KENの日記
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2002年11月26日(火) SLT(スリランカテレコム)の株

私の勤めているSLT(スリランカテレコム)の株が売り出されています。いわゆるIPO(Initial Public Offer)というやつです。この11月28日が申し込み締め切りです。値段は一株Rs15(日本円で19円くらい)で最低100株から購入できます。と宣伝しても日本では買えないと思いますが。


SLTは1991年に政府からすべての資産を引き継いで、政府が株式100%を保有する株式会社になりました。その後1997年8月に、当時のNTTが株式の35%を取得するとともに経営に参画してきました。そして2002年11月に政府保有株式の12%を売り出すことになったのです。これまでの株売却の企てはあったのですが、スリランカ国内の内戦とか株式市況の低迷等で見送られてきたのです。


昨年から続いている停戦に加え、政府と反政府組織の和平会議が進展していることから、日本をはじめ援助国が莫大な金額の復興支援を約束しているので、来年あたりからスリランカが復興ブームになりそうな気配です。今買っておいて損はないのではないか個人的には思っています。


25日からコロンボにおいて日本スリランカ経済協力委員会が開催され、日本から大勢に代表団が来錫されました。まずは相互理解が必要なのでこうした往来は必要だと思います。海外企業の進出の雛型は、まず安い労働力を活用した輸出産業への参入なのですが、その前提として社会インフラ整備が不可欠です。電力・水道・道路港湾空港整備、鉄道事業といったインフラは非常に貧弱であると言わざるを得ません。


インフラ整備はただ資金援助するだけではなく、ビジネスとしてどのように運営していくかも大切な要素なのです。今後のこの国におけるインフラ復興においてSLTの経験が少しでも役に立てばいいなと思っています。



2002年11月21日(木) 芸術の秋

今週、日本では、NHK交響楽団とゲルギエフのコンサートが開催されています。先週までは、ポルリーニが訪日しソロコンサートのほかアムステルダムコンセルトヘボー・リッカルドシャイーとのコンビでベートーベンの皇帝を演奏したとのこと。ゲルギエフはNHK交響楽団とのコンサートの後にキーロフ歌劇場オケと全国ツアーが待っています。日本にいたら無理してでも出かけていた顔ぶれです。ほうとうに羨ましく思います。


前にも書きましたが、1977年収録のポルリーニの皇帝を何度も取り出して聞いているので、25年隔てたポルリーニがどんな演奏をするのか聞いてみたいのです。またNHK交響楽団とゲルギエフのコンビは、ずいぶん前の「展覧会の絵」において、最初の数分間NHK交響楽団の変貌の可能性を感じさせたものの、途中からいつものNHK交響楽団に戻ってしまった苦い経験があるだけに、デュトアに鍛えられたNHK交響楽団どこまでゲルギエフに食らいついていくのか非常に興味があるところです。インターネット上での「春の祭典」評を見る限り今回はNHK交響楽団は変貌を遂げているようです。


ウィーンフィル、ベルリンフィルというトップオケが、ゲルギエフとのコンビですばらしい演奏を聞かせているということは、芸術家にとって出会いが重要であり、相互に影響しあって火花を散らす、非常に高いレベルでぶつかりあいが、非常にすばらしい演奏に繋がることを示しています。今回NHK交響楽団は相撲の横綱決戦のように正面から正攻法でぶつかっていったようです。



2002年11月19日(火) 象の孤児院

今日は11月の「Poya(満月)ディ」で休日でした。ちょうど日本からお客さんがきていたので、日帰りでキャンディ方面を案内しました。仏教に興味がある人を案内するのなら、キャンディの仏歯寺がメインポイントになるのですが、そうでない人にとってはキャンディへ行く途中の「象の孤児院」に時間を割くがいい案だと思います。


この「象の孤児院」でのイベントは、「子ども像へのミルク時間」と全部の象が揃って近くの川に「水遊びをする時間」なのですが、これがそれぞれ9時15分からと10時からということなので、コロンボをゆっくり出発していたのでは間に合わないのです。今日はコロンボを7時ちょうどに出発しました。途中の道が空いていたこともあって、9時15分のミルク時間に間に合うように辿り着くことができました。そしてその後に川まで移動して象達の水遊びにやってくるのをを待ちました。


象たちが川に通ずる細い道を集団で行進する様子は大変迫力がありました。象がやってくる時間になるとサイレンが鳴らされ、人間は道から外れて待機するようになっています。象たちもこれから水遊びだということがわかっているので、嬉しそうに小走りでやってきて人間にはメモくれず川に直行します。象たちが気持ちよさそうに水遊びしている様はいつみても面白いものです。



2002年11月17日(日) ヒラリー・ハーンのブラームス

8月に買ったヒラリー・ハーンのブラームスのバイオリン協奏曲(CD)を取り出して聞きました。これまで2回くらい聞きましたが正直言ってあまり印象が良くなかったのです。ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリング・ドラティー盤も持ってきているので、ハーンを取り出す機会はそれほど多くないのです。今日はステレオの音響を少し大きくして聞いてみました。


今日はとても気持ちよく聞くことができました。ハーンの音量はそれほど大きくなく、演奏も派手なところは少しもないのですが、完璧な音程が特に和音を奏でるときに響きを透明にしているのです。透明過ぎてすごさに気がつかなかったようです。こういう清純なブラームスはとても新鮮でした。心が洗われる感じがしました。ムローバとかケネディ、チョンといった熱演型のブラームスを聞いてきた経験から、ハーンの表現に物足りなさを感じていたのだと思います。


ヴァイオリン競争曲の魅力はもちろんソリストの演奏ですが、ブラームスに限ってはニ楽章のオーボエソロがとても重要な役割りを演じます。この主題の演奏しだいで全体の雰囲気を決定してしまうほどです。ハーンの伴奏はアカデミーセントマーチンとマリナーが勤めていますが、オーボエはハーンの演奏をよく理解した清らかな演奏です。この曲はブラームス45歳の作品です。ブラームスがどんな思いでこのニ楽章の旋律を書いたのか知りたいものです。



2002年11月16日(土) EUCOコンサート

15日金曜日に「European Union Chamber Orchestre」(EUCO)のコンサートにいってきました。場所は私の宿舎から近い「BiShop’s Colleage」の講堂でした。曲目は「バッハの二つのバイオリンのための協奏曲」、レスピーギの「古風なアリアと舞曲」、それにヨーロッパで活躍するスリランカ人のソプラノ「Preshanthi Navatanam」のソロを入れてのヘンデルアリア3曲というものでした。


まずホールですが、室内楽コンサートには程よい大きさで、椅子の大きさも十分ですし、なんといってもエアコンが効いているので「汗だく」にならずに済むことがいいです。でも舞台が大分高く作ってるので、音が頭の上を通過していくような感じでした。ちなみに昨夜の席は、前から3列目の中央で値段は1000ルピーでした。入場料が高額なため、周りはほとんど外国人ばかりでした。


EUCOは昨年に続いての二回目の来錫です。第一バイオリンから5・4・3・2・1(コントラバス)という弦楽器だけの編成です。コンサートマスターはベルリン国立歌劇場のセカンドヴァイオリン主席の「Kunt Zimmermann」という人です。彼を中心にとても息のあった演奏を聞かせてくれました。チェロ主席の女性は伝統服の「サリー」を着て演奏していました。昨年の来錫でスリランカが気に入ったものと見えます。


コンサートに先立って国歌演奏があったのですが、スリランカ国歌に続いて演奏されたのはベートーベン第9交響曲の合唱の主題でした。楽団の名前に付けられている「EU」を考えるとき、クラシック音楽においていかにEUの存在の大きいか痛感させられます。この楽団はそうした文化紹介の役割を担っているようです。バッハ、ヘンデル、モーツアルト(アンコール)の曲がそれぞれにおいて「これが本物なのですよ」といったメッセージが嫌味にならずに伝わってくるのです。すばらしいコンサートでした。



2002年11月12日(火) ブッダガヤ直行便

この11月がらコロンボとインドの「ブッダガヤ」を結ぶ直行便が週一回運行を始めました。スリランカ人の大多数を占める仏教徒にとって、スリランカ国内の仏教遺跡を巡礼する以上に、本場インドの仏教遺跡を訪れることは非常に大きな夢なのです。ところが、インドの仏教遺跡はインド北部に集中しており、インドの政治・経済中心であるムンバイやデリーからはかなり遠いのです。飛行機はそれら大都市向けに周航しているので、これまでの聖地巡礼は大変時間がかかったのです。


「ブッダガヤ」空港はブッダガヤ(仏陀が悟りを開いた地)の地の約30Km北に位置するということ。飛行時間はコロンボから約4時間とのことで、スリランカからこの聖地への旅は格段に便利になります。インド航空では同様な「ブッダガヤ」便をバンコクから運行することを計画しているようです。


インドの変化の変化は注目に値するでしょう。こうしたビジネスに目を向ける素地ができているのです。広大なインドには仏教・ヒンドゥー教・イスラム教などの宗教遺跡が多数あるのです。IT技術、英語会話圏という特性に加え、これら宗教遺跡を活用できれば、インドは中国に続いて国際舞台にその存在感を示す日も遠くないと思われます。



2002年11月10日(日) ポルリーニのピアノ

今日は天気が今一歩の日曜日なので、日本から持ってきたビデオテープで音楽をじっくり聴きました。曲目はベートーベンのピアノ協奏曲3番・4番・5番です。演奏は3番・5番がポルリーニ・ベーム・ウィーンフィル(1977年の録画)、4番はバックハウス・ベーム・ウィーンフィル(1967年の録画)といものです。


1977年というと私の大学時代であります。確か1977年か78年のはずですが、ポルリーニの二回目の来日の演奏会を上野文化会館に聞きに行きました。演奏曲目はシューマンの「交響的練習曲」と「シューベルトの変ロ長調D960ソナタ」でした。どっちを先に演奏したのか思い出せません。でもそれ以来この二曲は私の気にかかる曲になりました。ポルリーニを凌ぐ演奏を捜す楽しみができたのです。演奏会でのピアノの音はラジオを通して想像していた通りの音(特に和音)でした。


ベームの指揮は晩年の印象等から、亡くなってから敬遠がちだったのですが、この三曲の協奏曲はとても溌剌としているし、適度に引き締まっていて非常に好感がもてました。もっとも本当のところは、ウィーンフィルと独奏者が上手に音楽を作り上げているだけまもしれません。ベームの曖昧な指揮の下でポルリーニとウィーンフィルが全く隙のない完璧な合奏を展開しているのです。ポルリーニは髪の毛が豊富で若いです。私はモーツァルトの肖像画に似ていると思っていました。また、三番ではコンマス、そして五番では故ヘッツェル氏の横で弾いているウィーンフィルのキュッヒル氏も髪の毛が豊富で若々しいです。


ポルリーニをバックハウスを比べるのは無謀ですが、ポルリーニのテクニックはすごいです。どんなパッセージでも手・指の形が一定で余裕があり、10本の指がそれぞれ別な生き物のように動きます。その特徴は特に和音の音がとても透き通って聞こえることに繋がります。でもバックハウスの音のやさしさはポルリーニを凌ぎます。和音や早いパッセージが濁って聞こえるのは、ポルリーニの後から聴くと止む得ないでしょう。しかし慈愛に満ちた音はやはりすごいです。4番だからなおさらそのように弾いているのか知れません。


この11月にポルリーニが来日していて日本で演奏会を開いているとのこと。しかし、25年前のベートーベンの演奏でポルリーニは既に十分成熟しています。これ以上なにを望む必要があるのかと思います。私も25年程まえの演奏会以降、何度もポルリーニを聞いていますが(CDとかテレビです)、最初があまりにも強烈だったためか、それ以降「こんなはずではない」という印象の方が強いのです。勝手に言わせてもらうと、ポルリーニは当時すでに完成していたのではないかと思われるのです。当時、完璧なテクニックと純粋な音楽への情熱はすでに奇跡を生んでいたのだと思います。



2002年11月09日(土) Raja続報

ガンガラーマヤの「Raja」が病気であると新聞で知ったので、今日午前中に見舞いに行ってきました。「Raja」はビクトリア公園大きな木の下に、木の囲いと支えを作ってもらって休んでいました。写真を撮っていたオランダ人が「先週は立てなかった。今週はだいぶ元気になったようだ」と話していました。ガンガラーマヤで見かける「象使い」(らしい)人が心配そうに体をさわったり、支えの木を直したりしていました。Rajaの右足の傷は化膿しているようで腫れていました。厚い皮膚が直径10cmくらい無くなっていて皮下の組織が丸出しになっているのです。一方左足の同じようなところにも床ずれによるらしい傷がついています。


トップページに、立ち上がった「Raja」の写真を掲載してもらいました。また、「スリランカの風景」には右足の傷はあるものの元気な頃の「Raja」の写真も掲載してもらいました。こう見るとだいぶやせてしまったという印象です。


しかし、全体的に見ると、耳とか鼻を始終動かしているし、体も前後に動かしている(木の支えの枠があって歩くことはできない)ので元気になりつつあるようです。少年と母親の親子が「サトウキビ」の茎を持ってきて与えると、ゆっくりではありますがもぐもぐ食べていました。


ビクトリヤ公園には、「Raja」のほかに二頭の象がやってきて、Rajaの近くに繋がれていました。こちらは元気に水浴びなどをしていました。ビクトリヤ公園はコロンボ市庁舎に隣接する広大な公園で、市民の憩いの場所なのですが、象にとって故郷のジャングルを思い出す憩いの場所なのかもしれません。コロンボにある「ガナガラーマヤ」・「ケラニヤ」の両寺院のぺラハラ(一年の中で特定の満月の日に盛大な行列を催すもの)では多くの象がコロンボに集まるのですが、このビクトリヤパークが宿泊地になります。「Raja」の近くに繋がれている他の二頭の象は、ひょっとして大都会コロンボに暮らす「Raja」を安心させるために特別に呼ばれたのかもしれません。



2002年11月08日(金) Kandyペラハラの主役

非常にマニアックですが昨日の新聞で報道された「象」に関連する記事を紹介しておきます。


長らくKandyぺラハラで「聖なる仏歯」背中に乗せた運んでいた「Heiyantuduwe Raja」という象が6日の朝亡くなったそうです。享年70歳。この「Raja」が病気で倒れたため、急遽コロンボのガンガラーマヤの「Ruwan Raja」が今年のぺラハラで主役を果たしたのです。その「Ruwan」も今病に臥せっているのです。


Kandyぺラハラで「仏歯」を運ぶ役目は、「Raja」という象が1987年に亡くなるまで長らく50年間勤めたということです。Kandy仏歯寺に隣接する建物に展示されている立派な象の剥製はこの「Raja」であるはずです。この「Raja」のあと、ラタナプーラの「Saman Devale Raja」がこの役を引き継ぎ1994年までこの役を務めました。その後を、上記の「Heiyantuduwe Raja」が昨年まで勤めたのです。さて今年ピンチヒッターで大役を果たした「Ruwan Raja」の容態が良くないとすると来年のぺラハラは誰が主役を与えられるのか。


新聞記事は以下の観測記事を載せていました。現在、Kandy仏歯寺には12頭の象がいて、そのうち立派な牙をを持つ象は7頭だそうです。この7頭の中で、ぺラハラに参加して訓練を受けている象は4頭だけです。この4頭の像の名は、インドのラジブ・ガンジー首相から送られた「Indi Raja」、タイ王室から送られた「Vijaya Raja」、故ジャヤワルデネ首相から送られた「Jana Raja」、そして象の孤児院からきた「Eka Dalaya」です。この4頭はいずれも25歳未満の精鋭のようです。


新聞でははっきり書いていませんが、来年のKandyペラハラの主役の座は上記4頭に絞られたようです。ちなみに立派な牙は持つもののペラハラの経験のない3頭の象は以下のとおり。「Kaveri Raja」(インド首相から贈られた)、「Migara」(スリランカ大統領から贈られた)、「Sinha Raja」(スリランカ陸軍から贈られた)。



2002年11月07日(木) 和平の難しさ

スリランカの内戦停戦からそろそろ一年が経とうとしています。しかし、北東部からは、こまった情報が入ってきています。北東部では停戦の継続を睨んで、道路・鉄道・水道・通信などのインフラの復旧作業が進もうとしているのですが、LTTE(反政府組織)がその工事業者に対して、税金を課そうとする動きが出ており、作業がストップするという事態です。


ここは、本当に「停戦」を冷静に考える必要があります。つまりコロンボとか南西部の地域での停戦は、経済活動を邪魔される紛争・テロがないという快適な状態ですが、北東部においては「武器を持ったまま戦争を中断する」という程度の意味で、破壊されたインフラ・産業がすぐに復興したり、国内外に退避した住民が戻ってきたりという状態ではないのです。つまり、LTTE支配地域には紛争を止めたときに、軍隊を維持する産業・流通というものはほとんど存在しないのです。


それなのに、和平会議といったら、二月の停戦合意、9月の第一回和平会議、10月末の第二回会議とそのテンポは非常に遅いのです。その間、この国のタダひとつの大都市コロンボでは内戦停戦状態を謳歌しているように見えるのです。私は9月にLTTE支配地域を通って北部の「Jaffna」まで行きましたが、破壊されつくしたLTTE地域とコロンボの差の大きさに驚きました。


「停戦」という言葉を、「銃をもったままで、しばらく待て」という状態から「銃を置いて、スコップと鍬を持ち復興に取り掛かれ」という状態に換える必要があるのです。そのためには、外国からの援助も必要ですが、スリランカ国民が、この状態の危険性に気づいて北東部に手を差し伸べる必要があると思います。



2002年11月06日(水) Raja重態!!

宿舎に近い仏教寺院のガンガラーマヤに飼われていた象のRaja(本名Ruwan Raja)が重態のようです。ここ2週間ばかり姿が見えないので、どうしたのか心配していたのです。寺の人の話では近くの公園に行っているというので、広い公園でのんびりしているのか思っていました。


今日の「DailyNews」紙に公園で横たわるRajaの写真が掲載されています。四足動物が立てなければだいぶ危ない状態だと思われます。新聞記事では、今年のKandyでのぺラハラで「聖なる仏歯」を担いだことや、今年で60歳になることが紹介されています。前にも書きましたが、この「仏歯」を担ぐ役は並の象にはできることではなく、スリランカの象社会で最高の栄誉なのです。象社会にも人間の定めたカースト制度があることに加え、人格(象格)の優れた象しかこの大役を果たすことはできないのです。キャンディから帰ってきてから右足に痛そうな「傷」ができていて心配はしていました。


一ヶ月ほど前の休日に30分間以上、ずっとRajaを眺めていたことがありました。最後の方では、Rajaの目線が次第にじっくりこちらを見るようになり、鎖には繋がれていますが、こちらに近づこうとしているのがわかりました。確かにRajaも私を意識しているのだなと感じました。その時は、なんとも悲しそうな目をしているとおもっていたところなのです。



2002年11月04日(月) Deepavali

今日4日は、日本では文化の日の振替休日でしたが、スリランカでは「Deepavali Day」といってヒンドゥー系の人達の祝日でした。祝日といってもヒンドゥー系の祝日なので、「ポヤ(満月)」のように全国一斉に休みということではありませんでした。この祝日は「火:light」を祭る祝日だそうです。「火」は闇、暗黒との対比で、文明あるいは進歩等という概念の象徴だそうです。


「ランプへの点灯儀式」がセレモニーでは欠かせないものであったり、驚くほど豊富な「ロウソク」を売っておいたりするので、この国は「火」を大切にしているのだなと思っていました。しかしよく考えてみると、オリンピックでも聖火が重要な役割を果たしていたり、誕生日のケーキに歳の分だけローソクをたてたりするのは、やはり「火」を特別なものと考えている証拠で、スリランカだけの話ではなかったと気づいた次第です。


むしろ、日本の一般家庭において「火」への感謝が少なすぎるのではないかと思われるのです。これは木造家屋が多い日本で「火」は感謝の対象よりは、これをコントロールすることが大切であったからかも知れません。また、魚を生の刺身で食べる文化を持っているというようなことも、他の国とは違う原因かもしれません。


いずれにしろ「火」に特別な意味を込めて感謝するということは、個人的には非常に新鮮な感じです。古代ペルシャで「拝火教」という宗教が現れ、それ以降の様々な宗教に影響を与えたということですが、イランに近いインドで発生したヒンドゥーに色濃く影響しているのかもしれません。



2002年11月01日(金) 外出禁止

一昨日の10月30日・31日・本日、コロンボ市内の一部に外出禁止令が出されました。これは、コロンボ市内でイスラム教の住民と仏教徒住民との間で小競り合いがあったことが原因です。30日は死者一名、負傷者多数が出たもようです。インドネシアのバリ島、フィリピン等でイスラム系住民がかかわるとされるテロが続いたので少し心配です。


31日からタイにおいて、スリランカ政府とLTTEとの2回目の和平会談が開始されたばかりなのですが、こちらは仏教徒とヒンドゥー教徒の紛争解決が目的です。南アジア地域は、スリランカが仏教(約70%)、インドがヒンドゥー教、パキスタン・バングラデシュがイスラム教です。うまく宗教間の対立は上手に収めてほしいと思います。




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