人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2004年01月30日(金) その親切がまた恐ろしい

両親が、何を考えているのか分からない。

我が両親が快くは思ってない相手である彼と私が、一緒に新居を探していることはすでに知られている話。
しかし、まさか、私がちょっと家探しを休んで友人の実家(別荘地帯)に泊りがけで遊びに行っていた先週の土日に、両親が家探しをしていたなんてことは知らなかった。
なんだかやけに予算や広さの希望を聞いてくるなとは思っていたけれど、そんなことをするためとは知らなかった。というか、そんな暴挙に出るとは思ってもいなかった。

25日の日曜日に帰ったら父からパソコンメールが来ており、奎佐たちの希望に沿うような物件を某所と某所を見てきましたのでその長所と短所と部屋割を送ります、だなんて表を作って添付メールで・・・。
な、何やってんの、あんたら。と私、口あんぐり。

祝福されてんのか自暴自棄になられているのか、案外両親も自分たちのやっていることがわからなくなっていたりして。何かやらずにはいられずに世話を焼き始めたというのであれば、私にはもう、止める気持ちはない。が。

何だかちょっと怖いよ。大丈夫?


2004年01月29日(木) 夢を見なくちゃ生きられない人生もある

仕事柄こちらが独身とわかると、結婚に対して夢がなくなっちゃうね、と言われる。

DVとか虐待とか子育ての悩みとか嫁姑関係とか夫婦不仲とかの話を日々聞いていたって、別に、結婚に対して夢がなくなるわけではない。
だけどそれは、あくまで家族関係がうまくいかないなんてことは他人事だからとかそう言う「自分は違う」的なものではなくて、今までの人との関係の結びや仕事で見聞きする家庭の事情から、まあ何があってもおかしくないもんだろうな、というところを踏まえながらのものであって。

人並みに、結婚に対して夢はある。
部屋の整理は休みの日に一緒にして欲しいとか、たまには台所に立っておしゃべりしながら料理をしたいとか、ベランダの洗濯物取り込んでおいてとか、私のコーヒーも一緒に入れてとか。そういう、時折頼れる相手がいるってことが、ひとり暮らしとは違うだろうなと。
合わないことなんて、食生活だの映画の趣味だのと付き合っているだけでも日常茶飯事だし、合いすぎることの方がむしろ、大事な部分ですれ違ったときの溝が深そうにも思える。

他者の家庭を見て、他人と新しい生活を築くのは大変だってこと、学んだ。だから、自分だけじゃないんだって頑張って乗り越えられたらなと思う、そういう前向きさを持てた。
だから、すべてがマイナスなわけではないの。

要は心の持ちようで。


2004年01月28日(水) 子どもたちは憧れだけで目指すものではないことをどこで知るのだろう

なんだかなあ。

短大も大学も看護系だったので、友人たちはみな、医療系職業従事者。特に、看護師が多く、飲み会では病院の話は欠かせない。

関東圏内でも、同じ病院に従事している者たちはほとんどなく、色々な病院の話を聞くことになる。共通していえることは、ここなら入院したい、という病院がないことだ。従事者自体が「私なら絶対に入院しない」と言い切るような病院ばかり。
最低限の業務に時間をとられ、話を聞く時間もゆっくり食事を介助する時間もなく、機械のように動くことが多いと、幼少の頃から看護師という仕事に夢を持っていた友人は泣いた。

私も、看護師免許を取ってから入院したことがある。某共済組合病院。急性胃炎に伴う脱水による入院だったのだが、病室にて、2時間くらいで終わるのでまた新しいのと取り替えますね、と年配看護師に言われて素直にうとうとし、気づけば開始から3時間過ぎ。点滴はとうに終了していたらしく、血液がチューブ内に逆流したままに放って置かれていた。

わざわざナースコールで呼ぶのも何だかなあ、と自分で点滴ホルダーを押しながらトイレに行くついでにナースステーションへ。夜中の1時頃だったのだが、ステーションでは看護師ふたりがお菓子を食べながら記録をしていた。

別に、それに関して文句はない。病棟の仕事というのはある程度理解しているし、私のように軽症な人間は忘れられても仕方がないと思う。いくら病気とはいえ、意識があり、ある程度動けるのならば、自分で自分を管理することも大事だと思う。
自分は病人なんだからちゃんと見ろ、と人任せにする気持ちがあるからこそ、こういう場面に当たったら怒りがわいてくるのだと思う。でも、意識がない、安静の必要な手術した、自分で体が動かせない、という理由以外では、やはり病院で世話になっていてもすべてをお任せするのはどうかと思う。

短大時代の友人たちは、お金のかかる趣味があるために看護師の仕事を辞める気がない者が多い。むしろ、平日休みが取りやすくていいわと、割り切って働いている。
大学時代の友人たちは、4年頑張って辞めようと、来年度いっぱいで辞める気満々の者がほとんど。会えば顔色悪く、疲れているのが常。

働く者が辞めたくない、辞められないわよと言うような、総合病院病棟なんて、あるんだろうか。

なんだか憧れるほどの夢がない。


2004年01月22日(木) 私にはこの先返せるものなど何もないかもしれないのに

最近、涙腺が弱くて参る。

実家まで1時間くらい、職場まで1時間くらいの、駅から3分というS55年築の物件を借りようと思った。連帯保証人を頼んでいた父に、賃貸入居申込書を渡した不動産屋でもらった物件情報をFAXで平日昼頃送ったら、その夜、すぐに連絡があった。
彼と住むんだろう、と言われた。だったらもっと生活しやすそうなところにしなさい、と言われた。

父と母には、彼と住むから引っ越すと言うことははっきりとは告げていなかった。ただ、職場のある市から脱出したいからとしか伝えていなかった。だけど、某市の方が彼の再就職先が比較的見つかりやすいだろうという私の考えは、父にはとうに悟られていた。お父さんもそう思うよ、と先に言われてしまった。
でも子どもができたら助けが必要だからと言いかけたら、関東圏内、どんなに遠くても行けない距離ではないから、助けに行くよと言われた。

確かに、借りようと思っていた部屋は2DKなのだけど日当たりはいまいちで、古いことは古かった。だけど、住めないことはないと思った。最低限のリフォームはされていたし、家賃も古い物件の割に駅近くなのでひどく高額だけれども私の給料だけでもぎりぎりやっていける範囲のものだった。だけど、新婚向けかと問われれば、違うと断言できる部屋で。

親にとって、私はいつまでも娘であり、しあわせになってもらいたいと切に願われている存在だと、知らされ。どんなに親の意にそぐわない人生を選んだとしても、結局は切り離すことはできず。

私も甘えてばかりだ。


2004年01月19日(月) 私もお母さんになりたい

産婦人科外来受付に座っていると、自分の醜さと対峙せざるを得なくて嫌だ。

父宛ての年賀状に、『そろそろおじいちゃんおばあちゃんになってもおかしくないんじゃないか?』と手書きで一文添えられているのを見つけた。父の、大学時代からの友人からのものだった。
余計なお世話、と思いながらも、私のふたつの目はその文章に吸い込まれた。

悪気のない言動は、世の中にたくさん転がっている。それは、「もしも」だとか「万が一」が他人事だからこそのことで。
これを見て、両親は何を思っただろう。

時折、「本当にできるかなあ」と弱音を吐き、泣き出す私に彼は「大丈夫や。できるまで毎日やってやるから」と慰めてくれる。彼には、彼によく似た娘が前妻の間におり、離婚後に高熱を出したり大病したことはないとのことなので、やはり、私との間にできないといったら、縁とか運とかの問題だけではなく、大きくは私に原因があるということだ。心当たりは幾つもあり、それ故に未来計画を考え出すとひどく落ち込む。

中途半端な身体状態で、期待するなというほうが無理な話で、どこかに希望を抱きつつも何もする前から絶望を想像する。

私はなんて、弱いイキモノなんだろう。


2004年01月16日(金) 引き返すことは、もうできない

私が背負うべき責任。

彼が、決して小さくはない会社に、辞表を提出した。肉体労働の彼が、退職事由を腰痛のためとしたら、ずっと異動願いを出していて叶わなかった先の部署から「うちは腰に負担かかるような作業が少ないから今から来ないか」と打診された。だけど彼は、私と一緒になることを選んだ。はっきりと、遠距離恋愛していた人と結婚を決めたからと言ったらしい。そして、主任のところで1日だけ保留された辞表は、無事に課長の手に渡り、今月いっぱいで彼の退職が決まった。

もう、後には引けない。危険物取り扱いなどの持つ人の多い資格しかない40過ぎた男に仕事を辞めさせたのは、私だ。まじめしか取り柄のないような人を、再就職難のこのご時世に、私の元に呼び寄せるために。
万が一、私との仲がうまくいかなくなったらどうしようかと、彼もきっと考えただろう。だけど、私も考えた。自分の人生に他者を巻き込む怖さを覚えた。

私の両親は決して私たちのことを祝福していないが、彼が私に職を辞めて欲しくないが故に関東に来ることを決意していると知り、態度が軟化した。例え彼と一緒になっても、私が関東圏から出ないと知り、安心したのだと思う。
母に至っては、子どもは早めのほうがいいよと、子どものことは別だから一緒に見るよと、言ってくれた。

彼と一緒になって何かあっても泣き言は聞かないと、母は言った。どんなに祝福された人たちであっても、どんなに愛し合って一緒になって人たちでも、かみ合わなくなることはあると思う。泣き言や不満の一つや二つ、持つと思う。だけど、それを一番言いやすい人にそれは聞かないと、先に拒絶された。これも、大事に育ててくれた親を悲しませた、その報いなのだろう。だったら、私はそれを甘んじて受けようと思う。どんなに泣くようなことがあっても、強くありたいと思う。

私は早めの転居を決めた。より両親の近くへ、より彼の就職先の多そうなところへ。みんな大事にするからと公言し、どうせ認めてくれないんならと後ろ向きに逃げるのはやめた。彼は、私の転居と同時に、職が決まるまでただの同居人になる。結婚は、その先の話。

私のわがままを許してくれた彼の両親に、私は感謝する。


2004年01月13日(火) 佐々木(仮)家の人々 〜 アイドルの座を追われる

それはすでに、過去の栄光。

佐々木(仮)家には、いい例えるなら蝶2匹だとか花2つだとか、な存在があった。佐々木(仮)姉妹。それは、私と妹。しかしもう、その姉妹も齢26と22。欲しいものを問われれば親が使うものよりも高価なものを指差し、ひとり暮らしなのをいいことに、男を引き込んだり吐くまで飲んで二日酔いで翌日の昼まで寝込んだりと好き勝手している成人女性たち。本人たちに自覚があるほどの、かわいげのなささ加減。
だけど、それでも許されていた。それでも、蝶や花だった。そう、ほんのちょっと前までは。

昨年妹が、通う学校の研究棟から子猫を譲り受けた。推定、平成15年7月生まれの雄猫、マチ。どうやら大学の校門前に捨てられていたらしい。見に行って一目惚れし、即刻引き取ったのだという。確かに、面食いな妹らしい一目惚れで、なかなかの器量よしさんを貰い受けた。
そいつに、私と妹はアイドルの座を奪われた。

大学が冬休みに入り、妹が猫を連れて実家に帰省した。妹が帰る直前まで、まだ子猫な猫が来るなんて、うちの中どうなっちゃうのかしら…オーダーメイドのカーテンは外していたほうが無難かしら…それともいっそ檻を買おうか…妹の部屋に閉じ込めておこうか…などと母は心配していた。しかし、しかしだ。猫と対面した途端、結構なほどおおらかな気分になってしまったようで。
私が妹のあとに帰省したときには、もう、猫は家の中を歩いていた。

マチや、おいで、とやさしく語りかけている父。どうせ春休みに帰ってくるなら猫は置いててってもいいのよ、と言っている母。

私たち姉妹の立場はもう、佐々木(仮)家では…。


2004年01月07日(水) あなた、私が突然消えてしまったとしても

2004年三が日の中日は恐怖の日。

待ち合わせは福袋を持った人でごった返す、JR横浜駅改札口。相鉄ジョイナス内喫茶『異人館倶楽部』にてコーヒー及び紅茶をオーダーして三つ巴。視線は逸らし気味に、神経だけは相手に焦点を当てたりぼやかしたりしながら。

我が父と、彼と私。我が母は父曰く、年末から体調不良ということで欠席。

見慣れた、だけどどこか遠くなった父の、その太くて短い指先が、何度もそわそわと白いテーブルクロスの上で動いていた。彼は、表情も姿勢も緊張という一定で固まっていた。私は、そんな対照的なふたりを、肌で感じていた。

父には、ふたりで決めなさいと、言われた。決まったら教えてくれればいいと、言われた。

彼はもう、我が元に来ると決めてしまっている。仕事を辞めて、私と暮らしながら再就職しようと考えている。齢40過ぎて職を捨て、関西地方よりもまだ就職口がある関東地方に来ようとしている。
だったら私はもう、彼を受け止めたい。せめて夏のボーナスまで頑張ってもらいたいという希望は、なしにしてもいい。

本当に、一緒になるかもしれない、ならないかもしれない。だけど、彼だけでなく、何かが同時に確実に動いていて、それに私が巻き込まれていることは理解している。ここまで来たら、完全に流されて飲み込まれてみてもいいかと思う。時々は目をつむったりしながら、突き進んでみようと思う。

突然、この日記を辞めることだけはしたくないと思っている。いつまで記せるかはわからないけれど、理不尽なことだけはしないと、あなたに誓う。

過剰な心配は、ご無用。


2004年01月05日(月) ネットアイドル☆宣言

あなたのHPを見てメールしました。あなたも、ネットアイドルになりませんか?

そんな勧奨メールにあんまりにも驚いて、危うく彼の前で爆笑しそうになって、懸命に堪えた昨年末。
佐々木奎佐宛のEメール。よりによって、佐々木奎佐。
佐々木奎佐名義のメールは人生事件用。日常茶話を読んでいればドラド奎佐名義のアドレスに届いていたはずだから・・・あんた、HPなんて読まずにメール寄越したんでしょが、性別が女だったら誰でもよかったんだね、と突っ込みたくなった私。ドラド奎佐宛だったら、まあ、準アダルト系日記書きだからね…と自嘲気味に笑えただろうが、佐々木奎佐宛じゃ笑うに笑えない。

ネットアイドル☆佐々木奎佐。

お色気マイナスな幼い姿態の年齢だけは妙齢の女性が「ご家族の介護のことで困ったことありませんか?」という文字をバックにぶりっこちっくに微笑んでいたり、大好きな桃色のゴシック文字と顔文字を駆使して結構な速度のタイピングで「え? 乳飲み子を抱えた妻を放ってチャット?!ふざけんじゃないわよ、あんた今すぐ落ちなさいっ(`□´)」なんて言うような、ネットアイドル。

そうですね、今年はそんな感じを目指そうかと思います(寝言)。

2004年の初っ端から何があったんですかって? ま、それはまた、後日のお話ということで…

今年もよろしくお願いいたします。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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