のんびりKennyの「きまぐれコラム」
DiaryINDEXpastwill


2002年05月13日(月)  「資産形成の経験則」 ( PART 5 )

   ラスベガスをベースにしてスコッツデールとパームスプリングで連日ゴルフ、
合間にレイクミードのほとりで絵をひとつ仕上げてきました。

ハワイに戻って楽器の手入れをしているところへ、丸山選手のUSPGA2勝目の嬉しいニュース。 
なんとなく楽しい気分の毎日ですが、なかなかトレイディングの時間が取れません。
トレイディングの時間が取れないぐらいですから、きまぐれコラムの更新は尚更です。

と、相変わらず趣味と遊びで忙しがっており恐縮至極なのですが、このあたりが私の我田引水的「資産形成の経験則」と密接に繋がっているのです。

   今日のテーマは「遊び心」と「時代の波」。

私は常々「遊び心」と「時代の波に乗ること」は表裏一体の関係にあると思っています。

およそ、財をなそうと考えるならば、出来うる限り広くアンテナを張るべきだという点に誰しも反論は無いでしょう。

ここで言う「広いアンテナ」とは「情報」「人材」「政治経済」「社会現象」から「学術」「芸術」「科学」「スポーツ」はては「芸能ゴシップ」に至るまで何でもこいです。
これらの「世の中の動き」全部が織り成す偶然必然のムーブメントが「時代の波」と呼ばれるものでしょう。

張るアンテナは広ければ広いほど良いと、私は単純に信じています。

しかし、人間使える時間は平等で1日は24時間しかありません。
あれもこれもと思えども、ひとりの人間が動ける範囲、勉強出来る時間はあまりに短いのが現実です。

さらに、アンテナを広く張る作業が「楽しく」なければ長続きしません。
この作業は長く継続することによって効率が高まるという特性もあります。

また受身では無く、能動的に取り込む情報だけが真に吸収されるという特性もあるようです。

どうしたら「能動的な」「広い」アンテナを張り、時代の波に乗って財を成す一助とし得るのか?
私は「遊び心」を大切にすることだと勝手に思っています。
もう少し具体的に言えば「多趣味であり続けること」ということになるでしょうか。

皆さんの周囲に短期間に資産形成に成功した方がもしおられたら、その方をよ〜く観察して下さい。 その方が非常に「好奇心旺盛」で「多趣味」であることに気付くはずです。

そうなんです。 成功している方々は成功して金と時間が出来たので「多趣味」になったのでは無くて、はじめから「多趣味」であった人が成功したのです。
世間一般で考えられているのとは後先が逆なんですね。

   「趣味」というものを論じれば、それだけで本が何冊も書けてしまうでしょう。
ここでは一番の要点だけに絞ります。
「趣味」を持ち、それに時間と情熱を注ぐということは、どうやったらその趣味に精通し、その内容を向上させ、いかにしてそれを自己実現のツールのひとつと成し得るかという自己研鑽に帰結します。

ここで「哲学」を論じるつもりはありませんが、このことはそのまま「生きる」ということに通じているとは思いませんか?
「人は何故生きるのか?」という昔からの基本的な問に対する答えは私ごときには遠すぎますが、もしその答えが「創造」と「愛」と「感動の発露と共有」というあたりにあるとすれば、それは「趣味」を追求していくことの中にも確実に具現しそうな気がします。

閑話休題。

「趣味」というものを馬鹿にしてはいけませんね。


   さて、そんでもってオハナシはどこに行くかと申しますと、
その「趣味」をひとつ持つだけでもアンテナの感度が増すところを
ふたつ、みっつ、よっつと欲張るのが私の様な「多趣味」のオヤジであります。

多くの趣味を持ち、それを継続する為には、前述したふたつのものが必要です。
ひとつは「旺盛な好奇心」、ひとつは「遊び心」です。

「旺盛な好奇心」は常に新しいものに目を向ける姿勢をキープし、
「遊び心」は、それぞれの趣味における「自己研鑽」を苦しいものから
楽しいものへと自らの内側で昇華します。
そしてこのふたつは「世の中の動き」、つまり「時代の波」を敏感に感じる
アンテナとして極めて効率良く機能することを私は自らの経験則として実感してきました。


   では、その敏感なアンテナでとらえた「時代の波に乗る」にはどうすれば良いのか?

本屋さんでビジネス書が並んでいるあたりへ行くと 「HOW TO もの」の上位に「いかにして時代の波をとらえるか」とか「人より先に時代の波に乗るには」といった似た様な題名の本が書棚からあふれだしています。
中身もだいたい似たり寄ったりで、早いハナシが「いかに他の人に先行するか?」というポイントがああでもないこうでもないと書き散らかされています。

「時代の波に乗る」という言葉から考えられる一般的なステレオタイプとして、「時代という大波」をあらかじめ感知したヤングエリートがまるでプロサーファーの様に巧みに大波の上に乗って皆に先んじて最先端を突っ走る、というようなものがある様です。

どうも「私の経験則」とは違う様です。
きっと私が力足らずな為でしょう。

私も日々楽しんでいる趣味の世界から「なんとなく感じる時代の波」や「次に訪れる大きな社会的需要」という類のものを感じることがあります。

しかし、私はそこでは何も行動を取りません。

次々に敏感な若者や、自らの能力を信じるエリート達がその大波に乗って活躍します。
世の中にはこの「大きな波」にのって一世を風靡する成功者が出現したりもします。
それはそれで良いことだと思います。


しかしそこでも私は何もしません。

自分もその「波」は読みきっていたという小さな自己満足とともに時間の経過を待ちます。

そして、「大きな時代の波」が一段落する頃、数人のヒーローの様な成功者の影で
数え切れないほどの敗残者達とそれを取り巻く人々を中心にした「社会的バックラッシュ」が必ず起こります。

この「混乱の中の小さな波」に乗るのです。

皆が同じ方向へ走る時、そこで「速さ」「強さ」「大きさ」を競っていては、何ひとつ卓越したものを持たぬ私の様なオヤジには勝機が無いことを経験から学びました。
「凡」なる者に勝機を与えてくれる社会状況とは「混乱」と「価値観の激変」と「方向感の喪失」が同時に訪れる、「大きな時代の波」が一区切りして皆が「反省」や「見直し」や「躊躇」に暮れるこの時期をのぞいて他にありません。

ここでこそ、以前に書きました「2匹目、3匹目のドジョウ」を狙うのです。

「時代の波」とは、そう動くべくして動くのであって、ひと時の混乱を経て必ずまた同じ方向へと回帰していきます。
そこを狙うのです。

ひとつ目の巨大な波を意識的に見送り、そのバックラッシュが起きて人々が懐疑的になり、その方向への競争者が激減した「時」の利を得て、全精力と持てる経済力の全てを投じて巨大な波の後姿を追います。

来るべくして来る、「ふたつ目の時代の波」の最先端に位置している自分自身にあなたが気付くまでに、それほどの時間はかからないはずです。


   勝手気ままな、きまぐれコラムですが、「お金」に関する文章を書くということは自分自身の生臭い部分を書かねばならないので、途中からやや筆が重くなってしまいました。
短い文章ですから、「目次のみ」という感は否めないのですが、気楽なオヤジの勝手な言い草と御笑読頂けましたでしょうか。

最後に一番大切なこと。

「その金で何をするか?」

というポイントを強調して一区切りにします。

「資産を形成する」ということは「自らが幸福と信ずる人生を実現する為の手段」であって、そのことそのものは、けっして「目的」にはなり得ないというポイントです。


「その金で何をするか?」という明確な目標が無ければ
「資産形成」そのものには全く意味が無いというのが私の信条です。

「お金を儲けたい!」というそこのあなた、
「その金で何をするのですか?」


Have a nice day!

のんびりKenny






















Kenny |MAILHomePage