一度だけの人生に
ひろ



 優しさについて

優しさと言うと無償で、
愛と言うと無償で、
無償で無ければ真の優しさでなく、
無償で無ければ真の愛ではないような
そんな風潮と言うか、常識?のような
考え方があるが、果たしてそうか。

人に優しくするというのは案外、
苦痛なものだ。
気を使い、我慢し、配慮して、
励まし、手助けし、時には放っておく。
代償を求めるなら、真の優しさで無い
と言うのなら、真に人に優しくすると
言うのは、している本人にはとにかく
苦痛しかない。

その苦痛なものを敢えて与えうる
聖人君子が真の優しい人だとしたら、
違った見方をすれば、その人はただの
変態だとすら思う。

世の中に、タダのものは無い。
対価を求められて、真の優しさや愛では
無いなどと言うのは漫画やドラマの見す
ぎで、与えられたものは返さなければ、
文句を言われても仕方ない。

優しさも愛も、基本的には有償で当然な
のだと思う。

無償の愛などと自虐嗜好の変態行為は
受けるには心地よくて理想かもしれないが
行うには地獄の苦痛だ。

「なに言ってんだ。あげた分、返せ」
これで普通だから。
ガッカリなんかしちゃダメ


2017年01月16日(月)



 老いると言うことについて

人間が50で死ぬように出来てるのは、
神様のお情けなんだよ?こんな、人間が
いつまでも生きなければならなかったら、
たまったものじゃない。
と、言うような話が坂口安吾の随筆か何か
にあったな。

ホントにそう思う。けれど、今の人間は50
ではなかなか自然には死なない時代になって
来たから、神様も現代人には薄情になったのかな。

田舎だからかな、どこに行っても老人ばかり見る。
散歩してたり、買い物してたり。

見てると素朴に、疑問に思います。
「生きてて楽しいかな?」
そう思います。
きっと楽しくはないんだろうなと思う。

30代の今、楽しくなくて、これが40、50
60、70ってなって、楽しくなるわけない。

死にたくないって気持ちは分かる
死んだって意味ないってのも分かる。
でも、生まれてこのかた、ただただ死にたくない
から、死ぬまで生きるんだなぁって思うと、
切なくなるね

2017年01月07日(土)



 一方通行

人生は取り返しがつかない
つまり、今現在も取り返しがつかない
なのにでも、取り返しがつかないと言うことを
いつも忘れて生きてるのが人間だ。
……どうだろうな、他の人のことはわから
ないから、「いつも忘れて生きてるのが俺だ」
と言うべきか。

決して戻ることが出来ない一方通行の、しかも
段々と狭くなっていくトンネルを進むような
もので、進めば進むほど、狭くて苦しくなって
いく。

あれ?っと気付いたら手遅れなのが、いつもの
ことで、進めば進むほど、戻りたい、戻れたら
なぁと言う後悔だけを積み重ねていく

2017年01月06日(金)



 幸福論

理想の幸福と言うか、常識と言うか。

安定した職業に就職して、恋人を見つけて、
恋愛して、結婚して、昇進出世して、子供を
作り、マイホームを建てて、食うに困らぬ程
度の生活をしつつ、たまに旅行に行けるくら
いの贅沢を。
そして健康に気をつけ、事故なく過ごし、
子供の成長に目を細め、あるいは将来に
期待しながら育て上げ、安穏の老後を過ごし、
死ぬときは家族に看取られ、畳の上で。

こんな幸福論がいつの間にか、自分の理想と
言うか、そう言うものが幸福なんだといつの
間にか信じて生きて来たもので。
自分だけじゃなく、多くの人もそうだと思う。
結婚したい。結婚出来ない人生なんて
子供が欲しい。子供が出来ない人生なんて
と言う話は、まだ結婚していない人、子供が
いない人から、良く聞く。

結婚して、幸せになれるなら、
人類の大多数は、幸せです。
子供がいるだけで、幸せなら、
やはり人類の過半数は、幸せです。

残念なことは、幸せとか言うものは、
そう言うところには無いと言うことで、
また、そう言うところに無いと言うことを
してみないと分からないと言うことですね。


幸せになりたいと言う気持ちは、
違う言い方をすれば「今がイヤだ」と言う
気持ちで、現状に満足せずにより良いところ
を求めるのが人の最も優れたところなんで
しょうけれど。
無ければ欲しくなり、手に入れば煩わしくな
ったり飽きたりして、手離したくなり、失って
その価値に気付いて後悔して再び追い求めてみ
たり。
その都度、幸せはあっちに行ったりこっちに
行ったりして、留まることは決してない。

つまり、幸せになることは無いと言うこと

自分はもしかしたら、幸せになれるかもって心
から思える、そんな期待を持てたとしたら、
そんな風に思えて、期待出来たこと自体が幸せ
で、それで終わりなんでしょうね。

まさに掴めそうな距離に有ると見えて、
手に入って、収まると消えて見えなくなる。
「無くなっちゃった」と思う。
無くなっちゃったから、また探し始める。
次に見える時は、新たな別のものを発見出来て
掴めそうな時か。
あるいは、実は見えなかっただけで、手の
中にあったものが離れていこうとするときか。

そんなもの。


2017年01月05日(木)
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