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痴漢・変質者3

えー、今日は電車内痴漢でちょっとインパクトのあったものを、御紹介。

電車内痴漢
その日は、友人と遊んで、その友人と二人で、ぎゅうぎゅうの御堂筋線に乗っていた。背の低い友人は人に押されて、つり皮に捕まっていた私と離れ離れになってしまった。
離れ離れになっちゃったね、と、目で伝えて、笑いあい、まぁ、二駅だし、おとなしくしておこうと思っていた時だった。
私のお尻を触る感触。
まぁ、こんなに込んでるんだし、カバンか何かが当たってるのだろう、と最初は思っていた。が、その感触は、動き出した。カバンならこんなに掴んだりしない。痴漢だと確信した。
「やめてください。」
そう言ってもやめない。
「やめてください。」
思い切り低い声で言ってみる。だめだ。くそう。横のサラリーマン、気がついてるんだろ!?助けやがれ!でも、助けてくれない。なんで私がこんな目に!と、キレた私はそいつの手に爪を立てた。しかし、その手の主は一瞬ひるんだものの、手は尻を捉えたままだった。
そうか、そう来るか。確実に私に喧嘩売ってるんだな。こいつは。そう判断した私は、今度はささるくらい、爪先に力を込めた。それでも奴の手は、私の尻から離れなかった。
完璧に堪忍袋の緒が切れた私は、その爪をひねるようにして、奴の手の肉をえぐってやった。手の皮が剥ける、嫌な感触が、爪を通して伝わった。
奴はやっと尻から手を離し、ぎゅうぎゅうの車内を、猛烈な勢いで人をかき分けて壁際に移動した。
奴を目で追っていた私は、さっき痴漢にあったいた時よりも、不気味なものを目にした。
奴は、じっと私を見据え、ニヤニヤしながら私にえぐられた手を舐めていたのだ。
心の中で「ぎゃーー!!」と叫んでいる間に電車は目的地につき、私は人波に押しだされるようにして電車を降りた。
呆然と電車を見送る私を、不思議に思った友人が、「どうしたん?」と聞いたので、我に帰って奴の事を話した。
友人は、「ぎゃーー!!」と私の代りに叫んだ。

奴の目的が、痴漢する事だったのか、手をえぐられる事だったのか、今となってはもう、わかりません。
2002年07月31日(水)

痴漢・変質者2

第二弾です。なんか、ちょっと楽しいし。
彼らのように人間臭キツイ人の事書くのって面白い(笑)

さて、今日は、プロフィールとかにも書いていたが、インパクト大な変態の事。

私は、小学校1年生から、高校2年位まで、ガールスカウトに通っていた。ガールスカウトは、ボーイスカウトの女の子版。ボーイスカウトは制服可愛いんだけど、ガールスカウトはイマイチで、中学校あたりから、その制服がちょっぴり嫌いだったんだけど、習い事が、いつも続かない私にしては、長い間がんばって行ってた。
小学校高学年か、中学生くらいの時、私は、大阪の御堂筋パレードに参加した。旗を持って、ただただ歩くだけだけど、大阪では結構有名なパレードだったので、ちょっと嬉しかった。
無事パレードも終わり、一度、集会所に集合して、解散となった。集会所は、家から一駅の所にあり、私はいつも自転車で通っていた。その日も自転車で、家路に着いていた時だ。
「すいません」
と、30〜40位のおじさんに話しかけられた。
「はい?」
自転車を止める。
「あの、ガールスカウトの方ですよね。」
「はい」
「やっぱり。今日、TVでパレード見ましたよ。それで、あの、娘もガールスカウトに入れたいんですけど、場所教えてくれませんか?」
「あぁ、えっと、○○○って知ってます?」
「えーっと、○○の?」
「そうです。そこで、日曜日に集会をしている事が多いので、そちらに来ていただいたら・・・」
「そうですか。・・・あの・・・キャンプ行ったりするんですよね。」
「え?えぇ、夏休みに。」
「川に入ったりします?」
「え、はい。」
「あのー・・・ちょっと、こっちきてくれるかな?」
男は、傍にあった室内駐車場を指した。私は、警戒して、
「え?そこですか?いや、自転車なんで・・・」
と、理由にならない理由でやんわり断った。ところが、男は引き下がらなかった。
「じゃ、自転車ちょっとおいて・・・」
男は逃がすまいとするかのように、私の自転車のハンドルを掴んだ。まだ子供だった私は、断るに断れず、言われるまま自転車をそこにおいて、駐車場に入った。大丈夫。ここは人は少ないけど、商店街だし、危なくなってもなんとかなる。向こうは歩きだし、こっちは自転車だから、なんかあったら速攻で逃げよう。そう思いながら。
駐車場は、明かりとりがほとんどなく、昼間だと言うのに薄暗く、私の不安な気持ちはますます膨らんだ。
男は、外から見えないところに私を連れて行って、言った。
「いや、さっき川に入るって言ってたでしょ?おじさん、お医者さんなんだけど(と、胸ポケットをさぐる)、あ・・・お医者さんの証明書忘れてきちゃった。まあ、医者なんだけど、川に入ったりするとね、ギョウチュウついちゃったりするんよ。ガールスカウトで、そう言う検査とか、してる?」
私は首を横に振った。どう考えても怪しい。すると、男は、私が不審がって、もう逃げようとするのを悟ったのか、用件を切り出してきた。
「あの〜・・・お尻出して。」
「え!?」
怖い。怖い怖い。
「いや、あのね、蟲ついてたら困るでしょ?おじさん、調べてあげようと思って。」
何故今ここで!?どう考えてもおかしい。逃げよう。
「いや、あの、学校とかで検査ありますから結構です!」
私はそう言って、慌てて外にでて、自転車に飛び乗った。そしてそのまま振り向かないで逃げた。
未遂で済んで良かった。
ところが。
後日、ガールスカウトの集会日に、その男は本当に娘をつれて来たのだ。
「ほんとにきた・・・(汗)」
私は、男に気づかれないよう、男の横を通って集会所に入った。
リーダー(先生みたいな人)と話す男は、朗らかで、優しい父親そのものだった。
娘は、うちに入団する事になった。まぁ、親が参加するような事はほとんどないので、その後、男は見かけなかったが。

「あの人は、本当に、医者なんだろうか。あのとき、本当に親切心で言ったんだろうか」

・・・未だにそれは謎のままです。
2002年07月22日(月)

蜂蜜

彼を食べるのが好き。
彼を食べていると、彼のペニスを軸に、私の唾液が薄く層をなして行き、それがまた私の唇ではがされ、根元に水溜りが出来てくる。

そして、そのうち、彼の皮膚と私の唾液が熱を持ってきて、何故だか、蜂蜜の匂いがしてくる。

蜂蜜のキャンディーになったペニスを食べていると、私の中に温かい体液が湧いて来て、私は、彼にまたがり彼の上に体を沈める。

沈め、突き上げられを繰り返しているうちに、私の中の温かい体液が染みだしてくる。それを喜んだ彼が、手でそれを、私の体に塗りつける。

それはトロリとしてまるで蜂蜜のよう。

私も彼も、私の蜂蜜を掻き混ぜるのに夢中になる。

私は蜂蜜製造機のように体液を滴らせる。

私の、唾液を含む体液は、まるで蜂蜜のよう。

そして、私も彼も、蜂蜜を作るのが大好きです。
2002年07月18日(木)

自然体

さっきターザン見ました。ディズニーの。昨日はアトランティス。
アトランティスもよかったけど、ターザン!ターザンいい!
木を滑るように渡り歩くシーンなんか、なかなか快感。
で、思ったんだけど。
ターザンみたいな男って魅力的よね。(ぽっ)
ターザン見ながら、あたい惚れそうになっちまっただよ。
野性味溢れ、純粋で。あと体。いい体。
彼は、ゴリラとして生きてきたのに、腰巻を巻いてるのはやっぱぶらぶらして邪魔だからだろうか、なんて事が気になって仕方なかった(笑)
それって凄くセクシーだ。
見せるのが嫌なんじゃなくて、邪魔だからまとめる。ワイルドだ。
本当にワイルドな男って、どれくらいいるんだろうねぇ。
私は、ワイルドな男にあこがれつつ、実際生息するワイルドな男は苦手なのだ。なーんかうそ臭くって。
なんかね、「男はこうあるべき」みたいな考えだとか、「男だったらこうしなきゃ」とか、何も考えないで、そういうことを自然に実行できてたら、それほど魅力的な事ってないけど、なかなか自然に出来てる人っていないんだよね。
雑誌とか、「今時の女の子が好きになる男の流行」の追っかけとか、そういうのに左右されたりして「こうあるべき」って思っちゃってる人って、そうやってちまちま「こうあるべき」って考えて、それに縛られてる時点でワイルドじゃないもん。
「こうあるべきとは考えた事もないが、自然にそうしてきた。親がそうやって育てたし。俺はそれを信念として生きてきた。これまでも、これからも変わらない。」とか、あるいは、「俺は、女にもてたいからこうしてるんだ」ってはっきりいってくれれば納得もいくけど、「自然体なんだよ」って思わせようとしてる、男も女も不自然でサムイ。それでも「自然体」って言いはるなら、自分が、10年後もそれを貫きとうしているか、考えて見れば解り易い。
まぁ、別に不自然でもいいけどさ。不自然なら、不自然なりに、その不自然さを魅力にすりゃいいのに、なんで不自然なのを否定するのかね。

男友達で、すっごいかっこよくて、モデルの仕事なんかもしてる子がいたんだけど、その子は凄くいいかんじだった。
ドアに近づくと、ドア開けてくれるの。荷物も、自然に持ってくれるの。それは、私だけじゃなくって、すべての女の子に徹底してやってた。
で、不思議に思って、
「なんで、そんなレディーファースト徹底してるの?」
って聞くと、彼はこう言った。
「女性(この言い方がまたいいね。女じゃなく、女性。彼の徹底ぶりが伺える。)は、守るべき愛しい存在でしょう?俺はそう思ってるから、それを実行してるだけ。」
ちなみに、彼は自分の事も徹底してて、
「Hくん、顔だけ焼けてない?やいたの?」
「うん。ヒサロいって全身焼いてる。なにげに。そのほうが、力強く、男らしく見えるでしょう?体そんなに鍛えてないから、貧弱に見えないように体は軽く、シャープに見せるよう顔だけやや強めに焼くねん。」
「ほぉ〜。さすがモデルやな。」
「(脚を組み、ほお杖をついて)まぁね。」
「・・・何今?まぶしかったで。サーヴィスカットか?」
「うん。サーヴィス。いつもやったらお金貰ってるで。」
「ははははは。」

自分の信じた事を実行する事で貫き通し、手の内をみせる。
自然体かつ、不自然な事をしていることも魅せる彼は、とっても魅力的だった。

私がターザンに惚れそうになったのも、彼が、ほんとの意味で自然体だから。与えられた環境を、自分のおもうまま生きる事。
ダーリンに惚れたのも、彼が自然体だからなのです。うふふ。
2002年07月16日(火)

痴漢・変質者 その1

私はそういう人に好まれるのか、痴漢や変質者に結構遭遇して来た。
面白いのでその人たちの事を書こうと思う。

今日は、初めてあった変質者の事。
初めてそういう人に遭った記憶は、確か、小学1年生の時。
ロリ好きだろう。
その日、幼馴染の女の子と、その子のうちで遊んでいた私達。その頃、私達は、ファンシーグッズに命をかけていて、その日も、その家から歩いて5分ほどのファンシーショップに行った。
でも、なにぶん子供で、お金がなかったので、私達はちょっとしたお菓子だけ買って、そのお店の向かいにある公園で遊ぶ事にした。
めぼしい遊具は他の子供達で埋っていたので、鉄棒で遊ぶ事にしたのだが、おちびちゃんな私達は、大人用のその鉄棒に捕まる事すら出来ず、ピョンピョン飛びはねて疲れて、もう帰ろうとした時だ。彼が現れた。
「捕まらせてあげようか?」
彼は親切そうにそう言い、私達に近づいて来た。シャツにズボン、だらしなく伸びた髪。小太りで、眼鏡をかけていた。
幼馴染は、その、知らない人に身構えた。私も、少し警戒した。だけど、彼はもう、私を抱き上げる体勢に入っていた。
「よいしょ。ほら、高いねー。」
私は一番高い鉄棒に捕まらせて貰って、一瞬警戒心がとけ、はしゃいだ。彼は優しそうな目で私を見ていた。
「もうかえろ」
幼馴染がそういったので、私は鉄棒を離し、優しい彼に、
「ありがとう」
といって、家に向かった。

ところが、彼は、私達の後をずっとついて来た。
「あの人、ついてくる。」
私達は少し早脚で歩いた。気づいたのを気づかれるのが怖くて、走れなかった。
「どうしよう、今、家に誰もいないのに。」
幼馴染がそう言っている内に、家に到着した。が、こんな時に、子供二人でいるのは怖くて嫌だった。
「そうや!○○ちゃん(幼馴染)、この近所に、大人がいる知り合いの家ないの?」
「あ、そうやな。じゃぁ、J君の家に行こう。」
私達は、すぐそばのJ君の家に向かい、おばさんに、事情を話して入れて貰った。
「怖いなー。最近多いな、そういう人。」
J君の家は、坂道沿いに立っていて、玄関が一階にあるけど、坂道に沿って、地下(?)もあるという、変わった造りだった。J君の家には、兄弟がいっぱいいて、その、地下への階段に、学校なんかでよくある、木の折りたたみテーブルを立てかけて、滑り台にして遊んでいた。その、地下への階段がある足元に、明かりとりとして、地面から、高さ10センチくらいの窓があった。
私は、彼がついてきていないか、心配になって、床に腹ばいになってその窓を覗いた。
彼は、いた。
きょろきょろと、あたりを見回して、私達を探しているようだった。
その目はうつろで、さっきの優しい目ではなかった。
私があまりに熱心に、窓を覗いているので、幼馴染が
「どうしたの?」
と一緒に窓を覗きこんだ。そして、次の瞬間、飛びはねるようにして起き上がり、
「おばちゃん!!さっきの人がいる!!」
と、叫んだ。
おばさんは驚いて、その、10センチの窓から様子を伺った。J君たち兄弟も、その窓に我も我もと集まり、小さな窓は、子供達で埋ってしまった。
「おばちゃん、ちょっと行ってくるわ。」
おばさんは、そう言って、家を出、彼の所へ行った。私達は窓からずっとその様子を伺った。
「あなた、何してるんです?」
おばさんが声をかけると、彼は、戸惑い、たじろき、もごもごと何かを言って、その場を去って行った。
おばさんは、しばらく彼を見送り、家に帰ってきて、おばあさんに、
「怖いわねぇ、あれかしら。ほら、○丁目のクリーニング店の長男。なんか、おかしいらしいよ。」
と話していた。
今だったら、大人でも、こんな人の傍にはよれない。刺されるかもしれないから。この頃はある意味、平和だったんだねぇ。
2002年07月09日(火)

eat

ダーを見ていると、むしゃむしゃぼりぼりと音を立てて食べてやりたくなります。
ダーはHの最中、
「すげー締まってて、千切れそう」
と言っては私の締まり具合を評価してくれます。
別に締めてるつもりはないのにそんな事を言うので、私はちょっぴり嬉しくなって、ぎゅっと膣を締めて、もっと千切れそうな気持ちにさせてやります。
そうして、食欲を満たします。
私の膣は、ダーを食べる事に、いつも必死で、肉食動物のように「締まり」という牙をたてて、咥えて離すまいとしています。
ダーは、それから逃れようとするかのように、体をそらせてもがきます。
だけど、下半身はそれとは裏腹に、私にもっと食えと言うかのように、私の中に入ってきます。
それが続くと、上半身のダーも、食べられたい欲に駆られるのか、起き上がって、全身を使って私に自分を食べさせようとします。
私の体は、急に沢山のものを口に押し込められたかのように、唾液で、それを食べやすくしようとします。

ダーリンは、実際には食べられません。だって、食べ物でなく人間ですから。
ただ、「味わう」事は出来ます。
こうして、私は、おいしい物を、永久に食べられないという不満を、ただ「味わう」という行為で我慢するのです。
きっと、何度も飽きずにダーリンの体を求めてしまうのは、食べられない食べ物だからなのでしょう。
例えば、とても美味しいものを味わって、飲み下して、「食べる」という行為をまっとうできたら、「食べ終わった」という満足が得られるのでしょうが、美味しいものを味わって、飲み下せないのは、その食べ物を、体の一部にできなかったという、不満が残ります。

だけど、子供を作る時は別です。飲み下すものがあり、それは、子供のタネを作ります。

子供を作りたくて、セックスをしているわけではないですが、こう考えると、やっぱりセックスは、繁殖するための物で、繁殖しまいとしてるから、不満が残るのかなと思ってしまいます。
飲み下す事が出来ると、それは、新しい体の一部を作ってくれるのですから。
食べる事。
新しい体の一部を作ってくれる事。
セックスに置いても、食事に置いても、なんら変わりません。
繁殖しないセックスと言うのは、過食症になってしまって食べては吐き食べては吐きしてるみたいで、不自然な行為なのかもしれないですね。

だとすれば、何故セックスするのか?

彼を味わうと、飲み下せない不満は残りますが、その代わり、さまざまな快楽をもたらします。体の快楽だけでなく、脳内麻薬。五感すべてをフルに突き動かされる行為というのは、ある意味、異世界へ吹っ飛ばされるような感覚に陥ります。
だって、あんな私、普段ではありえない。

結局は、「気持ちいいからじゃーん」と言いたいんですけどね。
ダーを味わうと、気持ちがいい。
美味しいものを食べた時のような、快楽。
2002年07月08日(月)

好き・嫌い

ポエムにも確か書いたけど、「好き」という言葉はチャンスを運んでくる。
例えば、「バービーが好き!」って言ってると、海外行った友人が、スーパー(アメリカとかではスーパーでもバービー売ってるらしい)でバービーを見かけるたび、私が「バービー好き!」と言っていたのを思い出してくれて、買ってきてくれたりする。実際それで、「みんなには内緒やで」とこっそりバービーやバービー小物をもらった事が多々ある。
モノじゃなくても、例えば、「英語が好きだから、英会話の先生になりたい!」とか言ってると、誰かがかわりにそのチャンスを耳にした時、そのチャンスを教えてくれたりする。

でも、逆に。
嫌いという言葉は、チャンスを逃してしまう。好きって言葉は受け入れる言葉だけど、嫌いって言葉は排他的な言葉だから。
例えば、私が、「ミッキー嫌い!」って言うと、ミッキー好きでも、他の部分で私がすきな要素を持ってる人が、遠ざかってしまう。人は、初対面だと、一つでも否定されると、初対面という少ない情報から「この人はミッキーが嫌い=私と合わない」と判断してしまうから。
合わないって思わなくても、嫌いって言葉は攻撃的な言葉だから、人を緊張させてしまう。壁を作られる。
それってすごく損だと思いません?
あたしだって、「嫌い」っていう時あるよ。人間だもの。
嫌いな事を、嫌いっていうのが大事な時だってある。
でも、嫌いって言う事で、自分をアピールしている人を見ると、「この人損してるなぁ」って思うんだ。で、そういう人に限って、みんなと同じ事で、「嫌い」って言っちゃってるから、「あーそー私とはあわねぇな。」って思われて終わりってなことになっちゃってる。
嫌いって言葉は、嫌いな物を近づけさせない防衛手段だ。
防衛する時に使えばいい。
特に嫌いでもないのに嫌いって言ってる人たちは、言ったぶん、チャンスを逃してるって事を思い出してみてほしい。
いや、チャンスを逃すのは私じゃないから、ほんとは別にどうでもいいけどね(爆)
2002年07月06日(土)

子供時代やり直し

ダーは私の事を娘のようにかわいがる。
実際、ダーは、「セックスしている時以外は、男女の愛を越えた、親子愛みたいなものを感じる。」と言っていた。

ダーといると、子供時代をやり直ししているような気分になる。
うちは、両親が離婚して、父親は家にいなかった。私は別にそれを周りが言うほどかわいそうな事だとは思わなかったし、父には時々会って、遊んでいたし、父の事は嫌いではなかったが、あの浮世離れした父が、家に家族としていた方が、私はきっとおかしくなっていただろうので、ぱっきり離婚してくれた母に大感謝である。

世間では、片親の家庭は、子供の情緒などに悪いとされているが、私から見れば、例えば暴力を振るう父親であったとして、でも母親が「子供の為に」と、我慢して離婚しなかったりしている家庭の方が子供に悪いと思うんだけど。

それに、私は、片親であっても、何不自由なく育った。お洋服だって、そこらへんのガキンチョよりいいものを着させられていたし(私は母の着せ替え人形だったから(笑))、おもちゃだっていっぱいあったし、遊園地や、行楽地だって、母は、そういうところが嫌いだったけど、周りの自称「リカの父・母」が、いろいろ連れていってくれた。ディズニーランドだってクラスで一番最初に行ったし、普通の子供が行けないところ(ディスコとか、クラブ(水商売の方の)とか。)にも行けたし。片親だからって、後ろめたい気持ちや、劣等感を感じた事なんて、一度もなかった。むしろ、楽しい我が家を誇りに思っていた。

なにせ、両親がいようと、片親だろうと、親が子供に、「あんたの為に我慢してるのよ」という所を見せてしまったら子供は、罪悪感を持って、情緒不安定になるような気がする。
そういう面でも、母に大感謝だ。
母は、確かに、女手一つで私を育てたのだから、いろいろ我慢したり、苦労もしただろうに、それを私に感じさせず、むしろ、とても自由奔放に生きてきたように見える。だから、私は変にひねずに育ったんだなぁと思う。

でも、ダーと付き合って、一緒に住みだしてから、毎日家に、愛する男の人が帰ってくるという事を初めて感じて、なんだかまいってしまう。

ダーを、お土産もちょっと期待しながら「おかえりなさい」と迎える気持ちや、休みの日、「よし、○○いこうか!」とダーが言った時の、あのすごく嬉しい気持ちは、子供の時にはあまりなかったように思う。大好きな父親が家にいると言うのは、こんな気持ちなのかなと、ふと考えて、ちょっぴり切なくなるけど、同時に温かいものがこみ上げてきて、鼻の奥がツンとする。

たぶんダーは、父親に、こんな風にかわいがられたんだろうな。
そして、同じ事を、「自分の娘」である私にしてくれているのだろうな。

私は愛されて育った。これは断言できる。母は、友人が多く、家には常に人が出入りしていたので、その人達からいろんな事を学んだし、貴重な経験もできた。
でも、それとはまた違う、「あたりまえの、普通の子供時代」を、今、ダーに満喫させて貰っている。
「いっそのこと、俺の養女になる?岡本太郎形式に」と、笑って話すダーリンに、とても感謝です。
2002年07月05日(金)

前世の記憶

私は、小さい頃に続き物で見た夢がある。
自分でお話を作る能力すらない年だし、
つじつま合わないあたり、TVでやってたようにも思えないので、
たぶん前世の記憶。
こんな夢。

私は、古い洋館から走って逃げている。
中世の人が着ているような
釣鐘ドレスを着ている。
洋館の庭はとても広く、
門までなかなかたどり着かない。
私は多分、20代半ば。
10歳くらいで、肩までの髪の男の子と
必死で門まで走る。
朝日が昇ってゆく。
やっとのことで門までたどりつくと、
男の子は門のポストのような箱に身を隠す。
朝日から身を守るために。
彼の父親から逃げている。
かれも、彼の父も、吸血鬼らしい。
私は彼に、一緒に行こうと言いたいが、
彼の身体を焼く朝日にどうする事も出来ず
門まで来て困り果てる。
彼は、僕はここで夜が来るのを待つから、
君はお逃げと言う。
私は、彼を置いて行くことが出来ず、
おろおろとしている。
すると彼は、その小さな木箱の中で、
三角座りで小さくなり、
うつむき加減で静かに泣きながら
しっしっと私を追い払うようにして、
行け、と言う。
私は泣きながら、走ってその場を後にした。

数日後、その続きを夢見た。

私は誰かと船上結婚式をする。
苦労はしたが、今は幸せ一杯だ。
その船には、教会があって、
そこで永遠の愛を誓い合った。
その夜、
船は嵐に巻き込まれ、
暗い海のそこに今にも沈みそう。
遠くのほうで「あと一人だ!」
と言う声が聞こえる。救命ボートだろう。
昼間愛を誓い合った相手は見当たらない。
早く、ボートに乗り込まなくては、と、
走り出す。
教会の前を行き過ぎようとして、
人影に気づき、立ち止まる。
彼がいた。
あの時と同じように、身体を小さくして。
十字架を背に、とても小さく。
私はまたもや、走れずに、彼を見て、
立ちすくむ。
彼は、また、泣いていた。
そして、また、私を追い払うように、
行け、と手で合図する。
私はまた、泣きながら、
彼を見捨ててしまう。

そういう夢。
そういう前世の記憶。
2002年07月03日(水)

祖母の葬式

去年祖母が急死した。
肺結核だった。
気づいたときにはもう、危ない状態だったそうだ。
祖母はそのころ、頬がぴりぴりするという、原因不明の病気にかかっていて、神経症という形で通院していたが、内弁慶で外では気弱な祖母は、肺の症状も感じつつ、言えないでいたらしい。

 殺しても、しなないような気丈な人で、皆、こんな事になろうとは思いもしなかった。
親戚の非難の対象になったのは、同居していた叔母だった。
「なんでここまでなるまで気づいてやれん!?」
「もっとはやく病院にいっていれば・・・」
無責任な人達が、無遠慮にわめく。
三人姉妹の母達は、交代で夜もろくに眠らず、看病していた。
同居していた叔母は仕事を休んで付っきりだった。
そんな叔母たちや、母に、何故そんなことが言えるのか、信じられない。親戚達は1、2度見舞いに来ただけである。
祖母の姉妹ですらそうだった。

 葬式の時も、喪主である叔母は忙しく動き回り、しきたりだとか、料理の注文だとかに無責任に難癖つけて、「こんな葬式は恥だ!」などとのたまう奴と衝突したりもした。

 通夜の夜、叔母は疲れきったように言った。
「最期のお別れで、おかぁちゃんのそばにいてやりたいのに、忙しくて、全然いてやられへん」
と。
祖母のそばに一番いたいのは叔母だろう。
親戚達はそれなりに悲しんではいるものの、見たこともない遠い親戚達は遺影の前で暇そうに、くだらない話をして、声を上げて笑っていた。
私はそいつの髪をつかんで、外に引きずりだしてやりたい衝動にかられて、おさえた。

 お葬式は、叔母と私の誕生日(同じ日なのだ)にとりおこなった。
焼香のときも、初孫の私の名は読み上げられず、見たこともない親戚はちゃんと呼ばれていた。
 私のうちは親が昔、離婚していて、母が再婚を控えていたりとごちゃごちゃしていたのだが、私はもしかして、親戚達に認められていない子供なのだろうかと、とても不安で悲しくなった。「おばぁちゃんに最期の別れもさせてくれないのだろうか」と。
 仕方なく一般焼香に同じく名前を呼ばれなかった母の再婚相手と並んだ。
 しかし、叔父(叔母の昔の旦那。離婚しているのに、手伝いに来てくれていた。)に、「お前も親族焼香の台で焼香して来い」と促され、行った。焼香台まで行く時に、知らない親族達は、名前も呼ばれていないのに勝手に焼香しようとする私を不思議そうにみていた。彼らは私が祖母の初孫だということも知らないようだった。
 後で話を聞くと、「恥だ!」とのたまった親戚が、焼香順を決める時もひっかきまわして、めちゃくちゃになってしまったらしい。「この人は○○だから(その人の地位)先よばないかんやろ!」とか、くだらないことを好き放題言いまくって、結果、初孫の名を忘れるわ、母の名字を再婚相手の名字で呼んでいるのに、その再婚相手本人は呼ばれないわで、散々だった。
 それを聞いて、悲しみが怒りに変わり、祖母とのお別れの時なのに、どうしてこんなくだらないことで争ったり、ののしりあったりしなくてはならないのだろうと、また悲しくなった。誰よりも祖母が悲しんでいるだろう。
昔は、長男である祖父がすべてを取り仕切り、こんなくだらないことを誰にも言わせなかった。このとき、祖父は祖母の急死と少しのボケで、なにもできなくなっていた。祖母と祖父は、よく喧嘩をしていた。祖父と祖母は、祖母が病気になる前に、二人で旅行に行く予定だった。
 
 しばらくして、祖母を火葬場に運ぶ時が来た。「最後のお別れです」と、棺が開けられる。びっくりするくらい綺麗な死に顔で、「まるで仏さんみたいやな」と、皆は言っていた。死んでいるなんて、信じられなかった。というか、ここまで、祖母の死に対する実感がわいていなかったのだが、最後に皆で、祖母に葉っぱでお水を飲ませてあげるときに、その、葉っぱ越しに感じた唇の硬さが、なにか、ぞっとするような、「死」を感じさせた。母も、叔母もとりみだし、一番落ち着いて見えた一番下の叔母は「あかぁちゃん!」と振り絞るように叫び、祖母の棺から離れようとしなかった。私も大泣きしてしまって、息が出来なくて、苦しかった。叔父は祖母が大好きだったお饅頭と、天国までの道中おなかがすかないように、おにぎりを棺にいれた。いとこが演奏した、祖母が好きだった「夏の思い出」が流れ、お別れのときとなった。夏の思いでは、演奏が終わると、先に録音されていた、クラプトンの「Tears in heaven」が流れ出し、それは予定していたことではなかったけれど、今この時に、とてもふさわしい曲のように思えた。

火葬場につき、いとこのテープを棺にいれ、全部済むまで3時間ほどかかると言うことなので、一度家に戻り、ご飯を食べた。

火葬場に戻り、骨を骨壷に納める。皆骨になった祖母を見ても、もう悲しみより人体標本を見るように、興味の方が先立っているようだった。係りの人が、のど仏をそっと拾い上げ、「女性はのど仏が崩れてしまいやすいのですが、この方はきれいに残っていますね」と、のど仏や、指仏用の小さな骨壷におさめた。お骨は足の方から順に納めてゆくそうだ。骨は白く、一部綺麗なピンク色に染まっていた。思った以上に軽く、さくさくと崩れ易くなっており、焼き菓子のようだった。

 葬式も終わり、私達はやっと悲しむ時間を与えられた。毎日皆で、祖母に経をあげる。いろんな後悔からか、祖父は祖母の遺影に「待ってろや、寂しくないよう、俺もすぐいくからな。」と、うわごとのようにつぶやいていた。私は、なるだけ祖父と話をするようになった。祖父のボケの原因は、祖父のもごもごとした話方のせいもあったからだ。誰も何を言っているか理解できず、会話が出来ない。でも、なるだけ、あいずちを打ったりしなくてはいけないのだ。
 
 私や母がが来るたび、叔母やいとこは、「一人いなくなっただけでも、すごく部屋が広くて寂しいから、来てくれると安心する」と言っていた。祖母は毎日「早く風呂はいれよ」とか、「無駄な電気をつけるな」とかうるさくて、皆煙たがったりしていたが、「いなくなるとおかぁちゃんの言ってたことがな、みんな正しいねんて気づいてん。おかぁちゃんのやってたことを私がやってるとな、同じ言葉が出てくるねん。私、おかぁちゃんににてきたわって思う。」と、叔母は言った。母と、一番下の叔母は、「やっぱり、結婚して家を出ても、親子やから、おばぁちゃん死んだら、心の柱をなくした様で不安やねん。」と言っていた。叔父も、よくきているようだった。彼は婿養子にきていて、祖母とは10年以上同居していた。叔父は、葬式が終わった後、一人で遺影の前で30分も手を合わせていた。母の再婚相手は叔父が泣いていたと言っていた。「血の繋がった母親みたいに思ってるねんよ、きっと。一緒にくらしてたんやから。」と、母はいっていた。

 毎年恒例の餅つきもせず、今年は寂しい正月になった。
お葬式からもう半年以上も経つが、未だに祖母の不在にハッとして、夜、眠れなかったりする時がある。それは、母も、叔母達も同じだと言っていた。祖父は祖母と一緒に寝ていた寝室に一人で寝るのを怖がって、祖母の遺影のある仏間に寝ている。

 たった一人、この地球上からいなくなっただけだ。知らない人なら、TVの中の出来事のように無責任な言葉を言うだけであろう。しかし、それがとても大事な人だったら、こんなにも、心細く、悲しい。
2002年07月02日(火)

宝物 / リカ

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