銀の鎧細工通信
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2009年01月16日(金) World's end-Black forest (近高そよ:続き物5話目)

 そよの挙げた者へと書状を届ける指示を飛ばす中、全蔵には予感があった。否、それは確信だった。自分がこうして一秒でも長く時間を稼ぐための綿密な計画は、決して彼女を幸福にはしないという確信。当人にとって何が幸せであるかなど、一国の姫君の真情など草である自分には到底あずかり知らないことではあるのだが。

 これじゃだめだわ。
 そよは喉の奥で呟いた。
 書付を引き裂いて火を灯す。大きく伸びをし、そうしてかくりと肩の力を抜いた。今更焦ったところで仕方がないと解ってはいても、少しでも急がねばならないと火がついたように急く自分を感じる。
 誰も表立って口にする事はないけれど、その場所のことはそよも知っていた。常夜の街で繰り広げられたという戦闘に春雨が、天導衆が黙っている筈がない。更に根を磐石にしようとしてくるに違いない。これ以上振りほどけないものが増える前に、侵食されつくす前に、早く。早く。
 もっとも、そよの懸念とは裏腹に、吉原の変は春雨内部で新たな統治者を据えて解決の形を取った。けれどその者が吉原に対して新たな事業展開を始めたとも支配の強化を行ったとも耳に入ってこない以上、そのことに、その新たな夜王に不快を示す者が現れるだろう。
 (或いはそれが狙い目かも知れない)
 けれど自分にそこまでやり遂げる力量があるだろうか。こんな世間知らずの小娘ひとりにつけこまれるほど相手は甘くはない。新たな紙に筆慣らしのような曲線を幾重にも描き、そよは目を閉じる。
 (違う。そうだわ、私は”ただの”世間知らずの小娘じゃない) 
 そうであったらどんなによいかと何度も何度も願い続けてきた。その立場を利用しようと思う日が来るなど考えもしなかった。 
 かつて世界はただに暗いだけであった。何もないひたすらの空虚。その深遠に向かって進むことで、手が届くのかも知れないのならば。
 同じ場所にこの身を生涯縛りつけようとするものを振りほどくためなら、世間知らずの小娘の立場だってなんだって全てを役に立てる。侮られ、見くびられているほど静かにことは運べるのだろう。行き着くところまで。
 自分のしようとしていることを思うと顔を覆って叫びだしそうになる。重い。希望も未来もあまりに遠い。明日の予定を頭の中で確認し、そよは灯明を吹き消して布団にもぐりこんだ。爪を立てると、決めたのだ。あとは最も効果的に引き裂く方法を考えればいい。


 「姫様、本日は郊外の研究所へお成りいただきます」
 「ええ、解りました」
 さらさらと絹のすべる音ともに、そよの着付けを行う初老の女房は天気のことなどを話す。控えの間のない書斎のような部屋も、部屋付きの女房の少なさもそよが小さい頃に願い出たことであった。もっとも、城を抜け出した一件以降はしばらく警戒も厳重になったものだが。 
 「あら、そうだわ。帰りに牧野の小父様のところに寄りたいのだけど、使いを出しておいてくれる?」
 「それは、構いませぬけども・・・どういった御用向きにございましょう」
 「久しぶりに一緒にお茶でもいただきたくて。あすこのお庭はとても美しいのよ、それにね、お茶菓子も美味しいの。ねえいいでしょう?」
 「まあ姫様、お菓子目当てだなんて」
 そう云いながら微笑む女の目元の皺を眺めつつ、そよは己の目論みがこの女をも殺すことになるのかも知れないとふと思う。
 「ふふ、」
 「どうなさいました」
 「いいえ、なんでもないの。お天気がよいからうれしくって」
 罪悪感と感傷で、自身を美化することを、恐れた。
 本当は目が眩むほど世界はうつくしく、やさしいものであったはずなのに。

 




 「正直これは専門外です。開国してからのツテはあんまりないもんで。親父が生きてりゃまた別だったでしょうけどねえ」
 ほとんど声を発さずに喋る忍独特の会話方を、そよがみるみる理解するようになったことに全蔵は舌を巻いた。流石にそれを用いることはできないが、ほぼ読み取れるだけでも尋常ではない。静かに微笑んで暮らす中で、どれだけ気を張って周囲をうかがって生きてきたかが示されるようだった。
 「そう・・・先代のことはよく松平の小父様に話してもらいました。まるで幻かあやかしのようだった、って」
 「ま、腕は確かでしたよ」
 言外に不満を滲ませ、全蔵は肩を竦めて見せた。にこりとし、では交渉できそうなお知り合いは思い当たりますか、とそよが囁く。出来る限り使いたくない手であったが、阿国の助けを借りるしか無いと腹をくくる。不穏なことに巻き込みたくはないが、今ですら自分の手に余る渡りを何とかこなしている状態だ。10日ほど前に阿国の屋敷に赴いた際、世の泥沼は見飽いておる、みくびるでないと云われたのは、このことだったか知れないと思う。
 「まあ、なんとか」
 と応えると、人脈も才覚のうちですよと笑うので、この娘までもが天眼を持つのかと全蔵は胆を冷やす。身を守るために磨かれた哀しい洞察力以外の何でもないというのに。微笑むごとに透きとおっていくような、この娘の綱渡りを止めさせたいと思うのに、それができない。自分が手を貸すことを止めれば、それだけで立ち行かなくなる綱渡りだ。綱の下に広がる暗闇にいることよりも、細い細い綱にかけた望みを断ち切ることもまた同様に幸福などでは決してない。
 (世の泥沼、か)
 
 阿国には出会い頭に「なんじゃ辛気臭い面をしおって」と塩をまかれた。そうして同時に紙片をひらりと投げ付けられる。
 「そやつらを当たれ、悪いようにはならん」
 紙切れを拾い上げながら全蔵は代わりに雑誌を差し出す。
 「見えてたか」
 「わしを誰じゃと思うておる」
 テレビでも似たような台詞を聞く。この方をどなたと心得る。先の将軍、先の将軍、横をうかがうと阿国がまた塩を握り締めているので全蔵は慌てて紙片に目を落とした。
 研究者にはそよ自身が会っている、富裕大名と大店の主も主にはそよが相手にするのが確実だ。天人同士の関係も大体調べがついている。後は外交のツテ、攘夷志士たちとのコネ。それもこれならどうにかなりそうだ。
 一体、なにが?
 なにが、どうなるって?
 どうにもならないだろう、きっと
 それでもやるのか?
 やるんだろうな。
 結果なんか天眼がなくても見えてる筈だ。
 それでもはじめたんだ。
 やるんだろうな。
 将軍でもないのによ。
 将軍ですらやらなかったことを。










 
 「兄上、お話があります」
 「どうした、急に」
 「こちらにございます」
 「これは・・・」
 「兄上の御代になってからの勘定にございます。座、市ともに形式ばかりのものとなり、実質は諸天人衆に掌握されているも同然。いずれの分野においてもわが国の生産力は衰退している一方にございます。ですのに高額な関税措置はそのまま、これでは国内の商業が立ち行きゆかぬと思われませぬか。」
 「何が云いたい」
 「わたくしは兄上の政が不服にございまする」
 にこりと微笑んで扇子を打ち鳴らす。途端、襖が開け放たれ、刀をきらめかせた男たちがずらりと姿を見せた。
 「わたくしに将軍職をお譲りくだされませ」
 
 将軍急病の報と、それに伴い将軍の座に妹君が就くとの報せは唐突にもたらされた。
 それこそ漆黒の戦艦がある日不意に上空に現れたように。



 






 「ねえ兄上、国を豊かにしたいと思うのは当たり前でしょう?」
 そよは、微笑む。














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