Miyuki's Grimoire
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2006年05月24日(水) 聖なるブループリント

3/12のグリモアに書いた「ヴィジョナリー」のワークが、いよいよ5/28(日)に開催されます。タイトルは「聖なるブループリント」で、様々なワークや瞑想を通して、夢を思い描く力と、内なる神聖なヴィジョンを現実化していくプロセスを楽しみながら学んで行きます。

ワークリーダーの藤井さんは先の「ヴィジョナリー」のグリモアで水の精霊をチャネリングしてくださった方で、私自身もヒプノセラピーやヒーリングを受けて大変お世話になりました。藤井さんからは迷った時や苦しい時に「生きるということ」そのものについては多くの示唆をいただきましたが、現実面で具体的にどういう行動をしていけばいいのかについては、自分で考え、自分で選択していくのだということを温かく見守り、教えてくださった恩人です。

そして「見通しを手放し、宇宙のオートマに身を委ねる、これは上級テクニックだけど、練習すればだんだん上手になる」ということも、その後の体験でだんだんと理解することができました。喜びを経験したければ、喜びの思考を、平和を体験したければ平和な思考をしていきます。けれど、喜びのフリ、幸せなフリをすればいいわけでもありません。思考は感情を創り、感情は体験を創り、体験は身体のシフトを起こして行きます。そのシフトがありありと身体に感じられるまで、しっかりと自分の思いと親しみ、瞑想していくことで、宇宙の動力源とつながり、運命の輪が動いて行くのです。「思いが現実を創る」というのは本当ですが、これはかなりコツがいるなぁと思いました。

そこで、このワークショップでは、そのプロセスを藤井さんのエネルギーワークとコーチングスキルによって、安全に、そして楽しく、心の奥深くにある夢やヴィジョンを現実化していくコツを一緒に学び、体験をしたいと思います。思いを現実化すること、現象化することは、子供のように無心になることが大切だと言います。藤井さんによると、そのためにインナーチャイルドのワークをしながら、純真なエネルギーで神がこの宇宙を創った時と同じクリエイションの波動と同調していくワークをするそうです。難しいテクニックというよりも、逆にコントロールをせずに宇宙に溶け込むような感じになるでしょう。そうなると、どんなミラクルでも可能になっていきます!!

実際のワークでは、イルカのCDを聞きながら、ピュアな波動とつながり、内なる子供の欲求を浮かび上がらせて、雑誌やカタログから好きな言葉や写真を切り抜いていって、紙にぺたぺたコラージュする作業が含まれています。これはまるで心の内側をわくわくしながら覗いて行く瞑想のような体験です。そして、出来上がったコラージュは「ヴィジョン・マップ」といって、自分の望む現実の道しるべの役割を持ち、その道しるべがさし示す方向へ歩いて行くのが、自分にとってももっとも自然な道であり、スピリチュアルということなのだと思います。

「聖なるブループリント」のワークショップはまだ定員があります。実現したい夢のある方、自分の心の深いところにどんな思いがあるのか知りたい方、そしてヴィジョンクリエイションと宇宙の創造のパワーに興味のある方ぜひ、ご参加ください。 

お待ちしています。

http://www.kcjones.co.jp/healing/workshop_thismonth.html




2006年05月18日(木) あなたの神話

先日からヒーリングルームで「オーラリーディング」が始まりました。七空さんはわたしの古い友人で、彼女は、見えない世界のものが普通に見えてしまう人なのですが、今年になって、満を持してチャネリングを仕事にするようになり、2月から始めたばかりなのにすでに100人を超える人を見た人です。わたしも第1回目の先週、さっそく受けてみましたが、素晴らしいセッションでした。

オーラのなかにはその人のスピリット(魂)の記憶や性質、今生で体験したすべての出来事、未来のヴィジョンなどが記録されています。そのなかからその人の魂の特徴を読み取り成長に必要な情報を伝えます。彼女のリーディングは的確で、わたしが自分の中に見ていた魂の記憶、なつかしい景色や、感覚、感情などが、ポツリポツリと言葉で表現され、わくわく、ドキドキしながら聞き入っていました。彼女の読みは細部にわたるものすごい情報量で、私が断片的に持っていたもの、漠然としたものも、はっきりと物語として読み解いてくれました。わたしのなかの物語がリアルな映像で心に飛び込んできて、それが動いて生きているのを感じさせてくれました。それは、言ってみれば「私の神話」とでもいうようなものでした。

目をつぶってその物語のなかにいる自分を感じてみると、新たな発見も加わってきます。自分の魂がもともとどんな性質を持っていて、何を経験して来たか、何を持って生まれてきたのか、それがわかれば、何のために生きているかも理解できてきます。「自分らしいこと」がどういうことかがはっきりわかると、迷いはなくなっていきます。

自分を知るということは、癒しですね、と言ったら、彼女は「光を通じて自分を知ることは喜びなので、それで癒しになるのだと思います」と言っていました。

リーディングを受けたほかの人達の話も聞きました。

みんなそれぞれ個性的で、その人にしかないものを持っており、宇宙大河の中でその人自身の尊い役割を果たすために生きていることがはっきりとわかります。人間として生き、この素晴らしい地球の上で、それぞれが何かを成すために生きて、ご縁があって出会い、やりとりをしたり、協力したりすることが、どれほど素晴らしいことなのかを感じずにいられませんでした。

この地球には遠い別の宇宙から来た人や、この宇宙の中で転々として経験を積んでいる人もいますし、この地球出身でずーっと人間の人もいるでしょう。もしかしたら天使も人間の形をして生きているかもしれません。けれども、ここで出会う限りは、みな同じ人間です。そのことの、どれほど奇跡的なことか。

この地球上の生命はみな同じように奇跡的です。
人間は100年くらい生きますが、鳥や小さな動物は数年の命だったり、獣たちは20〜30年は生きたりします。植物は千年生きる大木もあれば、湿原の草や灌木のように1年に1ミリしか大きくならないものもあります。実のなるものでも野菜は毎年なるけれど、果物は数年に一度しかならなかったりします。この地球上には多種多様な生命があり、しかもまったくバラバラな生命サイクルの存在達が、一時に同時に存在しているのです。こんな星は、おそらくここ地球だけでしょう。本当に感動的なことです。

どんなに小さな命にも、自分と同じ生命のエッセンスがあるのを感じられれば、どんな人とも、どんな生物とも自分と同じものだと溶け合うことができるのだと思います。


2006年05月10日(水) 明日死んでもいいように

「明日死んでもいいように、生きている?」
自分自身に問いかけたとき、悔いはないけれど、自分自身の真実を完全に表現して生きたとは言い切れない気がしました。

ある人に聞いた話です。彼女は長い間がんセンターで死に行く人々のケアをしていた人です。彼女が言うには、死に行く人々が死を迎える瞬間に考えることといったら、たったひとつ、愛についてしかないと教えてくれました。人は、死の瞬間、自分が人生で受け取ってきた愛について、そして自分が表現できなかった愛について考えるのだそうです。

たとえば、明日、自分がこの世を去ると想像してみます。すると、たくさんの人たちの顔が浮かぶでしょう。その人たちへの感謝や愛の気持ちが自然に沸いてきます。また一方で、苦しみや悲しみを抱えていた周りの人たちのことを考えます。その人たちが、その苦しみを越えて行く手伝いをもっとしてあげたかったという思いもわき上がってきます。

たしかに、ホスピス・ケアをしていた彼女の言う通りです。

その自分の気持ちは、いま、相手に届いているのでしょうか? そう振り返ると、自分自身の真実をすべて表現しない限り、感謝や愛は決して伝わらないとはっきり感じることができました。感謝や愛は言葉にしやすいものですが、その人の心の弱点や歪んだ出来事として現れてくるネガティヴなエネルギーについては、気づいていても言いにくいため、ついつい遠回しにしたり、そこだけ避けたり、「ゆるす」という言葉で真剣に向き合うことを体よく逃げている場合があります。それは、恐れから来ています。愛されないことや、愛を失うことの恐れです。ということは、本当の感謝や愛は恐れを超えたところにしかないわけです。

世の中には、「言わなくてもいいものは言わないほうがいい」という見方もありますが、そこには成長はないと私は思うのです。本当にその人を愛していたら、その人が自分について知る手助けをしてあげること、そして、その人がその状況を自分で超えて行くことができると信じるべきです。

そんなことを考えた時、自分も「明日死んでもいいように、愛する人たちに真実の思いを語ろう」と思いたちました。


他人に対して怒りをぶつけ、そのために自らも傷ついていた人がいました。その人が怒るにはもっともな理由があり、明らかにその人のいい分は正しいのですが、同時に、その怒りの裏側に、癒されない悲しみが見えていました。それは魂のSOSなのです。私は彼女のことをとても大事に思っていたので、それを見るたびに悲しく思いましたが、繊細な彼女が傷つくのではないかと思い、また、そのことで関係が壊れるのを恐れ、遠回しな言い方でしかそのことを伝えることができていませんでした。しかし、ある日、とうとうお互いの体験のタイミングがやって来ました。勇気を持って彼女と向かい合うと、話は自然にそこへ向かいました。


みんな傷ついている
傷をつつき合うのはもうやめよう
お互いに優しくしよう
お互いを思いやろう

傷ついた人は、人を攻撃したり
人から逃げて隠れる
どちらも本当の自分を見せない

素直に正直になるということは
人を責めることではない
自分がどうしてそんなに腹が立つのか
自分を振り返ってみよう

他人は自分の鏡
よく考えてみて
自分を見つめて、怒りの裏に何があるのか
コアのエネルギーを見つけて
手放さなくてはいけない

みんな、そう
私も、そう

けれどすべての人の中に神性は宿っている
だから、みんな、相手の中に住まう神に祈り
その人が本来の光を輝かせる手伝いをしてあげよう

相手を嫌ったり、信頼を放棄してはいけない
それは自分を嫌い、信じないことだから
自分を信じよう、自分の中の神聖さを

人生にはつらい体験がたくさんある
なぜなら、それをやりにきたのでやっており
それを克服、学びをして霊的に成長を遂げる
そのことを人間である間は忘れているだけ
だからつらく感じる

寛容になり、かかわる相手を信じて
その人が成長できるような気づきや言葉をかけてあげよう
そして結果に執着しない
それはその人の大切な経験だから
充分な経験を積んだら、いつかきっとわかる

そう思えた時、心に平和と幸せが、きっと訪れるから


この言葉を言えたとき、私の中から友人に対する愛が溢れてくるのを感じました。彼女の目に美しい涙が浮かんでいました。わたしも言いながら何度も涙ぐんでしまいました。私はひとつ自分の中の問題をクリアしたような感じがし、より深い新しい関係が生まれたのをはっきりと感じました。

光は必ずすべてにとっての善となる。光は間違わない。

私はこのことがきっかけで、愛し方についてなにか感動に似た気づきを得ていました。「明日死んでもいいように」というのは、なかなかいい考えかもしれないな、とも思いました。心配しても、悔やんでも、明日は明日。明日死んでもいいように、今を生きて行きましょう。


miyuki