人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年12月27日(土) 他者の路にそっと咲いていた花

他人事なのに、涙が出た。

仕事の最中、話を聞いているうちに悲しくなって一緒に泣いたり、時には私ひとりが泣き出して目の前の相手を動揺させたりするけれど、うれし泣きも、することがある。

発達のゆっくりな子が成長していく様を親と一緒に見守りながらだとか、疾患のある児の手術が無事に終了したときだとか、夫の暴力から子どもと逃げて新しい生活の中で前向きになった人と会ったときだとか、音信不通だった子どもとその孫とひ孫と無事に再会できた高齢者の話を聞いたときだとか。
悲しみのあとに待つしあわせは、とても尊い。

大事な存在を亡くしたあと、人はどれだけの時間をかけて悲しみの一番深いところまでいき、どれだけの時間をかけてそこから出てくるのか。亡くした悲しみを忘れることは決してないけれど、時間の長短はあろうとも必ず先にある光を見出すことはできるから。

自ら経験していないことでも、経験した人とたくさん出会い、私は諦めてはいけないことを学ばせてもらった。

11ヶ月以上待っていたとある日記に、しあわせの花が咲いていた。


2003年12月24日(水) 今日と明日はあなたにとってどんな日ですか?

年の瀬だからこそ。

"クリスマス"を惰性でやらないでください。何となくみんながやってるからだとか、そんな風に流されてやるような行事なら、「メリークリスマス」と満面の笑顔で言ったり居住地や自分を着飾ったり特別においしいもの食べたり、しないでください。
やりたいからやったって、すごく楽しかったって、自信持って力強く言えるような楽しみ方をしてください。

世のきらびやかさの裏に、悲しい人がたくさんいます。巷には食べ物が溢れているのに、数日間ろくに食べるものがなくて、今にも倒れそうなくらい困窮している人がいます。みんなが明るくなっている中で気持ちが浮き立たない自分には生きている価値がない申し訳ないと、手首を切って泣いて他者に助けを求めている精神疾患の人がいます。クリスマスという健全な行事は遠い世界のことだと、家族の暴力にじっと耐えている人がいます。

だから、クリスマスを祝える人はしあわせなのです。クリスマスを楽しめることはしあわせな証拠だということを、忘れないでください。

どうぞ、気合を入れて過ごしてくださいませ。


2003年12月23日(火) 遂に最後のプロポーズ?

私も我が耳疑ったけど。

「気持ちが決まったら、正月明け、お父さんは会ってくれるってさ」と伝えたら、1年前から会う算段つけろと言って昨年は断られてがっくりしていた彼が、『え…』と絶句したまま黙り込んでしまった。
会ってくれないとなるとしょんぼりしてしまうが、いざ会ってくれるとなるとやっぱり動揺する。
一難去ってまた一難、とは言い過ぎかもしれないけれど、ひとつクリアするごとにまた難関があるということは確かで。

「お母さんは会わないかもしれないって言ってたよ」
『え? お母さんは会わないかも? 普通、こういうのって母親のほうが先に理解するんじゃ…父親のほうが最後まで嫌がると思うんやけど…まあ、奎佐の親やしな。普通じゃないのかもしれん』
「そうだね。うちはある意味、お父さんのほうが頭やわらかいというか進んでいるというかだからね」

『「お嬢さんをください」とか「結婚させてください」とか…いや、そりゃ早すぎるか? まずは「お付き合いさせていただいています」で…何話したらいいんや?』
音声チャットの向こうでぶつぶつ言っている彼の声が聞こえた。
「やっぱ、お付き合いしてる、ってことから言ったら?」
だけど、本当、他は何話したらいいんだろうね?
父に会うことが現実のことになりつつある今、彼は私に好きだ愛してる結婚しようと言ったときよりも、きっと悩んでる。

だけどね、もうここまできたら、なるようになる、しかないさ。


2003年12月22日(月) 急展開

どれだけ、自分が大事にされてきたのか、愛されてきたのか、許されてきたのか、知っているからこそ。

1年前に、会って欲しい人がいると言って断られた人と未だ付き合っているのだけど、まだ会ってくれる気にはならないかと、両親に尋ねた。

どんなに、私が強くしあわせになるよと言ったところで、お互いの不安など拭い去られることはなく。
まだ早いでしょと、もったいないよと、情けないよと、切ないよと、もっといい人いるでしょと、会いたくないよと、母にそんなことばをつぶやかせ、泣かせた。
自分たちが賛成ができないことを選んだとしてもそれは奎佐の人生だからと、父は寂しそうな苦笑いで答えた。

あんただって親になれば今の母さんたちの気持ちわかるわよ、と言われたけれど、それが想像ついて彼と別れて新しい若い彼を見つけたらお互いにいいのだろうと、分かっていながらも彼から離れられない自分がいるという、その気持ちも母たちに分かってもらえているのだろうかと思い。親の承諾なく結婚できるところで何故強行手段に出ないのか、その気持ちをも汲み取って欲しいと勝手な願いを抱き。

動揺する母の顔を見ながら泣きそうになった私の横で、「会ってみるか」と、そう、父が言った。

父たちの気持ちの整理がついたら、年明けには。


2003年12月17日(水) その事実をあなたが知らずにいられたらいいと、そう思う

整理つけづらい出来事を、避けられるものならば。

他者の死は、身内であれ、知人であれ、まったく知らぬ他人であれ、そこに望まずに立ち会ってしまうと複雑な感情をもたらす。それは、悲嘆だったり、畏怖の念だったり、突然死を見せ付けられたことへの驚愕だったり、そんな感情にさせられたことへの怒気だったり。それが、自然の反応だと思うのだ。誰もが生の喪失は悲しいし、死は畏敬の対象なのだ。

通勤途中、私の斜め後ろに座っていた2人組の、かしまし女子高生の片割れが「あっ」と叫んだ。その直後に、重さの結構ある何かがどこかにぶつかる鈍い音。
「ひ、人が投げ出されたよ?!」と上ずった声。振り返っても、私の席からはまったく見えぬ位置で事故があったらしい。首を伸ばしてまで見ようとも思えず、私はまた前を向いた。

女子高生コンビの片割れは、事故の様子を直で目撃してしまったのか、事故現場を遠く離れつつあるときに、「や、やだ。なんか、気持ち悪くなってきちゃった…」と言い出した。事故した人に出血でもあったのかしら、と私はのんきに、まずは衣服を緩めて横になるか戻して楽になったほうが…なんて思ったりした。「やだ、マジ顔色悪いよ? いいよ、横になって」ともう片割れが声かけしていた。

次の日、新聞にその交通事故の記事が載っていた。バイク同士の衝突事故。人がひとり、生を失っていた。
これを知ったら、感受性の強かったあの女子高生は何を感じるだろうと、そう思った。そして、このことを知らずにいたらよいと思った。

例え何かを目撃してしまっても、知らなくていいことはたくさんあるのだ。


2003年12月15日(月) 煩悩の嵐

ふと。

そういえばそんなこともあった…と、自分の知らない自分をも記憶されていることに、非常に好意をもたれていたことを今さらながら知る。

あんなにやさしい目に私が返した仕業が本当に申し訳なくて、そして愛しくて。今度会ったら抱きしめたいと思うほどやさしい思い出になりかけていて、それでも絶対に会ってはいけないそれではだめなのだと思う自分がいて。

煩悩の暴走とともに思い出した過去は、私をどこまでも引きずり回す。高揚する気持ちは過去の経験へリンクし、とめどなく突き進み。傷ついた過去も傷つけた過去さえも美化しようとし、それに対抗しようと無駄な足掻きをして。

過去の自分に、どこか遠くへ連れさらわれた。


2003年12月12日(金) 静かに、狂っていく様を見つめる

私たちには、何もできない。

苦しくて、私はお酒に走った。救う術は、あるようでないような。仕方がないといえば仕方がないような。

最後まで書ききれない、イラスト。人の顔が、ページをめくる毎に崩れていく。規則的に使われなくなったノート。
怪しく精神の揺れ動く様が、はっきりと現れていて。あっちの世界に足を踏み入れ始めているのが感じられ。早く病院に受診しようと、声をかけられたらいいのだけれど、かけられなくて。私たちにはその権限がなくて。

もう、崩れかけていたバランスは、あと欠片2つ3つで完全に倒れるだけで。カウントダウンは始まっている。

きっと、きっと、もうダメ。

幼い精神が破綻していく姿を見守るしかできないだなんて、私たちはなんて無力な存在なんだろう。専門職って何だろう。生命の危機にあったり、誰かを傷つけてしまうかもしれないという状況であれば、できることはいくつかあるというのに。

何故、私たちには何もできないのだろう。明らかにおかしくなっていると分かっているのに見守るだけで、完全に崩れ落ちたら差し伸べられる手なのに、すべてに中途の今は悲しさと悔しさと祈りに震えるだけで。

お願い、そちらの岸に、その子を連れて行かないで。


2003年12月10日(水) あなたのことが気になると、そういう視線を

サービス業は、目が命。

他者の双眸を見るというのは、慣れないうちはとても嫌なものだ。昔、まだ私が現役いじめられっ子だった小学生時代とか、非常に内気だった中学時代とかは、誰かの目を見て話すだなんて行為は、自傷行為に近いものがあったように思う。それくらい、相手の視線が怖かった。視線の中にある相手の自分への負の感情に傷つくことが嫌だった。

今はと言うと、アイコンタクトへの苦手意識は薄れてしまった。むしろ、「ああ、この人は視線を合わすことのできない人なんだな〜」とか、余裕で見ていたりする。視線をぶつけないと負けてしまう、飲まれてしまうということを覚えたからであろう。初対面でもにっこりと笑いながら相手を見据えることができるようになってしまった。
看護という学問を勉強したからだろうか。病んだ人をある一定期間ずっと見るという実習の中で、人と接するにはまず相手を見ないとどうにもならないということを頭と身体で理解したから。

入学試験とか就職活動では相手の目を見るのは難しいだろうから、面接官のネクタイの結び目を見なさい、と教諭から指導された記憶がある。そんなんじゃ、いかんだろうと思うのだが。日本人はアイコンタクトの苦手な民族、というのを何かの授業で聞いたことがある。それを身をもって知ったのは、サービス業である今の職業についてからだ。

とにかく、目を合わそうとしない大人が多い。聞いてる?分かってる?と揺さぶって視線を上げさせてやろうかと思うことが、時々あるほど。反応が分かりにくくて、付き合っているほうも真剣味を欠きそうになってしまう。わざと視線を外しているのかどうかは、ある程度見極められるようにもなってきた。わざとでない人が圧倒的で、ちょっと考えてしまう。

子どもはそうじゃない。子どもと接したことのある人は分かると思うが、子どもはある意味不躾なほど、興味津々な瞳で人を見てくる。相手から何かを得ようと、じっと見上げてくる。興味がありますよ、ということを目から身体いっぱい訴えてくる。
人は人と、一体いつから視線を合わすことができなくなるのだろうか。

目は口ほどにものを言う、というのは正しい。感情は表情、特に目元に現れる。好意も悪意も、瞳の光から溢れ発せられる。

私は思う。アイコンタクトを取れないままじゃ、本当に欲しいものは一生手に入らないだろうと。

感情を込めて、目を見て。


2003年12月09日(火) 関係を築こうとする姿勢

バッド・コミュニケーション。

これじゃあ、人間関係うまくいかないよなあ、という人がいる。ひとりやふたりじゃなくて、複数人。同時に、何で結婚できたんだろう、なんて思ったりする人もいて。

Web世界が一部の"オタク"だけのものでなくなったことも、影響しているんだろうか。PCや携帯電話での文字と文字だけでのやり取りでなら関係が築いていけるけれど、現実では付き合っていけない難しい人がチラホラいる。文字の世界で出会いを求めながら、本当の出会いをすると破綻する関係。

文字は、どうにでも取れる。というか、どう取るのも受け取り側の自由なのだ。いい方にも悪い方にも、簡単。自分に都合の悪そうなことを書いてくる人は、無視すればいいだけのこと。

誰かと一緒に生きていくっていうのは、現実でのやり取りの中で、ことばだけでないところからも相手の気持ちを汲み取っていかなければ先には進めない。ことばの調子や、表情や雰囲気や態度で。そして、自分の気持ちも隠したり率直に出したりして、やりとりをしなくてはいけない。
だけど、それができない人が少なくなくて、仕事をしていて途方にくれることがある。どちらかの反応が薄かったりずれていても、うまくいかないのが人と人とのお付き合いなのに。対等な関係や友人としての関係は、受身姿勢や攻撃態勢など偏りがある気持ちでは築けるわけがないのだ。

コミュニケーション下手な親から生まれた子って、どんな風に育っていくのかが心配な今日この頃。「こんなとき、あなただったらどう思う?」「どんな声がけしてる?」と具体的に想像したり自分のやっていることを振り返れなかったりするのって、どうなんだろう。それは、知的な問題だけではないことは確かなことで。

一見知的に遅れのなさそうな4ヶ月の児があやしても笑わないのは、あやされたことがないからだと気づいて心臓がドキリとした。


2003年12月06日(土) 泣ける育児で育自だなんて

かわいそうなお父さんに涙。

1歳になる男の子のお父さんが、同期にいる。『子どもはかわいい』というだけの、いいとこ取りでない育児をしている彼は、専業主婦の奥さんと共に半育児ノイローゼ。仕事から帰り、食事を作る奥さんをねぎらいながら子どものおむつ換えや入浴をさせ、ご飯を食べながら子どもにご飯を食べさせ、奥さんが昼間やりきれなかった家事の続きを行い、また奥さんをねぎらい、子どもを寝かしつける。
彼にはたまにしか会えないのだが、奥さんと子どもに愛と義務に挟まれて、子どもが生まれてからはいつでもかなりつぶれかけている。

子どもが夜泣きしたときも、「明日も仕事があるから」という理由で逃げることを奥さんは許さず、彼は誰が見ても心配するような顔色で出社してきたりもする。さらに涙が出ることに、子どもが生まれてから家をローンで買ったために、彼の小遣いは飲み代にほんのちょっとプラスのみ支給なのだという。さすがOL時代は財務担当をしていた奥さん…余計な支給は許しませんと、在宅大蔵大臣は厳しいようで。

彼をバカな男だと笑う奴がいたら、法律上でも男も育児休暇が認められる時代になっているのにと、それこそ、笑うわ。子どものことを語るとき、かわいいよなあって感想と一緒に苦労話も一緒にできる男のほうが、価値が高いってもんよ。老後に孫の面倒見てはじめて子育ての苦労が分かっただなんて、ちょっと遅すぎるのよ。

子どもは女が見るもんだとか子どもの扱い知らないからと知ろうともせずにまったく育児に参加しない男だとか、泣いていない子だけを抱いて泣いたら女に渡すとかミルクの作り方も知らず哺乳瓶にミルクが詰まった状態から哺乳して育児参加していると言う男だとか、そういう奴らにこの、ぼろぼろの彼を見せ付けてやりたい。

彼ほど頑張らなくてもいいから、ちょっとはやんなさいよ、と。


2003年12月04日(木) 贅沢で魅惑的な平日

贅沢な1日。

今日は有給休暇とって、ボーッと過ごしている。ごみ収集車から流れる音楽で起きて慌ててゴミ出しして、洗濯からはじまった休日。夜は夜でお出かけの予定があるのだが。
実は今、うちのアパートは約1ヶ月かけての壁面の補修と塗り替え工事をやっていて、職人さんが行ったり来たり仲間と打ち合わせしたりおしゃべりしたりと、非常に落ち着かない状態。普段、平日は仕事で家にいないので、平日昼間がこんなににぎやかだったとは知らなかった。

でもまあ、それはそれで、慣れてしまえばいいことで。余裕でお茶入れて、昼食作って食べながら、昼ドラを見たりして。
以前、『真夏のバラ』という昼ドラにはまり、ビデオに録画してまで見ていた。『真珠婦人』は再放送ではまった。
昼ドラには、不思議な魅力がある。なかなかに面白い。

やはり、あの、感情に素直な人が出てくることで、人間模様により深みが出るのであろう。主人公に好意を抱く男性に嫉妬する女性、息子の味方ばかりして隙あらば主人公と別れさせようとする姑。大事な存在。恋愛は人生のスパイス、というのがよく分かる。
あとは、主人公の目指す方向性に反発する人たちの存在。これもまた、重要で。

まさか、こんなことを実際にする人、言う人いないだろう…なんて思う人が昼ドラでは必ず出てくるのだが、実際にいるからこそのものであり、だからこそ魅力的ともいえ。

平日休日は新しい発見があって、大変楽しゅうございます。


2003年12月02日(火) 最後の晩餐のような

ウキウキ気分はそのひと言でしぼんだ。

今晩の食事は、手作り豪華ラーメン。昨日から、楽しみにしていた。ちょっと高級なチャーシューを買ってあったし、もやしもキャベツもにんじんも使いかけがあり、ゆで卵も作っておいたし、ほうれん草もゆでてあった。
帰りに近所のスーパーに寄って、味付け海苔を購入。これで、今宵のラーメンは完璧。

と、歩調も軽く家路に向かった。
実は、昨晩旅サイトである『旅の窓口』で、年末年始にかけての1泊2日旅行(温泉地で海の幸づくし地域)の予約が目を疑うような格安お値段で取れて、怖いけど行ってみようぜと彼と。それで、非常に気持ちが浮き足立ってた。
なのに、なのに、なのに。その宿から電話があった。
ISDNからADSLの工事をしている間に予約が満室になり、本来なら満室になった時点で旅の窓口に満室にして予約できなくするところが、できなかったと。それで予約が受け付けられてしまったと、大変申し訳ございませんと。

悲痛な思いで、ラーメンを飲み込んだ。


2003年12月01日(月) 希望とやりがいのある仕事、苦しくて切ないだけの仕事

時々、自分の職業に疑問を持つ。

私のしている仕事って、果たして"いい仕事"なんだろうか?
母子健康手帳交付、両親学級、新生児訪問、乳幼児健診、子育て相談、子育て支援教室、介護保険相談、介護保険訪問調査、生活相談。健康と福祉に関する、雑多な仕事をしている。本人・家族の訴えに応えることがあれば、望む望まないに関わらず関わっていくこともある。
だから、いくら無料とはいえ、親切の押し売りなんじゃないか、と思うことがある。困っていることがあるなら助けたい、という気持ちを抱く自分に対し、何ができるんだ、と静かに問いかける。

ことばは出てますか? 生活リズムは乱れてませんか? 哺乳瓶やおっぱいから離れられましたか? パンツうんちはなくなりましたか?

私から電話だとか訪問だとかでアクションを起こすことで、悩みを打ち明けることができた人もいるし、かえって心配を深めた人もいる。

病院職員であれば、こんな気持ちになることもなかったのかもしれない。来る人を待つ職場であれば、きっと。

あなたなど要らないと、断られるときの、その、寂しさといったら。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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