人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2005年04月26日(火) |
ことばとして口に出すだけで |
メンタルヘルスデイ。
それぞれ抱える地区で、支援に行き詰まった家庭の数々に少し疲れた私たちは、1日、仕事のペースを少し落とした。 「信じられない」という気持ちは大事。「ふざけんな」と思う気持ちは本物。理想はあくまでも理想と、そう割り切ってその人たちがおさまれる範囲の道を探す。そこが理想に程遠くても、その状態がその人たちにとってギリギリであることはよくあることで。
「ちゃんと仕事してるんですか?」と責められることがある。守秘義務があるから、相談者にだってに言えないことが多い私たちの仕事。熱心に地区活動を行っている民生委員に、主任児童委員に、保育士や幼稚園教諭に、ことばで刺される。
同職種内で、「疲れたね」「休もうよ」「それでよしとしていいよ」と癒しあう。時々はそうやって互いのメンタル面をやさしくあたたかく撫でなければ、つらすぎて燃え尽きそうでやっていけない。
頑張りすぎないでいきましょう、と。
私なんてまだまだなのです。
私の仕事は子のいる家庭の支援が主。 この年齢でできちゃった結婚か〜ほ〜、が、やっぱり離婚してで戻ってきちゃったか〜うふふ、から、へ?もう再婚?!年齢差2X歳…と我が目を疑うような他人の人生を支える仕事に就いて3年とちょっと。同じ地区を受け持っているので、ずっと同じ人たち±と付き合っている状態。
まったく、人の人生とは本当に様々な事件があるようで、『平凡』とか『普通』とかの基準がずれていくのを修正するのが一苦労。「ほどほどのごみ屋敷」や「すごいごみ屋敷」にもちょくちょく行くもんだから、だんだん美的感覚が麻痺してきてくるし、虐待についてもすごいのから軽いのまでいるもんだから、「ま、このくらいならいっか」と基準を下げそうになる。危うい。これも一種の巻きこまれなんだろう。
ようやくここに来て、仕事への無我夢中感が取れてきて、じっくりと考える余裕が出てきた。楽しい。妊娠したのが、ちょっと惜しいくらい。復帰しても、今のような気持ちに戻るにはまたしばらくかかってしまうだろうから。
自分の年齢と経験年数を重ねたら面白くなるなんて、今後の人生充実だわ。
2005年04月22日(金) |
あおいとりをさがしにたびにでようか |
どうしていいんだかわからない。
『エンタの神様』に出ている摩邪を『下妻物語』で見つけたときのうれしさ、を新しい単位にしたいと思うほど、どっか頭行っちゃってる昨今。食欲だけは失わないようにと、毎日頑張って食事作りに励んでいる。摩邪の調子で『はあ〜〜〜〜? 権利ィ〜〜〜? 仕事らしい仕事もしねえで権利ばっかり主張する奴なんざ…』と言いたくなるような職場環境内で、忍耐や我慢といったことばを忘れないようにするには、かなりの努力を強いられている。お陰でここ2日腹が張り、つらい。 なのに、そのストレス源から「そんなこと妊婦なんだからやんなくていいよ」と他意のなさげなものすごくやさしい声で言われる。やらなければやらないで、ストレス源が他の人に「私たちばっかりやっている(やらされている)」と当たることを知っているのに。ああ、どうしたらよいのだろうか。
職場環境についてこんなに悩んだのは初めてのことじゃないだろうか。今の職について4年目。時折、職場内の人間関係がギクシャクすることはあったけれど、それなりに修復されていた。だけど、今回のってどうなんだろう。いいとか悪いとか、そういう問題じゃなくて。
支援ケースにびっくりさせられる方がしあわせに感じられる、感覚の移行。
イライラの伝染。
私が大人になりきれていないのか、向こうが大人になりきれていないのか。それとも単に、私の我慢とか受容の閾値が低くなってしまったのか。とにかく最近、なんかいかん。 「そんなことくらいでブチブチ文句言わんといてよ」「何度も自分がやったと自己主張してくれなくたって分かっているからさあ」と、日々神経が逆撫でられ、イライラが募っていく。仕事内容以上に、職場環境が胎教に悪い。
救いの存在があるだけましだと、それは分かっているのだけれど。
まず手始めに。
つわりの時にはすっぱいものやさっぱりしたものが食べたくなるという、誰が言い出したんだか男性でも知っているような話は自分にはまったく当てはまらず、吐きづわりの打開食品はマクドナルドのフライドポテトとナゲットだった。つわり対策のサイトでつわり中にはまった食べ物というコーナーを見つけ、そこをヒントに試しに食べてみたら、びっくりすることにいけていた。数日、まともな固形物を食していなかった胃腸によくないんじゃないかとも思ったのだが、吐くこともなく、どういうことなんだろうと大混乱の頭でポテトを食べながら泣いてしまった。
ご飯の炊けるにおいはもちろんのこと、そうめんのゆであがるにおい、お風呂の湯気、シャンプーとリンスの香り、狭い車内でのおかしやファーストフード系の食品のにおい、隣席者のコーヒーの香り、植物の香り、新聞のインクのにおい・・・夫が隣室で食していたドライカレーのにおいにも気持ちが悪くなった。 でも何より嫌だったのは、タバコの煙。妊娠前から嫌煙家だったけれど、つわり時期に嗅ぐと、もれなく吐いてしまうので、喫煙場所と提示されていない場所で吸っている相手を見ると背後から釘バットで殴りつけたいと幾度となく思った。特に、歩きタバコをしている人を見ると、凶暴で凶悪な顔つきになっていたらしい(証言者:夫)。悲しいことに、自宅から最寄り駅までの道は背広姿の喫煙者が多く、そのせいで通勤かばんに入れて持ち歩いていたエチケット袋の用意が間に合わず、樹木の陰や道の片隅で何度も戻した。「マーキング女か、お前は」と夫に言われ、「じゃあ一緒にあいつら殺しに行ってよ」と言い返したこともあった。
「つわりがつらかったので、今は2人目を生むなんて子と考えられません」と同僚に言ったら、笑われた。涙が出ちゃう。
できれば誰にも知られずにいたかった。
ようやくここまで来た、という感。胎内で育つ何かは、徐々にその面積を広げ、一般婦人服がとうとう入らなくなるまでになった。ゆったりした服では隠しきれなくなった腹部に気づいた人たちに、祝福の声をかけられる。
昨日は初めて、電車で席を譲られた。
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