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JIROの独断的日記
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2006年06月17日(土) 昨日、岩城さんの番組を見ました。もっと長生きして何度でも聴かせて欲しかった。

◆プロの音楽家の凄さを思い知らされました。

昨日、この日記で書いたことを撤回します。

つまり、1日でベートーベン全曲の演奏などしたら、疲労とともに集中力がとぎれ、演奏が粗くなるに違いない、と、私は書きました。

素人の知ったかぶり。浅はかでした。



昨年の大晦日から今年の元旦にかけて、9時間半ですか。演奏はN響のメンバーが中心で、日本で一番上手い人たちです。

上手いけれども、集中力が第9の最後まで保てるのだろうか? と、私は思っていました。

しかし、プロの集中力はとぎれない。決して汚い響きが出ない。アンサンブルが全然崩れない。

岩城さんとN響に感服しました。

プロの音楽家を私は心から尊敬することにおいて人後に落ちないつもりでしたが、昨日の抜粋を見て、聴いて、改めて驚嘆しました。



そして、全曲演奏するからといっても、一曲一曲はごくごく正統的な、岩城さんも言っていましたが、出来るだけ楽譜に忠実に、奇を衒うことがない。

それでいて、実に美しい。音が澄んでいるのですね。素人オケなどでは(そもそも比べるのが失礼ですが)考えられないほどピッチがピタリと合っているのでしょう。



また、故・朝比奈隆さんがよく仰っていたこと。

ベートーベンのシンフォニーはとにかく作品自体が極めて綿密に考えて作られているのだから、そのまま小細工を加えずに弾いて、吹いて、叩けばいいのだ(本当は、例えば、第3番「英雄」のトランペットとか、少し楽譜を細工した方がより自然になるところがあって、それは、変えるのが慣習になっているから、構わないでしょう)

という意味がおぼろげながら、私にも分かり始めてきたような気がしました。


◆岩城さんの言葉が貴重でしたね。

自分は現代曲ばかりやってきた。ベートーベンは演るけれど、あの怖い顔のおっさんが天上から「いい加減に弾いたら承知せんぞ!」と睨んでいるような気がして出来れば演りたくなかった。

でも演ってみたらやはり面白くなってきた。

ストラビンスキーとかメシアンとかバルトークばかりやっていたけど、彼らには悪いが、これらの作品では死ねない。

ベートーベンなら演っている最中に死んでもいいと思ったと。


◆「ドライブ」するのではなく「キャリー」するのだ

それから、これは、ずっと前から色々な本で岩城さんが書いているし、他の音楽家も同じ事をいいますが、指揮者は、オーケストラの「支配者」ではない。「先生」でもない。

若い頃岩城さんは来日したカラヤンに指揮のレッスンを受けていますが、そのときに、カラヤンは、

「君はものすごく表現しているが、君が振るとときどきオーケストラから汚い音が出る。力を抜きなさい」「(オーケストラを)『ドライブ(運転)』するのではない。『キャリー(運ぶ)』するのだ。」


と岩城さんに言いました。カラヤンはあちこちで、同じ事を言っていたようです。



ちょっとキザなんですが、カラヤンは大金持ちで自家用ジェット機を操縦したんです。それで、飛行機の操縦を習うとき、一番初めに教官がカラヤンに言ったのは、
「あなたが一番心がけるべきことは、飛行機が飛ぼうとするのをじゃましないことだ」


という一言だったそうです。

カラヤンは指揮も全く同じだと言うのです。「ドライブ」じゃなくて「キャリー」だというのはそういうことなのでしょう。



指揮者が突飛な曲の解釈をしてオーケストラを振り回してやろう、牛耳ってやろうと思っても、ダメなのです。

何故なら、オーケストラで弾いている一人一人のプレイヤーは、皆、何十年も厳しい訓練を経て音楽の勉強をして、自分の「音楽観」を持っている。

中学校のブラスバンドじゃないのです。そういう人達を振り回そうとしたら、相手はやる気をなくします。

プレーヤーの自主性を引き出して、なおかつ、知らない間に指揮者の個性が出てくる、というのが、名人というか、指揮者の目指す境地なのでしょう。

言葉で書くのは簡単ですが、それが出来るようになるまでにはやはりかなりの経験と、指揮者の音楽観、と勉強が必要なのでしょう。



私には分かりません。多分そうなのだろう、と観念的に理解した「つもり」になって書いているのです。

ご専門の方、鼻持ちならないかも知れないですが、今しばらくご辛抱ください。



前置きが長くなりましたが、岩城さんは、何度も大手術をして、昔のような大暴れが出来なくなって、力を抜くというのが分かってきた、という意味のことを仰っていました。

本当は、ご謙遜で、仮に病気をしなくても、きっと岩城宏之さんはオーケストラを「キャリー」出来る境地に達したことだろうと思います。


◆実にまっとうなベートーベンでした。

ホントに不思議です。

私は、ベートーベンのシンフォニーは何十回、何百回聴いたか分かりませんが、昨日は、また、とても新鮮に聞こえました。

前述したように、何のけれん味もない、それでいて、これぞベートーベンの本道だ、というような、実に美しい演奏でした。

あの9曲の演奏は、一つ一つを独立して、世界の何処に出しても恥ずかしくない、そういうレベルの名演です。


◆一つだけマニアックなことを書きます。

楽譜どおりに演奏するとはいっても、岩城さんが「第9」で以前から強硬に「楽譜通りに演奏しない」ことを主張している箇所があります。

これですが、所謂「歓喜の歌」を全コーラスが高々と歌い、一区切りつくところ。

歌詞はドイツ語で"Vor Gott"(フォル・ゴット。英語で言えば、befor God.)「神の前にて」という意味ですが、歌詞の問題じゃないのです。

これがスコアですが、赤い文字でティンパニと書いたのがティンパニのパートです。



Vor Gottの部分、最後の音。コーラスの全部のパートとオーケストラの木管・金管・弦、全て音を出している人達はフォルティッシモのフェルマータ(音を長く伸ばす)です。

ところが、楕円で囲ったところを見て下さい。

ティンパニだけ、ロール(両手を交互に非常に早く連打して持続音にする)はffで始まるのですが、何とディミヌエンド(音を段々弱く)の指示があり、最後はpp(ピアニッシモ)。

岩城さんは元来打楽器奏者でしたから、自分が第九のティンパニを叩いたとき、皆が思いきりフォルティシモで伸ばしているのに、自分だけディミヌエンドで、非常に欲求不満だったそうです。


◆ティンパニだけディミヌエンドの"Vor Gott!"

「どうしてベートーベンはティンパニだけにディミヌエンドをかけやがったんだ!」

というわけです。気持ちは分かります。

それで、ずっと後ですが、指揮者になってから、どうしても癪なのでベートーベンの自筆譜(のコピー)を確かめに行きました。

ベートーベンの手書きの原本というのは、とにかく、汚いので、何か間違いが見つかるかも知れない、と思ったのです。



そして、岩城さんが期待したとおり、これはディミヌエンドではない。アクセント記号(>)を写譜屋

(このようなスコア(総譜)から各楽器のパート譜を作る専門職)が間違えたのだ!と欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したそうです。

ただ、こう言うのは本当は音楽学者の仕事でして、演奏者が勝手に決めて良いのか?とか、すったもんだあったのです。

黛敏郎さんが「題名のない音楽会」でこの話をとりあげて、実際にティンパニがディミヌエンドする場合(つまり、従来の慣習どおり)と、

「岩城説」にしたがい、これをアクセント記号と見なし、ティンパニのロールもフォルティシモで続けた場合の両方を実際に演奏して比べる、ということになりました。

黛敏郎さんは岩城さんに賛成してました。「やっぱり、こっちの方が自然だよ」と。私もそう思いました。

けれども、世の中にはいろいろな意見があります。ここは、コーラスの"Vor Gott"を純粋に響かせる為に、ベートーベンは意図的にティンパニを抑えたのだろう、という人もかなりいます。

しかしながら、私は、それならば、他の大きな音を出す楽器、たとえば金管にもディミヌエンドがついているはずではないかと思うのですが、

実際には、先ほど書いたとおり、ティンパニ以外の楽器は全部フォルティッシモのフェルマータです。コーラスを際だたせるなら、こちらは何故、ffのままなのか。


◆最後の第九で岩城さんはティンパニにフォルティッシモで叩かせました。

やはり、ここでティンパニだけが、ディミヌエンドするのは耐えられないのでしょう。

昨日聴いた録音でも、この部分は「岩城説」を堅持し、ティンパニにフォルティッシモのまま、ロールを叩かせていました。

岩城さん、とうとう最後まで自説を曲げませんでした。面白かったです。


◆昨日(6月18日)は岩城さんの大親友、山本直純さんの命日でした。

岩城さんが亡くなったのが、13日。昨日は山本直純さんの命日なんです。



もしも「あの世」が存在するなら、岩城さんは久しぶりにナオズミさんに会って、さぞや積もる話があったことでしょう。

ガンで衰弱していた岩城さんがベートーベン全曲を振るというので、山本さんはきっと、ステージで岩城さんのすぐ傍で応援していたのではないかとおもいます。

岩城さんが自分で話していましたが、第九の4楽章でバリトンのソロが出る付近で、岩城さんは、一瞬棒を間違えて、余計な一振りをするところだった。

その右手を自分の左手が押さえたそうです。あれは、直純さんが助けたのじゃないかな、などと想像してしまいました。

夕べは二人であの世からテレビを見て、ナオズミさんと岩城さんの大親友が楽しく音楽談義に花を咲かせているのではないか。

そうだといいな、と考えたら、私は涙が止まらなくなってしまいました。


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