一度だけの人生に
ひろ



 晴れ

本当はこの時期は就職活動で
あちこちを飛び回っているのが
大学三年生(つーかもう四年生か・・・。)の
はずですが、
僕は一応公務員一本と言うことなので、
(他人事みたいな言い方)
前と変わらない生活を送っています。

大学生もそろそろ終わりですけれど、
僕は大学でいったい何を学んだろうかと思うと
苦笑してしまいます。
実際、何も学んじゃいない。
特に僕の専攻は社会的に「実力」と
呼ばれるものを身につけることはいくら頑張っても
出来ないので、知識・能力の点から言っても
僕はほとんど成長していません。
せいぜいキリスト教について前よりも
深い知識を身につけたとか、
パレスチナ紛争の歴史的背景を知ったとか、
脳死問題や安楽死について、違った見方を出来るように
なったとかその程度。

そんなものばかりで、
結局、「社会」とか「世間」とか
呼ばれるものの仕組みはもちろん、
ネクタイの締め方もろくに知りません。

法律について。経済について。行政について。
公務員試験の勉強やその他で前よりずっと
知識が増えたけれども、それらはやはり理屈です。

法律じゃない、「罪」ということについて。
経済じゃない、「生活」ということについて。
行政じゃない、「権力」と言うことについて。
その実体・・・いや、実態の方が良いかもしれないけれど、
知らなければならないと、知りたいと焦っても
何も分からなかった。
新たな何かは、見つからなかった。

こんなので良いのかしらと思う。
これで大丈夫かしらと不安になる。

やはり僕は「生活」というものが分かっていないと思う。
心構えと言ったら大げさだけれど、そんなものが。
「働く」それは分かる。でも、何を思って働く?
何を目指す。何のために?

「人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
 つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。」

太宰治『人間失格』

2003年03月31日(月)



 そろそろ、まる二年

この日記も良く続いています。

最近、酒量が増えてきています。
と言っても、昔に比べたら、
そんなに変わっていないのですが・・・。

大学二年、三年になった頃から、
どうもお酒を飲んだ後に体調を崩すことが
多くなり、
ちょっと減ってきていたんですが・・・。
もう若くないなっとか思ったり(笑)

なにぶん、自分でも思うのですけれど、
一度に飲む酒の量が普通の人よりも
明らかに多い。ビールの2、3本や
日本酒の1、2合で済むものなら
健康的にも金銭的にも大した問題では
ないでしょうけれど、
ビールなら2、3【リットル】
日本酒なら一【升】くらい
平気で飲んでしまうのだから・・・。

お酒の味自体をおいしいなんて思ったことは
ありません。
飲みやすいか否かで
美味しい酒かまずい酒かを判断している節も
あるような感じです。
ですから、ちょっと飲んで
「あぁ満足」なんて思うことはなくて、
飲むなら、ベロベロに酔っぱらって、
前後不覚になるくらいまでじゃないと、
僕にはあまりお酒を飲む意味がないのです。

また、僕の場合、お酒を飲むと
どちらかというと、かえって普段より
「大人しく」なり、
顔色も赤くなることなんて無くて、
むしろ普段から白い顔が、青白くなってしまって
「顔色悪いよ。大丈夫?」
と聞かれることもあるほどです。

僕は完璧に母に似ているのですが、
この酒に強い体質だけは父に似たようです。
昔は「お酒で死ねるかしら」などという、
冒険心(?)みたいなものがあって、
それこそ浴びるように飲んでいたりしていたので、
そこで鍛えられたのかもしれません。
人間、アルコールだけでは
なかなか死ねるものではありませんでした。

その内に、マロリーワイス症候群になって、
胃潰瘍になって・・・。
まぁつまり血を吐くような自体が起こるように
なってから、お酒を飲むと2、3日寝込んだり
することが多くなり、お金の問題もあって、
だんだんと控えるようになってきました。

しかし、まぁ最近また・・・。

ここ一週間でも、
25日に友人と飲んで吐き、
26日にまた、違う友人と飲み、
一人で日本酒を一升以上も飲んで吐き、
27日、28日と体調を崩し・・・
29日にまたまた違う友人からお呼びが
かかったので、体調が悪いのを押して飲み、
さすがにこの時は吐くまでは飲みませんでしたが、
お陰でいまだに体調が優れません・・・。

大学一年の時の
僕のアルコール依存状態を
知っている友人が心配してくれているので、
ここら辺で自重しなければ
いけないとは思いますが・・・・。


2003年03月30日(日)



 うるわしくも怖ろしきは・・・

「美わしくも怖しきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ

どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許りに
善だ悪だ罪だ罰だと呪わるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧く力も意志も授けられぬ許りに」

太宰治『人間失格』ルバイヤットの詩


背負い切れぬ荷をば負わされ・・・。




2003年03月28日(金)



 気分

気分って言うのは、
これはけっこう人間にとって
バカに出来ないものだと思う。

結局、実利・実益のこと以外は
全部、気分次第なのだから。


考えると、味気ないよね。

良い気分。イヤな気分。
そのために傷ついたり、傷つけたり。

2003年03月27日(木)



 最後の電話

「あなたみたいな、優しい人を
こんなに好きになったこと、私は誇りにするね。
あなたは本当に、とても優しかった。
だからもっと自分に自信を持ってね。
ありがとう。元気でね。バイバイ。」


昨日の夜。Kさんからの電話。


一番、今回のことで
傷ついたのはKさんだったかもしれない。
一番、辛かったのはKさんだったかもしれない。

そして彼女に
そんな辛い想いをさせたのは、
他でもない、僕です。

2003年03月26日(水)



 処世

「疑うのが、正当の心構えなのだと、
わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。
人の心は、あてにならない。
人間は、もともと私慾のかたまりさ。
信じては、ならぬ。」

太宰治『走れメロス』


普通の人になりたい。

ロマンチスト、ナルシスト。
僕をそう言って、なじる人たちに
倣って、僕はもっともっと俗っぽくなるんだ。
もっともっと汚く、醜くなるんだ。

人に優しくなんてしてたまるか。
人なんて、信じるものか。
常に人の油断をうかがい、隙あらば
相手を倒し、自分が良い目をみるんだ。

酷い男だなどと、卑怯だなどと、
言うのはやめてもらいたい。
僕にそう生きるよう、教えたのは
あなたたちだ。


正義。義理。人情。愛情。誠実。理想。
純粋。優しさ。

これら苦しくとも美しいものは
全部ウソじゃないか。
いや、僕らの【生活の中】では
全部ウソじゃないか。
みんな声高に叫んで、しょってるだけで、
誰も、そのために苦しんでないじゃないか。
本当は馬鹿馬鹿しいと思ってるんでしょう?
いっそ、そう言えば良いんだ。
不潔なごまかしはやめろ。

馬鹿を見るじゃないか。
そして、その人に馬鹿を見せているのは
他ならぬ、あなたたちだ。

中途半端は、よせ。
もうご都合主義はたくさんだ。
どうせなら、潔くいこうじゃないか。
エゴイスト万歳を叫んで、
「何が悪い」って顔していこうじゃないか。

あ、「潔く」なんてことも
あなた達にとってはウソなんだよね。
これは失礼。


2003年03月25日(火)



 親類

家族、親類というものは
やはり侮り難く、時々ビックリするような
的を得たことを言ったりするものです。

今回の帰省は
姉の結婚式があったので、
親戚一同が久しぶりに勢揃いしました。

結婚式場から帰るバスの中、
僕の親父の弟、「5歳まで」に出てくる
あの叔父ですが、その人が酔っぱらって、
僕の隣りに座り、僕に
説教を始めたのでした。
それは30歳くらいの男なら
誰しもが言いそうな、どこかで聞いたような
苦労人の説教でした。
僕は、ニヤニヤ笑いながら、
「うん、そうだね。」とか
「ふーん」とか「いやぁ」とか適当な
相づちでごまかしていたのですが・・・。
すると叔父は
「お前は昔から口数の少ない奴だったが、
ますます何も言わなくなったな。
本当のことを言え。言っても良いんだ。
本音を言えば良いんだ。」
と僕に詰め寄りました。
僕は内心驚きながら、それでもニヤニヤと
「そんなことないよ」とか言っていました。

バスが、僕らの宿泊する地元の温泉に着き、
親類だけの宴会が始まりました。
するとその叔父が、僕の方を指さして、
「こいつだ。こいつ!」と叔父の奥さんである
叔母さんに語っていました。
「こいつは何も本当のことを言わない。
いくら語って聞かせても、う〜んとか
ふ〜んとか、はぐらかすばかりで、
ほんのちょっとも
自分の思っていることを言わないんだ。
こんなことではダメだ。」と。

昔はともかく、今は僕はあまり
この叔父を好きではないし、
尊敬もしていない。はったりばかりで、
自尊心の塊のような性格だからです。
この時、叔父に何も言わなかったのも、
この叔父の性格から推定すれば、
どうせ何を言ったところで、
叔父の自己満足な説教のネタになるだけで、
つまらないと思ったからです。

しかし、叔父が、
僕が適当なことばっかり言っていて、
ちっとも本音を言っていないことを
察知したことが僕には大変意外でした。
また、昔からそう言う子どもだったと言うことを
知っていたと言うことも意外でした。

やはり肉親、親戚というものは
騙そうと思っても騙しきることの出来ない
何かがあるのかもしれないと感じました。

また、それこそ十年振りくらいに
会った従姉妹達全員に
「ひろおってこんなに静かな奴だったっけか?」
「大人しいなぁ」「お前は一体誰に似たんだ?」
と言われたことに、
小学生の頃の自分と今の自分の、
性格の明らかな違いを、改めて分かり、
悲しく、苦しくなりました。


2003年03月24日(月)



 義理

義理という言葉は、
これは男性にだけ理解できる
言葉じゃないだろうか・・・。

義理、人情、責任。
この三つを考えるとき、
男性のそれと女性のそれでは
大きな意識の差があるのじゃないかという気がします。

男の場合、重大な決定はもちろん、
日常些細なものごとを処すときでさえ、
義理というものに大きく左右されています。
少なくとも僕や僕の友人は、そうみたいです。
得てして「ルールなど無い」と言われる恋愛の場面でさえ
男にとっては義理や情、責任と言う感覚に、
常にとらわれています。

Kさんいわく
「そんなこと気にしてるのは男だけだよ」

言い方を変えれば、
男のほうが女よりも「良いかっこしい」
と言うことかもしれません。

今回のDさんとのことでも、
僕の感覚としても、また僕の友人たちの感覚としても
一度ふった相手にもう一度声をかけると言うのは、
男にしてみれば、相当の責任や義理と言うのもが
発生すると言うことを覚悟の上でなければできないと
思っていますし、また当然覚悟の上だろうと推定してしまいます。
その義理とか責任と言うのは、具体的に言えば
「相当期間はこちらから別れ話を出すことはできない」とか
「ある程度のあちらの要求には答えなければならない」とか
そういったものです。
多分、女性が思っている以上に、
こんな風な、義理とか責任と言うものを意識する男は
多いと思います。

どちらが良いとか悪いとか言うつもりはありませんが、
男性側はこんな義理とか責任と言うものを、当然として
考えている、いやな言い方をすると「計算に入れている」
ことが多いのです。

男の友人いわく
「当然のことだと思うし、
簡単にわかることだと思うのになぁ」
と言う感覚でいるのです。

男性側としては、どんな場面においても
そういう、当然と思われる義理とか人情、責任を
無視されることは「人として扱われていない」と言う
感じすら受けることがあり、恋愛と言う場面においては
愛情よりも、重視することもあるかもしれなくらいです。
いや、そういう義理人情で、愛情を測ることもあるかもしれません。

どうなんでしょうね?

女性の意見をお待ちしております。

2003年03月23日(日)



 静かな日々

実家から帰ってきたら
こちらはすっかり春の風、
春の空気だった。

この空気は、嫌いじゃない。
何か新しいことが、
何か新しい日々が始まりそうな
気が、自然と、否応なしに沸いてくる。

でも、もうわかってる。
何かを変えないでも、何かが変わっていくなんて
思っていたら大間違いだって。

たまには歩いて、
大学まで行ってみたりする。
普段は通らない、遠回りの河川敷を
歩いてみる。通りのベンチに腰をかけて、
タバコを吸い、ぼんやり景色を見ながら、
みんなのこと、自分のことを考える。
考えれば考えるほど、
何か、可哀想になってくる。


「無数の卑屈な笑顔があらわれ、
はっと思う間に消え失せた。
みんな、卑屈なのかなあ、と思う。
誰にも自信が無いのかなあ、と思う。」

太宰治『鴎』


でき得るだけ、みんなに優しくしたいと思う。
そう思った瞬間、そんな偉そうな自分の考えに
苦笑してしまう。

そんなことを考えていると
「僕も、みんなも、何しに生まれてきたのかなぁ」
と言う素朴な疑問がわいてくる。

堪らなく寂しい気持ちになる。

2003年03月22日(土)



 早くも終了〜

Dさんから呼び出しをくらいました。
「ついに来たか・・・」って感じでした。

なんだか全体としては
結局最後まで、はっきりしない、
つじつまの合わないことばかりでしたけれど、
改めてのお別れの言葉は、はっきりしていたから
もうこれで良いかなって感じです。

前回とは違って、
今回は「未練」と呼ぶほどの想いは
僕にはもうないのを感じます。

「しょうがないな」って感じです。

今回、彼女がしたこと。言ったこと。
一般的な恋愛観を持っている人ならば、
決して認めないと思いますし、僕も
正直に言えばこれは「仕打ち」以外の何ものでもない
と思います。

実際、悪口を言おうと思えばいくらでも言えるし、
また、彼女を非難しても
そんなに悪いことじゃないと言う気すらします。

でもそこは惚れた弱み。
そして惚れた礼儀(?)みたいな。

実際、全然恨んでないし、
傷ついたけど、僕が望んでやったことだって納得してます。

無理してないですよ。
自分でも不思議なくらい、納得できてる。

どーせ別れるんだから、
余計な精神的ストレスにならないように
最後の最後まで、彼女を責めなかったけれども
一つだけ背負ってもらった。

「一つだけお願いするね。
僕のために別れるなんてことは言わないで。
それだけは、Dさんが悪い人になってもらわないと困る」
彼女は黙って頷いていました。

それを背負って行ってくれるなら、
もう良いかなって思いました。
「背負う」なんて言ったら大げさだけどね。

そのことだけ心に留めて置いて、その内に忘れてくれたら
それでいいやって思えた。


残念は残念ですけどね、やっぱり。
だって僕は何にもしてないんですから・・・
好かれることも嫌われることも、
お互いをもっと知り合うことも、何にもしないで、
「やっぱ無理」じゃあねぇ〜。

今回のことで分かったこと。
俺の恋愛観は少し「お堅い」
Dさん恋愛観はもっともっと「お堅い」
つーかやっぱりDさんは「彼氏=結婚相手」と思ってる節がある。
最低、五年も十年も付き合うものだと思っているらしい。
だから五年も十年も付き合える相手じゃないと、
「彼氏」にはなれないらしい・・・。
まぁそのことと今回ふられたこととは、あまり関係がないけれどね。
やっぱ恋愛妄想が酷いようで・・・。

そしてもう一つ。
俺は恋愛観の「お堅い」女性が好き。
今回みたいな極端なのはダメだけどね。

と言うことで、わずか2週間前後で
終了しました。

彼女募集中です。
色が白くて、身長が低めで、
控えめで、感情表現がちょっと苦手で、
もっと明るく振る舞いたいと思いつつも、
「いや、私はこれで良いんだ」と言うプライドもあって
ちょっと葛藤しちゃってるような人で、
年齢相応にはあか抜けていて、
飲み会の席で盛り上がっているときにも、
みんなに気を配っているような、
そんな頭のお堅い女性をお待ちしております。(笑)
(ちなみにDさんのことではありません)

2003年03月21日(金)



 争い

第二次湾岸戦争と言ったら良いのでしょうか?
そんな感じの戦争が始まったので、
感じたことを書いておこうかなと思いまして・・・。

戦争・・・。
批判されるかもしれないが、
正直、僕はあまり関心も感慨もない。
世間ズレしたと言いたいところです。

要するに力の弱いものは
力の強いものの思うとおりに翻弄され
奪われ、殺されて行くと言うことでしょう。

今回の戦争だって、アメリカは「イラク解放」
「正義・人道・人権」と言い、
フランス・ドイツは「武力行使反対」と言うが
結局はフセインが石油の決済を
ドルからユーロに替えたこととか、
石油利権だとか、支持率だとか・・・つまり利益が
あるからでしょう?
戦争する理由も利益。
戦争に反対する理由も利益。
「自分達の幸福のため」でしょう?

それは何もアメリカ対イラクと言う関係に
置いてだけで言えることではなく、
戦争というものそのもの、
イラクの国内、アメリカの国内、日本の国内、
いや、全ての国・政治・企業・宗教・司法・学校に
置いて、同様の関係があると思う。
あるいは家庭や友人関係にもあると言えるかもしれない。


「正義? 所謂階級闘争の本質は、
そんなところにありはせぬ。
人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。
自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。
死ね! という宣告でなかったら、何だ。
ごまかしちゃいけねえ。」

太宰治『斜陽』


階級闘争に限った事じゃないと思うのは
僕だけでしょうか?
戦争とは、結局、生活の戦いの延長なのではないでしょうか?
個人対個人、企業対企業、宗教対宗教、国対国。
質的に、僕にはあまり違いがないように思える。

じゃあ僕がこんな風にエゴイストになりきって、
当然のことみたいに納得して、今の戦争を見ているかというと
そうじゃない。
僕は自分を敗者だと思っている。生活の敗者だと思っている。
人と争って勝負する以前に、勝負から逃げている。
「NO」と言って、相手と争うことが出来ない。
争って、自分の意見を相手に押しつけることが出来ない。
自分の利益のために、争って、相手に
不利益を押しつけることが怖ろしくて、
申し訳が無くて、出来ない。
全て不戦敗で、一人自己嫌悪と不満に身悶えしている。

そして人が僕に、暗に言うには
「戦わないのが悪い」「どうして立ち向かわない?」


戦わないのが悪いのではないのか?
自分達の幸福のために相手を倒すこと、
弱者を殺すこと、それが賢い生き方ではないのか?

戦争が起こったときの周りの人達の
反応の方に僕はかえって当惑する。

それが、普段あなた達が僕に勧める生き方でしょう?

2003年03月20日(木)



 いつまで保つ 

いつ、「もう止めよ」って言い出すか
わからない・・・。相変わらずこんな感じ。

何のための付き合いなのか・・・

どうして僕ら、まだ連絡取り合ってるの?

「もう要らないよ。邪魔」
そう言ってくれれば良いのに。
どうして僕の方から離れていかなければ
いけないように、し向けるの・・・。
その程度の責任も、思いやりも、
与えるほどの価値が、僕にはありませんか?

どうして僕を引き留めたのか、わからない。
そしてどうしてそんなにあっさりと
突き放してしまえるのか分からない。

一度捨てた人間を、思いつきで拾って、
そしてまたあっさり捨てる。
犬にだって、そんなこと出来ないでしょう・・?




2003年03月08日(土)



 分からないよぉ

今の関係が、何なのか全然分からない。

普段、滅多に彼女からメールや電話を
してこないから、
「これって彼女は迷惑と思ってるんじゃないのか?」とか
思ったり、
「ちっ・・仕方ねぇな〜付き合ってやるか」とか
思われてたらどうしようとか思ってしまう。
その割にこっちからメールをすると、
反応は悪くないし、電話をすると、
普通に楽しく話して終わり。

「こんどネットをつなぐから、
メールアドレスとったら教えるね。」とか
「なんかあったら、些細でも良いから電話してね」
「実家の住所を教えるから、この間の写真送ってよ。」
とか終わらせるつもりなら言わないことを言うし・・・。

けれども彼女からはメールや電話はそうそう来ない・・・。

どういうつもりで、何を目論んで僕と連絡を
とっているのか分からない。
いや、この場合、連絡を「とらせて」いるのか分からない。

正直、ちょっと僕は疲れている。
僕との関係を繋いでいることの、彼女の真意が
全く見えないことに疲れている。

2003年03月05日(水)



 病気

僕はもともと医学部志望だったのです。

10〜15歳までイジメのお陰で、
僕は当時、
図書館の番人のような生活をしていました。
僕の興味のある本は文学・歴史(日本史)・医学の
三つだけでした。

その内、医学は
単なる興味というべきものではありませんでした。
当時、僕が死ぬのがとても怖かったのです。
それは異常でした。「心気症」というものに
近かったのだと思います。
自分の体の些細な変調に、
全く馬鹿らしいほどの死の不安を抱くのでした。

ホクロを見つけては皮膚ガン。
頭痛がすれば脳腫瘍。
なんでも無いところで転べば筋ジストロフィー。
目が充血すればエボラ出血熱なんてのもありました。

冗談ではなく本気で心配で心配でならず、
親に頼んで病院に連れて行ってもらって、
「何でもないですよ」と言われて帰ってきたことが
何度もありました。
いや、もともと僕は一年に一回、風邪もひくかどうか
と言う健康児でしたから、
病院に行くとしたら、ほとんどその不安が
襲ってきたときだけでした。

ゆえに僕は中学校の時はいつも図書館で
医学百科事典を読んでいました。

だから今でも人並み以上に医学の知識は
あると思いますし、診療情報管理士の資格を
得ようとしている友人に時々質問されて
教えているくらいですから、実際、あるのだと思います。

「死ぬ気で頑張れば」と言う言葉もあながちバカに出来ません。

臨床検査技師になろうと、大学受験直前まで
思っていて、他に進路は考えていなかったのですが、
高校の頃、自分は「頭がおかしい」と言う
感覚を急に感じ始め心理学に転向したわけです。

精神病について特に勉強するようになったのは
大学に入ってからでした。
それまでは鬱病もどんな病気かよく分かりませんでした。
精神病は「命に関わる」と言う感覚が
あんまりしないものなので、中学生の頃の僕の
興味には入らなかったのです。

僕の大学は臨床心理学の勉強は
ほとんど出来ないことが分かり、
(来年度から新しい先生が来て、出来ます)
統計心理学はあんまりやりたくないので、
専攻に選ばず、またもや、図書館で独学と言うことになりました。

しかし、数ある精神病の中でも
統合失調症は「実存的現象学」と言う
哲学の分野と非常に関わりが深く、
自分の専攻がその分野を含んでいるので、
特に、統合失調症についての知識は多く身につけました。
最低でも10冊は本を読んだと思います。
「目を通した」と言うくらいも含めれば
20冊は行くと思います。

僕の彼女の症状は
素人目から見ても統合失調症の可能性が高いです。
統合失調症ではない可能性もあるでしょうが、
客観的に、先入観抜きで考えてみても
その可能性は低いと思います。

接していて、話していて、
妄想以外に、特に目に付くことはありませんが・・・。
「知識だけあっても・・・。」と言う気持ちに
かられることがあります。

彼女が妄想について話し始めたときに
どう接してたら良いのか、
受け答えはどうしたらいいのか、
賛同すればいいのか、否定すればいいのか、
それとも受け流していればいいのか・・・。

知識なんて・・・と
いきなり彼女の恋愛妄想に直面して、感じます。

また、どこまでが病気で、どこまでが彼女なのか・・・
時々、彼女の病気の事を忘れてしまう(考えないでいる)
事もあるし、彼女の病気のことばかり意識してしまっている
時があります。

2003年03月04日(火)



 もう知らない

「もう知らないんだから・・・」

そんな感じの気持ちになって、
ちょっとひいてみたら、
なんだか気分が楽になった。

そう言ったら、彼女は少し喜んでた。

わかんない。
何を考えているのか、わかんない。
でも、もういいや。



気が済むまであっち向いてて良いよ。

僕は、あなたを好きなうちはあなたの背中を見てる。


あなたが振り向いた頃には、
僕はそっぽを向いてるかもしれないけれど、
そんなの僕は知らない。


これで、いいや。

2003年03月03日(月)



 僕の限界 

「好き」って言えば言うほど、
あなたの気持ちは僕から離れていって
しまうのだから、仕様がないでしょ?

はっきりさせなくても良い。
あやふやなままでも良い。
そう思っていたんだ。

でも、はっきり
「私は前の人のことを
忘れる気がない・・・のかも。」
「あなたを好きになる気が、ないのかも・・・。」
そう言われてしまったら、
僕はもうあなたの側にはいられないよ。

でも、ならどうして、
僕を側に置いておこうと思ったの?


損な恋愛してる。バカな男。
そんなの分かってる。
それでも良いと、頑張れると思ってた。
でも、そう言われたら、無理だよ。


2003年03月02日(日)



 一週間

ひとしきり泣いて、お酒を飲んで、リスカ・・・。

何カ月ぶりのリスカかな・・・
相変わらず、全然変わってないな俺・・・。

誤解していたのかな・・・

彼女にもっと覚悟があるのだと思っていた。
最悪でも、自分をごまかす覚悟を持って、
僕と付き合ってくれるのだと思っていた。

無いみたい。無理みたい。

どうしようもないや・・・
でもこれって残酷じゃない?

僕が「好き」って言えばいうほど、
彼女は「私は前の人が好き」と言うのだから、
どうしようもないよ。でも残酷じゃない?

僕が「この気持ちを大切にしたい」と言えば
「私も前の人を想う気持ちを・・・」って言うのだから
無理だよ。でも、残酷じゃない?

「好き」って言ってくれなんて思ってない。
「すぐに忘れてくれ」なんて思ってない。

でも「忘れる気がない」って言うのには耐えられない。
「忘れたくない」って言葉には耐えられない。


自分に、あるいは僕に、ウソをつく覚悟もないのに、
どうして、僕を呼び止めたのか・・・
明らかにウソでも良い、それでも、ウソが欲しかった。
僕はウソだって分かってる、それでも、ウソが欲しかった。

「元気でね」
最後に、必死で笑顔を作って別れたのに
どうして・・・。


「あなたと仲良くなりたいと思えば思うほど、
前の人を想う気持ちを大切にしたいって想いが強くなって・・・。」

それは、分かっていたことでしょう?
予想できていたことでしょう?
そうなることを予想していて、それでも・・・って思って
付き合ってくれるのだと思っていた。


結局、僕への想いというのは最初から全くなかったと言う
ことみたいです。好きでも何でもない。頑張る気もない。

要するに一言

「もったいない」


それだけ・・・・・。

2003年03月01日(土)
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