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昨日の夜、一人ですごくナーバスになって、泣いてしまった。ダーはとっくに寝てしまっていたので、ゆっくり一人で泣けた。
涙を見られるのは好きではない。

涙を見られた時、相手の心の中で何かが始まったり、終わったりしそうで怖い。私の知らないところで。涙を見せて、いい方向に転べばいいけど、それは無に等しい。私は涙が似合わないキャラだから、私の涙というのは相手にとって、ものすごい衝撃を与えてしまう。そして、相手が、勝手に罪悪感を感じたり、勝手に同情したりして、相手もへこませてしまう。へこまなくても、めんどくさいと思う。
それをみて、私はいつも、泣きたいだけだったのに、とボンヤリ思う。
私にとって、涙は時に、たまりまくった男の精子と同様の存在であるのに、それを理解してくれる人は少なく、説明しても、強がって、涙の言い訳をしているだけだと思われてしまう。それが面倒くさいと思ってしまう事すらある。

だから、私は一人で泣く。
だけど、時々、一人で泣いているという事に、心細くなってしまって、隣で眠るダーが起きないかな、と思う。必然ではなく、偶然、涙を見られるのは悪くない。泣く原因が解ってないから、とりあえず、抱きしめてくれる。どうしたの?と聞かれたとしても、心細くなっただけさ、といえば、納得してくれるだろう。ダーはそこらへん鈍感で、追求したりしないから楽だ。
原因を言いたかったら、聞かれなくても言うのに、いいたくない時に、それが優しさだといわんばかりに、しつこく追求してくる人もいる。自分の探求欲を満たすためだけに、私に原因を聞いているという事も気づかずに。

大体、私がナーバスになるのなんて、つまんない理由なんだから言いたく無いのだ。理由をいったところで、「なんでそんな事で」と、下手したらうんざりするだけなんだから。

昨日の理由も、いっぱいあるのだけど、大体こんな感じ。
1、ダーと1ヶ月離れるという事
2、夜になると、息が苦しくなる病の解明〈家の祖母は、二人とも肺の病気で亡くなっているので、大阪に帰ったら病院にいこうと思っているのだけど、大病だったら、ダーに会えない日数が長くなるなぁと思って、ナーバスになった〉
3、母の再婚による、新しい祖母、祖父、親戚たちへの挨拶のこと〈元から、親戚付き合いが苦手なのに、見知らぬ人が、親戚になるのだ。しかも私は連れ子。うぅ、めんどくさい。普通は、そんなめんどくさい事は、結婚した時くらいしかしなくていいのに、私は人の二倍めんどくさい事をしなくてはいけないんだなぁ、なんて思ってナーバスになった。で、自分は不幸だって思ってる自分に対してもナーバスになった。〉

ね?つまんないでしょ?泣くほどじゃないでしょ?まだ起こっていない事に、ナーバスになってるんだから。

今日は、ダーと、お弁当を作って、お仕事に一緒に行って〈営業で、直行だったから〉お昼、公園でいっしょに食べるという約束だった。
で、朝早くダーが起こしてくれたのだけど、朝は超不機嫌な私は、前の夜の涙の理由をダーにぶちまけてしまった。ダーは涙を見ていないというのに。
バカなあたし。恥ずかしい。
涙について、高尚な(?)事を言っても、結局、「めんどくさい」ことを押し付けているのは泣いている本人なのだ。
私は朝、泣いていなかった。それなのに、わざわざ涙を掘り返して、自分一人でナーバスになっているのが悔しくて、そんなことをしてしまった。

昔付きあっていた男と別れ話をする時も、私は泣かないようにしていた。「別れ話をする時に、女の涙はずるいから」という理由だったのだが、一人で取り乱して泣くのが悔しかっただけなのかもしれない。どんなに引き止めても彼の心が戻ってくる事がないと確信した時、涙を我慢できずに、泣いてしまい、「ごめん、涙はずるいな」というと、それまで黙って話を聞いていた彼がポツリと「泣くのは、弱さじゃない。」と言った。その言葉には、精一杯の優しさと、涙なんかではもう動く事のない彼の心が詰まっていた。それを聞くまでの私は、涙を心に溜まっていた膿のように嫌悪していたと言うのに、なんだか不純物が昇華されたような気持ちになって、安心して泣いた。切なかった。

でも、結局のところ、泣くのは嫌いだ。
その、昔の男のように、決意を持った人の前以外では、なにかが動いてしまう。その涙が、理由のない涙であっても。私はめんどくさがりだから、動いてしまった物をまた理解するということが、めんどくさいのだ。
2002年04月05日(金)

育ちがいい人

「お育ち」と言う言葉は、その昔、「お家柄」の事だった。
でも、本当に育ちがいい人と言うのは、そう言うんじゃなくて、ちゃんと、親に〈親じゃなくても回りの大人達に〉育てられて、ちゃんと育ったかどうかだと思う。
未だに「育ちがいい」というと、「え?お父さんお医者さんかなんかなの?」とかいう人がいて、ちょっとがっかりしてしまったりする。

まぁ、それはさておき、ダーは、私が言う方の意味の「育ちがいい」人だと思う。この間、某観光地に遊びに行った。で、商店街をぶらぶらと歩いていると、自販機の上に空き缶が置いてあった。それも落ちて来そうにぎりぎり端っこに置いてある。ダーは最初、「危ないなぁ」と言って通り過ぎかけたが、やっぱり気になったのか、引きかえして空き缶をとり、近くのスーパーのゴミ箱に捨てた。
それを見て私は「ちゃんと育てられてるなぁ」と思った。
きっと、ダーは私がいなくて一人でも、同じ事をやっていただろう。
つまんないことだけど、なかなか出来る事じゃないと思う。だって、その空き缶は長い間そうされるのを待っていたかのように、ところどころ錆びていたのだから。観光地で、あんなに人がいたのに、誰もしようとしていなかった。
本当の意味で「育ちがいい」人と言うのは類まれなのだと思ってしまった。
当たり前の事を、当たり前のようにできると言う事こそ、ちゃんと育てられた、ちゃんと育った「育ちのいい人」なんだと思う。
2002年04月02日(火)

夢〈幸せな私(笑〉〉

私は小さい時から夢を持たなかった。小学校で書かされる「将来の夢」と言う作文では、いつも頭を悩ませ、結局適当に、「科学者になってドラえもんが作りたい」なんて子供らしい事書いて、先生を喜ばせた。「子供らしい」なんて幻想を押し付けられるのは疲れるなぁ、なんて、子供ながら思ったもんだ。嫌な子供だ。

どうも、夢を固定できなくて困る。イルカの調教をやりたかった事もあれば、彫金士になりたかった事もあるし。でも、すべて一過性。その時読んでた本に影響されたりとか。
今の所は金持ちになりたいけど、別にそれに対して努力してるわけでもない。「なにになるのが夢?」と聞かれた時のために、用意された夢だ。子供の時から変わっちゃいない。
夢を持つって、そんなに大事なのかな?生きていくだけじゃだめ?
私は、ダーリンと結婚して、子どもを生んで、一緒に育てて、じじばばになっても今みたいにラブラブで、子供にあきれられるような夫婦だったら幸せだろうなぁと思う。それだけじゃだめなのかなぁ。
「自分のやりたい事がわからないの?」なんて、勝手にバカにしてくれる人がたまにいるけど、私が望むのは、本当にそれだけなんだよ。「夢が無いなんてかわいそう」と勝手に同情してくれる人もいるけど、私から見たら、今、与えられた事に満足していない、「夢を追いかけてる人」の方が、大変そうだなぁと思うよ。いや、夢を持つ人すべてがそうじゃないよ。夢に向かって、着実にがんばってる人は、心から尊敬するし、カッコいいと思う。それに、夢を追いかける大変さも解ってる。でも、夢を追いかけるか、今に満足するか、それは個人の自由じゃん。
正直言って、私は政治より何よりダーリンが大事だよ。でも、私のすべてだとは思わない。だって、ダーリン以外にも、親だとか、血の繋がりも無いけど、私を大事にしてくれてる人達がいて、私は本当に幸せもんだと思うし、そんな人たちが困っていたら助けてあげたいと思ったりもする。助けてあげれる自分であれたらな、と思う。
高校の時の大好きな先生が言った。「自分が、本当に心から幸せになるには、自分の周りの人たちが幸せである事が不可欠なんだ。だって、自分が幸せでも、まわりの人が悲しい顔していたら、悲しくなるだろ?皆がみんな、そのことを忘れなければ、世界中が幸せになれるはずなんだけど、なかなか難しいね。」って。
私の本当の夢は、誰にも言わなかったけど、「自分や自分の大事な人、その大事な人の大事な人もみんな幸せである事。」だよ。甘い。甘いねぇ。恥ずかしくって、言えたもんじゃない。そんなの私のキャラじゃない。大体、私自身の問題だけでは叶えられるもんでもない。はっきり言って、無理に等しい。
でも、それ以外の夢ってなんかあるわけ?私。何にも持って無いもん。持とうとしろよって声も聞こえるけど〈爆〉
・・・そうだね、持とうと、努力したくないからこんないいわけじみたこと書いてるのかも。
でもね、いいんだ。お馬鹿さんだって言われても、あきれられても。少なくとも、私は、ダーリンを幸せにしてる。親だって、親戚だって、私が生まれて幸せに思ってくれた。愛して、愛されてるってだけで、こんなにも幸せ。原始的な夢だって、いいじゃない。自信を持って、愛してるって言えるって、素晴らしいもんだと思うんだ。
甘いって言われたって、これは23年かかって培われたもんだからどうしようもないや〈爆〉私って、幸せに育てられたんだなぁ。ありがとう。みんな。
2002年04月01日(月)

宝物 / リカ

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