忌引。寝ていた。 夜、アイロン掛けた。
祖父宅に泊まれるほど布団がなかったので前夜はホテル泊。 近くにマックスバリュがあったのでY氏と偵察に行ったら、案外、東京と値段変わらなかった。
葬儀は13:30からで、前日は晴れ、朝は薄曇りだったのが葬儀直前から大雨に。 涙雨かなとみんなで話す。
何だかもう、前日から間断なく何かを食べていて、満腹でぐるぐるしていた。 朝ご飯食べたのに、11時前には海鮮ちらし寿司を食す。美味しかった。
葬儀は滞りなく済んだ。 滞りなかった、これはちょっとばかり素晴らしいことなのではないかと。 みんなが声高にではなく、静かにお互いのことを思い遣ったから。 もう会うことがない人もいるのかもしれないけれど。
夕方、お骨を拾いに火葬場へ行く。 なんだか、石膏みたいね。白茶けて、まだ熱かった。 分骨するそうだ。いいじゃん、と言う気もするけれどそういうものでもないのか。
その足で大阪に戻る終電に乗って京都まで3時間。 大阪まで出て、ウェスティンに泊まった。本当に疲れた。
羽田発6:35の飛行機に乗るために慌てて家を飛び出したら、喪服忘れた。最悪。 午後の便で来るY氏に持ってきてくれるようにお願いした。
但馬行きの便はプロペラ双発機で、どきどきした。 バイパスが出来たおかげで、但馬空港から祖父の家まではとても近かった。 叔父と母が迎えに来てくれた。 叔父と会うのは多分2回目。 1度目は多分10年ほど前だから、これはもう初対面と言っていい。
祖父は穏やかな顔だった。 生前、最後に会ったときより若いんじゃなかろうかと。 軽い梗塞があったらしく、合掌は出来ないんだそうだ。 ただ、口を閉じるためにリボンのついた輪ゴムが顔の周りに掛かっていて、悲しい場面なのに微妙な気持ちになった。
母は、案外元気そうだった。 祖父の年が年だけに、祖母の時より悔いも少ないのかもしれない。
訃報を知った人が取る物もとりあえず弔問に駆けつけて「先生、ありがとうございました」と字の如く伏して拝んでいるのを見て、ほんとに人望あったんだなあ…と不思議な感じだった。 や、信じてなかったわけじゃないんだけど、ぴんとこなくて。
通夜までには、兄や従兄弟も集まった。 これまた、会うのが10年ぶり2度目の叔父叔母従兄弟が何人も。 人の顔と名前覚えるの苦手だし、もう必死。 小学生だったのに、もう大学生なんだって聞かされて驚いた。 面識のない、年の離れた異性の従兄弟って…接点がないわ。 ちょっと話した子もいるけど。 それぞれの場所で、一生懸命暮らしているんだなと分かれば、それでいいんじゃないかと思った。
前日祖父が亡くなったので、仕事の段取りを上司と相談。 引き継ぎをして、忌引休暇を頂くことになった。 仕事、気がかりだけれど。 リーダにまかせておけば大丈夫と思っていても、自分の手であげられないのは悔しい。
何も準備がなかったので、Y氏と連絡を取って新宿で香典袋と喪服を買った。
月曜締めの仕事があって、10時まで残業して11時に帰ったら、母から留守電が入っていた。 祖父が永眠したそうだ。
母と連絡を取って、母が明日朝一番に但馬へ向かう飛行機を手配した。 羽田から伊丹経由で但馬空港に向かうルート。 福知山線の脱線事故の影響で、但馬はとても遠い。
ゴールデンウィーク中に、初めてクロワッサンを焼いた。 今回、2度目の挑戦。
前回は「生地を一晩冷やしながら発酵」というのを怠ったせいで、 バター折込みがでろでろな仕上がりだったので、今回はちゃんと手順を踏む。
整形で失敗。 クロワッサンだと言い張るには横幅が足りない感じ。 二等辺三角形の底辺を、もっとざっくり切り開かないと上手くできないと見た。 とりあえず焼き上がりを待っているところ。
ゴールデンウィークはカレンダー通りの出勤で、 どこかに旅行とかはしなかったけれど近場で遊んだ。
牛込柳町交差点:うちの近所 →江戸川公園:周りと全然違って緑いっぱい。神田川の鯉が大きかった。 →椿山荘:江戸川公園側(裏口?)から入って表から抜ける。 庭が広い。喫茶のコーヒーは900円強。 →東京カテドラル聖マリア大聖堂:丹下健三氏の手になる意匠としても有名。 中に金無垢のザビエル像が。 →鬼子母神:目白通りから明治通りに抜ける途中の角をふと曲がったら都電鬼子母神駅。 参道沿いのお宅のわんこが人懐こい。こういう大型犬を飼っているお宅には、 必ず「餌をやらないでくださいね」の張り紙があるなぁ。 雑司ヶ谷界隈は何とも懐かしい雰囲気で、5分も歩けば池袋に出るのが不思議なくらい。 サンシャインシティ:人が多い。疲れた。 池袋西武:とらやの柏餅を購入。 江戸川橋:有楽町線の池袋駅から江戸川橋駅まで電車移動。丸正で買い物して帰宅。
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