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■ innosence
清浄、潔白、無実、無邪気、天真爛漫、あどけなさ
お人よし、おめでたいこと
むじゃき 【無邪気】 (名・形動)[文]ナリ (1)あどけなくて、すなおな・こと(さま) (2)悪気やねじけた気持ちのない・こと(さま) (3)深い考えのない・こと(さま)
innosence という意味の中に 「清浄」という意味があることは知っていた。 そして自分は無邪気であるということ 清浄であることを、いままで、ひどく 美徳のようにイメージしていた部分があった。
きっと多くの人も 無邪気ということを よいイメージはなくとも決して 悪いイメージは持たないだろう。
でも、だんだん 自分は無邪気であるということは あるいは世の中でもっともいやらしく、 不躾で、間抜けな、それこそ俺らが抱いている イメージとはまったく違うものなんじゃないかと 思うようになった。
無邪気は子供のころだから こそ美徳となり、大人になったら ただの阿呆の条件となるのではないだろうか?
と言うのも 自分のコースの女の子の一人に そんな感じの子がいるんです。
その子の性質を「無邪気」と 呼んでいいかどうかには大変疑問は残りますが、 通例で言う無邪気の定義には 当てはまるいと思います。
つまりその子は 「空気を読む」と言うことをしないんです。 「言葉を選ぶ」と言うことをしないんです。 相手がどんな風に感じるか考えないんです。 そして常に本音で 思ったこと、疑問に思ったことを何でも そのまま言葉に出すんです。
そして、確かに悪気はなさそうなんです。
そう、悪気はない。 それだけを救いにこの子と、 友達づきあいをしてきたんですが、 どうにも耐えられそうにありません。
「本音で生きる」 それは確かにすごく良いことかも知れないけど しかし、それを常にぶつけられる こっち側としてはたまったもんじゃありません。 特に俺なんかはその対極の 生き方なので、その無神経なさまに どうしても怒りを抑え切れそうにないのです。
これは白痴か、 あるいは新種の精神病ではないだろうか? と、思うことさえたびたびあります。
悪気のあるなしが 人に対してひどく無神経であることの 弁解としてそれほど 大きなものとはなり得ないと思います。
果たして俺が彼女のようであったら どんな風だっただろうと考えると、 その無神経に対する他人の自分への復讐は 例えどんなものになろうと少しも抗議できない のではないだろうかと感じるんです。
もしこれが いわゆる「無邪気」というものの 真実の姿だったら、 こんなもんはただのアホか、狂人の行うことです。 もし彼女がもとからそう言う人だった場合は もちろん、敢えてそう言う風に装ってるんなら まして、こんな人とは友達づきあいは 出来ないと感じるんです。
俺は前にも書きましたが 女尊男卑な考え方で、 女の子に対してはかなり温厚です。 (この考え方自体の正当性はさておき)
そして普段から 滅多に怒りを表に現さない方なのですが どうにも限界が近いのを感じます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人間ってのは不思議なもので、 こうやって文章にしてみたり、 誰かに言ってみたりしてみると 改めて自分でもそのことが再認識されて 怒りが倍増してきます。
ちなみにこの「彼女」は 前に書いた俺が キレかけた相手のその子です。
2002年01月23日(水)
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