ゼロの視点
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2002年11月30日(土) Jubilee

 夜、何の気なしにテレビのリモコンを持ってザッピングをしていたら、ちょっと気になる映画に出会った。1994年2月にエイズで亡くなった、デレク・ジャーマン監督の"Jubilee(1977年)"だ。この映画の噂は昔よく耳にしていたが、今まで一度も観るチャンスがなかった。

 ふっとチャンネルをあわせただけなので、冒頭は逃してしまうし、何の映画か最初のうちはわからなかったのだが、何か“ピンときた”のでそのまま観つづけてみた。音楽、各シーン、セリフなどをふくめて、観れば観るほど、なにか懐かしいものを感じてきた。

 まだ売り出す前の、Adam ANTや、Toyah WILLCOX、また音楽だけの参加としてBrian ENOやSiouxisie & the Banshees。思わず、感慨深くなって(色々な意味で)ニヤッとしてしまう。この映画は、当時のロンドンをよくも悪くもよく描写していて、シーンによっては、女性版「時計じかけのオレンジ」みたいなところもあって、おもしろい。

 また、今、つまりは2002年になって、このような映画を観ると、パンクがその後、どのようにポジティブ・パンク(こういう音楽シーンが昔あった)に移行していったかを暗示していて、この点でも興味深かった。

 映画を観終わったあと、以前、同じように“奇妙な懐かしさ”を覚えたことがあったが、何だったッケ?。

 そういえば、数年前、深夜放送をぼんやり見ていたら、突然Lydia LUNCHが手がけた実験映像が飛び込んできた時もそうだったかもしれない。旦那のJim FOETUSは、大昔、西武新宿線の都立家政駅近くのライブハウスにきてギグを行っていたけれど、今はどうなったのだろう?。

 久々に、日本の実家の物置に置きっぱなしにしてある、膨大な数のロック雑誌を読み漁りたい衝動に駆られた。


2002年11月29日(金) 部屋案内

 最近、ようやく仕事モードになってきていたので、本日もゆっくりと在宅で取材ノートを整理しようと思っていたら、夜に、友人宅に招かれていることが発覚・・・・・。ゲッ。夕食を自分で作らなくていいのは、楽だ。なおかつ、招待先で美味しいディナーにありつけるのだし、ね。が、外出するとまったく仕事にならないから、ヤバイ・・・・・。

 同じ区に在住の友人宅へ行くのに、なぜかメトロを二度乗り換えなくてはならない。しかし、歩くと結構あるので、しかたなく、乗り換える。いつもどこかへ行くときに、2回以上乗換えがある時は、どうやったら乗り換えを一度で済ますことができるかと、路線図を睨みつつ検討するのだが、検討したわりには、たいした解決策もみつけられず、2度乗り換えるということが多い・・・(涙)。

 レピュブリックに近いところにある、友人夫婦、♂Hと♀Fの家に到着。とてもキレイに整理整頓されているアパルトマン。こういうところにくると、わしら夫婦は脈拍があがるらざるをえない。わしらにとっては、彼ら宅の訪問がはじめてだったこともあり、彼らは自分たちのアパルトマンをガイドしてくれる。ここが子供部屋、ここがバスルーム、ここが寝室などと全部公開してくれた。

 人にもよるのだろうけれど、訪問先で、こうして部屋を見せていただける機会によく遭遇する。しかし、わしらは、間違っても同じことができないっ!!。人様にお見せすることができるほど整理整頓されていないからだ。ゆえに毎回部屋案内をされるときは、

「どうしたら、こんなモデルルームのような家で日常生活をおくれるのだろう?!?!?!」と不思議でたまらなくなってくる。

 整理整頓という語彙が、夫の辞書には存在していないが、おそらく彼の脈拍は私のソレより、もっと上がっていたことだろう。

 2000年3月に、現在のわしらのアパルトマンに引っ越してから、数ヶ月は、わしらも部屋案内などをすることが可能だった。が、それも今は果敢なき夢。人を招くと、必然的に開かずの間が増える。とりあえずサロンだけを美しくするために、人が来る直前まで散在していたものを、各部屋にぶち込むからだ。
 
 こういった作業をしている時、夫は、

「毎朝、日本のすでに満杯な通勤電車に、さらに人を押し込むJRの係員になったみたいだねェ」と人事のようにニコニコしている・・・・(怒)。

 とういわけで、この日記を読んでいて、すでに我が家にきたことある方、またはいつか我が家を訪問したいという方、もし我が家に来たら、閉まっているドアを決して開けないように。ドアノブに誰かが触れようとするしぐさだけでも、わしらを充分に慄かせるので・・・・。 


2002年11月28日(木) 事故続報

 11月24日の日記に書いた事故の続報。大怪我をしたJYは、ギプスをしたまま自宅療養になった。そして、昏睡状態のEは、“最悪の事態=死”を免れたそうだ。

 Eの病院を訪れて以来、自問自答していることがある。

 もし、私がEの立場だったらどうか?、ということ。Eは意識がないわけで、実際に自分が今、どんな状況で他人に晒されているかなど、とうていわからないはずだ。でも、見舞いの人間は、バッチリと意識があるわけで、嫌がおうにも彼女の状況が見て取れる。

 とても、キュートで、子悪魔な魅力にあふれていたE。だが、集中治療室で私が見たEは、開頭を受けた直後。あたまには包帯が巻かれ、手術の直後ということもあり、顔がかなり膨張していた。

 私は、彼女の左側に立っていたのだが、頭にきちんと巻かれたはずの包帯の下を見てしまった。一瞬、ギクッとしたが、確かに彼女の左耳がなかった。それプラス、左耳からおそらく上までザックリとメスが入れられたであろう跡がはっきりと見て取れたのだ・・・・。

 それを確認した瞬間、ひどく彼女に対して悪いことをしているような感覚に襲われた。意識があったら、彼女がおそらく誰にも見せたくはなかっただろうものを、彼女に対する確認もなく、盗み見をしてしまったような、感覚・・・・・。彼女がどう思うか?。少なくとも、私が彼女の立場だったら、こんな姿を人に見られたくないと痛烈に思った。

 死の危険を免れた彼女。つまり、彼女は死ねない。今後、彼女の意識が戻っても、今後の人生を重度の障害者として送らねばならない可能性だけが残った。障害者で、生きがいをもって日々の生活を楽しんでいる人がいるのは知っている。しかし、そこに至るまでの過程は、人にもよるが、かなりのものだったのではないか?・・・、等と色々なことに思いをはせる。

 障害を持っている方、あるいはそれを克服した方には、本当に申し訳ない。が、当たり前のように健康を享受している、あるいはしていた人間が、突然、事故にあってしまい、その後、自分の状態をどのように受け入れていくのか?!?!?!、というのは、本当に想像を絶することなのではないかと、考えないではいられない。おまけに、Eの場合は、ひき逃げなのだから・・・・・・。

 昨日、たまりに溜まった写真の整理をしていた時、事故の2週間前に撮影されたEの元気な姿の写真を発見してしまった。彼女の意識が戻り、なおかつ以前のように元気な姿で、再び私達の前に現れてくれることを祈らないではいられない・・・・・・・・。

 しかし、だ・・・・。

 元気になって、戻ってきてくれと思う感覚が、わがままなんじゃないか?とも思えることがある。元気な姿をみたい、というのは、現在健康な身体をもっていて、なおかつ死だの、障害だのの現実をみたくない者が、単純に思うものなのではないか、と。

 この世に戻るか否か、ということは彼女が決めることでなんだろうとつくづく思った。私達は、元気な姿で戻ってきてくれと願うことができる、が、それはそれなんじゃないだろうか・・・・?!?!?!。

 Eの病院を後にしたあと、私は夫にこう、伝えた。

「何かのことが私におこったら、延命措置はしないで欲しい」と。

夫は黙って、うなずきこう言った。

「ボクの場合も、同じことだ・・・」。

 これらのことは、まことに個人的なことだと思う。でも、私は、この意見を変えることが恐らくと思えてならない。

 哲学者ジル・ドゥルーズ(Gilles DELEUZE)が、パリ17区のアパルトマンから投身自殺をしたのは1995年の11月4日のこと。長らく患っていた病を苦にしての自殺だった。このニュースを知ったとき、私は「これで楽になれてよかっかね」ということだったのを今でも、痛烈に覚えている。また、私が同じ状況だったら、きっと同じことをするだろう、と強く思ったものだった。

 自分の父の死、祖母の死、などを通しても、葬式で一度も泣くことがなかった私。

 父が、ドゥルーズのように人工呼吸器の装着なしでは生きていけない状況になって、ひどく苦しんでいたのを、子供ながらに覚えている。父は、自殺こそしなかったものの、いざとなったら、そういった手段を取る可能性があることを、生前にすでに自分の妻(つまりは私の母)に伝えている。そして妻は、

「あなたがこの世からいなくなるのは、本当に辛いことだが、もしそれをあなたが望むなら、わかりました」と、答えている。

 ま、こんな感じだったので、余計ドゥルーズの自殺の件については、肯定的に受け取れる私がいるのだろうけれど。もし、何かのことがあって、自分の夫が同じような申し入れを私にしてきたら、私も、母のように答えることは確実なのだ。死なないで、など、そんなことを言うことはまるで考えられない私がいる。

 Eがどう思うかどうか、ということではない。彼女の状況を目にして私が思ったことを書いているだけだ、ということを、再度付け加えておく。

 そう・・・・、ゼロの視点、として・・・・。


2002年11月27日(水) カップル達の逸話 PART2

1998年から付き合っていたカップルの話。

 当時、彼女S26歳、彼Mは66歳という、年齢差がかなりあるカップル。彼Mのほうは、名前に"de"がつく、貴族階級の出身。家系図をさかのぼっていくとアンリ何世だかは忘れたが、そういった著名人にぶち当たるらしい。とはいえ、彼Mの風貌は、1km離れたところからみても、巨大なる浮浪者、もしくは狂人スレスレの怪しい芸術家ってな感じだった。

 それにたいして彼女Sは、それはそれは美しい。おまけに頭の回転もよくて、話して楽しく、見て美しいという、すべてが揃っているような女性。ゆえにこんな二人をみて、わしら夫婦は、よく「美女と野獣」とからかっていた。

 彼は、パリの南西にある郊外の一軒家で暮らしていた。大きな家の中は、何十年も捨てられぬままとってある古雑誌、ガラクタでグチャグチャ。サロンと呼ばれるところには、ピアノや、ボロボロのソファーがあり、時にそこに音楽家を招聘して、ホームコンサートなどを開催していた。わしらも数度招待されたことがあり、出向いたのだが、ガラクタに囲まれてのクラシック音楽のコンサートは、なかなかシュールだった。

 招待客の中には、大使館員や、著名なアーティストなども混ざっていたが、彼らもみんなガラクタに埋まり、半分壊れかかったようなアンティーク椅子に全体重をかけずに、恐る恐る座りつつ、音楽を聴いている(笑)。パンストなどを穿いていたら、間違いなくデンセンしそうな椅子もたくさんあった。バランスをとる為に、近くにあるガラクタに手を置かざるを得ないのだが、同然それらは埃だらけ。ということで、“手が異様に汚くなるコンサート”だったともいえる。

 コンサートのあとは、アペリティフやバイキングスタイルのディナーが始まる。だんだんと日が暮れてきて、ちょっと照明が欲しい時刻になってきた。すると彼女のSがたくさんの蝋燭をサロン等に持ってきて、一生懸命点火している。フランス人は間接照明が好きだというのは知っているが、それにしても蝋燭だけじゃ、どうも暗い。なので、ちょっと電気をつけてみないか?と提案してみると、彼女Sが、「Mの家には、電気が通ってないのよ(笑)」と衝撃的な返事!!。

 あまりにも暗くて、料理の色合いがわからない・・・。ふと私は第二次世界大戦中などは、こうだったんだろうか?!?!?!、などと思いをめぐらした。

 とにもかくにも、色々な意味で常人とは完璧にかけ離れていて、エキセントリックだったM。そんな彼の唯一無二の性格に惹かれていたSだったが、やはり相当、彼との日常生活には悩まされていた。ある日、とうとう彼Mとの生活に嫌気がさした彼女Sが別れを切り出した。

 別れたあとのSは、自分と同年代の男性と付き合いだした。しかし彼女Sにまだ未練のあるMは、毎日彼女のあとを尾行し、逐一彼女の行動をチェックしていた。

 そして、ある日・・・・・・。

 元彼女Sが自分の家で、新しい彼とロマンティックな夜を過ごしていると玄関のチャイムが鳴った。新しい彼がドアを開けると、そこにはMがいた。そして言葉をかける間もなく、Mはポケットからナイフを取り出し、Sの新しい彼を刺しまくった。合計14箇所。家の中は血まみれ。

 しかし、14箇所刺したMだったが、その14箇所すべてが急所が外れていたので、殺人犯にはならずに済んだ。不幸中の幸いだ。

 刑務所から出所したMは、その後、元彼女が住んでいる地区への出入りを法的に禁じられた。事件後も元彼女のSとは、わしらは交流があるが、今現在Mがどうなっているのかは、誰も知らない。


2002年11月25日(月) 謎が謎をよぶ

 朝起きて、あらためて昨日見聞したことをボーっと考え直してみた。ま、意思というよりも、自然に考え込んでしまったのであったが・・・・。

 まだなんとも結果が出ていないので、HPには書けないのだが、メグレにでもなったかのように、夫と私で色々なことを再検証して、嫌なことにたくさんの疑問点(事故について)を発見してしまった。ぬぐいさっても、謎が謎をよんで全然スッキリしない。
 
 土曜日の未明に発生した事故は、私達が参加していてもおかしくないパーティーの帰り道でのことだった。たまたま私達は“姑がパリに上陸中”だったので、夜遊びモードから真面目モードに切り替える必要があったため、パーティー参加を急遽取りやめていた。

 それにしても、本当にスッキリしないぞ・・・・。
 
 グズグズ考えていてもしょうがないので、気分転換に仕事を始めたら、急に面白くなってしまって、12時間ぶっ続けで働いてしまった。

棚からボタ餅?。


2002年11月24日(日) "PARLE AVEC ELLE"

 昨日、姑とのディナーを終えて、夫と二人でほっと一休みしたところに、とんでもない連絡が入ってきた。友人のJY(♂30歳)が、スクーターの後ろに彼の友人のE(♀26歳)を乗せて、シャンゼリゼのあたりを土曜日午前3時ごろ走っていたら、事故にあって、とんでもないことになっている、というニュースだった。

 姑が来たりしていたので、電源が長いことオフになっていた夫の携帯に残されていたメッセージだった・・・・。

 慌ててメッセージを残してくれた友人Sに電話して、事情を聞く。しかし情報が交錯していて、よくわからない。JYは大怪我をしたものの命に別状はないが、Eのほうは生死を彷徨っている最中である可能性だけが伝わってきた。

 それぞれ違う病院に運ばれていて、各病院に問い合わせをしてみるものの、Eの方の状態があまりにも重篤なので、病院側が問い合わせ者がはっきりとわからないと、情報は教えられない、とのこと。

 このままいてもしょうがないので、とりあえず就寝(この時点で日曜日の午前3時、事故発生から24時間が経過していた)。

 朝になり、再び友人らと連絡を取り合い、病院の面会がOKになる時間にあわせて、病院へ・・・・・。

 まず、私達はJYの病院へ行った。ギプスでグルグル巻きになりながらも、喋ったりできるJYの姿を見てホッとする。JYはいつものようにふざけたりするものの、一緒にバイク事故にあったEのことを考えると、罪悪感でたまらないというのが、傍目でもよくわかる。

 目撃者の話では、彼はものすごく安全運転をしていて、そこに信号無視の車が突入してきて、あっという間に彼らは吹っ飛ばされたということ。なおかつそのクルマは逃走して、まったく手がかりがつかめていないとのこと。「ひき逃げ」だ。ゆえに、JYの立場は法的には全く罪に問われることはないとしても、とはいえ、現在昏睡状態の友人Eのことを考えると、どうしようもない気持ちになるのは、なんと辛いことだろうと思う。

 YBはバイク青年。ゆえにたとえスクーターであろうと、物凄く丈夫な皮ジャンに、フルフェイスヘルメット、特製の手袋などで重装備していたうえに、巣スポーツマンだったゆえ、無意識のうちに飛ばされながらも、地面に叩きつけられる瞬間に、身体を守ったらしく、数箇所の骨折ですんだらしい。

 一方、Eのほうは、たまたまパーティーで一緒になったJYに帰る方向が同じなので、バイクに乗せてもらっただけのこと。ゆえに、服装もバイク使用でもなく、メルメットも、警察におとがめをもらわない程度の、いわゆるシンボリックなものだったらしい。

JYの病院のあと、Eの病院へ・・・・・・・・・・。

 そこは、集中治療室。面会時間と人数が制限されていたので、しばらく待合室で待機。そして、とうとう順番が回ってきた。中に入り、手を消毒して割烹着のようなものを着せられ、恐る恐る廊下を進む。すべての病室のドアが開いていて、みんな昏睡状態。動いているのは、職員と昏睡状態の患者につけられた機械だけという、ある種異様な世界。

  脳を激しく損傷したEが、ベットの上に横たわっていた・・・、たくさんの管につながれて。病院搬送直後に開頭手術をうけた彼女の顔はかなり浮腫んでいたので、最初、本当にそれがEだとはわからなかったほどだ。

「職員から手などを握って、話し掛けてあげて結構ですよ」

と言われたので、握り返してくる目処が全く現在のところつかない彼女の手を握ってみるが、ひんやりと冷たい。脈拍や、心電図や、脳波が示されているモニターを眺めながら、彼女に喋りかけてみた。喋りかけるといささか数値が上がったようにも思ったが、気のせいなんだろうか?。

 半年前に見た、ペドロ・アルモドバル監督の映画"PARLE AVEC ELLE(原題HABLE CON ELLA※日本未公開?)"を、ふと思い出した。昏睡状態の2人の女性の物語。それぞれに思いを寄せる男性が、いつ蘇るともわからない彼女らに、話し掛けていく映画だ。まさかこ映画の半年後に、自分が昏睡状態の友人に話し掛ける日が来るとは、想像だにしなかったが、事故というのは、本当に、ある日突然誰の身にも降りかかりうるものだと、改めて痛感した・・・・・・・・。

 そして、一瞬のうちに、事故がすべての人生をかえてしまう、ということも・・・・・。
 


2002年11月23日(土) 姑、上陸!!

 夕方、5時すぎに姑が我が家にやってきた。彼女の来訪のギリギリまで仕事をしていたので、慌てて近所にディナーの食材の買い物へ飛んでいく。

 私の住んでいる界隈では、めったにみかけない、ウルトラ・ブルジョワーズ・ファッションで、いつものように登場する姑(笑)。到着するや否や、我が家のデコレーションがあまりにも、キッチュだと批判。それにカチンときた夫が、わめきだし、彼女の登場たった1分で親子喧嘩勃発。ま、これもいつものこと・・・・。

 カトリックバリバリで、ブルジョワの姑と、アンチ・カトリック&ブルジョワというその息子(わしの夫)の間には、長年この終わりのない闘争が続いている。それプラス、私が夫以上に"Non Conformiste(反体制主義とは辞書にて解説があるが、つまりはしきたり等、まったくどうでもいい人間)"なので、姑がいくら私を通して、息子に注意を与えたくても、うまくいかない。コメディーなのだ。

 とはいえ、いつも彼女の忠告ばかり聞いているのも鬱陶しい。ということで私は、今回、夫にひとつのアイデアを与えてみた。姑は年をとっているとはいっても、典型的・生粋のフランス女。ゆえに、完全なヘテロセクシュアル。なので、ひとり面白そうな男性をこのディナーに招いたら、彼女が彼との話に夢中になって、デコレーションに関しての趣味の違いなど、あっという間に忘れてしまうのではないか?、というアイデアだ。

 すぐに夫は、このアイデアに大賛成したものの、じゃあ、誰を呼ぶか?、ということが問題になってくる。あてもないまま、姑がすでに上陸していて、夫も彼女とバトル、私もバトル。傍目からみたら、フランステレビによくある制作費もあまりかからない、激しい討論番組のような雰囲気(バトルとはいえ、決して喧嘩でないんだけれど、ね)。三者三様に、口から泡を吹き出さんばかりに喋っている(笑)。

 そんな時、電話が鳴った。以前の日記にも書いた精神科医Gだ。彼はちょうど一人でつまらないと言ってきた。

おお、まさに「飛んで火にいる夏の虫」とは、このこと!!。

 さっそく、我が家に来るようにうまく夫に交渉してもらい、この電話の30分後、本当に彼がやってきた。するとどうだろう、我が姑、あっという間に彼女の関心が彼に向いていく・・・。私の読みは正しかった。彼が来るとわかった瞬間に、口紅を塗りなおしていたし・・・。

 いくつになっても、異性の前では美しくいたい、というフランス女の典型が私の目の前にいる。アッパレ。

 精神科医Gのほうはというと、彼はかわいくて若い女性が大好きなので、果たして彼にとってこのディナーが本当に楽しかったのかどうかは知らんが・・・・。

 彼は、少し前に女に捨てられて、現在ちょっとばかり鬱モード。そんな彼は自分の思いを断ち切るために、毎日メランコリックな詩を書き綴っている。で、たまたまその詩を私達のリクエストに応えて、音読してくれた。その詩を聞きながら、我が姑は、目を細めてうっとりと聞いている(爆笑)。

 メールも何もない時代に慣れている彼女としては、恋文だとか、詩だとかが何よりも大好きゆえ、断ち切れぬ想いにあふれた男の詩などは、まさに彼女にうってつけ。こうして、バトルに始まったディナーは、詩の鑑賞会となっていった。

 時計が12時を回る頃、Gの携帯が鳴った。彼は救急の精神科医。マレ地区にて自殺を図ろうとしている女性を、思いとどまらせてほしいという緊急連絡だった。姑もそろそろ1区にある、パリ上陸用の自分のアパルトマンに戻らねばならないので、宴もたけなわ、お開きとなった。

 嫁の立場としては、適当に盛り上がったし、ちょうど良くGの携帯が鳴って、程よい時間にお開きになって、あーーー、よかった、よかった、というのが本音。


2002年11月22日(金) 絶不調・・・・・・

 夜明けからはじまった激しい歯痛。歯医者に行った後から、歯痛がひどくなるってのは、どういうことなんだッ?!?!?!?!。おまけに飲んだ鎮痛剤の副作用で、歯痛が治まったと思ったら、胃がネジレるような鈍い痛みが襲ってきてもう、殺してくれっ!!、って感じ。

 朝一番でかかりつけの歯医者に電話して、予約なしで割り込み診察をしてもらうことに成功。昼に北駅からロンドンに向かうKYを見送りに行こうと思っていたが、それどころではなくなってしまった・・・。


 ワラをも掴む思いで歯医者に行ったものの、歯医者はただレントゲンを撮っただけ。あとは、山のようなたくさんの薬を買うように指示された処方箋が私の手元に渡されただけ・・・・。
 
 次の予約は水曜日。これまでどうやって過ごせっていうのか、クソっ!!。歯痛のために薬をのみ、胃痛がはじまり・・・・、昨夜からこのいずれかがいつも痛んでいる生活。おまけに歯医者は、

「横になると血が頭部に上るから、夜は長椅子で仮眠したほうがいいわよ」と明るい声で、鼻歌交じりにアドヴァイスしてくる・・・・・。人のことだと思いやがってェ・・・(涙)。

 この分じゃ何もできないので、明日の姑(ただ今パリ上陸中!!)とのディナーの準備は、すべて夫にやってもらおう!!。

 これぞ不幸中の幸い?!?!?!。


2002年11月21日(木) 幻想と現実

 昼過ぎにKYと、とあるレストランへランチへ行った。フランス人がまったくいないに等しい界隈にある、カレー屋。もう、おわかりかと思うが、この界隈の大部分の人達は、“とっても日に焼けている”。

 今まで何度もパリに来ているKYだが、短期間の滞在ゆえ、きっとこういった界隈に足を踏み入れる機会は、今までなかっただろうと思ったゆえのチョイス。

 私とKYが昔いた某大学の仏文科は、アル意味、根拠もなくスノッブなところだったという話に花が咲いた。もともとパリという街自体が、全世界に幻想を抱かせやすい都市なのは百も承知のうえだが、それにしても、わが大学は、けっこうスゴかったと思わざるを得ない。

 自主映画上映会にしても、テキストを選ぶだけにしても、必ず専門家ぶった“通”気取りの方々が色々意見し、「フランス文化を学ぶにはどうのこうの」と意味不明なウンチクを並べる光景をよく目にしたものだ。また、この状況を暗に教授陣が煽っていたともいえる。

 とはいう自分も、その一派の中に片足を突っ込んでいたものの、あくまでフランス文化に対して「特定の幻想」を抱こうとする人々には、なかなかついていけないものがあった。

そう、それは、まるで一種の新興宗教のようなモノにすら、私には感じられた。

 友人KYは、こういった雰囲気を在学中から怖いと思っていた一人。また彼女はまったくスノッブな性格じゃない。しかし、こういったイメージがそのままフランス人に投影されて、何度もフランスを旅行したのにもかかわらず、あらゆるフランス人がスノッブで、口を開いたら文学&映画談義などを、ニヒリスティックにやっているものだという幻想から脱出できず、「フランス人怖い病」にかかっていた。

 ま、簡単にいえば、「おフランスかぶれ」に悪い意味で影響されすぎてしまっていたのだろう。

 しかし、KYは私と夫などを通して見聞した「現実のフランス像」等に触れていくうちに、最近はフランス、それもパリに対して妙なアレルギーを持つことがなくなったと言った。私達の存在が、彼女にとって“解毒剤”として役にたったのであれば、嬉しいことだ。 


2002年11月20日(水) 突然の訪問者

 夜の9時過ぎ、ありあわせの食材で簡単な食事をつくり、夫とテレビを見ながらダラダラと食事をしていた時のこと。突然、呼び鈴が鳴った・・・・。

「誰?。こんな時間に?。」

不審そうに私と夫は顔を見合す。とはいえ、誰なのかを知りたいので、インターフォンに私が出てみる。

私「アロー?。」
謎の訪問者「こんばんは」

ゲッ、謎の訪問者は日本語を喋っている。しかも女性のようだ。

私「どちらさまでしょうか」と私も日本語で切り返してみる。
謎の訪問者「おせんべを持ってきました」
私「???????」

おせんべなど、宅配で頼んだ覚えはないぞ?!?!?!?!。キサマは何者じゃ?。

私「で、どちらさまなんでしょうか?。」
謎の訪問者「KYだよーーーーん」
私「まさか・・・・・・!!!!!」

 謎の訪問者は、大学からの親友のひとりだった!!。KYは日本在住で、つい3日前までいつものように、メールを日本とフランスで交わしていたから、インターホン越しに、突然「KYだよ」と言われても、アタマが混乱。それと同時に感動して、取るものも取らず、スリッパのままエレベーターを降り、入り口にいる彼女を迎えに行く。 

 思えば、彼女はいつも私の人生の節目にいてくれた人間。大学を卒業して互いに都内で働いていたとき、フラッと会社帰りに、時には昼休みにKYの職場にアポなし訪問して彼女をビックリさせる、ということをしょっちゅうやっていた私。KYのところへ立ち寄って、ダラダラと話をすることで何度も救われてきた。

 そして、最近、妙に彼女のことが懐かしくなってきていて、メールで「久しぶりに一緒に呑みてーぜ!!!」などと、お互いに言い合っていたところ。ただ、仕事の関係で、11月の日本への里帰りが無期延期になってしまったので、ガックリしていたところでもあった。

 彼女は私のHPを見ていてくれて、それで私が確実にパリにいるということを確信した瞬間、内緒で航空券を取ったらしい。長年、私にアポなし訪問されていたので、今度は“自分がやってやろう!!”、と・・・・。

「なんていうやつだ・・・・・」と繰り返し言いながら、あまりの嬉しさでボロボロ泣いている私、そんな私を見て、友人も涙・・・・。夫が私達二人の“感動のご対面”についていけず、ポカーンと見ている(笑)。

 その後は、渋谷の街で昔二人で呑んでいたように、我が家で酒盛り。積もる話は午前2時まで続いた。KYはあさっての昼にはロンドンに行ってしまうので、明日の木曜日は、何が何でも彼女のために一日空けようと思う私であった。


2002年11月19日(火) カップル達の逸話 PART1

 今まで出会ってきたカップル達の逸話をちょっと・・・・・。

(1)既婚アメリカ人カップル
   
 ある日夫J(42)が、妙な胸騒ぎを覚えて妻D(38)のメールボックスに、暗証番号をなんとか推理してアクセス成功。するとそこには、先日夫婦で気分転換にでかけていったクラブで知り合ったアラブ人と、妻の「熱い恋の往復書簡」が。アタマに血がのぼった彼は、そのままの勢いで我が家に電話してくる。妻のメールを全部メールで転送までしてくれた。
 
 アラブ人の彼が書いた手紙は、あまりにも素晴らしい文体だった。本当に文学していた。しばらく読んでいるうちに、私の夫のほうが先にこのトリックに気がついて爆笑したじめた。
 
 なんと、ソレは「シラノ・ド・ベルジュラック」のとあるくどきシーンの文体をそのままパクったものだったのだ・・・・・。どうりで文学的なわけだ(笑)。
 
 しかし、フランス語の勉強をしている最中の妻Dは、そんなことにまるで気づいていず、どんどんアラブ人の彼にのめりこんでいく。そんな妻に、日記をみてしまったと白状することもできず、とはいえ現状を放って置けない夫Jはますます悩み・・・・・。これじゃ、谷崎潤一郎の小説じゃないか?!?!?!、と思ったくらいだ。

 この状況にいてもたってもいられない夫Jからは、毎日数回電話がかかってくる日が長いこと続いた。で、少々うんざりしてきた私は、Jに谷崎の本を読むことをすすめた。薦める理由を彼が問うてくるので、

私「きっとJはマゾな血があるんだと思うよ、だから、こういうのを発見して  頭にカーッと熱くなったと同時に、股間も熱くなったでしょ?」と言って  みた。(私の夫は隣で腹をかかえて笑っている)。
J「・・・・・・・・・・・」
私「きっと、奥さんはね、ただ夢をみているだけで長くは続かないと思うよ。  それにいい夫婦の刺激になってよかったじゃない、おめでとうっ!!」
J「・・・・そうなのかな?」

 結局、この騒動から2ヶ月して、以前にも増してラブラブ状態に戻った夫婦の話でした・・・・・・。(ちなみにこの夫婦は、幼馴染で人生のほとんどを一緒に過ごしている)。

 こういったネタは身近に数え切れないほどあるので、時をみてアップしていこうと思うので、お待ちくだされ。
  


2002年11月18日(月) 満月

 ふと窓から夜空を眺めてみると、満月・・・・・。なるほど、どうりで意味不明に私の血が騒いでいるわけだ。

 自分の仕事のことだけでもストレスが多いのだが、現在夫がリストラの危機にあることで、様々なストレスが我が家では交錯している。個人的に彼がリストラされても、生活はなんとかなっていくと思っているので、極端な不安というものが未だにない。

 しかし、だ。どういう条件で夫が会社を去るか?、ということが最大の焦点。我が家により良い条件となると、会社とのバトルは必至。そして、私はこういったバトルに人一倍燃えるタイプの人間。自分の仕事に燃えなくてはいけないのに、こういったことに燃えていること自体どうかと自問するものの、友人・知人・組合・弁護士などとの会話に参加していると、当事者の夫より燃えている自分を発見・・・・(汗)。

(1)私の父は、職場でライバルおよび嫌な同僚をクビにしている。
(2)私の母は、職場で上司をクビにしている。
(3)私も、日本で在職中上司をクビにしている。

 あらためて文字にしてみると、恐ろしい一家のように見えるが、こういった家庭に生まれた私にとっては、なんでもない普通のこと。長いものに巻かれて、やり過ごすなんてことがまずできないようになっているみたいだ(※わが家族は、別に思想もなにもなく、どこにも所属もせず、ウルトラ・ノンポリ)。それでもここ数年、本当に自分の性格が丸くなったとは思うものの、今回の話は、別。

 さて、夫の勤める会社は、誰もがいい意味でも悪い意味でも知っているフランスのマンモス企業。今年、この会社のバブル経営が完全に破綻したのを契機に、大リストラが始まった。

 こうなる以前から、たまに夫の会社に見学に行ったり、時としてはヘルプとして催事に参加したりしてきているので、この会社のフランス人らの勤務形態は把握している。個人的には、日本の会社のほうがやっぱりキツイというのが本音だ(あくまでも、夫の会社と比較しての話なので、安易にそれを一般化して比較しようとは思っていないので、あしからず)。

 日本の会社は、組合などがあっても、その機能はかなり弱いことにはじまり、なかなか自分の都合を優先できないことは周知のこと。それに対して、夫の会社を観察すると、リストラ寸前の人でも日本人サラリーマンに比較した場合、個人の生活が守られているように思えてならないのだ。とはいえ、たいていのフランス人雇用者は、まず日本などで働いた経験もないから、自分が一番不幸だと思っている(笑)。

 そんなとき、自分の経験、また日本の友人・知人たちが勤務する各会社での「いじめの現状」をフランス人に語ると、たいていのフランス人は、自分が恵まれていることに、ハッと気づく。これは、何度やっても興味深いものだ。私は、どちらの国がいいか悪いかということをジャッジするつもりは毛頭ない。しかし、その違いをフランス人に伝え、フランス人の反応をこの眼で確認するのに興味があるし、また、それを話している最中に、あらためて自分や、自分の国について、ハッと気づく「その瞬間」が好きだ。

 いずれにせよ、よく言われていることとはいえやはり会社においての「個人」の位置は、フランスのソレから比べると、日本のほうが遥かに低いと思う。とはいえ、そういった日本に生まれ育ち、そのシステムの中で働いているのだから、フランス人からは「信じられないこと」も、日本人にとっては口でいうほど「苦」ではないことが多いのだろうことを、あえて付け加えておく。

 幸か不幸か、私自身は「個人」が最低限保障されているフランス社会のほうが向いているようだ。願わくば、フランスで人々に時に嘲笑される「ファンクショネールこと、公務員(それも下っ端)」になりたいと思うぐらいだ。

 年に最低5週間の休みを"取らねばならず"、眼にゴミが入っただけでも医者に駆け込み、医者に1週間の休養が必要と書いてもらい、公的な病欠という名の有給休暇を取ることが出来る。昼休みはタップリと取り、社員食堂には昼からワインなどを飲んでのんびりする人がたくさん存在。おまけにスーツなどで出勤する必要もなし(特に、郵便局)。夏は、ビーチサンダルに短パン&Tシャツという、まるで田舎モノのオーストラリア人旅行客のようないでたちで勤務する人々。そして55歳(職種によっては50歳)で悠悠自適の退職生活がスタートするのだ・・・・。もう挙げたらきりがないほど、こういった素晴らしい特典が盛りだくさんっ!!!!。

 と、こんなことを書いているうちに、日本のサラリーマン世界の最大の利点をふと思い出した。それは「経費という名の甘い汁」だ。これは、フランスのあらゆる会社と比較しても、日本はスゴイ(景気が悪いといっても、ね)。

 知り合いの日本人サラリーマンがたまに、パリにやってくる。パリで一人は寂しいと、私達夫婦を高級レストランに連れて行ってくれる。「なんでも好きなもの頼んでね、どうせ経費だし!!」というのが彼の口癖。私は、経費だろうがなんだろうが、「どうせ人の財布だし(笑)!!」となんでも頼むが・・・。彼自ら曰く“会社一番の売上をほこる営業マン”とのことだ・・・・(汗)。おそらく、現実は“会社一番の経費の使い主”なんだろうけれど。

 さて、夫のリストラ話に戻ろう。幸いなことに夫は有能な弁護士の友人らの援助がいつでも受けられる。ボランティアでアドヴァイスしてくれる人が続出している。役者はとうに揃っているのだ!!。現在のところ、私の意見と弁護士らの意見はほぼ一致していて、あとは、夫本人の闘いへの“やる気”を待つだけである。

 が・・・・・。夫も所詮典型的フランス人。楽しいこと優先の性格なので、問題がそこまで迫っているのに、あまりにもノンキなのだ・・・。おまけに「僕はゼロみたいに、バトルに慣れていないんだ・・」などと言うので、この二ヶ月は何も表立って意見はせず、遠くから見守ることにしている。だから余計ストレスが溜まるのだ。

 日本人の私からすると、夫のフランス人上司のいい加減さなどが丸見え。ゆえにそれを逆手にとって、面白いように責められる点がたくさんある。それがなんちゃってフランス人の夫には、そうは見えない・・・・・・。歯がゆい日々である。

 頑張ってくれ、夫よ!!。

 私も最後の最後まで、口をださないように頑張るから・・・・・(笑)。


2002年11月17日(日) ラーメン

 先週末からずうっと夜は出かけっぱなしだったせいか、さすがに疲れている私・・・・。こんな日は、一日中バスローブのまま、ダラダラと過ごすのが一番っ!!。

 しかし、そうはいかない。さすがに仕事にまったく手をつけずにここまで来ているので、いつものようにダラダラしようとも、神経がそれに反応してくれない。なので、午後からパソコンに向かい徐々に仕事ができるような雰囲気作り。幸いなことに夫が出かけていってくれたおかげで、家の中は静か。素晴らしいっ!!。

 日暮れと共に集中力がアップしてきて、時間を忘れて台割を作ったり、取材リストなどを作っていた。そのうち夫が帰ってきたが、そんなことも放っておいた。

 珍しくよく働いている妻を見て、さすがに「お腹がすいたぁ!!」といつものように言えないと察した夫が、気を利かせてどうやら料理をはじめた模様。ラッキーと思いながら、リスト作成のラストスパート。フィニッシュと同時に夫が夕食をテーブルに運んできてくれた。

 夫は自分用にはオムレツ、仕事でちょっとだけ疲れた私には、あったかい汁モノがいいだろうと、わざわざ別メニューでラーメンを用意してくれた。感激!!。昨夜のパーティーのような大それたことはできないとしても、心のこもったラーメンを作ってくれるだけで、私は充分嬉しいのだ。

 そして、一口クチにすると・・・・・・。

 ま、ま、ま、まっずーーーーーいっ(怒)!!。

 本当に恐ろしく、マ・ズ・イ。

 何をどうやったら、こんなにまずいラーメンを作ることができるのか?!?!?!。生まれて始めて激マズラーメンを口にしてしまった衝撃で、思わず顔が引きつる私。丁重にまずいと夫に伝え、自分の食事は自分で作ろうと席をたつと、今度はその態度にカチンときた夫が怒りはじめる。

 強い口調で言われれば、自然とこちらも強い口調で言い返してしまうもの。ゆえに喧嘩第一ラウンド開始。あーだこーだとわめいている夫に対して、こちらもわめきながらも、なぜマズイのかを論理的に説明し、最後には夫にそれを試食させてみた。

 するとどうだろう、さっきまでわめいていたはずの夫が急に静かになっているではないか・・・・。やはり、彼の口にも、そうとうマズイものだったらしい。そして、あっという間にバトルは休戦。

 私はさっさとキッチンへ向かい、自分のためだけに美味しい「あんかけ焼きそば」を作った。
 


2002年11月16日(土) パリのアメリカ人

 本日は、二組のアメリカ人夫婦から招かれている。

 一組目は、この日記に以前書いた、11月4日の写真家の友人のオープニングパーティーでたまたま知り合った夫婦。彼らはオープニングパーティー会場の近所に住んでいて、その場所を偶然通りかかって、面白そうだからとやってきたのだ。この夫婦、夫のほうは、ちょっとテリー伊藤に似た風貌だったせいか、彼がパーティー会場に入ってきた時、私は思いっきり、ジイーッと見入ってしまった。そこに、英語でコミュニケーションをとるのが大好きな夫(普段はなかなかその機会に恵まれない)が、ここぞとばかりに彼らに話しかけ、意気投合。そして、今回のお呼ばれとなったのだ。

 ふとしたキッカケで人と知り合いになっていく過程は、楽しい。今回もワクワクしながら、彼らのアパルトマンがあるシテ島へ。セーヌ川沿いにあるアパルトマンの入り口を入ると、そこは映画にでも出てくるような瀟洒な中庭。

フランス人よりも、フランスっぽい、おブルジョワ様の世界!!!!。

 アパルトマンの中に入ると、窓からセーヌが見え、バトームーシュの夜景を堪能できるという仕組みになっていた。それを見たとき、ふとウッディ・アレンの映画「世界中がアイラブユー」を思い出す。ウッディ・アレンが口説こうとしているアメリカ人女性の夢は、モンマルトルの丘が見えるアパルトマンに住み、優雅な暮らしをすることだったな・・・、と。もちろん、その優雅さ、というのは、映画などを通してアメリカ人が構築していった、パリに対するイメージの象徴、ともいえる。

 少し話はズレてしまったが、彼らは実は、あと2週間もするとアメリカに戻ってしまうとのことだった。この瀟洒なアパルトマンの持ち主と友人で、その持ち主に、自分達が持っているイタリアの別荘を貸している間、彼らがその代わりにパリのほうのアパルトマンに住んでいる、とのことだった。

 色々と話がはずみ(もちろんアペリティフの酒も結構飲んだが・・・)、ブッシュ政権の話などにもなった。彼らはブッシュが大嫌いとのこと。アメリカ国民として、あのような大統領がいるのが恥ずかしいと言っていたので、私はホッとした。もし、ブッシュをバリバリに推すタイプだったら、かなーり私はイライラしてきて、話が険悪になったと思うので。

 思ったより彼らと話込んでしまったので、慌てて、次のアメリカ人夫妻の家へ向かう。夫のJは、妻のD誕生日に、内緒でパーティーの準備をして、妻を驚かせたいと思ってこれを企画。パーティー招待客は、決められた時間に来るように言われていた。そして、何も知らない妻Dを居間に連れて行くと、そこにはたくさんの人が彼女の誕生日を祝うために待機している、というのが夫Jのネライだったようだ。

 この企画の話を一ヶ月前から聞いていたが、私は、ふと気になっていたことがあった。私達は、この夫婦と交流はあるのだが、彼らのアパルトマンを一度も訪れるチャンスがなかった。それもあって、なかなか想像できなかったのだが、とはいえ、普通の小さなパリのアパルトマンだったら、自宅の一部に妻に気づかれないように招待客を50人も待機させることが、果たして可能なんだろうか?、ということだ。

 まず、我が家だったら、無理。絶対に私が気づく。それに我が家は小さい。おまけに、夫がそんなに周到に企画を立てられるとも思えんし・・・・。

 ところで私達は、一件目のアメリカ人夫妻の家で長居をしすぎたため、パーティーのメインイベントである、残念なことに妻が驚く場面を逃してしまった。会場につくと、すでにたくさんの人たちが集っていた。夫Jは、妻Dに私達が来ることも内緒にしていたので、妻Dは、私達をみると、あらためてビックリしながら、喜んでくれた(ビックリしながら、嫌がられたら、寂しいし、ね)。

 茶目っ気たっぷりの主催者Jの仕事は、金融関係。なので、招待客のほとんどは、金融系の人達ばかり。サロンでは、コントラバスとピアノの伴奏(ジャズ)にあわせて、キレイなアメリカ人女性が歌っている。プロか?、と思ったら、彼らも本業は金融関係だった。プロの給仕がすべてのサービスを仕切り、ほどよく冷えた美味しいシャンパンを運んできてくれる。美味しいビュッフェに、いたるところに置いてあるゴージャスな花々っ!!。

おお、Jよ、スゴイじゃないかっ!!!。

 メインイベントを逃してしまったので、色々な人にどんな感じだったかをさっそく尋ねてみた。人々曰く、本当に妻Dは、その瞬間までまったく招待客に気がついていなかったようだ。そして、サロンに夫Jに手をひかれてつれてこられ、大勢の招待客が「ハッピーバースデイ」を合唱する光景を見た瞬間、強烈に驚いて、震えていたらしい・・・。

 それにしても、だ。実際に彼らの家に行ってみてよくわかったのだが、確かにこういった企画をたてて、それを成功させるに値する広さのアパルトマンだった・・・・・・・・・。

なんと、総面積400!!。デカイっ!!。

ま、世の中、色々なお方がいるようで、ま、とにかく新鮮に驚いた私のお宅拝見体験記でした。

 


2002年11月14日(木) 同業者

 今年の春にあった、とあるアトリエのパーティーで知り合った、日本人女性Yさんとディナー。彼女も同じ頃に、フランスの出版社と契約して、来年の9月にその本が出版される予定という。彼女は、その原稿のほとんどをすでに仕上げていているとのこと・・・・・(汗)。ちなみに私の、未だ何も手をつけていない本の出版予定は、来年の11月。どうするんだ、私?。この話を聞いたとき、かなーーーり焦って、心臓がドクドクと鳴った。

 Yさんの場合、自分が表現したいものをすでに作成して、その後出版社に売り込んでいく、という方法をとったとのこと。これは、本当にスゴイことだ。まず、出版されるかどうかわらない本を書くなんてことは、ヘタレの私にゃ、できん!!!。それに対して、知人の50代のフランス人♂は、5年がかりで練りに練った本を書いて、その原稿をありとあらゆる出版社に送ったが、すべて断られて現在激しく落ち込み中だ。

 Yさんに、進行表などはどうやってやったか?、と日頃気になっていることを尋ねてみたが、彼女も自分で、すでにその出版社から出版されている本を参考に作ったとのこと。ああ、やっぱりそうか・・・、この国には、基準とか、ノウハウというものは、存在しないのだなとつくづく思った。

 日本では、履歴書を書くとき、すでにその形式ができており、作成者は各欄を埋めていく作業に徹すればよいが、欧米では、真っ白のA4用紙に、ある程度の書き方のコツはあるとはいえ、自分をなるべく高く売り込むために様々なことを書き込んでいく。ま、要するに、これらが端的に仕組みの違いを表しているように思う。

 なんでも自分で好きなようにできる自由と、なんでも自分でしなければいけない不自由・・・・。

 ともかく、今夜のYさんとのディナーは、色々な面で私の刺激になり、また、とても励みになった。これで、なんとか前向きになれたような気がする。

 Yさんと二人でレストランを出て、彼女を食後のコーヒーに自宅に招き談笑しているところに、日本人画家のM嬢が合流。3人、各々の立場から、フランスにてどうやって、仕事を成功させていくか等の、議論に花が咲いた夜だった。
 


2002年11月13日(水) 冠詞

 全然、仕事を進めていない私。そのことからくる焦燥感は、日に日に高まってきている。小学校の時の、夏休みの宿題の悪夢を思い出す。8月30日から急いで宿題をやりだすならいいのだが、私の場合、2学期が始まって、同級生が宿題をすべて提出した姿を見届けてから、自分の宿題に取り掛かっていたのが常だった・・・・(汗)。今回も、こうなるのか?!?!?!?。

 とはいえ、仕事にからむことで、今、あらためて進めていることがある。それは、フランス語の「冠詞」の徹底研究だ。先日、日本人向けの本屋にてブラブラしている時、『初学者も専門家も 新・冠詞抜きでフランス語はわからない』(一川周史著・駿河台出版社)という本をみつけ、それ以来、暇をみつけては読み進めている。とっても面白い本だ。

 それから、夫の師匠が出版している『LE FRANCAIS DECHIFFRE, clé du langue et des langues』(Henri ADAMCZEWSKI著 ARMAND COLIN出版)という本も、ものすごく面白い。

 しかし、だ。面白いこれらの本だが、読んだ分だけ、すぐに実践でそれらの知識を生かしきれているか?、というと・・・・・・・。逆にいうと、それらのことを意識しすぎて、自分のクビを絞めているとも言える(滝汗)。問題を意識する、とはいえ、それをスラスラと使いこなせないというジレンマに、焦点を当てすぎているという、自己分析だけはできる。

 これらのジレンマをそれとなく、フランス語を母国語とする輩にブツブツと愚痴ってみるのだが、だいたいが「そんなのフランス人だってよくわかってないのよーーー」とか言って、軽くあしらわれるのがオチ。そしてこれが「てめえら、なんだかんだいって使いこなせているじゃねーーか」と、余計イライラする原因にもなるのだ・・・・・。

ああ、悪循環・・・・。

 私は、大学の頃、"なんちゃって"フランス文学専攻だった。なぜ"なんちゃって"なのかといえば、要は、真面目でなかったのだ。特に、原文で読書することに対して・・・・。逆にいえば、"なんちゃって"状態なのに、"アタマでっかち"だったということ。若気のいたりとはいえ、こっぱずかしい過去だ。
 
 これらの、真面目でなかったという考えが、現在のコンプレックスの根幹をなしていること。つまりは罪悪感といものを、自分が後生大事に抱えていることに気づいてしまった!!!!。私はマゾか?!?!?!?!。

 マゾでいるのは、くやしいっ!!。ということでとっさに、大学でのフランス語の授業の質を思い出してみる。本当に、いちおう名の通った教授連中のフランス語の質はどうだったんだろう、と。

 だが・・・・、どうして、こうしてあーでもない、こーでもないと、私は考えようとするのか・・?。

 仕事のために冠詞を研究するというのは、あくまでも聞こえのいい現実逃避の言い訳なんだなぁ・・・、と自覚した!!!。本当にジタバタしているんだ、私は!!!!。おおっ。

 こう気づいた瞬間、楽になってしまった。
 ああ、これでグッスリ眠ることができるぞ。
 
 きっと明日は、進行表を作り始めていることだろう。
 


2002年11月12日(火) Vieille France

最近は、本当に雨が多い。

 近いうちにパリに100年ぶりの大洪水が発生するという噂も、現実になってしまうのだろうか?。地下水もすでにいっぱいで、セーヌ川の水位もかなり上がっているし・・・・。すでにあらゆる方面(SNCFやRATPの公共交通機関、そしてフランステレコムの地下ケーブル、EDFの電気非常対策、また病院での緊急時における自家発電機能など・・・)での洪水対策が実施されているものの、実際の洪水にはなかなか対処しきれないらしい、とのこと。

 私は、これらの噂を耳にして以来、周期的に気になってしまうことがある。パリの道という道の、いたるところにある「犬の落し物」。これらは、洪水になったら、どうなるのか?。水に溶けたブツの中を、私たちは歩くことになるのだろうか・・・・・。たまらんっ!!!!!。

 さて、夜は夫の友人Mからディナーに招かれていたので、外出。Mは、私たちと同じパリ右岸に住んでいるけれど、まったくタイプの違う地区。私たちの家がさしずめ新宿・歌舞伎町なら、Mのところは、麻布界隈?!?!?!、とでも形容すれば、イメージを掴んでもらえるだろうか・・・。

 ま、そういうわけで、Mはブルジョワ界隈に住む、ブルジョワ。最近は"Nouveau Riche(つまりは成金)"が増えているので、パッと見は昔からの本物のブルジョワか否かが判別し難くなってきている。しかし立ち居振舞いなどお金ができてから、あとで所詮購入できるわけもなく、何度か交流してみるとその「度合い」が手にとるようにわかってきて面白いものだ。
 
 なおかつ、フランスのある意味恐ろしいところは、各階層でのボキャブラリーが全く違うということ、だ。喋り方が違うということではなくて、すでに語彙自体が全く違う・・・、というようなここまで極端な現象は、果たして日本に存在するのだろうか?!?!?!。

 さて、噂によると彼はその部類じゃないとのこと。ゆえに彼との初対面はある意味とっても楽しみにしていた(社会見学のノリ!!)。

 で、実際のMはどうだったかというと、まさに私に"Vieille France"という言葉を瞬時に思い出させるに等しい人物だった。"Vieille France"とは、私の愛用仏和辞典DICOによると次のように説明されているので、参照。

「(礼儀作法などが)古きフランスの名残りをとどめた、ゆかしい」

ということだ。

 こういったものに反発するように、ミッテラン政権の到来とともに形成されていったのが、Gauche、つまりは左派・社会主義政権。しかし近年では、Gauche連中のブルジョワ化が進み、巷では"Gauche Caviar(キャビア好きな左派)"と揶揄されるようになり、それ以外の問題もたくさん噴出してきて、5月の総選挙で左派はかなり議席を減らしてしまったのだが・・・。

 以上の点に、あらためて細心の注意をしてフランス映画を見てみると、面白いので、未だトライしていない方、ぜひお試しアレ。

 少し話がズレてしまったが、この友人Mこと"Monsieur la vieille france"とその彼女(28歳彼より年下)と私たち夫婦でのディナーは、色々と話が進んで、想像していた以上に楽しく時を過ごすことが出来た。私個人的には、Mに戦前からの1968年までの出来事などを、色々と尋ねて、彼なりの意見を率直に聴くことができて、嬉しかった。また、いつか機会があったら、これらのことについてマトメて、HPにアップしてみたいと思う。

 さて、すっかりいい気分になって、我が家に帰ってきてふと思ったことなのだが・・・・。

 最近、立て続けに「おブルジョワな方々」に食事に招待されることの多い私たち。日本もフランスも同じで、「招待されたら、次は自分たちが招待する」のが最低限のマナー・・・・・。ってことはいつか、彼らも我が家にやってくるということになるのだが、あらためて我が家を見渡すと、散らかり放題・・・・。特に、ここ数日はすざまじい。"Bordel"という言葉しか思いつかない。

 マジで、本当に彼らを招かねばならんのか・・・・、この豚小屋に(涙)?!?!?!?。


2002年11月11日(月) 休日

今日は休日。昨日の夜は、友人の誕生パーティーに呼ばれていたので、家に帰ってきたのは、午前2時頃だった。よって、やはり本日も正午過ぎに起床・・・。

 昨日のパーティーの主催者JPの60歳の誕生日だった。そしてJPの友人の二人姉妹の31歳と30歳の誕生会も合同で祝うという企画だったらしく、彼の家に入ると、様々な年齢層がそれぞれ固まっていて妙に面白かった。

 JPはなんと、25年もかけて毎日こつこつとブリコラージュをして、現在の素晴らしい内装のアパルトマンを作り上げてしまったのだ。バスティーユから徒歩5分くらいの場所で、おそらく150屬老擇あると思われる。

 我が家のように、私も夫もブリコラージュが大嫌い(というか面倒くさいことがすべて嫌いなだけなのだが)な人間としては、すでに誰かが長年かかって作り上げた独創的なアパルトマンと購入するとなると、そりゃあ莫大なお金が必要になってしまうのだ・・・。

 昔アパルトマン探しをしている時、ついつい予算にもかかわらずこういった夢のようなアパルトマンを見学しに行って、しばらく夢をみさせていただいたものだ。

 JPは3年ほど前に、命にかかわる重い病気にかかってしまい、かなり精神的にも辛い日々を過ごしてきたものだったが、昨日の彼はすっかり元気に回復して、彼の自慢のアパルトマンで、楽しくパーティーをすることができて本当に嬉しそうだった。そんな姿を見て、こっちもつい嬉しくなってしまったほどだ。

 さて、昨日の招待客のなかにギタリストがいた。本人曰くアマチュアなのだそうだが、フランメンコから、ロック、そしてバッハの平均律まで自由自在に弾きこなしてくれて、私はとても感動してしまった。また音がものすごくキレイ!!。楽器を弾く男の人の指ってのに、ものすごく魅力を覚える私。ゆえに彼が次々に色々な曲を披露してくれている間、彼の指さばきばかりに見入ってしまった。


2002年11月10日(日) Bullshit!!

 パーティーが終わって家に帰ってきたのは午前5時頃だった。ゆえに朝、というか起きたら、すでにギニョルが始まる頃・・・・。

 さて、昨日のパーティーでの出来事。友人のJPは、SCNFの列車の運転手。彼の家には「FNACか?」というほどのCDがあり、また、そのセレクションがものすごく渋い。そんな彼に、パーティーがはじまる寸前に、

私「どうやら本日のパーティーにCyrille Verdeauxが来るらしい」
JP「彼は、本当に70年代は有名だったんだ、僕も彼のアルバムを2枚持ってい  たけれど、今は売ってしまったけれど、ね(笑)。」
私「プログレはよく聴いていたけれど、はっきりいって彼自身の音楽はあんま  り趣味じゃないんだよね」
JP「僕も以前は面白いと思ったけれど、そんなに僕の趣味じゃないよ。とはい  え、彼が来るんだったら、色々音楽談義したいもんだな!!!」
 
 ま、こんな会話をしたのち、私と夫は、みんなより一足早く会場へ向かい人々を招く準備をしはじめた。

 Cyrille Verdeauxがパーティーにぜひ招いてほしいと、私たちに電話してきたのだが、その時、彼は一足早く会場にやってきて手伝いをして、なおかつ自らの音響セットまで持参して、パーティーで音楽を担当すると提案してきた。

 が、時間になってもなかなか現れない・・・・。どうしたんだ?!?!?!。

 そして、その一時間後、会場の入り口に、メトロや道端にいるようなSDF(つまりは乞食)のような格好をした、うだつのあがらなそうな小柄な中年を発見。恐る恐る近づいてゆき、名前を尋ねてみると、それはなんと、Cyrille Verdeauxだった。ババクールもそこまでいったら、ただの乞食だろう?!って思いっきり突っ込みたくなる気持ちを抑えるのが大変。セーターの毛玉の数は天文学的数字になることだろう。

 気持ちを取り直して、彼の持ち物に目をやるが、どうも電話で約束したような機材がみあたらない・・・・。で、尋ねてみると「ああ、すっかり忘れちゃった・・・・」と蚊の鳴くような声で、ヒヒヒと笑いながら答える・・・(汗)。

 再び、気持ちを取り直して、パーティー参加者が必ず持ってくることになっているシャンパン2本を彼が夫に渡した。夫はそれを冷蔵庫に入れるために手にとったら、なんとそれはシャンパンじゃなくて、Mousseux !!!!!!。シャンパンもどきの、安物Mousseuxを、何食わぬ顔して渡すCyrille Verdeaux。夫もかなーーーりビックリして、なんでシャンパンじゃなくてMousseuxを持って来たのか?、を尋ねはじめる。私は、すかさずその辺にいた友人らにことのいきさつをコッソリ話してみると、みんな彼がMousseuxをシャンパンのフリして持ってきたことに対して、私の想像以上に立腹している。

 以下は、夫とCyrille Verdeauxの対話。

夫「なんでMousseuxなのかな?」
C「酒屋にはシャンパンがなくて、Mousseuxしかなかったんです」
夫「・・・・・Mousseuxしか置いてない酒屋なんて聞いたことも見たこともな  いんだけれどねェ(すでにキレかかっている夫)」
C「僕はピッピー世代だし、お酒の種類なんかよりも、フィーリングや人と人  とのコミュニケーションにおけるバイブレーションが何よりも大切なんで  すよ。」
夫「もし、レストランでさんざん食事して、いざお勘定というときに、キミは  それでもフィーリングが大切云々と言って、金を払わずに店を後にするん  だろうかネエ!!!!(夫、強烈にキレているが、あえて口調を頑張って抑え  ている)。」

 私も、隣でこの会話を聞いていて、そうとうキレてきていた。ある種特殊なパーティーなので、このようなパーティーが開催され場合、シャンパンを持ってくることは、最低限のマナーになっている。たまに、図々しい輩がいて、安くパーティーに潜り込もうとして、時々おこるのが、ドサクサにまぎれてシャンパンのように見せかけてMousseuxを持ってくるという手口。バレなければ、それでOKという輩であり、なおかつパーティーで思いっきり楽しんでしまおうといういわば"Pique-assiette"(直訳は食事泥棒)。

 ま、こんな感じで夫とCyrille Verdeauxの会話は30分ほど続いたが、あくまで胡散臭い、意味不明なニューエイジ的言語で言い訳を続けるCyrille Verdeaux・・・・・。リーインカーネーションだとか、宇宙の真理だとか、そりゃもうスンゴイ説明。私は怒りを通り越して、もう最後には爆笑してしまったほどだ。

 ちなみにCyrille Verdeauxが同伴してやってきた女性は、占い師&タントラマッサージ&セックスセラピストと称して、かなり金儲けをしていそうな人。以前一度、彼女と議論してみたけれど、その根拠のないというか、いい加減なレベルでヒンズー教だのの上辺だけの知識のパッチワークに、眩暈を起こしたことがある。

 彼女は、Cyrille VerdeauxのMousseuxが発見されてしまった瞬間、恥と思ったのか、さっと会場から消えた。Cyrille Verdeauxは、彼女のことを「古代エジプトのプリンセスの生まれ変わり」と言っている・・・・。で、思わずCyrille Verdeauxに私は、「じゃ、あなたは古代エジプトの乞食の生まれ変わりですか?」って突っ込んでしまった・・・・。

 結局、Cyrille Verdeauxは、これらの問答を続けていくうちに、その他大勢の人々の失笑を買い、ふとみんなが眼を離した隙に、その姿を消していた!!。

 さて、可愛そうなのが、列車の運転手JP。彼に会うのを楽しみにしていたのに、彼がきたのはCyrille Verdeauxが入場拒否されて、姿を消した後。結局JPは一度も生Cyrille Verdeauxを見ることもなく、ついさっき起こったイキサツを皆に聞かされるだけとなってしまった。

 パーティーの始まりには、これらのことでちょっと騒然としたものの、あとはいつものようにどんどん盛り上がっていき、午前4時頃まで宴は続いた。

 教訓:日本も、フランスもニューエイジ系の人には要注意?。


2002年11月09日(土) パーティー準備

 本日は、本当にバタバタしている。なぜなら、セーヌ川ほとりにある大きなボートを貸しきってのパーティーがあるからだ。夫が主催者で、私はその補佐といったところ。100人弱の人を招いているので、その対応や問い合わせに朝からテンヤワンヤ。

 おまけにボートなので、きちんとした住所がない。すでに案内状と地図を渡しているものの、それでも不安な人たちからひっきりなしに電話がかかってくる。フランス人が日本人と違うなーーと思うのは、本当に直前になるまで場所を各自で調べたりする、いわゆる「マメ」な作業をやらないところ。ゆえにパーティー当日になっての問い合わせが殺到するのである・・・・(汗)。

 でも、おもしろいこともたくさんある。今回声をかけた40代の女性が、とある男性ピアニストをキャバリエとしてつれてくるとのこと。この男性のことを詳細に聞いた上、その後その本人からパーティー申し込みの電話がかかってきた。私も趣味(あくまでも)でピアノを弾くので、ピアニストと聞いて、ちょっと喜んでいたが、まだどんな分野のピアニストか?、ということは聞いてなかったので、どんどん質問していく。

 すると、彼は、かなり有名人だったことが判明。とはいってもクラシック界ではないのだが。もともと彼は、クラシックピアノなどを学び、コンクールでも1位を獲得したり活躍していたが、1968年の例の学生運動の時に、思いっきり影響を受けて、プログレッシブロックのほうへ転向してしまったのだ。

 GONG、Soft Machine、 Magma、Heldonなどとセッションもし、一時はフランスのプログレ界のリーダー的存在だったCyrille Verdeaux、その人だ。最近の彼は、完全にニューエイジ向けの音楽ばかり(つまりはヒーリング系の音楽)をやっていて、彼のHPを教えてもらって聴いてみた。まだ彼のHPで視聴できる彼の音楽を聞いていた段階では、彼の昔の偉業など全然知らなかったし、音楽の質も全然異なるので、「なんか私の趣味じゃねーなっ」と思っていたのだが、ふとあきらめずに視聴できるかぎりの曲を聴いていたら、それこそ昔のGONGとかを彷彿させるような感じのモノがあったので、「アレっ?????????」と思い始めた。

 そして、気になったことがあったら調べずにいられないというのが私の性格。さっそくGoogleで、彼のバイオグラフィなどを調べていたら、プログレの大御所の名前がある、ある、あるっ!!!!。ひさびさに、ある種の興奮を覚えてしまった。

 電話での彼の印象は、とっても穏やかで、低姿勢だった。色々な話をしたり、なんちゃってインタビューまでしてしまった私だった。

私「Magmaとかよく聴いてたんですよねェ、私」というと、
彼「彼らとはみんな言い友達ですよ、つい最近も彼らと仕事の契約を結んだと  ころでして、ね」

ということだった。どんどん仲良くしていったら、フランスの70年代プログレCDコレクションとか、貸してもらえそうで嬉しいッス(セコイッ!!)。

 さて、これからあと1時間でパーティーに出向きますが、実物の彼はどうなんでしょうかねェ・・・?。ババクールそのままの格好で来るのだろうか?。

  

 


2002年11月08日(金) パワー

 起きたら、すでに13時を過ぎていた・・・(汗)。

 夕方、一年くらい前に、我が家であったパーティーに友人が連れてきた中国人の女性から久しぶりに連絡があったので、カフェで待ち合わせ。一年前会ったときは、彼女はまだたどたどしいフランス語を喋っていたのに、現在は中国人アクセントは残るものの、本当にフランス語を流暢に話すというレベルに達していたので、ビックリ。

 思えば、今年の1月にイランからやってきたFも、フランスに到着したばかりの頃は、ボンジュールぐらいしか喋られなかったのに、フランス生活11ヶ月目の現在、驚異的な成長を遂げた彼は、あたりまえのようにフランス語を話すようなレベルに達している。

 で、この中国人の彼女と、イラン人のFとの共通点は、フランス語の勉強を頑張ったというばかりでなく、こちらでできるだけいい仕事をゲットするためには、フランス語が必要、つまりは言語を「ツール」として割り切っているところだ。
 
 昔の自分を含めてかもしれないが、多くのパリに住む日本人に出会ってきたけれど、上記の二人のようなフランス語の上達をした人にはまだ出会ったことがない・・・・。

 でも、こうやってものすごいハングリー精神で異国で頑張っている人をみると、いい刺激になるし、自分もあらためて成長しようという気にさせてくれるので、ありがたい。

 彼女は、こちらの大学でメトリーズをマスターするために勉強しながら、なおかつ企業でのスタージュを意欲的にこなしていきたい、とのことだ。ゆえにちょっとでも時間があると、人に会い、自分のコネクションをどんどん広げていくことに意を注いでいる。
 


2002年11月07日(木) 見本誌

 9月の末に契約した仕事の見本誌が、今日やっと届いた。日本でもライター業はしていたものの、その契約はほとんど口約束が多かったのに対して、こっちでは、きちんとしたエージェント制。素晴らしいっ!!!!、って思ったのも束の間、進行作業などは、日本に比べて、フランスのほうが全然いいかげん・・・・。うーーーーん・・・・。

 見本誌もなく、進行表もなく、取材なんかはじめられないんだよーーっ、と日毎にイライラが募ってきていた私だが、ようやくこれで少し目処がたちそうになってきて、一安心。

 確かに、ものすごくきちんと作成された契約書にサインする時は、こういったものに慣れていない私にとって、ある種の緊張感すら感じたけれど、蓋を開けてみれば、結局フランス式のダラダラなのか・・・・、と。

 列車が遅れる、ストが多い、レジで待たされる等、こっちに住んでいる日本人の多くが、それらオーガニゼーションの悪さを嘆くような感じ。ま、医院だけれどね、私としては、もうこうなった以上。向こう側が遅れるのを当たり前とするなら、こっちもなんだかんだとそれを自分の仕事が期限内に終わらないときの「正当な理由」にしてしまうことができるのだからっ!!!!。

 しかし、このまま見本誌が送られてこなかったら、フランスでダラダラと待っているだけの生活ってのも嫌なので、さっさと3週間くらい日本へ気分転換の里帰りとしようと思っていたが、それもいまや水の泡・・・。ちょっとショック。

 こっちでできる限りの努力をして、日本の味の再現に燃えていたけれど、やっぱりどこか違う。頑張ったのに、違うというのは、とってもストレスが溜まるものである。特に仕事などのストレスがすでにある場合はなお更だ。原稿書きの後に、美味しい味噌汁を飲みたいだけなのだっ!!!!。

 さて見本誌は、思ったより割とよく出来たシロモノだった。パリにおけるインドという本なのだが、なるほど、ふーん等と言いつつ、すっかり読者になって読みふけってしまった後、ふと「これを自分で作り上げるのか?!?!?!?!」と思い始め、改めて恐怖してみたりする・・・・・。

 やっぱり、ちょっとキツイなぁ・・・・・・・(涙)。

 一抹の恐怖を感じると、最近はピアノで現実逃避をすることが多くなってきている。おかげで、このごろはものすごく腕があがってしまったような・・。
近所から苦情が出ないことを祈りつつ、それでもバンバン弾いてしまっているのだが、ね。


2002年11月06日(水) 子守り

 午後から、友人に頼まれてベビーシッターもどきのために、外出。この友人とは、55歳の精神科医で、上から28歳♀、21歳♀、12歳♂、5歳♂という4人の子供の父親だ。なおかつ、その4人の子供の母親が全員違う!!!!!。またまたその上に、一番上の28歳の娘には、すでに3歳♂がいる。それぞれと結婚をして子供をもうけたのか否かは、現在のところわからないが、とりあえずすべての母親とは別居している。

 彼は救急の精神科医をしているので、突然発狂した人から電話がかかってくると、現場に急行して患者の精神ケアをしてくるというのが主な仕事。というわけで、その急用うえに、たまたま別居している母親から、子供を預かっている日などに、仕事がはいるとその子供の年齢により、支障の具合が違ってくるというわけだ。

 で、もちろん子守が一番必要なのは、5歳の♂のH。たまたま休暇を取っていた夫と一緒に、彼のアパルトマンに暇つぶしながら出かけていった。しばらく彼と話した後、彼は現場へ。

 45分ほどで戻ってくるということだったが、結局彼が戻ってきたのは2時間半後。すっかり5歳児のパワーに振り回された気がしてならない。もともと友人だし、彼にも色々やってもらっているのでボランティアで出向いたとはいえ、これを低賃金で仕事にしている人のことを考えると、なんと重労働なことかっ!!!!!!!。

 Hはとってもかわいい。でも、その疲れを知らないパワーというものが、一人っ子で育ち、なおかつ親戚の同い年の人が、すべて女性という家庭で育ってきたものにとっては、事実、強烈な違和感がある。

 でも、さすがに1時間一緒にいると、Hの趣向もわかってくるので、てきとうに自分が無理しないようにあしらう一方、彼の豊富な蔵書に目をやり、面白そうな本を抜粋して、そのあと読書。

 天才と狂気という主題で書かれている本が数冊あったので、それぞれの著者がどのようにピアニストだったグレン・グールドについて言及しているか調べてみたが、そんなにハッとするように新鮮なことが書いてなかったので、ちょっとガックリ。とはいえ、すべての著者がまぎれもなくグールドの名前を挙げていること自体に興味を覚えた。やっぱり、彼のような存在は、精神科医にとっては、どうしようもなく興味が挽かれるものなのだろうか?。
 
 子供のことなんかまったく放っておいたまま、サンボリスムの研究などといいはり、自分の世界に没頭していう夫に対して、時々癪にさわりながらも、尽きることのないHのエネルギーと格闘していた。

 で、ようやく家の主が戻ってきた。

 そのあとは、日本酒を酌み交わして、3人で様々なことを議論。お燗用の酒を嬉しそうに冷酒にしている彼には、ちょっとビックリしたものの、フランス人なんだから、なんでもあり。そのうち、彼が出会った様々な患者たちの話になった。

 近年、彼が現場に駆けつけてみると、かなりの確率で日本人、それも大多数が女性にお目にかかることがふえているとのこと。最近では、彼が駆けつけたときには、今にも窓から投身自殺せん!!!!、としている若い日本人女性の姿があったそうだ。原因は失恋。日本からわざわざフランスまで追いかけてきて、なんとか彼とラブラブな日々を過ごしたものの、それも長く続かず・・・。挙句の果てに、学生ビザゆえに満足に働くこともでず・・・。

 ま、よく耳にする話とはいえ、その現場にかけつけた医師本人からそれを耳にすると、あらためて、ちょっとビックリ。

 以前、パリ在住の日本人精神科医の太田氏という方が「パリ症候群」なる本を出版したいたけれど、まさにそれそのまま、あるいはそれ以上?!?!?!、というような感じすらした。

 そんな中、友人の精神科医のほうは、日本人向けに特別なサービスを開始したいという。いうなれば、日本人用救急システムらしいが、その企画に私にもよければ参加してほしいらしい。

 どうなることやら。

 でもフランス人の話だから、もう少し話が進展するまでは本気になって話を聞かないほうがいいに決まっている、と私は習慣から学んでいるゆえ。


2002年11月05日(火) La manifestation de prostituées à Paris

 Sénat、つまりはパリ・フランス元老院の前で決起された、売春婦たちのデモに出向いてみた。内相サルコジがこれから、売春婦たちの存在を罪とし、彼女たちをつかまえた場合には、六ヶ月刑務所に入れることが可能という法案を打ち出したことに対しての、デモだ。
 
 予告されていた集合時間の17時に現場に到着すると、私の想像よりも遥かに少ない人手だった。200人強の売春婦に対して、報道陣が200人弱?、というような印象。おまけに警官がたくさんいた。大部分の売春婦たちはマスクをつけていて、そういった人らは、子供などを持っているために、マスメディアに顔を晒したくない、あるいは晒せない状況にある。それ以外の、子供もなく、社会的に恐れるものがなにもない売春婦たちは、マスクもせず、それぞれが思い思いの手製のプラカードを持って、自分たちの考えを主張していた。

 フランスでは、売春小屋というものが廃止されてすでに半世紀以上。それ以降、売春婦たちは路上での商売を強いられてきている。また旧東欧諸国の共産主義が崩壊したことにより、生活が苦しくなった娘たちが売られ、流されの果てに売春婦になって、夜のパリの路上で日銭を稼いでいたりもする。もちろん、そこにはマフィアとの深い関係もあり、また非合法にフランスに来てしまい、とはいえ母国にはもう決して戻れないという売春婦たちがごまんといる。

 ということで、この売春婦の問題には、非合法移民の問題が深く影響しているのであって・・・・。

 それでは、なぜデモに200人ちょっとの売春婦しかいなかったのかというと、マスクをしながらもデモに参加できる人たちは、いわゆる合法移民、ないしはフランス人(および欧州のひと)なのであり、この裏には数え切れないほどの非合法&悲惨な状況で仕事をしている売春婦たちの存在が、容易に想像できる・・・、ということゆえ、ある。

  デモ現場で数人にインタビューしたものの、その背後にいる売春婦たちのことを想像すると、だんだんと形容しがたい、鬱々とした感情に襲われてきた。

  それと同時に、たくさんのマスコミのカメラが気になった。万が一カメラに写ってしまって、それが放映でもされたら、バリバリのウルトラ保守でカトリックの義母&その一族が、全員心臓発作でも起こし兼ねないからだ。それだけ、義両親の一家はある意味では、プチ・ブルジョワ階級ともいえる。とはいえ、決して大ブルジョワではないところが、人様の目を異様に気にしたりする彼らの行動を如実に表しているともいえるが・・・・。

 現在のフランス経済は、ひと昔前の、ちょうどバブルが崩壊した日本のような状況になってきている。フランステレコムが世界一の負債を抱える会社になってしまい、これから社員を大幅に「クビ切り」していくように、もうすでにたくさんの会社が同じような状況に陥っている。
 
 アメリカだって、戦争という「国家事業」でもしていないと、途端に経済が停滞するように、資本主義が伸び悩んでいるのは確かなことなのだろう。そんななか、俗にいう先進国でさえアップアップのところに、世界レベルでいう貧富の差は、どんどん広まる一方。

 ま、そんな記事は暇さえあれば、誰でも新聞やネットなどでそういった記事におめにかかるとはいえ、売春婦のデモに参加してみると、それが頭で理解するのとは全く違って、恐ろしいくらいに「何か」を肌で感じてしまう。

 普段、何の気にもとめず肉を食べながら、屠殺場を見たら頭が混乱する人が多い・・・、という喩えが、果たして有効がどうかはわからないが・・・・。

 で、ふと思ったことだが、日本では様々な現状を、実際に見る機会というのがあるのだろうか・・・・、ということだ。マスメディアはきちんと多角的に世界のニュースなどをきちんと伝えているのだろうか・・・・?。

 おそらく、こんなことを漠然を再認識してしまったおかげで、デモ現場でだんだんと鬱々としてきた、私がいたのかもしれない。


2002年11月04日(月) Vernissage

19時頃、友人のイギリス人女性カメラマンの展覧会・オープニングパーティーに行ってみた。彼女は夫の古くからの友人で、我々の結婚式およびその後のクレイジーパーティーの写真なども担当してもらった人。人の意外な表情を一枚のスナップとしてしあげる才能に非常に長けており、今見ても、自分の結婚式の写真が、なにかもっと素晴らしいモノであったかのような「錯覚」に私を陥らせてくれるのが彼女の作品だ。
 
 また、彼女は現在シリーズ化され刊行される一風変わったガイドブックの写真を担当しており、その一環で、私が日本のシリーズの執筆をつい最近契約したばかり。日本シリーズとはいえ、フランス人向けのモノなので、もちろんフランス語で執筆(250ページ)しなければならないのは、私には大変なプレッシャー。そんな時ふと、「写真家は言葉が必要なくて羨ましい・・・」と漠然と思ったものである。

 さて、パーティー会場に早めに到着すると、まだそんなに人はいなかった。でもすでに知っている顔がチラホラみえたので、挨拶をかねてベラベラとお喋りに興ずる。おまけに、赤ワインが飲み放題。

 そんなことをしているうちに、気がついたらパーティー会場はかなりの人出になっていた。カメラマン本人に招待されてやってきたものもいれば、ふと通りかかって、面白そうだからとやってきた人まで色々。
 
 パーティー会場は、レストランを借り切ってのもの。ある程度色々な人と喋り尽くした後、ぼうっと会場のデコレーションや、人々を眺めているうちに、ふと色々な疑問が湧いてきた。私は個人的にこの展覧会をやっているカメラマンの生活を知っている。決して裕福ではない。とはいえ、ディナータイムにレストランを貸切にして、なおかつフリードリンク、食料などの出費はおそらく、彼女の懐から・・・・。

 となると、写真家は言葉がなくて羨ましいと思っていた、アル意味での「隣の芝生」的な発想が、ガタガタと崩れてくる。

 私と夫は、よくパーティーを主催したり、または招かれたりするのだが、フランス人の大半は、一般的日本人が想像するより遥かにケチ。もう少しいい言い方をすれば倹約家。私もこっちに住んでから、すっかりこの感覚に慣れてしまっているので、ある程度大金(私にとって)がかかっているものを見たりすると、ドキドキしてしまうのだ。
 フランス人のパーティーでお金がかかっているように見えるものでも、よーーく観察してみれば、節約できるところは徹底的にして、それ以外はコネで様々なサービスを無料で提供してもらっていたり、することが多い。

 しかし、駆け出しのアーティストとなると、話は別だ。彼女は自分をもっともっと売り込むために、盛大なパーティーを自腹で開き、そこにプレスなども呼んでセールスしていかなければならない。

 ずいぶん前に聞いた話だが、駆け出しピアニストなども、教会でコンサートする時などは、自腹で教会を貸しきり、入場料なども安めに設定してみるものの、それでも人が入らないので、その大半のチケットは招待券をして友人・知人に無料で配らているそうだ。

 お金に余裕のある人にはいいが、そうじゃない貧乏アーティストにはつくづくキツイなあ・・・、と思ってしまった。自分の広告を自らマネージメントすることの現実的な困難がここにある。

 とはいえこのパーティーの主催者Bは、かなりバイタリティーのあるタイプだし、コミュニケーション能力も抜群に高いので、いつかはもっともっといい結果を掴みとっていくんではないか、とあまり心配していないが、それに対して、繊細なタイプで内省的、そして貧乏なタイプのアーティストはどうやって、自分を市場に売り出していけるのだろうか?!?!?!?!。

 私も、フランスで徐々に売り出していく予定のモノ書きの一人。フランスはコネが大変強い国なので、そのコネをうまく掴んで社交をしていく必要があるとはいえ、私の場合は、意外にラッキーだったのかもしれないな・・・?、とも考え始めた。展覧会、コンサートなどの大掛かりなことは、少なくとも主催しなくてもいい。要は、パーティーや様々な機会で出会った人との会話を自然と楽しみ、それでいて議論好きのフランス人に面白おかしく自分の考えを披露していく。その後、ラッキーなことに誰かから、「キミの考えを10枚くらいの概要書にまとめてもう少し構築的に書面で教えてくれないか?」なんていわれれば、もう仕事の可能性は、あなたのそばにある。

 今回の仕事の原稿料の少なさに、ちょっとボヤいていた私だが、もともと出費もなにもないところに、この原稿料なら、かえって写真家よりも減価償却率がいいんではないか?、と、パーティーの終わりごろには、すっかり私の考えが変わっていた・・・・・・。

 でも、やっぱり母国語以外の言語でモノを商品として書くのは、キツイよーーーーーーーーーーーーっ!!!!。


2002年11月01日(金) Profil

ゼロの簡単なProfil

1967年生まれの、パリ右岸在住、長身の日本人♀、Noctambule。

1998年2月に、イラン旅行に出発。以後、トルコ、スペイン、そしてフランスはパリに流れ着き、現在にいたる。

ちなみにパリ定着は1998年の5月から。突如のパリ定着にあたり、友人・知人の援助を受け、学生向け滞在許可証ゲットのためだけにパリ第8大学に籍を置く(日本の大学でのフランス文学科だったため、編入作業はいたって簡単、が、講義はフランス語が聞き取れないために、難解に感じるという悪循環!!)。

決して真面目に大学に通うこともなく、2年後長期旅行中に、学籍更新作業を完璧に忘れ、自動的に除籍(汗)。

2002年9月仕事ゲットとともに、新たなストレスが発生し、11月現実逃避のためにこのサイトを発作的に立ち上げる。

自分の先祖はケルト人だと言い張る夫と2人暮らし。

2003年末より、日本にて独居生活を送っていた実母が認知症の兆候をみせはじめ、前代未聞の遠距離介護生活に突入。

2006年2月3日より、実母は認知症対応型グループホームで暮らし始めると同時に、実家が空き家状態になり、またその手入れなどにアタマを悩ます日々・・・・。

2008年11月下旬、もたいようこ のペンネームで、長崎出版より《フランス人のケチの美学》 (La voie française de la radinerie et sa vertu)を執筆、絶賛発売中。

お求めはネットもしくは書店でお願いいたします♪。



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