だから猫が飼いたいのに・・

2004年04月30日(金) 第一印象

随分昔にコンテストで賞をとったという曲が、誰が歌っていたのかタイトルも知らないのだが、忘れられない。
歌詞の一部が強烈だったのと、ある条件が揃うと、私の頭でその歌が流れ出すせいだ。

「顔が嫌○、顔が○い、あんたの顔が○いなだけ、
ごめんね君はとてもイイ人、だけど顔が○いなの〜♪」
著作権をとっていないので、一部伏せてみましたが、意味は通じるでしょうか。
でも一度しか聞いていないし、十年以上も昔のことなので、正確ではないかもしれません。

この曲を聞いてからというもの、自分の苦手なタイプの人に出会うと
この曲が勝手に流れ出してしまう状態になってしまいました。
ひどいことだわ、と理解しつつ、心はなんと正直なのでしょうか・・・。
顔の良し悪しというより、好き嫌いなんでしょうけど。

そんな調子で、私はいつのまにか人の好き嫌いがキッパリしていた。
何の理由もなく、第一印象でキッパリと決まってしまっていた。
でも、自分に危害を加えたわけでもない人を嫌うのは、人として問題がある。
とどこかで思い、そんな自分の癖を責めて、治さなくては!と努力していた。
何故なら、自分の好き嫌いだけでどうにかなる世の中ではないわけで
そんな事では平穏無事に生きていけないので、誤魔化して、なんとかやり過ごしていた。
もちろん、努力はしていたがあまり効果はなかったような気がするが・・。

第一印象はよくなかったけど、付き合ってみたら意外によかったとか
人を外見で判断するものではない、という意見もよく聞く。
ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」という話もあるしな・・。
理性ではそれはよくわかっている。

やり過ごしていても、頭の中は誤魔化せないので、前述の歌が流れてくる。
私の警告音になっていた。
ダメヨ、ダメ、ダメ。決め付けるなんて、顔が嫌いだからなんて!!
なんとなく虫が好くとか好かないとか、いい加減なことでは!!
と懸命に自分自身に言い聞かせるが、だめである。
ダメなものはダメなのだ。

そして今の職場にはそういう人が沢山いる。
半分以上、第一印象と顔からして「うっ」と来る人々で・・
中身はさらに「うう〜」と頭を抱えてしまいたくなる。
そんな中でも、真面目でがんばり屋さんな若手くんがいるのだが
どんなに頑張ってくれていても、苦手は変わらない。
性格が合わない〜〜〜〜!!もう勘弁してください。
でも毎日辛抱我慢の生活です。
まとまらないまま終わるけど続くかもしれません。



2004年04月29日(木) へぇ〜

つまんない試合かな〜と思いつつ、休み前の深夜だからサッカー見てみた。
ほぇ〜勝ったね!びっくり!
久保タツやったじゃん!田中誠選手が出てる!などツボがアチコチに。
そしてナラっちの活躍!!しぶい〜〜〜、インタビューもらしくてよかった。
それにしてもこんなにチーム入れ替えたけど、逆に結果出しちゃったりして
俊輔選手出てないし、複雑です。ふぅ〜。

今、BSで「ブルース・ブラザース」やっているよ。
いつ見ても、何度見ても、面白い!好き!だーい好き!
たまりません。
この映画を見て、笑える人とは笑いのツボとかおんなじなんじゃないかな・・うふふ。



2004年04月28日(水) テレビ映画「トイストーリー2」

以前から友人から猛プッシュされていたので、地上波初放送ということで見てみた。
おもしろいやんか!
「はっ」とか息を呑んでしまったり、しょんぼりしたり、笑ったり。シンプルに楽しめました。
こりゃ、トイストーリー1も見なくちゃ。パズのおとぼけっぷりが堪能できるのかな。

あ〜それにしても切ない。エミリーが大人になって忘れられてくジェシー。ジェシーは沢山いる。
私はもともと人形遊びが好きでないから、あまりもっていないけど
それでも少しはあったはずでした。でもいつの間にかどこかにいっている。ごめんよぉ・・・。
ウッディがアンディのことを思い出すシーンもせつないなぁ。子どもの守り神ですよね。
こんなこと書いていると、白い人のようですね・・違います。

ディズニー映画は積極的には見ないけど、見たら絶対に感性くすぐられるんですよね。
やっぱうまいなあ・・と。



2004年04月27日(火) 映画「ディボースショー」離婚太り?

コーエン兄弟、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ジョージー・クルーニーの映画。
友人らに誘われなんとなく見に行くことになったので、内容を全く知らないでいくと
「離婚太り」の映画だった!

婚前契約書をめぐって、美女と敏腕弁護士のかけひき、最後はどちらが勝つ?ということでなかなか楽しい話でした。
何より、キャサリン・ゼタ・ジョーンズが美しい。
ああ、かくも美しければ、大富豪を捕まえて、財産をいただき、ポイ捨てもあるかも・・と思わせられる
そんなリアリティのある美しさ。
裁判は弁護士の腕で決まる。(どんなに不利な状況も逆転できるなんて、怖すぎる)
という映画では当然の理屈の上になりたつ状況を逆手にとる頭脳もあるし、かっこ良すぎるのよ。
そして冷酷ではない。
結局、理想の女性なのかな、と思わされるのだが、それも良しか。

脇役たちの熱演もかなりかわいく笑えました。
かっこいい男が一人も出てこないのもご愛嬌でした。みんなドジでバカでおもろかった。

「離婚太り」って言葉はあったのでしょうか。
そしてハリウッドでは離婚太りを阻止するために、婚前契約は確かしているセレブもいましたよね。
(キャサリン・ゼタ・ジョーンズか?)
そうまでして結婚しなくてもいいような気もしないでもないけど・・とかいろいろ疑問は浮かぶけど
答えは返ってこないので、終わります。



2004年04月26日(月) 日本の美術展示の謎・・何度目かの。

文藝春秋5月号を読む。「つまらないぞ!大英博物館展」という記事を読みました。

私はこの展示は行きませんでした。行きたいような気もしたし、友人からもチケットあるとお誘いも受けた。
しかし、同時にその友人から「とんでもない混み様で、あまりお勧めしないけど」とも言われて
出かける気持ちが急降下したのでした。その裏づけを取るような、記事がこれなんですけど。

記事でも触れられているけど、展示を見に来ていたご婦人が「ロンドンに行ったときにゆっくり見ましょう」と
語っていたのだとか。そうだろうなあ。一昨年に大英博物館に短時間だけど行ったとき、空いていて、
らくらくゆっくり見られたんだよ。しかもただで。
ロンドンに行く予定があるなら、無理して日本で見ることはない。と私も思った。
でもロンドンに行く予定がないなら、見たいのかな。・・・でも本当?

いつから日本人てこんなに美術館・博物館好きになったのかな〜って毎回思うんだけど
全国各地に、デパートの上に、ミュージアムがぞくぞく開館、そして、ぞくぞく閉館。
そう、やっぱりそんなに好きじゃないのよね。
でも、こういう新聞社とかが主催してどっちみても宣伝が目に入る状況になると
なんだかみんな行かなくちゃ!な気持ちになって行ってしまうのよね。

有名美術・展示など行きたいけど、本当にあの混雑を思うとぐったりしてしまう。
近所の常設展示とかで満足行く美術館とかあればいいのでしょうけどね。そうはいかないのですよね。

記事でお金に関するエトセトラにも触れられていて、絵葉書がいい収入源になっている、お札を刷っているようだとか
図録や土産など、これからは土産は買わないぞ、とか思ってしまった(笑)

5月号は他にも「子どもが変」、厚生年金問題、長島さんの孤独、雅子妃の療養など
ジャンル的にも幅広く、興味深く、俗っぽくも楽しめます。
「子どもが変」はあらゆる記事や本で見かけているのですが、さらに駄目押しといったところでしょうか。
太陽を知らない子、川の絵を描けというと、水たまりのようなものを書く子、言葉が理解できない子。
自然破壊、核家族、生活の電化など沢山の原因は挙げられるけど、文明病なんていっていられない深刻さ。
昨日の夕方のニュースでも、食事時に家族がぞれぞれパソコン、メールなどをしていて没コミュニケーション。
家族崩壊の加速はますます勢いずいているような気がします。自由ときままは別だと思うのですが・・・

蛇足:美術展に行くとベレー帽かぶったり、ループタイの老紳士率が目に付いたり、
奇抜な服装の人を見かける率が高い気がする。気のせい?いや気のせいでない。
だが、大英博物館展などの大量動員数だとそれも薄れそうだ。つまんないぞ!(笑)



2004年04月25日(日) 第4夜 あきらめるにはまだ早い♪

エリザベートもそう言っています・・・それは関係ないか。

一応、改めて書くと、私は結婚願望が無い、ということではない。
結婚できたらしたいと思う。でも、今より不幸になる結婚はしたくない、というつまり、典型的な奴なんですね。
用心深いというか、石橋叩いても渡らないというか。
「何も知らない若いときに勢いでしないと結婚は難しい」と祖母がよくいいます。
ところが私はそんな若い時分から、そんな行動には出れなかった。本当に性格だね。
好きな人ができても、結婚となるといろいろ考えてしまい、好きだから=結婚という図式にならなかった。計算?計算よね。計算高いってことね。
状況を考えると、その時結婚しても、お互いに幸せになれないと答えがはじき出されてしまったから仕方ない。

あと思春期の頃から、結婚して苦渋を味わわされている実例が周囲にあったので恐ろしいさもあったかな。
姑の苦労、旦那の浮気など女の苦労話だけで、またエンドレス日記かけそうだ。

お見合いもさんざんしました、しかしお見合いで気に入るような人がさっさと現れるのはやはりくじ運のいい人だと思う。
例えば100万回に一回だけ当たりがあって、お見合い一回目にしてそれを引く人は運がよくて、
バカ正直に100万回見合いしないとダメな人もいるわけで、私はバカ正直なほうだろう(笑)
しかし100万回も見合いをこなすことが常識的に考えて無理なので、途中で妥協するか、お見合い自体をやめるのだ。
もちろん私は後者です。両手くらいこなして、疲れたのでやめました。
いつかそのお笑い見合い話もまとめたいと思っている。
どうしてステキな女性は沢山いるのに、ステキな男性はあまりいないのだろう・・とよく思う。
お見合いを世話する方もそういっていた。
ステキな男性は大抵結婚している。そしてステキかな、っと思った瞬間に不倫を求められたりしたこともある。
ステキじゃないじゃん!もちろん丁重にお断りいたしました。

自分好みの男はもう育てないとダメかもしれない・・と思った。(この手の経験談とか読んでもそう思う)
常識とか最低限のマナーとかできてない人が多いこと多いこと。
そらびっくりですぜ。どんな育て方されているんだろうと真剣に思ったよ。
怒鳴りつけたかったけど、間にはいっている人の顔をつぶすわけにはいけないから堪える日々でした。
この経験も男性不審に一役やっているかもしれないなあ・・・

恋愛でもダメ、見合いでもダメ。そしてもはや若さという武器もない。そして健康もない。お金もない。のないないづくし。
ま、結局私自身にもセールスポイントが無いってことなんですけどね。(自虐でなく)
きっともう結婚はしないかもな〜と思っても仕方あるめえ。
でもあきらめるにはまだ早い!と周囲は言います。んんん〜そう言われてもねえ〜困った。


こんなに現実的な事を書いていながら、私も根っこのところでは夢見る乙女回路が発動しているのです。

恋愛しても、それが一生持続することはほとんど不可能でしょう。
家族愛があったとしても、男は何故か浮気大好きな人ばかり・・本当に。
ま、その相手をする未婚女性も同罪だが。自分の首を絞めるだけで、幸せになんてなれないからよしなさい不倫は・・
というか他人から奪うほど価値のある人なのか、よく考えてみよう。と誰に言っているのかわかりませんが。
そんな人間事情をよくわかっていながら・・自分も同じ人をずっと好きでいられる自信などないのだけど

でもひょっとしたら、すっごく大切な人に出会って、
ずっと無二のものでいられるかもしれないよね〜なんて夢想していたりするのです。
そんな人に出会えないからこそ、結婚しないし、そうじゃなければ一人でいいか、っと思っているかもしれない。
無二の親友はいるので、無二の伴侶も現れるかもしれないじゃないという理屈なのですが、どうでしょう。
そしてその親友からは時々、つれないことをされるけど愛情が薄れたことは無いので、
私の方が大切に思っているといつも自負しているし(笑)それでも辛くないし。意外と私の愛情も誉めていいかもしれません。

なんだかんだといいつつ、縁のものだとも思っています。自前で占っても縁はないことは無いのでいつかできるかもね〜っと。
縁の波が来たときにそれに乗ってしまえが結婚はできるかもしれません。


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えらく長く、真剣な話になってしまった。でも、結構もうずっと以前から思っていた事柄。
まだいい足りないくらいかもしれないけど、とりあえず終わろう。
まだまだ「結婚」ネタは沢山あるので、思いついたら書くかもしれないが・・・

10年後に「え、あなた結婚してるの?奇特ね〜えらいっ」という会話が日常的になってないと、いいような、悪いような。
それほど、日本の晩婚化は深刻でしょう。
「結婚の条件」「赤毛のアンの秘密」小倉千加子著 そして「負け犬の遠吠え」酒井順子著 
それそれの書評などで、晩婚化や日本女性の結婚観など参考になるかもしれないのでやっぱり一度読んどこうかな。

昨日の女子サッカーを見て大喜びしたり、今日見た映画もあるのですが、またにしよう。



2004年04月24日(土) 第3夜・・理由・・

昨日の日記で書き残したこと。

「離婚した友人でも、即また結婚をしようと思っている人もいるしな」と書いた。
その中でも印象的な知人のことを書きたいと思う。

夫の浮気が原因で離婚した(自己申告)その知人は、一人暮しの住まいに私を呼び、
そこで早くまた結婚したいと思うと語った。
そして私にも結婚を強く勧めた。

その時点で彼女は、私にとって非常に稀なる人物に思えたが、どうなんだろう。
最初に結婚した男が不良品だったから、運が悪かったとして
次に行ってみようと、実に前向きな考え方の人ともいえるかもしれないし、
彼女が次の結婚を夢見るのはまったくの自由で、好きにすればいいが
私に結婚を勧めるのはどうにも解せないと思い、彼女の結婚したいという理由を聞いてみた。

するとやはり寂しいからとか、安心したいからとか、楽したいとかそんな答えだったと思う。
あまり印象に残っていないので、たいしたことは言っていないと思う。
すなわち「幸せになりたい」というありふれた理由かもしれない。
どちらかというと「幸せにしてもらう」魂胆だと思うが・・
楽したいなら、好きだの嫌いだのいってないで、それなりの人と結婚したらいいと思うのだが・・。

私は自分の身体が弱いことから、働きながら、家事などはこなせないだろうと踏んでいる。
主婦業はエンドレスでとっても大変なのだ!きりがない。代わりもいない。報酬もない。
(彼女は私の不都合な身体の状態を知っていてもそういうが、結局他人事には違いない)
パートとかバイトならともかく、フルタイムで働きながら家事もやっていたらきっと身体が壊れてしまうかも。
結婚相手がこまめに協力してくれる可能性もゼロとはいえないが、限りなくゼロに近いだろう。

そして専業主婦をさせてくれるような人と出会えたら結婚することも考えるかもしれないが
(でも専業主婦だからこそ、きっちりやらないといけないというプレッシャーもあるかもしれないので
これは本当に向き不向きがありそうだ。やっぱり結婚て一生をかけた博打だと祖母と母にいわれている)
家でじっとしていることも怖い気がする。と正直な所を告げたら

「好きな人のためなら耐えられるって」と本気で言った。真剣だった。

どの口がいうかな、と私は言いたい衝動を堪えた。
では彼女は耐えて見せたのか。愛する旦那のために・・?
専業主婦の時でも家事も特に力をいれてやっているわけでもなく(私だけでなく他の第三者からみても)
(自分たちの)贅沢が過ぎて、働きに出かけた時は、もっと荒れ果てた生活をしていたように見うけられた。
そして旦那の親の介護も一時あったが、どれもこれも不平不満だらけであった。
そして結局は旦那の浮気で離婚したとなっているが、真相は誰もしらない。

愛があれば、全ては越えられる。
愛する旦那の為に、何だって耐えてそれでも幸せ。
本気でそう思っているから、またそんな相手を見つけて結婚したいのかな。
でも彼女を見て、彼女を真似したいとは残念ながら思えなかった。

結局、現実を見ていないから、今の現実があるのだと思うが
もはや彼女には何の言葉も響かなかった。
私は彼女の視界からひっそりと去るのみだ。

彼女がどうして結婚したいのか、よくわからない。
具体的な相手がいるならいざ知らず・・・全くそういう存在無しで
ただひたすら「結婚したい」といわれてもねえ・・

そもそも結婚したいのに、理由などいらないことかもしれない。
カップルですごすことが、定められたことのように実践したくなる人がいるだけのことか。

自由に結婚、離婚をすればいいが、その経過で子どもができたらどうするのだろうか。
現実の見られない、ダメな親がダメな子どもを量産して、よい子どもまでダメにする。
だから結婚はすりゃーいいってもんでもないし、子どもも産めばいいってもんでもないと
本当に思う。しないほうが世のため人のためになる場合があると思う。

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注意書き

私の思うことは私だけが思うことかもしれないし、そうでもないかもしれない。
でも、私のように理詰めで、頭で考えてもうまくいかない事はわかっている。
案ずるより産むが易しともいいますしね。
こんな考えの人ばかりなら、絶対に人類滅亡だと思う。
そして詰まらない世の中でありましょう。

それからダメな親の子どもが必ずしもダメになるとは限らない。
反面教師という言葉がある如し。実際にもそういう例をいくつか知っている。
でも確実にダメな大人が増えている。ダメな大人に負けるなちびっこといった感じか・・


さらに付けたし

これを書いてから昨夜放送された「探偵ナイトスクープ」を見たら、考えさせられる1組の夫婦が取り上げられていた。
24歳差の夫婦。ケーキ屋を営む旦那さんとであった奥さんはその時16歳。(現在は50過ぎと26過ぎなのかな。)
結婚してから家にいれた生活費は5万円。で、奥さんはそのうち2万円を貯金していて
旦那さんが必要な機械を購入したいと言った時に渡したというのだから素晴らしい。
そして今はケーキ屋さんを辞めて、漫画家になる夢をかなえるべく旦那さんを応援しているという
そんな言葉では言い表せない苦労をかけてきた奥さんに、ホワイトデーはマシュマロを昔の製法で
作って食べさせてあげたい、という依頼だったんだけど・・
奥さんも幸せそうで、旦那さんもとても幸せそうだった。
若いから未熟ってことはないし、年を重ねたからあきらめることもないんだなあ、と思わされるものがありました。



2004年04月23日(金) 第2夜 結婚の自己責任

女神のカフェから婦人科検診の流れで、今日も結婚について思うところ。長くなってしまいました。

昔から付き合いのある友人たちと結婚の夢を語り合ってきた。いや友人はまだ夢を語っている。
私は意地悪なので「この話をしだしてから長いよね〜」と言ってみる。友人も流石にハっとした。
意地悪だけでなく、本当に感慨深いものがあったのだ。
結婚してもいいと思える相手に出会ったり、横道にそれたりといろいろと経験をつんできたが結局、境遇はなんら変わっていない。
沢山の友人たちが結婚したり、子ども産んだり、解れたりと人生波乱万丈な中、私達はなんら変わっていない。
いや、仕事を変わったり、実家の家族の編成には変化があることはあるが・・
そんな中、この夢を語りつづけて10年あまり、いったいいつ(何歳)までこの話題を続けるのかと思い、突き付けてしまった。
目安として高年齢出産も44歳まで延びたので、そこまでだろうか・・・まだかなりある。

でも、私の世代でも「結婚」は女にとって幸せな刷りこみがあるから、どうしてもそこから抜け出せないのだと思う。
「あと数年はいいとして、それを過ぎたらどんな話題をしたらいいのか考えておかないとね」と友人はちょっと自嘲気味に言う。(本当に意地悪な友でごめんよ)
この友人とは結婚や恋愛についての話をよくしているが、他の友人とはほとんど趣味や日常の出来事などの話しかしていないので、
私はいつでもどんとこいなのだが・・。

結婚について語る。これはもう砂糖菓子を味わうようなもので、口の中で甘く、そしてあっという間にとけて消える非現実的な、
栄養にはならないけど、確かに夢のようなものなのでした。それがなくなるのはきっと、寂しいのだろうなあと思われる。
とにかく一度結婚してみたら、新たな段階に移るかもしれないとも思うが、
いや離婚した友人でも、即また結婚をしようと思っている人もいるし、やっぱり永遠に逃れられない問題なのかもしれない。

そんな夢の結婚物語ではあるが、過去からすると、その夢の内容はかなり形を変えてきている。当然といえば当然だが。
友人の職場の20代の女性が「結婚したらベンツに乗る」という甚だ時代遅れで俗っぽく、口にするのも耳にするのも痛々しい
夢を語るのだそうだが、私達の世代でそんな事をいえば、誰にも相手にされなくなるだろう。

余談ではあるが、その20代女性は、友人の結婚式でブーケをもらったとかで、次は自分の番とばかりにウキウキと
語っているそうだが、残念ながら私も友人もブーケなどその三倍はもらっている。
そんなもので番が回ってくることを信じているのも20代の特権かもしれない。なんて可愛いのだろうか。
さらにその彼女は30過ぎの女性に、「30過ぎて結婚できないことは人生は終わりだ」と言ってのけた
ツワモノなのだが、そんなノータリンでは確かに30までに、若さを唯一の武器で結婚しておかないと、
もはやつぶしは利かないと思われるので、正しく自分のことを理解していると言う事であろう。

話はそれまくったが、つつましくも、ささやかな私達の世代の結婚の夢はなんだろう。
私の友人は「将来寂しくならならないように結婚したい」と言う。
順序通りにいけば、親が死んだ後は寂しくなるのに違いない、だから、という事だ。
確かにそれはそうかもしれない、私も昔そう思ったことがあった。でも、今はあまりそう思わない。

親の代わりになるような人はいないだろうし、恋人がいても、友人がいても、寂しい時は寂しかったし、
いるからこそ余計に寂しいこともあった。それに世間、周囲の夫婦を見るとますますそう思う。

熟年夫婦で仲良し、っていうのもない事はないけど、私の周囲のオバ様たちはこぞってお仲間とおでかけにいそしんでいる。
伴侶とでかけるのはノーサンキューという人が少なくない。

恋愛中でも、一緒にでかけて楽しいところは限られている。というかでかけなくても楽しかったけど。
それはさておき、女性が好きな買い物は男性で好きな人は珍しい。
女性が好きなスイートの店もそんなに好きではないだろう。
女性が見たい映画も男性はあまり見たくないだろう。

旅行で温泉に入ろうと思っても通常は男女別。(家族風呂のあるところか混浴にするしかない)
行きたいところが一致していたらいいが、例えば我が両親の場合は
父は敦煌に行きたいが、母はパリに行きたいらしい。
飛行機に乗ることが嫌いな男性も案外多い。

アウトドアが好きな男性は多いが、女性はどうだろう。年を取ったら紫外線は強敵だしな。
ゴルフやテニスなどスポーツで共通の趣味があったらいいかもしれない。

私は比較的、男性が好む趣味を持っているが、それでも男性とでかけて楽しみ倍増になるかは疑問だ。
いや、好きな人とならどこへでもでかけても楽しいのはよくわかっているが、結婚してもそれが持続するか、という話題だからさておくのだ。
つまり、外国の文化ではあたりまえのカップル単位の行動が日本では全然定着していないと思われる。
何が悪いんだろうか、それは私にもわからない。

あと会話についても随分、若い頃からそれは疑問だったので、母などに「夫婦の会話で主なことは?」と尋ねたが
「子どものこととか・・」と歯切れが悪い。とりたてて話すことは無いと見た。
もちろん、尽きぬ話題を持つ夫婦もいるとは思うけど、でも多数派だとは思えない。
何故ならおしゃべりな男という存在が少数派だと思われるからだ。

このように、あまり男女で楽しめる様子でもないのに、老後が寂しいからといって結婚して
本当に楽しい老後になるのだろうか・・それも私にはわからない。
結婚するときは、そういう老後の設計も考えないと行けない・・
「海外は行ける?どこへ行きたい?」なんて当たり前なのか・・?

それでも、家に誰か待っている、文句いいながらも、その文句を言い合う人が居る方が寂しくないのかもしれない。
だからやはり結婚してみるのも悪くないのかもしれない。

私もその事を考えて見たが、それでも・・・
多少寂しくないが、全く何もしない、口うるさいなどマイナスがかなり多い人だったらどうしようかと躊躇する。
料理もしたことない、買い物もしたことない、洗濯もしたこと無い。ないない尽くしの人。(少なくありませんね?)
自分が元気なウチはいいが、相手の世話と自分の世話とダブルパンチになったら・・と思うと恐ろしい。
老体+病体に鞭打って、決して感謝もされず働かないと行けないかもしれない、そんな事を考えるだに恐ろしい。

そんな人と結婚している人は、将来のことを考えて今から、伴侶の指導をした方がいい。
年を取ってからでは遅すぎる。それも大変に根気のいる、忍耐の連続かもしれないのですが・・
教育する、育てることは忍耐と愛情がなくてはなせません。
それに男の子を育てている人も同じ事がいえる、学校の家庭科教育は男女差を無くしているとは聞いてるが
普段から、男女の役割分担の意識をとっぱらっておかないと身に付かない。
ないない尽くしの、老後のリスクだらけの男を育ててきたのは、結局女性だ。自分の首をしめているとしか思えない。

悲観的で申し訳無いが、なんでそんなに具体的なのか、というと世間にはそういう人が少なくないからだ。
それに、自分の都合のよい人などこの世に存在しない。
私に欠点があるように、相手にも必ず欠点があり、それが許せるかどうかは相性によるのだろう。
たまたま相性がよくても、たまに会う友人なら許せても、毎日暮らす相手になるとどうだろう、やはりかなりの忍耐が必要だと思う。
「好きな人ならいいじゃないか?」と思われる向きもあるだろうが、半永久的にでも何をされても
許せるような情熱的恋愛状態は絶対に続くわけがないのだから無理だ。ええ、絶対に。

私は気を遣ったり、苦い思いをしたり、何かに耐えたりするのはもう沢山。
なだめすかしたり、ほめそやして、何かをしてもらったり、相手が怒らないようにバランスを取ることも面倒だ。
そんな思いをするくらいなら、一人の寂しさに耐えることを今から訓練しておく方がいいかもしれないと思っている。
おそらく相当寂しいと思うが、それでも気を遣う人と暮らすことの方が恐ろしいと思う。

自分ばかりが我慢することを想定しているが、もちろん逆の場合もある。
相手が私のことで辛抱に辛抱を重ねることももちろん無いとはいえないだろう。

そういえば、両手では足りないくらいの結婚披露宴に出席したけど、いつも「ン?」と思うのは「幸せにしてあげてね」という言葉を新郎に伝えること。
嫁に行く(もう既に死後に片足つっこみそうだ)ことは敵陣に単身乗り込む事だから、唯一の味方になってやれよ。
というところだろうが新郎の幸せは考慮されないのだろうか。
そして一方的に幸せにしてあげなくてはならない関係ってどうなんだろうか、と屁理屈をこねてもみたくなる。
幸せにしてやる。という考え方そのものが根本的におかしいと思うのですが。幸せは自分で掴みとるものだと思うので・・・・
現実的に考えても、給料で妻子を養って行ける人はどんどん限られて行くのだろうしねえ。流行らないねえ(笑)
でも今の若い世代の女子はそっちの考えに行っているという統計をよく見かけるし、ますます市場は激化するのだろうか。

話はそれましたが・・
まるで気の合う人が見つからないかもしれない、という前提で話しているのが申し訳ないが
そんな幸運に恵まれることは宝くじ並だと思っているのであしからず。なんと悲観的か?いえ現実的なだけです。
現実を見つめつつも、それでも何かをあきらめて結婚に踏み出すのなら、勝機もあるかもしれません。

そんなわけで、「結婚についての夢」を語ることはもう必要ない今日この頃。
友人の最後の切り札というか免罪符である「将来寂しいから」という事も、私には響かない言葉だった。
ですが、過去に結婚しようと思ったことが、全くゼロだったわけではないし、つきあっている人がいれば揺れ動くのは当然でもある。
これからだって全くないとはいえない、あくまで現時点で積極的願望や希望がないだけのこと。

できたら、願ったり叶ったりの人が現れて、結婚してくれないかな、と思っていたりもする。
あらゆる、現実的なリスクを想定して結婚するのだから、20代の時に結婚するよりは結婚を維持できるもしれない。
願ったり叶ったりとは、自分の事は自分でできるという事になるかしら。他人に期待をしすぎない人ならなおよい。
結婚してもそれがかわらないという事でもある。
でもこれが非常に難しい条件だということもよくわかってる。やっぱり宝くじ並なのだ。

だから、昨日の日記のラストと同文。
人生は何が起こるかわからないから楽しいともいえるのだから。



2004年04月22日(木) 第1夜 選択の自由がある幸せv

昨日の日記で友人が婦人科女医から「子ども産んでいない」事を揶揄されたことを書いた。
なぜか産婦人科はいいか悪いかのどちらかで、悪いとかなりイヤな思いをするらしい。
だから本当に必要がある時以外行きたい気持ちにならないのかもしれない。

「産んでない」と責める人って本当に子どもを産んでよかったのかな。
同じく「結婚しろ」という人も結婚してよかったのかな。
最近の私は本当にそう問いたくなる。

本当に心から結婚・出産してよかったと思うなら、そんな言い方しないと思うんだけど。
ただ産めばいいってもんじゃないでしょ、結婚もすりゃーいいってもんでもないと思う。
私のかかった女医さんは「結婚なんてするもんじゃない」と本音トークだったよ。
きっと年齢を経たらそうなったんだね。友人にひどい事をいった女医さんもいつかきっとそう思うかも。

祖母の世代だと、結婚は親が決めてきて、実際にあったこともないような人と結婚しなくてはならなかった事が少なくない。
恐ろしい。
本当に、何ががなんでも子どもを産む、結婚するという事を強制されない環境(時代)でよかったと思う。

私の考え方がおかしいのか、強がりなのか自分でもわからないけど
あんまり結婚したい、それ以前に誰かと付き合いたいとか思わない。(問題かもしれないが)
友人が幸せな結婚をして、家庭を築いているのを見て、うらやましくないといえば嘘になるかもしれないけど
そのままそっくり自分にシフトするとは思えないから、それは観光地で素敵な風景を見て「いいわね」と
思う感覚と似ている。素敵な景色はたまに見るから、そこにあるから素敵に見えるのであって
自分の家にもって来るとか、移植できるものではないとわかっているからだ。
そして観光地には観光地なりの悩みもあるのだし。

子どもを産むなんて、もっと恐ろしい。
子どもは好きな方だと思うけど、だからこそ、自分に似た(あらゆる所が)子どもが生まれたら可哀想なのでかなり躊躇しそうだ。
私の沢山ある欠点の中でも特に困っている部分を補って余りあるような、よっぽど健康で、かなり運のよい人と結婚することができたら考えたい事柄だ。
いやそんな人の子どもなら産ませていただきたいと思うだろう。

でもこの考え方って、自然界のメスに近い考え方なのかもしれない・・と思い当たった。
より強く生き抜いて来たオスが選ばれ、子孫を残すことができるという世界。
・・・なんとなく複雑だ。動物に近い考え方か・・(笑)でも正しいと思う。運も遺伝するんだから。(断言)

とにかく、そんな事いっていられる状況に感謝したいと思う。
と同時に、そんな事いいつつとんでもない人ととんでもない結婚してとんでもない子どもを産んでしまったら
きっとこの日の日記を破り捨てたくなるのだろうけど、ネットだから破れなくて、まあ、消すのかもしれませんね。



2004年04月21日(水) 婦人科検診に行く

どうにも調子がよろしくない。きっかり来るものが来ないのと、不調も重なっていたので
ついに重い腰をあげて、婦人科の検査を受けることにしました。
それを告げたら80歳になろうかという祖母が「恐ろしい」という。

噂で聞くと確かにあまり行きたくないところ、我が家では余程の異変がない限り
行くことは無いと消極的なところ。
世間で出回っている説では「25歳過ぎたら行こう」と逆行している。
でも私も病院にいくのは、常と違うことがあった時でいいと思います。そして今がその時。
逆に異変があるのに、怖いからって先延ばしする方がよくないし、無駄なあがきといえよう。

でもなるべく不快な事を避けたいので、女医さんにする。
噂は聞いたことないけど、どうやら叔母がはるかな昔に出産したらしいので相当経験年数あると思われる。

実際、そのとおりで初老の女医さんと中年女性看護士だった。医院は建て直ししたからか新しい。
問診表に体調などや症状を書き、いざ出陣(ではない)
やはり「下を全部脱いで台に上がってください。」といわれる。
この期に及んでも、問診と尿検査とかで済むかもよ♪なんて思っていた期待をあっさり裏切られ
例の台に上る。
やっぱりのポーズで、やっぱりの事をしていただく。
足にはカバーをかけられるし、腰の部分にはヒーターがついているのか微妙にあたたかい。
しかし体が硬いのと、腰痛もあったので、これ以上は無理です・・といういらぬ恥もかく。
「結婚していません。子どもも産んだことないです。」という事もしっかり付け加えておいたほうがいい。
それによって、使う器具の大きさが変わってくるらしいから。

エコーで子宮筋腫、卵巣のう腫の検査もしてもらうが、卵巣の方が片っ方はなんと尿がたまっていて
わかりにくかった・・みたいなのでまたやり直し・・なんてこったい。
出掛けにいったのに・・診察台に上る前にいっとけば、
てゆーか先生も看護士さんにも「いかせるように」指示されていた。
意外と、熟練看護士ではなかったのか・・・(笑)
ま、とにかく、今日の検査では筋腫ものう腫片方とも無事だったということでした。

問題の不調はおそらく疲労とかで出た症状じゃないか、ということで基礎体温をはかれと指示され体温計を購入。
やっぱり昔、計っていたがあまりにもキッカリとしていたし、基礎体温が必要なこともなかったのでやめていたのだけど。
音でしらせる体温計を買えばよかったな、と少し後悔。寝てしまいそうだ・・。

なんでも行ってみるものだと思う。
赤の他人の前であの格好はいかがなものか、とか異常がみつかったら怖いなあ、とかクリアできました。
また怖いものが減りました。

その話題を友人に振ると、行っている人とそうでない人とまたいろんな情報交換できて面白い。
友人は親や親戚に筋腫とかできている人がいたので、定期検診に行っているらしいのだが
老人医から女医に代わって反ってイヤな事になったらしい。
「この年で子ども産んでいないなんて」とか言われたそうだ。
大きなお世話というか、無神経なもんだね。どういう女医だ?
ま、どんどん妊娠して子ども産んでもらわないと儲からないからなのかもしれないけどあからさまよね〜どうよ。

私の場合は何故か「結婚していない?いいわね。気楽で」といわれた。これは嫌味なのかしら?と思いきや
「女が仕事をしようと思ったら結婚なんて重荷よ。仕事に打ち込めないからさ」と続いた。
この女医さんは結婚してお子さんもいらっしゃるので、苦労していらしたのかもしれない。
友人のかかった女医さんとえらい違いだ(笑)

そして、せっかく有休とったので、しばらく行っていない眼科検診も行ってみる。
コンタクトレンズを使っているのに、あまり行っていないし、白内障とかの予防のための検査も1年は行っていない。
瞳孔を開く検査なんだけど、今日はいい天気だったから眩しかったなあ。

それからさらに接骨医院に行く。
全部スムースに進んで、午前中で済んだ。いい一日でした。



2004年04月20日(火) ヨン様ブーム。「冬ソナ」おかわり。

いろんな有名外国人男性がブームになって来ましたが
最近ではこの人が一番、本当に人気があるのかもしれないと思わせられた。

ベッカムよりも、イルハンよりも、ヨン様(あえてこの呼び名でいかせていただきます)が
友人から名前を耳にする機会が多い。
私がサッカー好きだから、ベッカムとかイルハンについて聞かされるのは、自然な気がするが
ヨン様はジャンル、世代を超えてその噂が届いてくるのだった。
そして昨日はサッカー友達から、打診された。ヨン様ファンか否かと・・・
答えはNOなので、話の発展性はないのだが、「ブルータス、お前もか・・」再びなのであった。

そんな私の周りの比較的冷静なはず?な友人・知人も軒並みやられているヨン様。
ところが、最初に「冬のソナタ」について猛烈プッシュした友人は、最近になってこの騒ぎと周囲のハマりっぷりに
辟易となってしまい、すっかり熱は冷めてくれたようで、それは嬉しいけど、皮肉な感じ。
それくらい、後からハマると恐ろしい「冬ソナ熱」。
私は既に免疫があるせいか、奨められて昨年視聴済みなのだけど、ぜんぜんハマらなかった。

「純愛ブーム」と括られているらしいけど、純愛ねえ・・フフ。
私が見たかぎり「純愛」らしい部分が目立った気がしなくて、ヘタクソな嘘で愛を保守しようとする主人公のライバルと
ひとりよがりな愛情を押し付ける主人公の幼馴染の身勝手さと親の世代での事情がからんで、
状況的に結ばれ燃え上がる二人という認識になってしまいました。
恋愛ドラマなんてそれでOKだと思うのでかまわないと思いますが・・。

なんだかんだいっても、私にはストライクゾーンな人がいなかったので、ハマらなかっただけと思われます。
顔と身体のアンバランスさがいい、と友人談なのですけど、そうか?そうなのか?私はそこが苦手だった、というか顔も・・あわわ。
顔と身体のバランスの妙といえば、私は泉 政行氏を押しますけどね。だって衝撃でしたよ、手の大きさが・・。体格もよかた気がする。びっくりした。(ある意味誉めています。ファンの方誤解なさらないで・・。)

話がそれましたが、高校生の時に一瞬だけしか外タレにハマった事のない私にはわからないことかもしれません。
アジア系でもダメだったという事か。脳内鎖国状態なのか・・いや、外国製品で好きなものは沢山有るしな。
そんなに日本男児がいいと思ったこともないンけど・・。
とりあえず日本選手と日本人のタレントにミーハーしていますから、やっぱり日本男児なのでしょうか・・

まとまらないまま、ヨン様ブーム実感レポを終わらせていただきます。



2004年04月19日(月) 「赤毛のアン」が目の前に・・

夜にテレビをつけたら「あなたはどのタイプ?」とテレビから質問される。
エリザベス・テーラー、モンゴメリ(赤毛のアンの作者)、エヴァ・ペロン(エビータ)の3タイプ。

女優は自分に足りないものを補完しようと、結婚を繰り返す満たされない女。
モンゴメリは現実の結婚に絶望しながら、夢の結婚を描きつづけた耐える女。
自分の野望を持ちながら、運命の出会いによって変わった尽くす女はエビータ。
と映像と説明で三者を説明しながら、選べと言う。

う〜ん、どれもこれもいわゆる「負け犬」にはあてはまらないのですが
やっぱり尽くす女かしら?と思ったら世間の大部分が尽くす女に投票。
・・・あ゙〜ちょっとずうずうしかったかしら・・すみません。3つとも違いました。
世間の大部分が尽くす女であったなら、離婚がこんなに多いわけはない。間違いない。
耐えて尽くしてついに堪忍袋の緒が切れた・・のかもしれませんが・・・。

それはさておき、なんの番組かというと「女神たちのカフェ」と題して
女性の生き方とか結婚を語り合おうという趣旨なのかなんなのか途中で見はじめたからよくわかりません。
出演者は皆、それぞれ2〜3人でカフェで楽しくおしゃべりしながらという演出は面白いけど
メインで映っていない、後ろのグループは何をしゃべっているのか気になるような気もする。



モンゴメリが「赤毛のアン」で成功したのだけど、その成功の影で結婚した相手である牧師の
嫉妬が大変だったとうっすら知ってはいたけど、やっぱりそうだったのねえ。
・・と思っていたら、またもやたまたま手に取った週刊文春の書評には
「本人が書く」のコーナーで小倉千加子「赤毛のアン」の秘密」が書かれていた。

そこには、初めて聞いた事実が載っていたのだ。
カナダ観光局もあまり書いてくれるな、と書かれていたからか・・さてその秘密とは?
ってゆうような趣旨でないのですけどね。本は・・。

以前、この日記で感想を載せた「聖母のいない国」小谷野 敦(青土社)にも触れられていた
日本女性の結婚感のようなものと生き方と「赤毛のアン」の関係性が書かれている・・らしい。

私は特別に「赤毛のアン」の愛読者ではない。子どもの頃はむしろ嫌いだった。
それというのも、私が家族からアンのようにおしゃべりだと言われていたからだが・・
そんなどうでもよい経緯もあり、「ペリーヌ物語」や「秘密の花園」など少女の成長物語好きなわりに
触手が動かず、読んだのは1巻か2巻までだったと思う。あとはテレビの存在だけだ。
だから、そこに書かれているように、晩婚化の原因が「アン」と関係が深いというのはそうかな〜なんだけど
なんだか気になる本である。また踊らされているのかな?
負け犬の次は赤毛のアン?
前触れとして、BSでそんな映像見てしまったのも、後を引く。あ〜本が呼んでいる〜なんてね。
「赤毛のアン」第2次ブーム到来か?そんなわけはない。

カナダ観光局が心配しているように、この本を読んだら観光客は減るのでしょうか・・
それもちょっと気になる。「日本女性をバカにしている」って小倉さんは書いているけど・・
アンの作者がどうであろうと、アンの住んでいたアボンリーはよさそうでいいと思うのですけど
でもファンでもないと、観光に行くまでのこともないことも確かか・・

とにかく、テレビ(あえて本よりも重点置いて見ましたが、どうか)の影響はすごいと思うのですが
やっぱり読んで、そういうところも確認してみたいところです。



2004年04月17日(土) 少しずつあがるハードル・・

雑誌CREAの女性の体と健康のページを読んでいたら
いろんな病気にかかっているような気がして恐ろしくなる。
家庭の医学とかよみたいとは思わないのもそんな理由。
何歳以上になったら、産婦人科系の検査を受けようとかかいてあるしさ。
でもなるべく行きたくないなあ・・・
そんな中、高年齢出産の項目を見てびっくりした。
なんと高年齢出産の範囲が広がっているよ。
というか、44歳まで伸びていたのですけど。
数年前は40歳とかいってませんでしたっけ・・・あれあれ?
もっと前はもう少し若かった気がした。
これって喜んでいいことなのかな・・・

結婚もしてないし、子どもを産む予定もないけど。
結婚して、孫の顔をみせてあげなきゃ、と先日も伯父に言われ
「うっ」とつまったばかりですのですが
まだ、あきらめてくれていないのね。伯父さんよ・・
ありがたい・・気もする。

そこで、この年齢範囲である・・・
もうそろそろ高年齢出産になってしまうから、本人も周囲もあきらめムードに突入かな、と思っていたのに・・・
結婚するかな?子どもっていたらいいのかな〜とかうっすら希望をもつよりも
もう高年齢だし、ダメよね。っとあきらめる状態も悪くないと思っていたのですけど
可能性があったら、自分よりも周囲もあきらめてはいけないムードになってしまうそうで怖いと思った。
5年後、また伸びているかもしれない・・つーか、年齢は関係なくなっているかもしれないなあ。
でも子どもが欲しいと思っている人には朗報なのかもしれないしなあ。
複雑なことである。
私も複雑というより困惑?中途半端な気持ちのまま終わらせてもらいます。

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今日は友人と「大丸ミュージアム・ルイス・C・ティファニー展」を見に行こうと思ったら、なんとまだ開催されていませんでした。日にちを勘違いしていたのでした。
ああ〜なんてどんくさい。でも本当にどんくさいというかうっかりマヌケなのが本来の私のパーソナル。ごめんよ、友よ。
でも腰が痛いのが心配だったので、長時間たたないですんだのはよかったかもしれない。
お気にりのリッツ・カールトンのラウンジでアフタヌーンティーでリラックスできて
至福のひと時。フルートとピアノ伴奏が心地いい。
腰の具合もひとまず快方に向かっています。座った姿勢からイキナリ立っても痛みが走らなくなりました。
ああ、ありがたや。皆様、下半身の異常には気をつけましょう。
不自然な歩き方をし続けていると、いつかどこかに波及しますよ。

さらにオマケ。
いつも読んでいてくださる方、ありがとうございます。
今週は一票まで投じてくださって、ありがたやvv



2004年04月16日(金) 世間知らずの罪と罰

私もかなり世間知らずだったと思う。
そういわれると悔しくて辛かった。
だからこの言葉は嫌いだ。でもこれにぴったりするほかの言葉を知らない。

学生時代から最初の会社に入った頃は恥ずかしいくらいの世間知らず。
そのときのことを思い出すと、きゃーきゃー言ってどっかに隠れたくなる幼心もまだ残っている。
そんな時を経て転職するにしたがって、アチコチでつつかれて、削られてかなりマシになった・・・かもしれない。

でも世間知らず。というレベルはどこではかるのかしら?
計るものさしってあるのだろうか。
やっぱり比較対照だと思うんだけど。

でも今の職場の周囲では断然、世間を知っている。
つーか周りが知らなさ過ぎる。
なんかね〜ある意味清くて、幸せなんですよ。
でもね。すっごい公害。迷惑です。

こういう切磋琢磨のない、温室みたいな仕事場では
ほとんど成長は期待できないんだろうな、っとわかるけどひどい。
もうずっと温室にとじこめておいて、出ないからある意味いいかもしれないけど。

じゃあ、どうしたら世間知らずから脱出できるのよ?といわれても困るけど
まあ苦労することですよね。
でもその苦労も種類があって、自分では「苦労」と思っていてもなんにも
身についてないこともあるしね。
就職しても、結婚して子育てしても、世間知らずな人はいるしなあ。

ものさしの1つとしては自分にできる事とできない事を判断できることでしょうか。
自分を客観的に見る能力とでもいいますか。どうかしら?難しいよね。
若い時はとくに見えにくいと思うし・・

でも昔、大物クラスの世間知らずだった私は、今目の前にいる大物世間知らずたちを
大目にみてあげなくてはならないと思う。
それが大人というものだ。



2004年04月15日(木) 復帰とか復活とか

久保とヨシカツが代表復帰。
でも試合に出られるのかなあ。

今日の新聞の夕刊に嬉しい記事があった。
ヴィッセルの小島くんが活躍しているということ。
ガンバ大阪を離れてからは随分遠くへ行ってしまって
どうしているのかな・・と思っていたのですが
灯台もとくらし〜でこんなに近くにいたとは・・
そして監督にも気に入られて活躍してらっしゃるとのこと。
試合見に行かないと・・
平野くんの在籍しているときも数回しか見に行けなかったけど。
平野くんも今期はよくみかけるので(苦笑)安心したし
私のお気にの選手の話題が久しぶりに耳に入る、嬉しいなあ。



2004年04月14日(水) ひどい腰痛

実は東京から帰宅した翌朝に腰痛に
長い時間座っていて、たった瞬間に「痛い!」
右側の腰からでん部にかけて痛い。
坐骨神経痛?かしらと思ったり、家族はぎっくり腰では?と
1週間しても治らないので、接骨医院へ。
電気の治療器と針で、かなり痛いところを触られる。
ああ、こんなに腰が痛いのは久しぶり。

右足の膝をかばってて、足の裏に痛みがあって、それをかばっていたら
腰に来たというと、先生も納得。
そして運動不足が原因だと・・
去年はほとんど動けなくて今にいたるから仕方ないのよね。
これからぼちぼち運動するかな。



2004年04月13日(火) 朝ドラ話題おかわり

またもや朝ドラにはまっている。
といっても「天花」ではない。これはハマれないと思う。
BSの7:45からやっている「澪つくし」の方です。「天花」が始ったときに同時に開始した。

過去にも断片的に見たことあるけど、多分今の方がちゃんと見ようと思える。
7:30に目覚ましで起き、「天花」を見ていると二度寝してしまいそうになるけど
「澪つくし」ではビョンと目が覚めるし。
沢口靖子さんが可愛いし、川野太郎さんてすっごいカッコよかったんだぁvv(過去形でごめんなさい)
そしてかおるさんと惣吉さん、二人の純愛が可愛くてvv
&根岸季衣さん演じる女中頭ハマさんの活躍はかなり怖そうです。
「フユのそなた」の純愛ブームで世間は沸いているみたいだけど、私はこっちのがいいなあ。断然。
毎朝、心待ちにしていますよ。まったくも〜vv



2004年04月12日(月) 読書「ねじれた家 帰りたくない家」

原田純 講談社 
家庭は不幸の温床。と誰かが言っていた。でも私もかなりそう思う。

前回から家族の物語が続いた。こちらは自叙伝。
この本を見つけてパラパラとめくったら、著者の母親が出かける前に一心不乱に掃除をするくだりが
目に入ってきて、そして父親の暴力的なふるまいもリアルで目の前に浮かんできた。
引きつけられて、でもとりあえず後書きを読む。そして読みたいとやはり確認していっきに読む。

少女が親から一番必要な愛情をもらえず、家を飛び出し、想像にたやすい放浪が始まる。
ベトナム戦争や学生紛争の時代背景とからまって、とんでもなく重たい。
というか相変わらずの困惑の人生が描かれている。
私は少女の心情は理解できても、実際の行動は自分にはできないから簡単にわかるとはいいたくない。
それは私にとって家はそこまで帰りたくない家ではなかったし、逃げ場はすぐ近くにあったからだ。

それでも、この物語は私を引きつけてやまない。
母と娘の葛藤(葛藤て便利な言葉よね。齟齬でもいいけど)とにかく合い入れぬ、でもなんとかしたいもどかしさが
やがて、娘の方が母親をあきらめるまでが、本当に悲しかった。
私はこのテーマに過敏だ。例えば、映画「愛を乞う人」もつい(ついも失礼だが)見に行ってしまったし
そういう自分の過敏さをよくわかっている。
そうしていろんな媒体で確かめないと、自分の中の葛藤を整理できないからだと予測している。
この本や映画のように、あからさまなものは無いが私は彼女たちの苦しみの断片を感じ取れると思う。
そして私は私のように感じている人は決して少なくないと知ることで、楽になる・・ような気がする。

現代も家族の問題が増殖している。
あるべき家族の姿など最初から無い。潔くそれを認めた人だけが脱出できる不幸の温床。
そんな気がしている。

※蛇足1
主人公の父親が出版界では名の知れた人だそうなんだけど、家庭では最悪。
自己正当化で、エゴイストで、善人ぶっている。最悪。
でも主人公が対決する比重は母親の方が重たいのだけど。
私はどちらかというと父親のやり方のがたまらなく嫌に思えた。

そんな最悪な父親が「テレビを見るとバカになる」といって子ども達にテレビをみせないエピソードがある。
私の子どもの頃も、世間では「テレビばっかり見ていると〜」と揶揄されていたし
実際、同級生の中には「NHK教育テレビしかみせてもらえない」と言っていた人もいた。
そんな子はどこか寂しいような、どこか誇らしげにも見えた。

テレビを見てばかりいると、情緒発達にもよくないし、目も悪くなるし、少し前の日記でも
テレビ事情についていろいろ書いたから、私もどちらかというと「テレビはよくない派」になりそう。
子どもが親に訴える常套句「みんなもみている(やっている、もっている)」など子どものそんないいわけも好きではないだろけど・・

それでも、やはり子どもには子どもの世界、付き合いがあって
すごく不安でもろいし、誰も手助けできないだろうから
子どもの世界で好まれているものを全く排除することは罪作りだと思う。

同様に母親も手作りが一番といい、子どもがかなりいやがっているのに手作りの幼稚園のバッグを持たせる。
かなりひどい仕打ちだと思う。
親はいい気分だろう。手作りで、可愛いのをつくってやったとご満悦だ。
でもそれは自分の気持ちでしかない。相手(子ども)の気持はどこへいったのだろう。
子どものためを思って、相手のためを思って、しばし取り交わされる善意。
成人した大人同士ならまだ回避もできるかもしれないが、子どもにそんなものを押し付けてはいけないと思う。
逆らえる道理がないのだから。
自分が一番いいと思っているものが、どこの世界でも通用するなんて思いあがってはいけないのだと思う。

こんな事書いていても他人の親の悪口いうのは気が引けるのは何故だ、不思議だ。

ちなみにまるで私も主人公のように厳しく育てられたかのように感じられるが、実際は
私はテレビばっかり見て育った。1つのテレビで3人の子どもで争うし父親の意見が一番なので、優先順位は低かったが。
母親に嫌な手作りを強要されたこともほとんどないと思う。着心地のあまりよくないものもあったかもしれないが。
概ね母親のセンスと技術が私の好みと一致していたことは幸福なことだったと思う。
ギリギリのところで、私はセーフだったのかもしれない。

※蛇足2
「温床」という言葉って初めて使ったのかな。
今まで意識していなかったけど、発音する、自分で書くだんになって「おんしょう」なんだなあ、と思った。
今まで間違っているとわかっていつつ「オンドコ」と黙読していたんです。
オンドコ・・ありえないけど、オンドコの響きが好きでした。
こういう違うとわかていても、勝手に自分の中での読み方があるんだけど
とっさの時に音読してしまって恥ずかしい思いをすることがあるのでやめなくては・・と思いつつやめられない。



2004年04月11日(日) ピータンとあわび・・おいしい。

単語しか喋られないのか!なタイトル。
今日は友人と中華三昧。(ラーメンにあらず)
おやすいのに、前菜で高級食材がてんこもり。
そしてうまい!ピータンて多分、こんなに食べたの初めてだと思うんだけど
こんなにおいしいものだったなんて!
あわびもたくさん、こんなにおいしいものだったなんて!
以下、ふかひれスープにエビチリとか春巻きとかまだまだ料理がたくさん、ゴロゴロでてきた。
ホタテの煮物が出てきたときに、変わった匂いと雰囲気で一瞬??だったんだけど
これがかな〜り後引くお味!おしい〜vv
中国のぴりっとする味噌で味付けしてるんだけど。日本には無いそうです。
あの独特の味わいvたまらんvv
デザートも味噌味のにくまんとココナッツ饅頭とメロン。
うますぎるvv感涙。ああ、おいしいものを食べるときってどうしてこんなに微笑むのでしょうか・・・今思い出しても涙が出そうにおいしかったです。
そしてメロン、いいのか食べて?と後で思い出した。
いいのだ。もう何でも食べるよ〜〜ありがとうこんなおいしいものを!



2004年04月09日(金) 羽化

今日は朝から、仕事でトラブル発生。
月末からとかっかっていた、私が扱う仕事の中ではかなり難度の高い仕事。
それは他の部所の担当者3者と折り合いをつけないといけないから。

そういう他部所との兼ね合いのある仕事をすると
本来味方であるはずの者のいいかげんさも手伝って、いつも煮え湯を飲まされ
以前なら、こめかみに怒りマークが出ていたと思うのだけど
何年も勤続していると慣れもあるし、ある程度は相手の出方もわかってきて、
今回はだから、ほとんど私の気持ちは揺れ動くことなく、
水面にはさざなみも起きず、冷静に話しを聞き、対処できた。

うっとおしい仕事であり、気持ちもさっぱりとはしないけど
この時、確かに私は、何かを脱ぎ捨てられた気がする。
仕事の事だけでなく、物の考え方、捉え方でどうしてもできなかったこと。
それは今までも振りだけはしていたけど、本日は心底から受け流すことができていた。

仕事上で、相手が正しくない、おかしな言いかがりをつけられたとしても
それは、相手の言い分でしかないのだから
いちいち、それに対してこちらも怒ることや、凹むことはないのだと。
相手の間違いとか心得違いがどうしても許せなかった事が今ではばかばかしい。
自分の正しさと相手の否を認めさせることを一緒にしてはいけない。

私が一人でここの仕事を背負ってきたわけではないのだから
できないことはできないといえばいいのだ。
と当たり前の事で、今更なのだけど・・・
どこか自分が「できない」ことに罪悪感があった。恐怖感ともいえる。
そして、できないというより、自分の正しいと思った事が通らないこと、が我慢ならなかったのかもしれない。

でもそうした、「なんでもやってしまえる」ことが自分を追い詰めていたと今ではわかる。
私一人いなくても、会社は回る。
私がいなくても、この会社は続いていく。
ずっと呪文のように唱えていた、当たり前の事実を心の底から実感して行動できている。

責任感があるとか、真面目な性格とか、他にやる人がいないからとか
どうして、自らがこんな風にいろいろ物事を決めたり、実現してきたのか
理由はたくさんあるかもしれないけど。

もう誰も私のことを叱ってくれない状況だけど、叱られることが嫌いでやってきたから
今はありがたいと思っている。
そして、必要以上に、完璧にがんばらなくては、と思いつめていたこともわかる。

だからといって、私だってできない事、時はあるのだし
それで、私の価値が下がるのではないのだと、やっと思えた。
私もまだまだ小さい子どものようだなあと、こういう時に思う。

でも、わかったから、春から幸先がよい気がしました。



2004年04月08日(木) 読書「永遠の出口」

森 絵都 集英社

同じ作者の「宇宙のみなしご」が好きだったので、それが児童文学だったのでそんなつもりで読んだらちょっと違っていた。
1968年生まれの作者さんが書いている、誰もが通るだろう青春グラフティーだった。
とにかく小学校から大人になるまでの「懐かしい」オンパレード。
子どもなりの悩みと仲間たちとの団結がゆかいな小学校時代。
反抗期を迎えたツッパリ積み木崩し、狂乱の中学時代。
恋に恋する盛り、渇望、そして抜け殻の高校時代。
そしてその後の彼女。

誰もが通ると書いたけど、それは当たり前の事ということではなく。
個人差はあるけど、主人公の葛藤とか悩みは覚えがあるだろうということで

もちろん私だって
小学校で友達と団結なんて、いい思い出はない。
ツッパリになったことはない。(けど親には反抗した。)
高校は女子高だったから、それにそこまで自分を見失う恋にハマったことも無い。
(きっとこの頃を逃したら、一生ないかもしれない)
卒業式に特別な思い出も無い。いつもせいせいしていた・・・・・・正確には懐かしいのではないのだけど。
でも、確かに同じような道を掠ったり、突き抜けたりはしていたと思う。

彼女の永遠と出口と宇宙の膨張への挑戦が心地よい物語でした。
こりないのが、人間なのよね・・・

蛇足:恋愛のところで、男女(高校生だけど)の決定的なスレ違いが描かれているのですが
これが10代でわかってしまったなら傷は浅いと思う(笑)



2004年04月07日(水) リスク・マネジメントてゆーか当たり前の想像力

六本木ヒルズ、といえば今は回転ドアの事故がすぐに浮かぶ。
実際、行ってみたら事故の起きた場所はニュースなどで見るのと同じで、花束などが供えられていたし、
全ての回転ドアは閉鎖されていた。(横のドアから建物には入れる)
華々しくデビューして、早くも1年で最悪の事故が起きた場所。

でも、その後のニュースで回転ドアの事故はここだけでなかったことも知れた。
人身御供だよ。死人が出ないと改善されないのね。
回転ドアだけじゃない。トラックのタイヤはもっと犠牲者が出てからだしね。

自動車教習所で、「だろう運転」ではなく、「かもしれない運転」をしようと習った。
でも世間は人生の、会社の運転を「だろう」でぐんぐん進んでいっているのね。
前を進むことを止めたら、倒れてしまうから前進は止めないだろうけど、
進む際は危険はないかくらい確かめると思っていた。
でも意外と世間は違うらしい。

鳥インフルエンザを隠した会社も、地雷や兵器を作っている会社も「だろう運転」でずんずん進むんだね。
誰がリスク・マネジメントを利用しているのかな・・
もちろん私の職場でもそんな言葉はついぞ聞いた事はない。
だから私は自分のできる範囲で自分を守って働いている。気休めにしかならないだろうけど。
ライオンやワニはいないけど、それに変わるものは沢山あるから。



2004年04月06日(火) 「いつか私の目で見てくれたなら〜♪」

「エリザベート」のエリザベートとフランツが結婚をする時に歌う歌詞の1部。
夢がない、自分を殺して公務につくフランツと自由に夢を追いたいエリザベート。
2人が2人とも分かって欲しい、いつかわかってくれる、わかり合えると信じている。
宝塚よりも、スレ違いがくっきりしていて、痛い場面だった。

お互いに「分かって!解って!」と押し付けあっていれば、当然解るものもわからない。
のんきといえばのんきな話だ。

「他人の気持ちをわかってあげる」集団に入る手続きを取る頃に、まるで可能な事のように唱えられるテーマ。
でも、それはかなり厳しく、神業のクラスの技術・・てわかるのはもうカサカサに乾いた頃なのかもしれない。

全世界で、「わかって、わかって、わからしたる!」と叫んでいるような気配さえする。
無理だよ〜♪
難しいし、かなり無理があるから、じゃあどうする?って所からスタートしてみてはどうなのかと思う。


それにしても、トートとルドルフの死のダンスを楽しみ、うっとりしながらも
ついこんな事考えているなんて、なんとなくもったいない・・気もしないでもない。
普通にミュージカルを楽しむ人なら、あるいは人生においてスレ違いを感じたことない人なら(存在するのかしらないが)
物語の1つのテーマとしてするっと見られるのだろうか。
でも、私はこのミュージカルのこの部分にとても引かれているのは間違いない。



2004年04月05日(月) 何が起きるかわからない・・

「スポーツマンNo.1決定戦 〜芸能人サバイバルバトル〜」
ハッキリ行って、興味無いというよりあまり見たくなかった部類の番組を心待ちにしてしまった。
この系統の番組を見る時は好きなサッカー選手が出た時とそれに順ずる人が出た場合だけだった。
自分が体力不自慢で、見ているとしんどくなるし、筋肉のぶつかりあい(笑)を見るのが苦手だからだ。
・・でも考えて見たらサッカーは別なんだからおかしいんだけど・・・・

それでも、しんどそうな競技はやっぱり見ていられないので(これって想像力過多?)
なるべくテレビから離れて見るという、意味不明な行動に出ている。我ながらその行動はどうなのかと思う。
よいこのテレビ観賞の様相であります。

とにかくお目当てのS川さんは終始大変チャーミングで、見てよかったと思いました(笑)
周囲の反応もかなりよかったみたいで、いつもより多くのメールが来ました。

それなりに年を重ねると、今までの自分ではありえないことが起きるのですが
もう死ぬまでそうなのだろうと諦め。今は次は何が起きるか楽しみにしています。
私の後を10年くらい遅れてやってきている友人よ、早くおいついて来てね!
先日自分で言っていたように、年をとってからの麻疹は重いのよ〜だから♪



2004年04月04日(日) 東宝版「エリザベート」内野編

昨日の陽気から一気に冬へ逆戻り。白い息も出る雨の中、再び帝劇に、戻りました。
関東在住のお友達とお食事とお話を楽しみすぎて、開演時間を忘れそうになる。

ついに内野トートを見る。
本当だ。すごい声量だわ。思ったより歌も大丈夫だった・・ような(^^;)
でも得意なのとそうでないのが顕著にわかる。
ちょっとスタッカートがきいている・・
「踊るなら」(東宝版は「踊る時は♪」と歌っていた)はゴリゴリに歌っていました。
なんてゆうか、オペラ歌手っぽい(笑)内野さんの低い声でゴウゴウ歌っていると確かに死の帝王だわ〜と。
外見も酷薄で黄泉の帝王らしい。冷たさとか身勝手さが感じられた。
そしてダンスもスパスパキビキビで、ルドルフに死のキスをするところもキビキビしています。
今日はど真ん中の席だったので(Yさんありがとうvv)よく見えた。
寸止めじゃないのね〜本当にしていると・・と宝塚慣れしている私はつい思っていました。


「エリザベート」の母親役の春風ひとみさんを久々に見られたのも嬉しかったなあ。
宝塚出身者も複数になってきましたね。

トートダンサーズも妖しく激しくてよかったし、でもドレス調の衣装で現れた時はちょっとギョっとしてしまい
思った通りの反応してしまったかしらね。
エリザベートも舞台上で衣装を着替えたりして、衣装はそこそこな感じでした。
精神病院の看護婦さんの帽子がイカみたいなのはどうしてなんだろう・・


東京3日目ともなると、疲労もピークだったので、息を詰めて見ているので、一場面終わるとタメ息が出てしまいます。
結構キツかったけど、前回よりもかなり魂もっていかれてしまったのですが
それは他の方もそうだったみたいで、前回同様のオケ有りのカーテンコールの後も
客たちはスタンディングオベーションで、拍手なりやまず状態でした。この光景もいつものことなのかな?


真冬のように寒い東京駅を去ったのは夜も更けてきた時刻なのですが(地元でも遅いような時刻だよ)
本当に便利になったなあ。



2004年04月03日(土) 東京探検・・六本木ヒルズ

今回の旅で時間に余裕があったら「六本木ヒルズ」へいって見たかった。
直前に痛ましい事故が起きて、楽しむ気持ちに陰りが落ちましたが取り合えず行きました。
六本木は警察と外国人の町。そんな印象。びっくりするぐらい多かった。

さて目的のケイタマルヤマの店なんですが。
すべてのラインが揃う六本木店は内装や調度も美しく。かなりのうっとり空間でした。
朝イチから舐めるようにじっくり見る。
ケイタさんの私物のシャンデリアや作品集に掲載されている桜のマリエが期間限定で展示もしてありました。
初めてみる、ケイタマルヤマのホームウェアもため息が出てしまうくらい綺麗で・・
買ったとしてももったいなくて使えないよ〜と思いつつ。このシーツや枕カバーで眠れたらどんな夢を見られるかしら。

朝一番に入ってきた商品を次々に出して見せてくれたり、いろんなコーディネイトを見せてくれた
お店の方もとても気持ちよくて、うっとり気分のまま店をでました。
実は前日に、銀座三越のケイタマルヤマも行ってしまった。全国行脚しそうで怖い・・(^^;)

みたことなかったお店や好きなお店がたくさんあって、買い物はほとんどしなかったけどかなり楽しめました。
例えばオーラ・カイリーのバッグ。ポップで色彩も綺麗でいいなあと思っていたのだけど実物は初めて見る。
コーティングされているので雨の日によさそう。実物見られて嬉しい。

ジュエリーはヨシノブ。パライバトルマリンの指輪がありました。かなりクオリティの高そうな石が7石もついているのに、驚くほど安かった。
(といっても買えないけどさ)
何より、そのデザインは他所では絶対にないものでした。
あまりにも繊細ではかなげで、見事なのでした。ここのジュエリーをもし身に着けたらずっと見つめてしまいそうです。美しかったわ・・
4℃も珍しいアクセサリーがありました。ルチルクオーツ。金色のインクルージョンが豪華でスタイリッシュ。
ゴールドの指輪やネックレス、そしてピアスはデザインがまた違っていてピアスできる人がうらやましい。
ピンク色のストロベリールチルクォーツも可愛くてよかった。
アトピーが治らないとアクセサリーもできないけど、もともとそうそう買えるものではないし・・
見てばかりでお店の人には悪いけどさ。


本当に好きなものが一同に集まるいいスポットでした。見てるだけだけど・・(笑)

友達の助言にしたがってテレ朝に向かうと、新番組の展示紹介などもあって
555に出ていたH田さん、Iさん、Mさんのスチールと役どころもありました。
三人ともカソウケンのマリコさんのペットだそうです・・それはどうよ・・と思いつつ。
白衣のIさんは思った通りお似合いで、スーツ姿の二人も初々しくいよいよ番組開始が楽しみになりました。

いろんな角度から楽しめた1日でした。



2004年04月02日(金) 東宝版「エリザベート」山口編

ついに、やっと東宝版「エリザベート」を見てまいりました。
あまりにも待ち望んでいたため、この日が来るのが実感わかないというか現実味がない。
「私は今日、今から見られるのね」とやたら楽しみというか待ちすぎると
ろくでも無い結果を迎えるのが、演劇に限らず日常よく見られる事なのですが
結果としては、すっごく楽しめました!ますます「エリザベート」が好きになりましたよ。

過去には宝塚版しか見たことないのですが、どうしてもそれと比べてしまうけど
「別物」とうわさされていた通り、次元が違うものとして楽しみ方はそれぞれで
だから、どうということはなかった。

あえていうなら、宝塚版は「すみれコード」にひっかかるものはまったく削除あるいはソフトに置き換えて
実に美しいロマンチックな物語に仕上げられている。やはり少女漫画のように美しい世界。
東宝版はもっと現実的で、清濁併せ持った生な部分が生かされて太くなっているなあと。
男女のアンサンブルの迫力はやっぱり叶わないかな。「ミルク」の場面は一緒になって歌いたかったよ(笑)

東宝版を見る前から期待しすぎていたのは「Teatre cafe」さんの紹介を読んでいたからなんですが
今回から振りつけや美術が変わってしまって、また違ったものになっていて少し残念。
それでも、もちろん楽しめましたけど。でも電飾使いには首傾げ。いいのか悪いのか判断もつかない(笑)

「エリザベート」という物語自体は宝塚版を見た時に日記でさんざん書いているので
今更書くこと無いけど、冒頭のルキーニの首吊り、棺おけの使い方、マダム・ヴォルフの場面、
ナチス・ドイツの影、長女の死や親族の不幸など初めて見る場面や歌がたくさんありました。
同じ場面でも、歌詞も違っていて、例えばフランツとエリザベートが結婚生活について
語り合う場面などは、ここから二人が完璧にスレ違っていることがよくわかる。
この2人の考え方の違いがクッキリ出すことから、この王家の悲劇が連なりがスムースになっているなと思えました。

それにしても、若いっていいけど、辛いなあ、なんて思ったり・・・
でも周囲が止められるものでもないのね。やっぱ歴史にたらればはないのねえ・・としみじみしました。
歴史に疎いので素直な疑問なんだけど、フランツがエリザベートと結婚しなかったらハプスブルグは続いたのかな・・
でも、時代の流れとか見たら、そういうものでもないんじゃないよねえ。

お待ちかねのキャストについて

山口トートは当然歌がうまかった。でもまったく動いてない!(笑)まったくとかいうな?腕は動いてる・・動かしすぎ?(笑)
でも本当に動きがない。ルドルフを狩るシーンも、途中からトートダンサーズに加わるダンス(?)があるんだけど
悪いけど「どっすん・どっすん」と擬音を入れたくなるくらいでした(^^;)※私は山口祐一郎さん好きですよ・・一応書いておきます。
一緒に見た友人も大の山口贔屓なのですが、一緒になって言ってしまっていました。ごめん。
あと、席が遠いからかもしれないけど、衣装のせいかめっちゃ胴が太くみえて・・背が高く見えない(泣)
なんで〜?と思いつつ見る。人形劇の人形の洋服に見えるよ・・・。(デザインではなく形状が・・)
そんなに太くないよねえ・・あれ?あれ?という感じでした。
だからってダメだとは思わないけど、でも私が好きなトートではないなあ、と少し残念。
祐一郎さんは好きだからいいけどさ・・いいのか?

一路さんは流石に少女時代は厳しい・・が年を経るにつれてはいいですね(当たり前)
ドレス姿よりも意外とシンプルな体操するときに着用する衣装とか綺麗だったなあと
男性と合わせて歌うのは、宝塚と比べて自然な音域で歌えるということなんだなあと思った。

ルドルフ浦井くん・・今回のキャスト替えでとっても嬉しかったのはルドルフ。
伝説の井上ルドルフが見られないのは残念だけど、浦井くんが出るのなら全然OK!
あんまり記憶にないけど、仮面ライダークウガのラスボスで、その後ヒーロー物に出演した人々で
組んだユニットの舞台を見て立ち姿や演技やダンスがとても印象的で、
しかも背もスラリと高く、お顔も端整で、どんなルドルフになるのかしら?と期待度大。

そして期待以上だったです。素敵なプリンスでしたのよ。眉毛と目の間がとっても狭くていらっしゃって
日本人離れしているので、異国のプリンスに見えましてよ。手の振り方もノーブルでしたし・・。
トートダンサーズに翻弄されっぷりも、それは耽美でいたいけでしたし・・いいもの見せてもらいました。
課題だと思われていた歌もかなりよくなっているご様子です。

という感じでかなりハマりましたよ。4/4に続く



2004年04月01日(木) 明日から旅に出ます。

ついにあの東宝「エリザベート」を見に行きます。
楽しみだなあ〜
浦井くんも出るしさ〜vv


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