07月31日(月) ウィーンフィル・ベルリンフィル競演

ウィーン・フィル、シェーンブルン夏の夜のコンサート2017(2017年5月25日収録)
<演 奏>
ソプラノ:ルネ・フレミング
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:クリストフ・エッシェンバッハ

<曲 目>
序曲「謝肉祭」 ドボルザーク 作曲
歌劇「ルサルカ」から 「月に寄せる歌」 ドボルザーク 作曲
映画「ハリー・ポッター」から 「ヘドウィグのテーマ」 ジョン・ウィリアムズ 作曲
バレエ組曲「火の鳥」 ストラヴィンスキー 作曲 ほか

ベルリン・フィル、ワルトビューネ・コンサート2017(2017年7月1日収録)
<演 奏>
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:グスターボ・ドゥダメル

<曲 目>
交響曲 第3番 変ホ長調「ライン」 シューマン 作曲
楽劇「神々のたそがれ」から
「ジークフリートのラインの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」 ワーグナー 作曲
楽劇「ワルキューレ」から 「ワルキューレの騎行」 ワーグナー 作曲ほか

ウィーンフィル・ベルリンフィルの恒例のコンサート模様が放映されました。世界最高峰の両オーケストラの演奏会ですが、今年は指揮者の選択において全く対照的な演奏会となっていたと思います。

ウィーンフィルはエッシェンバッハ、ベルリンフィルはドゥダメルが指揮台に立ちました。エッシャンバッハはパ−ヴォの前のパリ管の指揮者でした。エッシェンバッハが指揮台に立った時代のパリ管は大変だったと思います。フランスの洒脱さとは正反対の指揮をするので、一つの「パリ管暗黒時代」を築いたのではないでしょうか。

それは「ウィーンフィル」との演奏でも全く同じでした。優秀なオーケストラは指揮者がいなくても一定水準の演奏は可能なのですが、優秀なオケほど指揮者の要求に忠実に演奏するものだと思います。ウィーンフィルはエッシャンバッハの要求通りの演奏をしていました。そして非常に「辛い」音楽を醸し出していました。

これに対比して「ドゥダメル」は非常に柔らかくそして丁寧な演奏を聞かせてくれました。ベルリンフィルの演奏者達も非常に楽しそうに演奏していたと思います。正月元日の新春コンサートでドゥダメルはウィーンフィルの指揮台に立ちました。その演奏はこれまでの新春コンサートの中で一際立派ななものだったと思います。そして2017年後半初日の演奏会はベルリンフィルとの素晴らしい共演となりました。2018年からのシャフはドゥダメルにしておけば良かったと思います。



2017年07月28日(金) 特別防衛監察結果

スーダンPKO日報問題で実施された「特別防衛監察」の結果が公表された。もう少し早く公表されるのではないかという情報があったのですが数日公表が遅れました。報告書の書き方に関して相当関係者間での調整があったことを推測させます。

「報告書」の内容は不十分なものだったと考えます。「日報不開示」の判断を最終的にだれが行ったのかという責任問題に焦点が当てたもので、それも稲田防衛大臣の関与については不十分な検証しかできませんでした。もっともこのポイントは大した問題のではないと考えますが。知りたかったのは、現地「スーダン」の状況を防衛省幹部がどのように評価したのかという問題です。政府は今年5月の「スーダン撤退」は「現地の治安悪化」ではなく「任務完了」だと強弁し続けました。結局この問題も闇に隠れてしまいました。

「PKO」派遣に際しての諸条件は政府自らが設定したものです。「現地の治安維持」は「非核三原則」と同じくらい有名無実なものでなのでしょうか。先の戦争でも状況を混迷させ、終戦を遅らせたのは「撤退の基準」が曖昧で「失敗を認めない体質」があったことが大きいと思います。今回のPKO活動について、現地の状況は最終的に誰が判断するのか、そしてその基準はどういうものなのかをキチンと公表すべきだと思います。野党・マスコミに奮起を期待します。



2017年07月09日(日) 「梅雨明け」



昨日の朝から別所沼で「蝉」が鳴き始めました。今日は遊歩道に沿って植えられている木の幹に「蝉の抜け殻」を発見しました。「蝉」は梅雨が明けたと認識しているようです。蝉の声はまだ「か細い」「頼りない」音色ですが、次第にしっかりしていき、合唱の数が増えて騒音となっていくことでしょう。

この蝉の脱皮時期は「カラス」と「ムクドリ」にとっては一年でもっとも豊富なご馳走ににありつける季節だと思います。鳥達は朝早く木の周りや木の幹を探せば「蝉」の幼虫を容易に見つけることができます。幼虫が木に登って脱皮して飛べるようになるまでの数時間が鳥達にとってのゴールデンタイムです。

「ゼミ」の幼虫としてはカラスやムクドリが飽きるほど大量に地表に出て来て、鳥達が御馳走にありついて手薄になっている間に木に登って脱皮しなければなりません。これから暫くの間、静かな別所沼の夜や朝方、「蝉」と「鳥達」の猛烈な「戦い」が繰り広げられるのです。



2017年07月03日(月) 山梨へドライブ

以前に計画していて挫折していた「山梨」へのドライブに行ってきました。山梨の武田信玄菩提寺「恵林寺」と甲府「善光寺」を参拝するのが目的です。前回トライしたのは確か土曜日か日曜日でした。首都高から中央道への道を間違えたり、中央道に侵入する時刻には相模湖近辺で既に大渋滞との情報があったので断念したのでした。

今日も池袋から初台に向かう高速道路の出口を間違えました。しかし今日は月曜日なので高速道路の渋滞は殆どなかったので順調に走ることができました。私は長崎市に赴任していたので関東を走るのは一年半振りぐらいなのです。慣れない高速道路はゆっくり走りました。中央道は様々な追加工事が行われてきたので随分難しくなっていました。相変わらず「笹子トンネル」は長いです。

「恵林寺」は大変立派なお寺でした。戦国武将「武田氏」の実力を再確認できました。私の故郷長野の「川中島」で信玄が無駄な時間を費やしていなければ、「武田氏」の天下となっていた可能性は十分あります。恵林寺には「信玄」の墓があります。恵林寺山門は織田信長によって快川和尚ら多くの僧が焼かれたことで有名です。

また「武田氏」が「川中島での合戦」に先立ち長野の善光寺に被害があっては申し訳ないと、合戦前に甲府に移したのが「甲斐善光寺」です。「武田信玄」の面目躍如たるものがあります。甲斐善光寺は長野の善光寺と同じ作りです。山門も立派でした。本尊「善光寺如来像」は甲府に招来されてから数奇な運命をたどって長野善光寺に戻りますが、信玄が甲府に招来したときの「前立本尊」が甲斐善光寺の本尊となっているのだそうです。

本堂に隣接する宝物館も見せて頂きました。源頼朝・実朝像は、神護寺の国宝「源の頼朝像」とは似ても似つかぬ特徴のある顔をしていました。神護寺の絵が「本物ではない」と鑑定されているようですが、甲斐善光寺の頼朝像が実物に近いのかもしれません。こうした貴重品があるには大したものです。




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