銀の鎧細工通信
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2008年05月28日(水) |
CAGE (DEEPLIVER続き) |
「そうだ、もう一箇所行きたい場所がありますの。お付き合いいただけますか?」 勿論とふたつ返事で応えたのは、何か計り知れないものを抱えている風である少女を、少し喜ばせることくらいいいだろうと思ったからだ。いざとなれば門限には抱えて走れば余裕で間に合う。こんな夕暮れの中では、あまりにこの少女は儚く見えた。我ながら感傷的だ。 「で、どちらへ?」 「あの、お恥ずかしながら場所は存じませんの」 そよが唇に華奢な手を当て、云い難そうにもじもじとする。こういう楚々とした雰囲気、なかなか娑婆の娘には出せないよなあ、と全蔵はぼんやりと思っては自分の発想のオヤジ臭さに辟易した。 「真選組の、屯所なのですが」 楚々とは正反対である、野卑の象徴を口にする。うへえ野犬の檻か、苦手だぜあそこらは、と再度辟易する。 何を思ってこのお姫様がそんな場所へ?と思わないでもなかったが、高杉の顔を知っていた、あるいはそれ以上の面識すらある様子であったことを思えば何ら不思議なことでもないのだろう。藪を突付けば鬼が出るか野犬が出るか、いずれにせよ全蔵には知ったことではない。 道々、そよは「全蔵さんがそうしたことを無闇と口にする方と思っているわけではありませんので、ご不快でしたら申し訳ありません。今日のことはどうか内密にお願い致します」と頭を下げた。 「正直報告にゃ迷うところすよ。でもあいつは何も危害を加えてはこなかったし、その気もなかった。なのでスルーです。・・・屯所は、まあ慰労だとすれば別におかしいことはない・・・どうでしょ」 さらりと音でもしそうな黒髪がまた頭を下げようとした。止してくださいと制せば、そよは卑屈さのない凛とした声で「感謝します」と心を込めて返すのだった。 (武家の娘らしい、ってのはこういうののことを云うのかね・・・) どれだけお飾りと成り果てていようとも、あの家は矜持を失ってはいないのだろう。それはむしろ不幸なことだと思えた。
「俺は奴らに顔を見られたくないので、離れて見守らせてもらいますよ」 そう送り出した背中は細く小さかった。西日の強さに焼け付く影はもっと細い。そよは一度も振り返らず、迷わずに堅牢な門へと歩みを速めた。 (あーあ・・・) 麗しの酢昆布姫として顔が売れているものだから、門番の隊士に土下座までされかける始末を見ながら全蔵は三度、辟易する。侍ってのは意味の判らない気苦労を進んで背負う、そう写った。 そよがそれに屈みこんで何やら声をかけているうちに、鋭敏な全蔵の耳は足音を拾っていた。 (あーあ・・・まるで土産と親父の帰りを待ち侘びてたガキみてえな足音だ) 喜色を満面に湛えた真選組局長が全力で走ってきて、そよの前に大柄な身体を滑り込ませた。2人とも屈託のない顔で笑んでいる。そよの歳相応の笑顔に僅かな安堵を覚えるのは、あまりに不釣合いな表情の印象が強かったためだ。何をどうしたら、深窓の姫君があんなにも業の深い顔をすることになるのか。それは考えるまでもなく、彼女が生まれ持って背負った家柄に尽きるのだろう。 (国を傾けさせるんじゃなく、傾いた国の美少女、ってか。まるで檻だな) 屯所内に通されたそよを追って全蔵は木々を駆け抜ける影となった。
「いやあ、まさかわざわざお立ち寄りいただけるとは!云ってくれればお迎えにあがりましたのに」 「お気遣いなく。突然お邪魔致しまして、・・・丁度近藤さんがいらしてて良かった」 一番上等の座敷に通され(それでも城内の部屋で云えば圧倒的に狭い部類である)、平隊士の隊服の割には所作に無駄の無さ過ぎる青年が茶を運んでくる。微笑んで礼を述べれば、心地よい笑みで応じられた。そよには、何故こんなにも気のいい彼らが庶民の間でチンピラ警察24時扱いをされているのかが理解しがたい。 「まあ、美味しい」 「ははは!いや粗茶でお恥ずかしい。でもさっきの奴は山崎といいまして、自慢じゃァないが大変な料理上手なんです」 豪快な笑顔に、仲間を想う近藤の人柄が隠しようもなく表れる。ああ、いいな、こういうのは、とてもいい。そよの心が凪ぐ。深い川のほとりでも、絶望しないで済む瞬間。 「そしてお茶を煎れるのもお上手、素的なことですね」 この場所は暖かい。 彼のいる場所は、どうなのだろう。 気がつけば暗い川の底を覗きかけるのは、彼に会ったせいだ。「如何でしたか、今日は」と近藤に問いかけられ、ひとつ小さく息を吸う。 「高杉さんに、お会いしました。と云っても、顔を合わせただけです」 今度は近藤が小さく息を吸った。そして、詰まる。 「ッ・・・そうでしたか」 「ふふ。実は私、それに賭けたのですけど、やはり情報というのは洩れるものなのですね」 近藤が青ざめたり赤面するのが樹上の全蔵の視界に入る。 (悪いね、聞こえちまうもんは仕方がねぇんだわ) 「言い訳のしようもありませんな。・・・でも、それを狙っていたのだったら、良かった・・・のかな、あれこんなこと俺が云っちゃ駄目だよな」 そよの軽やかな、羽のような笑い声が柔らかく鼓膜を揺らす。 「元気そうでしたか、あいつ」 こいつも面識があるのか、と意外な思いについ耳を澄ませてしまう。 「あの方に、元気と云う言葉が当て嵌まるか判りませんけど・・・。 刀を、わざわざ放して置いて、こちらを見ていました」 「・・・そうですか」 「ただ、静かな眼をして」 あんなにも哀しみと呪いと怒りと呪詛と、それら諸々の渦巻いた眼を静かと感じるなら、それは、それがそよの”静か”な状態と同じであるからだ。それを思うと全蔵はその底の深さにぞっとした。 一体あんたたちは何を見てる?
俺も最近は会えていない、桂と派手にやらかした辺りからなかなか摑まえられない、そう近藤は云った。 「あいつは動き出すことを多分決めたんでしょう。それは、たぶんどうあっても俺とは相容れない類のものです。 でも・・・そよ姫を直接どうこうしようというものでは、ないようですな・・・」 「私など、相手にしていないということでしょう」 あまりにも物騒で、国すら動かしかねない内容のことを何故そんなにも穏やかに哀しげに話し交わすのか。近藤の継いだ句に全蔵は木から滑り落ちそうになった。 「でも、一度はあなたの命を狙ったんです。それが、変わった」 「どの道が良かったのかは、私には判りません」 俺にはお前らの話していることの意味が判らねえよ、と呆れ果てていた全蔵の眼は自動的に人影を捉える。いつからそこにいたのか、先ほど茶を運んできた男が部屋の外に潜んでいた。ふうん、野犬の群れにも鼻の利くのがいるじゃねえか。そう思った矢先に男が全蔵のいる方へ首をめぐらしたので、慌てて気配を殺して他の木に音もなく移る。見られてはいない、けれど何かは察知された。しまったと思う半面で、どこか不穏に騒ぐ血を全蔵は感じている。
丁寧にそよを送り届け、丁寧に礼を述べられ、丁寧に笑って返し、あまり丁寧ではなく松平に報告を済ませて仕事が終る。 その足で広大な屋敷へと駆けたのは、騒ぐ血が無性に気にかかるからであった。 「来たかえ」 「見えてたか」 子どもは手を伸ばして雑誌を受け取り、「日暮れ時に見えた」と云った。そよが屯所に行きたいと云った段階でもう予見できるのか、と全蔵は改めて舌を巻く。この子どもも、生まれ持ったものの重さにささやかな日々を圧されている。 「なあ」 「何じゃ」 部屋の隅で猫のように丸くなっている全蔵の、発する質問も見えているのかも知れなかった。あまりに、重い。どうあっても自分の未来など見えてしまうと云った。何処へ行こうと籠の鳥。 「お前、面識のない奴のことでも見えるか」 「わしを誰じゃと思うておる。何じゃ、気になるおなごでもおったかえ」 「まあな。・・・この娘だ」 ぴっ、と一枚の紙切れを指先で弾く。それは見事な軌跡を描いて阿国の傍らに綺麗に落ちた。 「その娘、これからどうなる?」 「・・・」 雑誌をそっと置くと、もっともらしく写真を眺めやる。政財界にも広く客のいる身である、娘が誰であるのかなど判った上でそれには触れない。 ふ、と小さく息をつくと淡々と云った。 「天眼通を使わなくとも判るであろう。苦労するぞ」 何故だと問えば、「このように暗く激しく、哀しい眼をしておれば判ろう。身のうちに獣を飼っておるぞ。・・・気高い、小さな獣じゃ」そう、写真から顔を上げないままどこか淋しげに応えた。「いずれ、何かやらかそうとする者の目じゃ」とも続けた。沢山の多様な人間を見てきているだけに、その言葉には説得力というものが強く感じられる。 「死ぬか?」 「死なぬ。当面な。だが、支えてやる手は多いほうが良い」 そうしてまた雑誌を小さな膝に乗せた。煎餅食うか、と云ってくるりと全蔵のほうへ向き直る。食う、と応えて手を伸ばす。支える、などとガラでもない。が、より刺激のある面白いほうへと身体が向くのは性だった。 ご馳走さん、と立ち上がれば、「行くのか」と見上げて寄越す。「さあな」と云ったところでまさしくお見通しなのであろう。向けた背中に「全蔵」と幼い声がかかった。 「ぬし、・・・・・・ロリコンなのかえ」 ばっかやろうふざけんなァ冗談じゃねえぞ、と喚けば、 「静かにせい。早く行ったほうが良いぞ」 と、雑誌に眼を落としたままシッシッと手を振られる。気をつけてゆけ、と付け足される言葉に全蔵は鼻を鳴らして闇に溶けた。 かつての勤務地である。侵入は容易い。少しの変化もない城は、解雇した者たちが悪事を働こうと思ったら幾らでも働けてしまう状態で放置されている。そのことに少しも頓着しない輩が、この国の実権を握っているのだと痛感するには充分すぎた。むしろ「何か」が起こり、あわよくば名実ともに支配権を得ることが狙いなのかも知れなかった。此処はひどく虚しい、張りぼての城。将軍家を囲い込むための立派な檻なのだ。 見取り図を思い浮かべ、当たりをつけて音もなく疾駆する。見回りなど全蔵にはいないも同然だった。目星をつけた居室に灯明が見える。 「そよ姫」 驚かせないように細心の注意を払った声と位置から呼びかける。それでもびくりと身を震わせたそよは、すぐさま思い当たったらしく「全蔵さん?」と潜めた声で辺りを見回した。いい耳をしている、と感心しながらするると襖を開け、廊下から顔を覗かせる。 「どうなさいました」 室内へと手招いて襖を閉めると、そよはまた小声で問うた。 「いえね、聞くつもりはなくても俺たちには聞こえちまうもんが世の中には多くてですね。で、 ・・・今日のことの口止め料としてお願いがあるんすよ」 少しも悪びれず飄々と口にすれば、そよはかすかに息を呑んで「私に可能な範囲であれば」と真摯な真顔で即答する。それだけのことだ。一級の指名手配犯である高杉と面識があり、かつて命すら狙われたことがあるというのに誰にも報せず、挙句にそんな輩に会う機会を探っているなどということは。膝の上で握った小さな拳が震えている。 「気の向いた時でいいんで、俺を雇ってください」 全蔵の言葉にぱちりと瞬く。 「俺の後輩が側仕えとして城に残ってます。そいつに云ってもらえれば、伺いにあがりますんで。 ・・・秘密厳守、迅速かつ正確にご希望にお応えしますよ」 目を見開いた後に、みるみる眉根が苦しげに寄せられる。握り締めすぎた拳はますます白さを増した。 「・・・そのようなこと、あなたには何の得にもならないのに」
「まあ、気まぐれですよ」
籠の鳥かと思いきや、実は檻の中で小さな獣を飼っていて、 それが何をやらかすのか見届けてみるのも悪くないと思っただけ。
その後、そよが全蔵に依頼した最初の仕事は「真選組隊内で起こったというクーデターと、その際の攘夷志士との大規模な戦闘についての詳細」であった。
NEXT
わー。続き物をはじめてしまいました。 前回で屯所まで行かせたかったので、取り敢えずそれだけ書こうと色々考えていたら全ちゃんが跳ね回りました。 ぶっちゃけ阿国ちゃんと境遇似てね?これ。ていうかもう阿国ちゃん出しちゃえばよくね?と・・・欲望に従いました。結果としては満足です。全蔵と阿国ちゃんの話、とても好きなので2人を書けて幸せです。 第三者から見てこの人たちどうなの、ってところも書いておきたかったのでそれも。
山崎を出張らせるつもりはなかったのですが、この後の動乱後の絡みで必要になる感じだったので盗み聞きさせるがままにしました。有能だけどプロには及ばず、というところも書けましたし。でもうちの山崎は相応の修業を積めば忍になれるくらい有能な設定です(笑。
DEEP・・・の続きにするかはさて置き、折角の機会だからと動乱編と近高について考えていたら、もう近高そよに山→土も土→近も絡んできてしまうわ、万斉も出て来ちゃうわ、うっかり万→高みたいなノリになっちゃいそうな勢いだわ(私はあまりそういう風には考えていないので)、もう大人しくしてるのが沖田だけっていう恐ろしい大混戦状態に。 あ、動乱編に関してはそよちゃんはあまり関与できないのですけども。一応情報だけは入るようにしておかないと、将軍家って新聞もニュースも縁がなさそうなんですもの。入っても黒塗り新聞だったりしそうです。 全蔵の仕事というので「動乱はこの後ですよー」という時間軸の設定を配置したかっただけなので、ひとまずそよちゃんと全蔵は次回はお休みの予定・・・です。そんな何人も何人もの思惑まとめて一回に書けないので・・・!(爆。
2008年05月25日(日) |
DEEP LIVER (近高そよ) |
緑の気配が濃くなった。整然と美しく整えられた城の中では季節ごとに庭が作り変えられ、朽ちた草花は取り去られる。いつでも瑞々しく、生きものとして当然の循環から排除された偽りの自然。お仕着せの季節以外のものを、与えられたことはない。 「お兄さまは?」 側仕えに訊くと、「松平様とお忍びで」と云う。 「そう・・・またなのね」 最近とみに外出の増えた兄を恨めしく思うことはなかった。天守閣から見下していたところで、自らが支配する国の実態など見えはしないのだ。自身の目で確かなものを目にしなければ、自分たちはますます世間から隔離された人形に成り果ててゆく。 (もう、今更だけれど) そう嘆息する一方で、それでもみすみす甘んじているわけにはいかない、とも思う自分をそよは知っている。 (私たちだって、足掻くことを忘れてはいけない) そんなことを考えるたびに、よぎる眼があった。痛みと呪いと哀しみに満ちた、暗い暗い深い川のような隻眼だ。 (きっと偽善だとあなたは嘲笑うでしょう)
(・・・こんな私の想いは)
ひとつ静かに瞬くと、そよはひとつの決心をした。「造られた庭」の中でも、植え込まれた緑は野蛮なまでに生き生きと葉を茂らせていた。
「直々に姫様のお召しとは、さてはこの松平めが昨夜も兄上をお連れしたことへご不満がおありかな」 独特のふてぶてしさがある声音で、歌うように語る。自身の娘と年齢が近いこともあり、この侍はそよをとても大切にしていた。 「まあ。うふふ、何か後ろめたいことでもおありですの?」 「いやいや、姫様に後ろめたいことなんかなぁんにもないですよ。カミサンはともかくね」 そよが自室に呼ぶ際にはいつだって煙管盆を胡座の膝近くに据えさせてあるが、そこで煙草を呑むことは決してない。 天人との外交問題も解決しきらないうちに先代の将軍が没し、その後自分たち兄弟を哀れとも思い、父の様に支えてくれている松平はそよが気安く話すことのできる数少ないひとりであった。 「実はお願いがありますの」 「んん〜?おじさんにできることなら何でもやっちゃうよぅ。うちの栗子なんかもうおねだりもしてくれねぇ」 強面をやにさがらせる姿が微笑ましい。好ましい、とそよは暖かい気持ちで瞳を和ませた。 「私も遊びに連れ出していただきたいのです、いえ夜遊びではなくて」 「えぇっ、姫様も将軍ゲームがやりたいと?」 「いえだからキャバクラではなくて結構ですから」
「・・・隙を見て逃げ出そうなどとも、考えておりませんから」
そよには一度「前科」がある。あのような我儘が何度も通用するものではないと、よく解っていた。信頼する松平の立場を悪くすることは、幕府上層部に根を張る天人に煙たがられている真選組の立場にも波及しかねない。 ぴくりと片眉を上げて松平は顎を撫でた。そよの四肢が緊張で強張る。 「そんな深刻な顔、若い娘がするもんじゃぁねぇよ。 ・・・それっくらいのおねだりに応えられないおじさんだと思ったのかぁ?」 艶やかな黒髪を翻し、勢い込んで顔を上げると、やはり松平も和やかな瞳を向けている。ありがとう、と云った声は震えなかっただろうか。なぁにかわいいおねだりさ、頭を掻いて照れくさそうに応じる松平の姿がぼんやりと滲んだ。
おそらく私たちの間には深い川が流れている。 決して越えられない川、越えようのない川。 決して解り合えない、それぞれの痛み。 長い長い長い時を経れば、いつか海で交わるのだろうか。 それが「赦すこと」ではなくとも。 解り合うことでは、なくても。
町で昼食を摂り、ぶらぶらと買い物をするというコースで落ち着いた段階で、松平は「おじさんと一緒じゃ援助交際と間違えられて同心に呼び止められそうだから」と云った。幕府に敵対する者に面の割れている自分と一緒だと悪目立ちすると思っているのだろう、と兄は云った。そんな短時間で息抜きになるかも解らんが楽しんでこい、とも。そんな二人の優しさは、そよを哀しくもさせるのだった。 誰しも痛みを背負っていて、それは多いとか少ないとか比較できるものではない。それでも自分たちの所為で「痛い」とのた打ち回っている青年に、どこかでまた会えはしないかと思う自分の気持ちは我がことながら理解できない。会おうが会うまいが、自分が何かしてやれることなどないと解っているというのに。 「あ、どうも。護衛の任を恐れ多くも仰せ仕りました、服部全蔵と申します」 「お庭番の方ですね?本日は宜しくお願い致します」 恐れ多くも、と云う割には飄々とした青年は元お庭番衆筆頭とのことだが、どう見ても気のいい兄ちゃんであった。堅苦しい屈強なお付きよりもよほど気安い。本人は「娘の考えてることがさっぱり解らない」とこぼすが、充分年頃の娘の心理に配慮があるとそよは思う。人の気持ちなど、ままならないものだ。 買い物の合間に全蔵は「ちょっと寄っていいすか」とコンビニで何やら雑誌を買う。同じものを2冊も買うのですか?と訊ねたら、知り合いのガキに差し入れなんすよ、と笑った。その笑い方をそよは知っている。松平がそよの頼みを聞き入れたときのものと同質であった。近藤などは度々そういう笑い方をする。 それは、誰か大事に接している者へ向けるものだ。 甘いと云われようとも、そうしたささやかな機微をそよは愛しく思う。ごくたまに近藤と顔を合わせる際に(それも近藤に会いたがっているというそよの気持ちを察して松平がわざわざ取り図ってくれているものだ)、「彼」の近況を訊いた時に近藤が見せる、笑い顔。 (あなただって、大事に想われているのに、やはり、どうしてもあなたはそれを認めてはくれないのですか) 深い川のほとりで、嘆くことと祈ることの違いが時折見えなくなる。だから、そよは小さな想いを掻き集めてはそれを堤防のように重ねる。 (すべてを赦し、受け入れることなど願ってはいないのに) ひとつひとつ、やさしいもの、暖かいものを丁寧に積み重ねて。 (それでもあなたは、ひとりで行くと云うの) 自分の眼も怒りと哀しみと、呪いに満ちているとは、知らないまま。
その時、ほんの僅かだけ全蔵より早くその視線に気がついたのは、そよが「彼」と近い場所に立っていたからかも知れない。深く暗い川のほとり。 道の逆端の茶屋の前で、柱にもたれて煙管を吹かしていた。 息が止まった。心臓が潰れたと思った。会えるとは思っていなかった。
会いに来るとは思っていなかった。
真選組と一部の同心には今回のお忍びを報せてあると松平は云った。だとしたら、そうした過程の中で「彼」がその情報を掴む可能性もあったと云うこと。それに、賭けた。一度で駄目なら何度でも賭けようと思った。顔を会わせられる時まで。 何をするでもなく、佇んでいた。 偶然ではないと判るのは、驚きの表情すらも見せてはいないから。何もしないで、ただ煙管一本を手にして、こちらだけを見ていたから。 そして、 「ちっ、こんな時に」 全蔵が呟いてそよを庇うように構えようとする。 「待ってください、・・・大丈夫」 「え」 「・・・刀を、」 そよの声は詰まった。恐怖からではない。 全蔵が瞬時に眼を動かすと、仕込み刀を腰に差していない。一歩半ほども離れた茶屋の長椅子に立てかけてある。 「・・・! まさか」 なんで、と全蔵は小さく呟いた。超一級の指名手配犯である。同業者の中にも反発する者が多い中、そんな振る舞いは身に降りかかる火の粉の量を判っていないのでもなければ、まるで狂気の沙汰だった。 無防備すぎる、という意味ではない。何かを隠し持っているか、それとも仲間が近くに潜んでいるかの備えはあって当然である。そうではなく、敢えてそうしたパフォーマンスで、よりによって将軍の妹に対して「お前に危害を加える気はない」ということをアピールするということだ。それはつまり「眼中になし」という意味であった。 「・・・私はあくまで、”将軍の妹”でしか、ないですから・・・」 凛とした声に、全蔵が目線だけでそよを見ると、彼女は瞬きもしないでじっと見ていた。その隻眼で痩せぎすの青年だけを、真っ直ぐに顔を上げて見ていた。およそ清楚でたおやかな姫君とは、生涯無縁であると思われるような眼をして見ていた。深く暗く、だのに燃え滾るような、哀しい眼をして。 しばらくそうして見詰め合い、そよは「いきましょう」とだけ告げた。睨み合うように、探り合うように、ただ見詰め合うだけの邂逅だった。 (ああして立っていたのだから、茶屋に寄る振りをすれば歩み寄れた) (側に寄って、何になると云うの)
(かける言葉なんて、ないのに)
隔てる川は、越えられないというのに。
それでも私はあなたに会いたいと思った。
絶望的に川は深いというのに。
それでも、あなたは私に会いに来た。
わざわざ、来た。
「知り合いですか、ってのも変か。・・・将軍家の方って、指名手配犯のチェックとかいちいちしてるとも、思えないんすけど」 「・・・・・・・・・」 繁華街を抜けたところにある橋の上で、全蔵が口を開いた。探るようでも詰問調でもないことに、安堵する。 「なぜですか」顔を向けることは出来なかった。川の流れに目を落とす。 「大丈夫、って云ったから」 別に訊きだそうとしてるとかじゃないですから、嫌だったら云わなくていいです。ただの興味です。と全蔵は続けた。ただ顔を知ってるだけじゃ、お尋ね者相手に「大丈夫」は云わないと思うから、とも。 「・・・・・・・・・」 「手当たり次第の、形振り構わないテロリストって話だったけど、やっぱ見ると聴くとじゃ大違いすね」 明日の天気は晴れらしいすね、と云うのと同じくらいの軽やかな口調で云う。日が傾き始めている。川面が西日を受けて金色の波をたてて輝いた。 「・・・強いて云うなら、川の、こちらと、」 そよが白く細い指先で対岸を指し示した。 「あちらに、いる者どうしです」 「ふうん」 あの人はもう、将軍家自体をどうこうしようという気はないのかも知れない。私たちを、どうかしたところで、この国はもう変わらない。 その考えはおそらく事実で、そよはそれに酷く傷付いた。ましてや自分はその将軍の妹でしかなく、政治的な力を何も持ってはいない。 (相手にならない、と云うのに) 人形になら代わりは幾らでもいる。 (それでもあなたは赦すことはしないのでしょう) それはつまり、自分には何ももうなす術がないと突きつけられることだった。
(私に何も期待をしないくせに、)
(痛いと赦せないと、それだけ喚くあなたは、)
(身勝手だわ。)
橋の下を川は流れてゆく。 私だって、こんな風に橋が架けられると期待しているわけじゃない。 こんな風に、橋の真ん中に立てると思っているわけじゃない。 何かが出来ると思いあがっているわけじゃない。でも、
「服部さん」 「全蔵でいいです。うちの家系は同業者ばっかりだから、苗字だとややこしいんで」 「全蔵さん」 「はい」 「お前なんか相手にしてねーよ、って云われるのって、悔しいものなのですね」 いつだって生まれた時から背負わされた肩書きが重くて重くて仕方がなかったというのに。何よりも先ず付き纏うものが嫌だというのに。 「でも、俺だったらわざわざそんなこと云わないすねぇ。シカトして終わりですよ」 「そういうものですか」 「俺はね。・・・たまにいいトシして、そういう小学生の喧嘩みたいな挑発する奴も、いますけど」 はは、と笑って端の欄干にもたれた。 柔らかさやしなやかさが欲しいと願った。けれど、幾らでも形を変えるはずの水ですら、川と云う枠からは外れられない。離れられない。川の流れの中からは、逃げ出せない。だとしても。 「では、良い方に取りましょう」 同じように欄干に上半身を預け、もたせた手をぶらりぶらりと揺らす。川風が心地よく髪を揺らした。こんなにも伸びやかに自由で、世界は厳しい。 「買うんですか、喧嘩」 「買いません。ただ別のやり方で吃驚はさせたいと思います」 「はは。こりゃ意外と姫様は捻くれ者だ」 「そうでしょうか」 「誉めてます」 たとえば、こんな遣り取りを交わして微笑みあう、この気侭なように見える忍びの者だって、多くのしがらみからは逃れられないのだろう。誰だってそうだ。きっとそうだ。 越えられない、解り合えない、逃れられない、何も出来ない。 だとしても、
私は生きものらしく、 枯れるならば、真っ当に枯れる樹木でありたい。 川のほとりで、きちんと枯れることの出来るもので。 造られた箱庭ごと川に沈むようなのは、 御免だわ。 しっかりと枯れ、そして流れゆく先に、
海はあるのかしら。
ENDor・・・?
お久しぶりでございます・・・・。 例の如く体調崩したり引越したり職探ししたりとあれこれしてました。銀鉄火です。 もう・・・言い訳はすまいよ・・・。しょんもり。
それでも、皆さまの拍手には励まされておりまして、ケツぶったたいていただいております。 今回のも拍手メッセージで近高そよをお褒めくだすった方があったので、よし!書こう!と思い浮かんだものでございます。た、単純・・・! 単純はいいコトだと思います。あれ?何これ作文?
なんとなーくしがらみ少な目・ニュートラルな人の一例として全蔵を出しました。 おうち忍びの名門だし、色々お付き合いとか裏事情などアリアリな気もしますけども。まあ本人の美学が風の様に雲の様に猫の様にだからいいかあ、ということで。動かしやすいし、書いてて気持ちの楽な人です。ていうかそもそも相当好きなんですけども。ええ。あ、肛門が彼を縛る最大のしがらみですね。ヂ、辛いだろうなあ・・・。
銀魂の女性たちは、皆ずっとうだうだうじうじやってることは先ずないので、そよちゃんも今回少しシフトチェンジです。人間やれることしかやれないし、やれる範囲でやりゃいいとか思います。
本当は近藤さんももっと出す予定だったのですが、ちょっと出しどころを掴み損ねてしまいました。 なのでENDorとしてまして、もしかしたら「裏DEEPLIVER」みたいに近高ノリのものを書くかもしれません。 でもそうすると、今度は伊東のことに触れざるを得ない(私は色々自分の中の設定として整理・消化しておかないと気が済まない性質なので)から、ますます話がびよびよと拡大されちゃうぞ。と、いう感じです。
のろのろ更新ですが、いつでもお好きなときに思い出したように遊びに来ていただけたら、それ以上の幸せはございません。
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