人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年03月31日(日) 「家族の欠損」と「はじめての就職」

◎家族の欠損 〜 春は別れと出会いの季節だとは言うけれど
今朝、妹が大学進級に伴い、東北に越して行った。妹の大学は1年次は関東、2年次からは東北という、方針で。
前々から分かっていたこととはいえ、実際に出ていかれてしまった今、とてもとてもさみしい。

佐々木(仮)家は、私が2年ほど抜けただけで、あとはずっと4人家族である。抜けたことがあると言っても、実家と下宿先は同じ東京都内で、電車で2時間もかからなかったので、しょっちゅう実家に帰っていた。短大時看護学科所属だったので、病院実習があったのだが、その実習先の病院が実家から遠かったので下宿することになっただけのことだった。家から出たかったわけではなかった。

だから、大事な人に出ていかれるというのはこんなにも辛いものなのか、とはじめて実感している。自分が出ていくのとは、全然違う気持ち。妹を見送ってから、私が1人暮しすることになったとき、妹がひどく泣きそうな顔をしたのを思い出した。やはり、私のように相手の姿が見えなくなるなり泣いてしまったのだろうか。

うちは仲良し家族で、姉妹仲もとてもよい。私は散らかし魔、妹は片付け魔、まんがや小説の好みも微妙に異なり、顔も体型も似ていなかったし、ケンカもよくしたが、それでもなお、一緒にいたい存在であったのは確かで。
「まあ、引っ越した先には友だちいっぱいいるわけだしね」と軽く言ったら、「家族と友だちは全然違うよ」と返された。「引越しの荷物を詰めながら、おねえちゃんのあの雑然とした部屋に入らなくていいのかと思うと嬉しいと思ったけど、同じにすごく寂しくなったんだよ」思い出すと、涙が出る。

別に、死に別れたわけでもなんでもなく、同じ国内同じ本土なのに。新幹線を使ってローカル線を使ってバスを使って、結構な時間はかかるけれど。彼氏だって大阪で、東京から十分遠いのに、それとはまた違った思いで妹の済む地までの距離を見てしまう。妹の方が、距離的には東京−大阪と同じくらいのものなのに、より遠くに感じられてしまう。家族の情とは、そんなとこにまで影響を与えてしまうものなのか。私が実家のある南関東圏内でもより南に越してしまったら、東北の妹との距離はさらにさらに遠くなる。私が社会人になってしまったら、その距離に阻まれ、ますます会いにくくなるだろう。

寂寥とした妹の部屋を見、また涙が出てしまった。来月は私さえもがこの家を出ていく。親の気持ちはどうなのであろう。
考えたら、胸がしめつけられた。「私たちが出ていったら空の巣症候群になっちゃうんじゃないー?」と冗談で言えていた去年が懐かしい。

春は別れと出会いの季節だとは言うけれど、別れってさみしくて悲しい。本当、さみしくて悲しすぎて、それを消化していくだけで手いっぱいの季節だ。

萌ちゃん、メールいっぱい送るね。


◎はじめての就職
明日から、はじめての正職員としてのお勤めだ。学生時代のアルバイトはもちろんのこと、週休2日の日勤パート看護婦で糊口をしのいでいたこともあったが、やはり、正職員となるとなんか違う。ただ面接するだけでなく、選択とはいえ筆記試験も通りぬけ、晴れて採用になったのだから。
午前中は妹の喪失に嘆いていた私だが、夕方も近くなってくると、段々に自分の明日のことが心配になり、落ちつかなくなってきた。それこそ、冬眠から覚めたのに雪が多すぎてエサを摂りに行けない熊のようである。うろうろうろうろと、1人で家の中を徘徊してみたりしている。

そもそもの心配は、何処に配属されるのかというところにある。私は地方公務員になるわけだが、市って結構広い。下手すると、同じ市内で通勤何時間、の世界になることもある。私はどのみち実家からは引っ越さねばならないのだが、せっかくならなるべく職場に近い方がいい。けれど、4月1日に勤務先が発表されるとのことで、今月は実家から通うことになってしまった。しかも、引越しは貴重なお休みであるGWの予定になってしまった。
実家から通うとなると、朝5時起き、6時出発。
ネット検索したら、そうしないと8時半には研修先の市役所にはつけないよ、と出た。うーんと、えーっと、あーっと、初っ端から相当きついな。本来であれば、通勤にかけられる限度は片道1時間だわよ?

仕事における大きな野望など捨てて、とりあえずは倒れないように頑張ろ・・・


2002年03月30日(土) 「ミニ同窓会」と「私の人生エロばかりじゃない」

◎ミニ同窓会
今日は短大時代の友たちと銀座でミニ同窓会でした。5ヶ月〜3年ぶりの人まで、最終的に集まることのできたメンバー内訳は、整形外科看護婦・産婦人科看護婦・県保健婦・臨時養護教諭に私でした。私、看護学科出てるもんで、18歳以降に出会った人たちの現職業は看護婦などの医療従事者が多いんですよね。

昼間から集まって、喫茶店でケーキ食べながら近況のおしゃべりして、いい時間になったんで飲み屋に場所代え。
お酒が入ると、話題もそれにつられて昼間のそれとは変わってきます。そこで、みんな、はじめての彼氏とかができていることが分かったんですよ。医療従事者は男日照でヒモを引っ掛けやすいといいますが、ヒモじゃないようでした。ちゃんとお勤めしている彼氏たちでした。彼女たち、コンパとか親の紹介とかしてもらって、密やかに努力していたようなんですよ。まったくもって、いいことです。
私、別に今の彼氏がはじめての彼氏って訳じゃないんで(性交があるという意味でははじめてなんですが)、特に誰かに彼氏との話をしたいという気持ちはなかったんですよね。でも、はじめての彼氏って、やっぱり人生の位置付けとしては今後出会うかもしれない他の彼氏とは違いますよね。大事な人です。
だから、はじめてづくしで人生すべてが楽しいようで、出会いの馴れ初めとか、デートの定番とされてる場所に行った話とか、嬉々として語ってくれるので、ひたすら聞き役として座ってたんですよ。
でも、まあ、そのうち20歳過ぎてのお付き合いに欠かせない夜伽の話になりますよね。

それで、私、気づいたんですよ。
医療従事者の話す猥談って、なんかちょっと卑猥を通り越してるってことに。今日集まったメンバーだからじゃなくて、いつも大学での友たちとも同じように話しているなあと。単語一つ一つが俗語どころか、直接的過ぎました。
私たちは、某食事処の従業員の皆様と周囲の席のみなさま(殿方)に多大な迷惑、でなく酒の肴を与えて帰ってきました。
私、通常の生活では慎ましやかに生きていきたいのに、どうしてこう・・・こうなっちゃうんだろう・・・おかしいわ。


◎私の人生エロばかりじゃない
ここは極力アダルトテイストを押さえて営む日記のはずなんだけど、と自分で突っ込んだりもするのですが、思ったものはしょうがないということで、「日常茶話」では書きづらいことをば、ちょこっと。

この日記だけに来ている人はあまりいないと思うので、「日常茶話」の内容を知っていると前提した上で話をしよう・・・と思ったんですが、もし、アダルト嫌いな方がいらしたら悪いですね。
ページ下にリンクのある私のもう一つの日記サイト「日常茶話」の概略を説明しますと、当初は日常日記、途中からアダルト日記に転進してしまった私の趣味丸出しの日記サイトです。アダルト日記とはいっても、過激な性描写は読者サービスをする気がないのでありません・・・そのはずです。サブタイトルは「性に関するエトセトラ」。コンセプトは「愛ある明るいセックスをしようね」です。キーワードとしは「オーラルセックス」「性感染症」「ムスコさん」「性交痛」「子宮内膜症」といったところ。
で、なんでその、私の過激な性描写のない日記(いわゆる18禁に入らないだろうと思われる内容)をアダルト日記のような顔をして日記才人などに登録しているのかというと・・・下心があるからです。そういうところで性的な話題を好む人にも読んでいただきたいという、気持ちがあるからです。
アダルトビデオ、エロまんが、エロ小説、ネット上の本当の意味でのアダルトサイトにあるような、激しいセックスは現実的には難しいということを忘れないで欲しいのです。
性交で得られるのは快楽だけではないこと、痛みを伴うことあること、望まない妊娠だの中絶に繋がることもあること、HIV/AIDSを含む性感染症などに罹患する可能性もあること、モロモロ。それらをばらばらの知識ではなく、総合的に理解していただけたらと思っているのです。
この辺は、養護教諭と保健科教諭の免許を取る為に、教育実習行った先の高校で感じ取ってきたことです。知識がひとつひとつ分散して頭の中に存在しており、一つの行為(性交)に上記のすべてが関わってくることが分からない子が多かったのです。高校生が分からないということは、それ以後大学、社会ではほとんどの人が性に関する知識を教えられる機会が極端になくなります。自分で興味を持って調べない限りは、ゴシップ的な性の話題しか耳にしなくなります。
となると、人はそういった知識を何処で取り入れるるのでしょう。だから、ネットってすばらしい情報源になるんじゃないかと。特に、アダルトな日記が好きな人は、「性は日常」である可能性が高いので、あえてアダルト分類に突っ込んでみたわけで。そりゃ、なんかそういうお伝えしたいものがないようなエロ日記もあることはあるんですが・・・でも、あの、その。

で、何が言いたいのかというと・・・それでも結局内容的にはここ最近のは全部アダルト分類の日記だろ、と言われても仕方ないんですが、あの、でも、本当、私、ただエロに関心の高いだけの女じゃないんですよ? 性に関する正しい普及だとか、病気の予防だとか、老人福祉だとか、虐待防止だとか、精神障害者の社会復帰事業だとか、そういうことにもちゃんと興味ありますよ? 時々は、「過激な性描写のある某日記サイトと同じ眼で見られてたらどうしよう・・・」って悲しくなったりすることもありますよ?
・・・私の親御さんがちょっとそこら辺勘違いしているようなんですが、こんな説明したくても本人たちにはできないんで、ここで説明してみました。もしかしたら、あなたも私のこと、ただのエロ女だと思っていたりもしません? 違いますよ?
まったくもって、失礼しちゃうわ。

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2002年03月29日(金) 「言葉の組み立て方」と「佐々木(仮)家の人々」

◎人間関係を波立たせない言葉の組み立て方
例えば、
「この野菜炒めはおいしいね。この魚の煮付けはいまいちだけど」と、
「この魚の煮付けはいまいちだけど、この野菜炒めはおいしいよ」だったら、
どちらが言われてよりムッとしないんだろ? 「いまいち」だのという言葉はどっちにしても要らない、というのは正論だけど、人間そうそう言わずにはいられない時って言うのがあると思う。だって、言葉を発するたびに、こう言ったらどういう反応を示すかなんてこと、考えてはいられないはずだから。
子どものテストだってそう。ついつい、我が子の結果が悪いと、言いがちな言い方。
「なんでこんなところで間違うの。こっちもこんなに間違えて」と、
「ああ、ここは間違えやすそうだね。でも、一回覚えれば大丈夫だよ。また、頑張ろうね」だったら、
自分が言われたいのはどっちなんだろ?どうしよう、私が子育てに関してそりゃいかんだろ、っていう方を選ばれたら・・・まあ、しかり方も誉め方も、個人の自由だからしょうがないけど。
いやいや、言葉って難しい。

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◎佐々木家の人々〜 親子の愛
ところで、うちの母は気が抜けていると失言女王で、外ではつつがなく過ごしているくせに、家庭内ではしょっちゅう爆弾を落とす。一昨日も一昨日で、家族団欒の場である夕食時に母自ら地雷を埋め、踏んでくれた。
ニュースを見ていたら関東より北の地域の桜の開花を放送していたので、「今年は本当早いよねえ」とみんなで頷きあっていた時の話だ。
佐々木家の近くには大学があり、その校門付近にはたくさんの桜が植えられている。佐々木家と最寄駅の中間にその学校はあり、電車で外出となるとその前を必ず通る。もう3月下旬にすでに満開で、「あれじゃあ、4月の入学式まではもたないね」と妹が言った。
そこで、母は何気なく言った。「サクラチル」

私、この3月中旬に大学を卒業し、4月1日からの職も一応決まっている。しかし、この「一応」が曲者で、2月下旬に受けた「国家試験」に受かってなきゃすべてがパアなのである。その国家試験とは保健師国家試験で、受かっていれば私は某市の保健師になる。地域住民の健康のサポートをするお仕事に従事する、はず。
そう、本当、受かっていればの話なのだけど。発表は今日、3月29日。
その前々日に、受験生には『禁句』とされている言葉を発する実の母。しかも、「お母さん、私も結果待ち受験生の一人なんだけど・・・」と受験生本人自らが告げたら、「あ!」と叫ぶ、痛い思いをして産んだはずのかわいい娘の状況さえも忘れている母。しかも私、自己採点では例年の状況と照らし合わせると、受かるか落ちるかの瀬戸際で、先週末当たりからかなり精神的に不安定になっていたのに。
「奎佐ちゃんごめんねえ、すっかり忘れてたわ」必死に謝られても、私の心に入ったヒビはすぐには修復不可能である。
この試験に落ちていたら、また職を探さなくてはならない。とはいっても、今ある資格ですぐに使えるのは看護婦だけ。私は夜勤がダメで看護婦になるのをやめたというのにだ。今年で25歳になるため、何が何でも就職しないと親に申し訳ない。というより、あんまり年が経ちすぎるとどこにも就職できなくなってしまう。
高校受験で落ちたときよりも、専攻科に落ちつづけたときよりも、ずっとずっと今回の試験はナーバス傾向だったのに、やっぱりあなたには気づいてもらえてなかったんだね、母よ。

私たち、家族でなかったらとっくに付き合ってないね。
けど、受かってたから、すべてを水に流すわ。
14時からネットで合格速報が出るということだったのに、アクセス殺到ですかね、繋がらないから日記かいてたんだけど、15時26分、やっと繋がった。私の受験番号、あったよ。
そういうわけで、私、4月より保健師になれるみたいです。


2002年03月28日(木) 過剰だとか誇大だとかなコメントによる心的外傷

日記才人とか日記圏とか速報日記とかReadme!JAPANとか、Web日記を自己紹介したり、アクセス・投票ランキングを発表したりするサイトがあります。私はサイト経営者のお友達が皆無なので、人様に見せたい欲求を解消すべく、これらのサイトを利用しています。他にも、女性だけの日記リンクやバナーで日記を紹介し合うというサービスを行っているサイトもあるようですが、あまり登録しすぎると登録番号だの暗証番号だのを忘れてしまったり、更新報告自体が面倒になってしまうので、私は上記4つのサイトに絞りました。なんせほら、全部男女両方共に見るだろうと思われるサイトだったので。
(私、女性だけの世界はダメなんです。だって地球上には男女(あるいは雄雌)が存在しているのに、片方だけの世界なんていやです。でも、はっきり言うと、女だけの世界がこわいのです。)

これらのサイトを利用する際はコメントを書く欄があり、自分の書いた日記内容を人に分かりやすく伝え、その目にとまらせ、サイトまで見に来させるだけの技量が必要とされます。
完全にネタばれしたりありふれたものになるか、いい感じだとか興味をかきたてられるものになるかは、本当その人のセンス一つで決まります。非常に難しいところです。ある意味、目上の人に出さなければならないメールの題名に似ています。
最近、私はあまり人様の日記を見に行きません。Web日記を自分で書き出す前はあちこち見に行っていたのですが、この日記紹介のサイトらを利用し出してから行けなくなってしまいました。以前から好んでいる人のところにぽつぽつ行くくらいのもので、あとは新規開拓など月に2〜3個所といったところです。
それは、そう、内容コメントに騙されることの連続で、どこも見に行く気がなくなったというか・・・いえ、騙された方が・・・いえ、勝手な想像をどうにもならないほど膨らませて行った方が悪いんでしょうが、さすがにそれが何度も続けばいやになります。悲しくなります。
下手すると、日常生活にまで影響が出かねません。ナーバスなときにこういう仕打ちをされると、ご飯は食べられてもおやつが食べられなかったりします。おやつは栄養補給の場の一つなのに・・・(ただし、10代までの話)。

でも、私の日記コメントもそういうことがあるかもしれないので、強くは非難しません。けれど、絶対に「おいおいおいおい!」って思うようなものに、誰しもが当たったことがあると思うのです。
・・・実は私、今さっき、コメント期待ハズレサイトに行ってしまったばかりで傷心なんです。新境地をば!って見に行ったら、3連ちゃんで外してしまったんです。だから、それだけを誰かにお伝えしようと思って書いてみました。
でもこの内容で、私のあのコメント(題名通り)で傷心の人が増えちゃったらどうしよう。それはそれで、ものすごく申し訳ない・・・嗚呼。


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2002年03月27日(水) アダルト日記の目指す所は、性のあり方の一見本として話題提供するサイト

私が友人たち、家族と性関連の話をするとき、「性は日常」という信条を根本においています。
それは、異性への接触欲求もマスターベーションも性交も、日常的にあるもの、行われているものだからです。いまさら隠し立てを必要とするものではないからです。
それなのに「性的話題」というと、後ろ暗いものとか、おおっぴらにできないもの、といった風潮がまだまだ日本では結構根強いです。寝た子を起こすな的なところもあります。
そういえば、「最近の若者の性に対する意識はオープンになった」などとマスコミで報道されていますが、実はそれはほんの一部の話。確かに性情報の氾濫や性行為の乱雑さが指摘される者たちもいるにはいますが、だからといって若者たちの間でも性交していることが必ずしもステイタスになっているわけではないのが現状のようです。

ところで、あなたにとって、性の話は恥ずかしい話題ですか?
性的俗語を聞くと、いやらしいとか不潔とか思いますか?
性の話を友人同士や恋人とできますか?
昼間の性交はよくないことですか?
性感染症とか不妊症とかEDとか、そういう真面目な性の話は嫌ですか?
性行為の内容だけに興味があるのですか?
望まない妊娠とか人口妊娠中絶って、デリケートな話題というよりはワイドショーネタですか?
性の対象年齢が未成年でもいいのですか?(あ、いえ、本来は未成年がどうとかでなく、その相手がどれだけのことを認識しているのかが問題なんですけど)

アダルト日記の題名やコメントに「裏(ウラ)」とかついていたり、「裏日記」扱いされている日記がありますけど、いかがなものなのでしょうか? ちょっとやそっとじゃ同一人物って分からないものもありますよね。
性って裏にしなければいけないものなのでしょうか? もうひとつの自分の「場」にはならないのでしょうか?
まあ、この私も強く言えないんですが・・・でも、私の場合、むしろこっちが裏扱いのようなもんです。「日常茶話」にはまだ、こっちのURL載せていないので。

性生活が日陰のイメージのままじゃ、いけないと思います。「性について語ることは裏街道」の人が多いままじゃ、この先も性に関することで泣く人が減ることがないと思うのです。裏街道ってことは、あまり人とそれについて話し合う機械がないということとイコールに私には感じられてしまうのですよね。真面目な性の話って、友人同士でどれ位するものなんでしょう? 私、看護学科出なもんで、病院でEDの患者を受け持ったりする友人や婦人科勤めの友人も多いので、その手の話は普通に行っているんで分からないんですが・・・。

性に関する知識を持ち、なおかつそれを実行していけば、悲しい出来事にぶつからなくて済むと思います。まあ、その実行がまた難しいんですが。でも、「性って愛ある明るい行為で、奥深い内容で、予防すれば幸せになれるいいもんなんだよ」って私は若い子たちに伝えたい。
その為、不倫もSMもスカトロも否定しませんので、ネットという日本では誰もが検索しやすい世界では、どうぞただのスキャンダルネタではなく、明るいテンポで事実に近い性的話題提供をしていただけたらと思い、ちょっとここに提案してみました。
今よりもっと、性に関する正しい話題を出しやすい世の中になりゃ、本当いいと思っています。(だからといって、アダルトサイトを推奨しているわけではないですよ?)
性のあり方の一見本として話題提供するサイト・・・いいですねえ。今日はやけにえらそうなことを述べてみましたが、なぜアダルト日記を書き始めたのか自己分析した結果、日々そんなことを考えていたようです。最近ではすっかり忘れていましたが。私も日常茶話ではもう少し真面目に生きたいと思います。

では。


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2002年03月26日(火) 学歴で人を見るということ

私はこの3月で「4大卒」という肩書きを頂戴した。しかし、その内訳といえば、私は大学に3年次編入しているので、実質2年間しか「大学」には通っていない。
入試だって、数学だの生物だのの教科はなく、看護学科だったので看護婦国家試験に準じた選択問題と小論文と面接だった。それでも、その学校を無事に卒業すれば「4大卒」という肩書きなわけで。
そんなに大学卒っていう肩書きは立派なのかな、と思うここ最近。

私の出た公立高校は、学区内で下から数えた方が早いほど偏差値の低い学校だった。偏差値だけが人間を計る物差しではないとはいえ、分数を小数点に直すのも危うい者が大半を占めるほどの高校とは、何を勉強するべき場なのかちょっと分からない。実際、授業についてこられない者が多すぎて、教科書など1年でまともに終わった教科は皆無だった。これでは、大学受験どころの騒ぎではない。しかし、塾にいくなどして自己学習を進めたからといって、毎日の勉学の場である高校の授業内容が受験を意識したものではないというのは、もう大学には行くなといっているようなものであった。
通っている高校は何処かと問われて「K高校」と答えれば、「ああ、あの」という顔をされた。それは、バカにしているような表情だったり、同情しているような顔だったりした。
実は私は、母校であるK高校が第1志望校だったわけではなかった。第1志望校に落ちて、定員人数に達していなかったK高校に入っただけの話だった。併願で私立も受けていたが、家計を考えて公立高校を選んだ。
中学時代の私の成績は可もなく不可もなく、ちょうど学年の中央に位置していた(ほぼオール3だった)。だから、K高校の学力というのは私にとっては少しばかり低いものであった。
入学した当時は、自分がK高校に通っていることをことを人に告げることがとても恥ずかしかった。私にもそれなりにプライドがあった。
けれど、学校名を告げる機会を何度か乗り越え、K高校を第1志望で入った友人たちを持ち、私は成長した。

母方のおばは、学歴重視だ。
7年前、私が推薦で短大の看護学科に入ったとき、おばは言った。「ああ、そう、短大なの。そう、短大」
「短大」の単語をやけに連発してくれた。家族全員と高校の担任と進路指導教員とで、涙を出さんばかりに喜んだ短大入学を汚された気がした。
おばには私と年の近い娘がふたりいて、ふたりとも1浪して4年生大学に入っていた。おばにとって、短大と四年制大は全く別物のようであった。(ちなみに、私はこのいとこたちと非常に仲が悪いので、近寄らないようにしている。)
そんなおばと先日法事で会ったならば、「看護婦免許を持っていれば就職もたくさんあるし、いいわねえ」と言われた。いとこたちは就職でかなり苦労したようだった。
また、おばは言葉を続けた。「就職しやすいのに、それでもなお勉強しようと大学に編入してただなんて、奎佐ちゃんたらえらいわあ」
向上心を持ち勉学に励んだことをえらいと言っているのか、大学に行ったということに対してえらいと言っているのか、私には判断つきかねた。

人が長年持った意識というのは、そう簡単には変わることはないだろう。
しかし、学歴って本当、なんだろうね?


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2002年03月25日(月) 佐々木(仮)家の人々

佐々木(仮・以下略)家の長女に男などいない。ましてや大阪なんて遠いところに住んでいるような悪い虫などついていない。月によっては16歳年上になってしまうバツイチ男性などとは付き合っていない。今年社会人1年目になる娘の方が、数年後には男の収入を軽く上回りそうな相手など選んでいない。絶対に、ない。
佐々木家の父は、そう思っている。娘の趣味を信じている。

佐々木家は父・母・長女・次女で構成される4人家族だ。東京都下の戸建てに住んでいる。
佐々木家の父は、娘たちを溺愛している。娘に殿方から電話があれば、受話器の口元を抑えずに、「早めに切るんだぞ」と渡してくれ、酔っ払うと「かわいいでちゅねー」と娘の頭をなで、「今日は少し遅くなるから」と連絡しておいても、食事の最中に「帰るときには駅まで迎えに行ってやるから」と電話してくる、そんな父。娘に現金はくれないが、愛情だけは胸ヤケするほど与えてくれる、温かい父。
そんな父を敬愛して止まぬ長女の動向が、1年ちょっと前からおかしいことに、家族はみんな気づいている。そしてそれを、みんな知らないふりをしている。
以前の長女は旅行に行くのであれば、「誰々ちゃんと誰々ちゃんと何処何処温泉に何々しに行って来るー♪」と報告していたのに、「ちょっとそこまで行ってくる」と外泊するようになったのだ。「ちょっとそこまで」が大阪だったりすることは、新幹線や高速バスのチケットを食卓の上で目撃していても、誰もが行き先を知らないことになっている。
長女は20歳を過ぎた成人。しかも、今年で25歳になるいいおとなだ。例え、短大でただけでは飽き足らず、卒業してから1年間ほぼ親の金でブラブラ都内で一人暮しをし、その後大学3年次編入していたモラトリアム症候群に片足突っ込んでいるような長女も、この4月からは公務員になる予定の社会人1年生だ。
父は成人したら子どもに干渉しない、と常々宣言していたので、長女の動向が少しばかりおかしくなっても、何も言えない。自分で決めた方針に逆らえない性格なのだ。
けれど、気になる気持ちは抑えられない。
だから、長女にそれとなく聞いてみた。「旅行、誰と行くんだ、友だちとか?」
長女、満面の笑顔で答えた。「うん、そんなようなもん」
父は、その笑顔に何も言えなくなった。用意していた言葉が、空しく喉の奥にしまいこまれた。「そ、そうか・・・気をつけて行ってこいよ」
それが、父と長女の、3日前の最後の会話。

「父よ、私は今朝方無事に帰宅いたしました」(長女談)


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2002年03月23日(土) 私にとっての大阪とは

聞きなれない言葉が飛び交う場所。
それが私にとっての大阪の最初の印象だ。
私は東京で生まれ育ったため、方言と呼ばれている語に明るくない。関西弁はメディアなどでも聞く機会が多いため、かろうじて意味がわかるといった具合だ。
昨日より、チャットで知り合って1年ちょっと付き合っている男と会うため、大阪にきている。
彼の仕事が終わるのを待って会ったので、彼との待ち合わせは大阪駅だった。

待ち合わせは、彼の仕事の都合で予定より30分遅れた。その間、2泊3日の荷物を持ってぶらぶらするのは面倒で、私は改札口でぼんやり突っ立っていた。
その間、聞こえてくるのは、関西弁ばかり。
聞きようによっては、まるで怒っているのかと思うような口調もあり、なんとなく落ち着かない気持ちに私はなった。

どうしてこう、同じ日本なのに不安を覚えるのだろうか。日本語が通じる場所なのに、まるで外国にいるような気分になる。
土地鑑が無いというのもさらなる不安につながるのだろうか。
でも何故、東北や近畿、九州、沖縄に行ったときよりも、外国に行ったときよりも、心もとない気分になるのだろう。

なんだかとっても不思議な土地だ。変に魅了される。
お店なんかで商品をすすめられると、それに対する自分の対応を試されているのかな、などと、時々思ったりもする。
戦う感じ、それが私にとっての大阪。


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2002年03月21日(木) 春先の午睡 〜 精神的に不安定になる季節

強風で物音がすごくて昼寝から起きてしまった。確か、昼ご飯を食べてから寝たので、1時間半ほど寝ていたようだ。
人の話し声や目覚ましで起きるのとはまた違う、自然の怖さに起こされたような、不安を抱きながらの寝覚め。
風のうねり、雨戸の揺れ、木々の擦れ合い。それらがすべて、不安感をもたらす要因で。
昼寝をしていた畳の部屋の障子を開けて外を見たら、庭のチューリップが閉じたまま風に耐えているのが見えた。おかげでさらなる不快を感じた。
それとも、見ていた夢でも悪かったんだろうか、この不安感は。コタツで寝ていたし。
咽喉は乾いているわ、何となくイライラするわでちょっと嫌な気持ち。普段寝つきも寝起きもいい分、たまに悪いとどうしていいのか分からなくなる。

春先、精神を病む人が多いという説が、何となく分かるのはこういうときだ。
花が咲き乱れ、進路や就職、転属で環境が変わり、送別会だの歓迎会だので連日忙しかったりする。家族が減ったり増えたりもこういう時期だ。
心が、どれに反応を返したらいいのか分からなくなっても不思議ではないと思う。

こんな風に考えるのも、きっと春先の午睡から目覚めたばかりのせい。


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2002年03月20日(水) 晴れやかなる卒業式には着物で出席

「川中美幸にも勝てるよ」って言われました、実母に。

今日はこの2年間、3年次編入して通っていた大学の卒業式でした。大学の卒業式というと、女の子ははかまを着用する子が多いですね。
私も短大の卒業式では憧れだったはかまを着たのですが、このたびの大学卒業式は少し華々しく行こうと思い、成人式に購入してもらった振袖を着ました。なんせ、4年前の成人式で着たきり、誰も身内や知人が結婚しないので袖を通してなかったのでもったいないと思ったもので。
でも、仲良くしていた友人たちはみな、はかまでした。だから、着物姿の目立つことといったら、そりゃもう。まあ、三十路間近のこの1月に入籍、3月上旬に結婚式をあげておきながら桃色の振袖を着てきた同級生もいましたので、ふたりで周囲の注目を分かち合いましたが。

着物って、はかまよりも袖も裾も派手めなんですよね。柄が。
ちなみに私の着物は帯を境に上が渋めの赤、下が渋めの抹茶色というもの。小花が散り、毬が刺繍されている。帯は金色の刺繍がゴージャスな大きな花柄。この帯が、高かったけど、とってもきれい。着物に負けず、着物を引きたて、なお自分も目立つ、という優れた帯。
それだけでも十分人々を魅了してしまうというのに、今日のヘアスタイルがまた、すばらしかった。
着物なんて着なれていないので、どんな髪型にしましょうと言われても、かなり困ります。困惑する私に、着付けを頼んだ美容院のおねいさんは親切にヘアカタログを出してくれました。
カタログを受け取り、山田まりやとかがモデルのページや読者モデルページをめくってみたのですが、これまた困ってしまいました。芸能人になるような人はやはり、かわいらしいので結構奇抜な髪形でもそれなりに似合っています。でも、私のような素人娘に似合うのでしょうか?というものが多かったので、これらは却下でした。
美容師さんは、「今年の成人式は、ふたつのおだんごとか、顔の両側に髪の束を少したらすのが流行ってましたよ」と言ってくださりました。でも、私は「おだんご」と聞いてモーニング娘。の一員を思い出し、顔の両側に髪の束と聞いてIZAMを思い出し、即却下してしまいました。私には、似合いません。
そこで、おだんごはひとつで、前髪を作る髪形にしましょう、と大まかな注文だけして、あとは美容師さんにお任せすることにしました。
ついでに、メーキャップも頼みました。私、普段素ッピンかと思われるほどの薄化粧で、着物に似合うものはできそうにないので。なんせ、目の際に線を引くだなんてことも、やったことがありません。細かい作業は苦手なんですから。

そう言う訳で、着付け代、ヘア代、メーキャップ代合わせて、20,750円の出費で卒業式に臨みました。

24歳で学校卒業する私に大枚はたいてくれた母は、着物姿の私を見るなり言いました。1行目の言葉を。
ああ、そうか、勝てるんだ。
喜んだらいいのか悲しんだらいいのか分からなかったので、そのときは深く考えませんでした。しかし、しかし今思えば母は何を思っていたのでしょう。似合うともかわいいとも言わず、「勝てる」しか言ってくれなかった母。ただ一つ確実に言えることは、別に川中美幸でなくても、香西かおりでも伍代夏子でも、彼女にとっては演歌歌手なら誰でもよかったのだということです。

それから、派手さでは着物にも負けず、もう、髪型も派手。仕上げにラメまでふりかけられて、もう髪は光を浴びてキラキラキラキラ。はかまでも髪型は結構派手なんですが、私には着物というすばらしい武器があった為、さらなる注目を集めたようです。

いつもは化粧しない私の美しい化粧顔(私の顔じゃなくて、化粧法が)と、派手な衣装にみな驚き喜んでくれて、結構嬉しかったし楽しかったです。
杏も梅も桜も咲いてて、いい卒業式だったな、本当に。


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2002年03月19日(火) はじめに 〜 あいさつに代えて

はじめまして。

日記才人経由の方はわかるかもしれませんが、私は違う名前で今やもう、アダルト系と化してしまった日記も書いています。
隠し立てするつもりはないので、下にURLも載せてありますが、「日常茶話」という日記を「ドラド奎佐」名義で書いています。
しかし、このたび思うところがあり、この日記ページ「人生事件」を作成することにしました。
こちらはアダルトテイストは極力おさえ、普通日記として運営していきます。

日記リンク集である日記才人には、自分の日記の更新報告をする際、日記内容を分類する個所があります。
私は最初、日常生活をつづっただけの日記を書いていたので、その内容は「日常生活」「恋愛」ばかりでした。
でもあるとき、これはアダルトな内容かな、と思うものを書いてしまい、迷いながらもアダルトに分類しました。
すると驚くことに、その前日までの累計者数の何倍もの人がきました。
そのときの感想は、自分の日記が不特定多数に読まれたという「こわい」という感情と、人はアダルトなものが好きなんだなあという「感心」の感情のない交ぜになったものでした。また、それと同時に読者数の数に「快感」も覚えました。
幼い頃から性的な話題が好きなことも加わり、その後もその興奮を求めて私はアダルト日記を書きました。
そして、何度か続けてアダルトな内容の日記を書き終えた後、あることに気づきました。
日常のことを書き、日常・恋愛・雑記などに登録しても、私をアダルト日記の書き手として認識した読者が来るようになっている、ということにです。
また、この無料日記「エンピツ」でも、強制的にアダルト分類されているようでした。

本当に正直な話、アダルトな話題は大好きです。俗的なものだけでなく、学問的なものも好きです。
そのせいもあって、私は大学では HIV/AIDS に対する人々の認識や性感染症全般について、若者の性行動などの問題点などに重点を置いて学んでいました。
養護教諭と保健科教諭の免許を取ったのも、中学・高校等で性教育ができるということからでした。

最近、ここではリンクは貼りませんが、うし1号さんという方の「うし食ヴぇられる?BB」という日記を見に行きました。
そして、うし1号さんのある日記を読み、私はアダルト日記とは何ぞや?と疑問を抱きました。
その疑問に答えを出すべく、私は日記才人に登録している女性のアダルト日記をいくつか見に行き、自分が書きたかったものはなんだったのか考えこんでしまいました。何故女性の日記に限定したのかというと、自分が女であるからです。
読んでてなかなか面白い日記もありました。
しかし、ここで名前を出すべきではないので控えますが、「これでいいのだろうか?」と思うようなものも多くあり、正直、眩暈が起こりそうでした。
私の書いてるものは本当にアダルトだったんだろうか?という疑問まで起こる始末でした。でも、毎日のように性的単語が出てくる限りは、アダルトに分類されるものなのかもしれませんが。

「日常茶話」を否定しません。あれは確かに私の日記です。
自分で書きたくて書いたものです。発表したものです。
けれど、アダルトな話だけでなく、日常遭遇したことも書いてみたいという欲求が現われました。
しかし、あの「日常茶話」をお気に入りやマイニューリストに登録した人は、「アダルトテイスト」を求めている方だと思われるます。その為、日常生活とアダルトの日記は分ける、という方向で自分の中でまとめました。

以上が、最近の私の日記HPに対する気持ちの動向です。
これから、こちらでは日々あったことを、ぽつぽつ書いて行きたいと思います。
では。

                                                                    佐々木奎佐


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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