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JIROの独断的日記
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2007年02月28日(水) 【ワシントン・ポスト翻訳】「硫黄島の共感から得られた教訓」(政治評論家:ジョージ・ウィル)(1)

◆「硫黄島の共感から得られた教訓」(政治評論家:ジョージ・ウィル)

1945年3月9日、マリアナ諸島を飛び立ち、東京上空へ向った346機のB-29爆撃機は、1858トンの焼夷弾を投下した。

それは、日本の首都の六分の一を焼き尽くし、8万3千人もの人々を殺した。

当時の指揮官、カーチス・リメイ将軍は、後に、「その時に、我々は、後に広島と長崎で一瞬にして蒸発した犠牲者よりも多くの人々を東京で焼き殺したことになる」

と、書いている。が、それは、正しくない。広島の犠牲者だけでも8万人なのだ。

後年、リメイ将軍の伝記を書いたバレット・ティルマン氏によれば、

リメイ将軍は、その言葉から受ける印象以上に、東京大空襲の犠牲者に対する、同情心を抱いている、という。

「リメイ氏は、焼け落ちる家に残っている母を求めて泣き叫ぶ3歳の女の子の姿を思い出し、思い浮かべる事が出来るほどだ」

という。バレットは続けて「しかし、彼は軍人であり、国家の命令に従って、戦争に勝つために、多くの人を殺さなければならなかった」と書いている。

第2次大戦において、アジアやヨーロッパにおいて、アメリカは非戦闘員を大量殺戮する必要が、どれほどあったのか、

それは人道上許されることだったのか?という問題に関しては、激論が繰り返されている。

ヨーロッパ人に対する同情心は戦争中から既に存在していた。



しかし、日本人に対して、アメリカ人はドイツ兵に対するのと比較すれば、遙かに冷酷であった。

太平洋艦隊の司令官、ウィリアム・ハルシー提督は、「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、もっとジャップを殺せ」と部下を鼓舞するのが常であり、

それは、何ら問題とは見なされなかった。アメリカの敵を殺すのが彼の仕事だったとしても、その残忍さは殆ど病的であった。

ハルシーの残虐性の根底には、確信的なレイシズム(人種差別)があった。

彼は、よく、中国人が日本人をさげすむときに使う、「日本人はメスの類人猿ともっとも凶悪な男の中国人の罪人の子供だ」という表現を、好んだ。



戦時中、アメリカ西海岸のレストランには、しばしば、「当店はネズミとジャップは駆除致します」という札がかけられていた。

1943年、日本の敗戦はすでに明らかだったので、戦後、日本をどうするかという会議が米国政府が開いたときには、海軍の代表は、「日本民族を絶滅させるべきだ」

すなわち、大量虐殺を提案したのだった。(続く)

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