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JIROの独断的日記
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2004年02月28日(土) 「<訃報>網野善彦さん76歳=元神奈川大教授、歴史研究に影響」私にとっては、「網野さんのおじさん」なんですよ。

◆記事:<訃報>網野善彦さん76歳=元神奈川大教授、歴史研究に影響

日本史像の再検討を迫る独自の社会史的アプローチで歴史研究に大きな影響を与えた日本中世史学者で元神奈川大教授の網野善彦(あみの・よしひこ)さんが27日午前2時7分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。76歳。遺志により献体する。葬儀は行わない。自宅は公表しない

「無縁・公界・楽」(78年)、「日本中世の非農業民と天皇」(84年)などの主著は、歴史学界を超え、小説や映画「もののけ姫」など、幅広い分野に影響を与えた。

89年に編著「瓜と龍蛇」で、昨年は故石井進氏との編著「日本の中世 全12巻」で毎日出版文化賞を受賞した。(毎日新聞)[2月27日21時38分更新]


◆コメント:日本史の巨人は、本当にやさしい、楽しいひとだった。

網野善彦氏は日本中世史が専門だが、日本の歴史の見方全体に大きな影響を与えた、天下の大学者である。仮にノーベル歴史学賞というものがあったしたら(あるわけがないが)、研究対象が、日本であっても、間違いなく受賞していただろう。それぐらいの人なのだ。実は、私は、子供の頃から網野さんに何度も会ったことがある。網野氏の夫人と私の母が親友だから、お宅に遊びに行ったのだ。40年近くになる。

辞書に、聖人君子という言葉があるけれども、この言葉は網野さんのために存在するかのようだった。子供の頃は、高名な歴史学者であるということなどわからずに、私は、おじさん、おじさん、と呼んでいたが、頭のてっぺんからつま先まで紳士である。

それでいて全然堅苦しくない。本の原稿を執筆しながら、子供同士の会話を聞いていて、大きな声で笑う。私利私欲など一切ない。贅沢な家にも服にも社会的地位にも、そんなことは一瞬たりとも、興味を持ったことが無かった。好きな歴史の研究、とりわけ、古文書を読んでいるときが何より楽しいのだった。

網野さんは、日本の歴史を単一民族による農耕社会、と割り切る従来の歴史間に疑問を持ち、職人・海民・芸能民など、それまでの日本史学者が見向きもしなかった人々に光を当てた。一箇所に定住せず、移住を繰り返していたこのような人々によって、日本国内の文化的な交流伝播がさかんになり、文化的発展に大きく寄与した、と考えた。これは、はっきりいえば、現代においても差別を受けているような人々の祖先が、実は日本の歴史において重要な意味を持っていたことを実証したといっていい。

凡そ、学問において必要とされるのは、独創的な観点だが、網野史観はまさにそれであった。しかし、それは、決して、網野さんのおじさんが奇をてらっていたわけではない。

おじさんの、天衣無縫、子供のような純粋な心、人に対するやさしい心と、人並みはずれた知性のたぐいまれなる組み合わせが、このような学説を創り出したのだと、私は思っている。

亡くなったあと、自分の葬式で人に迷惑をかけたくないといって、葬式を行わないばかりか、手厚く葬られて当然なのに、医学の発展に寄与すべく、献体(医学生の解剖用に自分の遺体を提供すること)するという。

生きている間の業績だけでも、偉大なのに・・・。亡くなってから、まだ、人の役に立とうという・・・。

網野さんのおじさんのあの明るい笑顔はもおう、みられない。あの、笑い声も、もう聞くことができない。偉大な生涯だった。


2003年02月28日(金) ブッシュ、フセイン、金正日、ビンラディン、シャロンがいなければ、世界はかなり平和になるだろう。

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