人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2005年01月29日(土) |
どう前向きに考えていいんやら |
つわり、最高!の訳ないだろが。
この1週間、日に日に日に日につわりが重症化の一途を辿り、食事らしい食事は取れなくなり、昨日に至っては、だましだましグレープフルーツジュース800ml、いちご4つという状況。林檎3口、いちごミルクは2日連続で1時間後に戻したので、もうしばらく食べられない。
体重も3日間で2.2kg減。頬がこけてきた。常にある嘔吐感のせいで、眉間にはしわが寄りっぱなし。二言目には「気持ち悪い」。寝れば嘔吐感を忘れられるわと、常に早寝。好きだった番組、愛エプも旅紹介も見られない。
もはやこんな状況では同僚にばれないわけもなく、所長には告げてあったが、事務所全員に知れ渡り、仕事柄みんなつわりには詳しいので、「つわりの中でも重症の方だね」と言われ、同情される日々。妊娠悪阻まではいってないが、尿量が減ってきている気がするのでそれが心配。しかし、水分取るのでも、こみ上げてくるものがあるので、苦しい。
こんな中、無職の夫は文句も言わず、黙々と自分のご飯を作って食べ、気持ち悪さに耐えかねてしくしく泣き出す私を慰めてくれる。「好きなだけ気持ち悪いと訴えろ」と言ってくれているので、私も遠慮なく常に言い続けている。
今、素麺25g食べて様子を見ている最中。ついでに、いっそどっかで妊娠日記でも書こうかと、思案中。
つらい人の気持ちが理解できるようにとこんな試練を与えられたのだと、そう自分に言い聞かせる日々。
私の中で息づくものは。
少しずつ、身体が変化していくのを感じる。胸の先が痛い。胃から下腹部にかけて、違和感と鈍い吐き気がある。やたらに眠い。
付けていた基礎体温の曲線を辿っては、意識はあっちへ行ったりこっちへ行ったりとはっきりせず。意を決して判定薬を購入使用。ぱっと、はっきりくっきりと、それは告げた。 こんなに早くできるなんて、と涙が出た。今日だけはひとりでは寝たくないと、夫に背後から抱きしめてもらって寝た。
病院はどこにしようか。
2005年01月18日(火) |
想像妊娠なのかもしれない |
狂喜と落胆の狭間で。
基礎体温を図り始めて約4ヶ月。その間に、避妊をやめた。2度の排卵を確認した。
毎朝、個人差って何だろうと、考え続ける。高温期が、続いている。妊娠の可能性を示唆するようなしないような、微妙な日数。
望む妊娠が、人の体温までもを調整してしまうことも、あるかもしれない。だけど、そんなことは本当はないかもしれない。
これは、想像の世界なのか、現実なのか。
2005年01月08日(土) |
人としての対応を求められる瞬間 |
どんなに考えても、その立場を想像なんてできない。
年明け初っ端の家庭訪問相手が、余命幾ばくもない人とその家族。『あと半年くらいかも』が7ヶ月目になり、『あと1ヶ月持つか持たないかくらい』と宣告されたのが先月半ば。どんな気持ちでクリスマスとお正月を迎えたのか、ベッドサイドに置かれたまま点滅するクリスマスツリーと壁中に張られた家族写真を見て、考えた。
できた部位と悪質なタイプだった脳腫瘍が、身体を蝕んでいく。強弱の波をつけて絶え間なくおしよせる頭痛の嵐は、身体ばかりか心も蝕んで、そして、記憶さえもあやふやなものに変えていく。
ベッドに横になったまま、外国で出会った連れ添いの、日本語のできない連れ添いの母国語が、出てこなくなってきたと、涙を流す。日本にいる時間よりも海外のほうが長かったのに、何で最後は日本語しか分からなくなってきたのだろうかと、最期は日本で逝きたいという願いは叶ったというのに、一番大切な人とことばが分からなくなるということと引き換えだったなんて、と。
かけるべきことばが、見つからないことは多々ある。ことばは望まれていないかもしれないけれど、ことばを捜してしまう。何を言っても駄目なときは駄目だし、何でもいいからことばをかけてもらいたいときだってある。
専門職の立場というより、"人"として個人的に問われているような。
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