外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2006年01月14日(土) 「国家の品格」の著者、藤原正彦氏に関する補足的知識

◆「国家の品格」という本が売れている。
 

国家の品格という本が売れている。

 本の要約は主観が入るから、なるべく避けるべきだが、何も書かないと分からないので最小限のことだけ書くと、

 

「論理」一辺倒の西洋的合理主義はもはや限界に来ている。

 日本人は、新渡戸稲造が著した「武士道」にある「惻隠の情」「もののあはれ」という「情緒」を重んずるべきだ、



 ということになるのではないかと思うが、これはあくまでも、私の主観である。

 あまりにも当たり前ながら、本は、ひとりひとり、自分の頭で理解、

 あるいは反論を繰り返しながら読まなければ、評価を下せないものである。


◆「武士道」などという言葉が誤解を生ずると残念なので、敢えて知的財産権を侵害し、冒頭部を引用する。

 

 藤原さんは数学者で、作家、故・新田次郎氏の次男である。

 エッセイが多い。非常にユーモア、エスプリに富んでいて面白い。日本人でこういう文章が書ける人は少ない。

 ところが、かなり本好きの人でない限り、この「国家の品格」という本で 初めて「藤原正彦」という名前を知ったのではないだろうか。



 しかも、「武士道」とか、「惻隠の情」などという言葉を見ると、すぐに右翼ではないか、と先入観で判断するバカがいる。

 私は自らの日記を「JIROの独断的日記」と名付けたが、「国家の品格」はある意味で私などよりも遙かに「独断的」である。

 しかし、藤原正彦氏はそんなことは百も承知で書いている。

 自分の意見が時に極論であることを十分自覚しているインテリである。

 それは、「国家の品格」の冒頭を読めば分かる。

 本当はいけないのだが、引用させていただく。

◆【引用】「国家の品格」冒頭部

【引用開始】

◆私の確信

 これから私は、「国家の品格」ということについて述べたいと思います。

 我が国がこれを取り戻すことは、いかに時間はかかろうと、現在の日本や世界にとって最重要課題と思います。

 私は、自分が正しいと確信していることについてのみ語るつもりですが、

 不幸にして私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。

 もちろん私ひとりだけが正しくて、他の全ての人々が間違っている。かように思っております。

 もっとも、いちばん身近で見ている女房に言わせると、

 私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです。

 私はまったくそうは思いませんが、そういう意見のあることはあらかじめお伝えしておきます。

【引用終わり】


 これを読んでユーモアを感じますか?

 感じ取れる人は大丈夫だが、分からない人は、はっきり言って頭が悪い。


◆父上は故・新田次郎氏

 

 新田次郎氏のファンは殆ど男性なのではないか。山岳小説が多い。

 旧日本陸軍の遭難事故という史実を描いた、八甲田山死の彷徨は有名だ。



 ところで、先日終了したNHKの「プロジェクトX」の第一回は「富士山レーダー」をテーマにしたものだった。

 新田次郎氏は作家になる前は気象庁に勤務していた。

 そしてまさに富士山レーダープロジェクトの気象庁側の責任者だった人である。

 そのときの経験を題材にした、富士山頂 (文春文庫 新田次郎)がある。


◆新田次郎氏の奥さん、藤原正彦氏の母上も有名な本を書いている。

 

 新田次郎氏の未亡人、藤原正彦氏の母上の藤原てい氏が書いた、流れる星は生きている(中公文庫BIBLIO20世紀)という本は、単行本が出たのが、1976年である。

 これは、終戦当時満州にいた藤原ていさんが、夫と別れ別れになり、

 子供3人(藤原正彦氏は次男)をつれて命からがら、満州から北朝鮮を通って日本に引き揚げてくる時の、

 命がけの実話であり、大変評判になった本である。

 失礼ながら、この年代の日本人女性としては、極めて例外的と言って良いほど、冷静・明快で、構成がしっかりした文章で、大変驚く。

 なお、この本の文中、大きな川を渡るとき、泣いて嫌がった子供が、藤原正彦氏である。


◆藤原正彦氏ご自身は数学者である。

 

 随分沢山エッセイを書いておられるので、物書きと勘違いしているひとがいるが、それは失礼である。

 経歴を良く読みなさい。文庫本のカバーにも書いてある。

 東大数学科を出た後、30代の頃、独身でアメリカ・コロラド大学で3年間教鞭を取った俊才である。

 その頃のさまざまなエピソードを綴ったのが、若き数学者のアメリカ(新潮文庫)である。

 本人は出版などするつもりは無く、ただアメリカにいた頃に経験したこと、

 考えたことを文章にしていただけなのだが、それが父上の目にとまった。



 なかなか、面白いかもしれないというので、自分(新田次郎氏)の担当をしていた新潮社の編集者に読んで貰ったら、

「これは面白い」ということで、本当に出版され、処女作(エッセイ集だが)、しかも専門の物書きではないのに、

 日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

 これが、作家・藤原正彦氏の原点である。


◆私が読んだ中でのお薦め。

 

 藤原正彦氏はその後、夥しい数の本を書いていて、私も全部読んだわけではないのだが、

 かなりの確率で誰が読んでも面白いだろうと思うのは、次の通り。

 なお、藤原氏の本の題名には、「数学者の」という言葉が付いている場合が多いけれども、

 これは藤原氏の著書の「トレード・マーク」のごときもので、難しい数学の話ばかりが書いてあるのではない。

 ・数学者の言葉では (新潮文庫)

ここでは、藤原正彦氏の結婚前後の話がいくつか載っているが、下手をすると腹を抱えるほど笑ってしまう。従って、電車の中では読まないことをお薦めする。

・ 数学者の休憩時間 (新潮文庫)

 前半のクライマックスは、奥さんの出産に立ち会った時のこと。

 後半は、急逝した父上が小説取材のために赴いたポルトガルで、

 藤原正彦氏が、全く同じ経路(新田氏が詳細をノートに記録していたのだ)を旅する、追悼文・紀行文である。



 新田次郎氏は1980年2月15日に急逝したが、そのとき、毎日新聞に「孤愁-サウダーデ」という小説を連載していた。

 主人公は、ヴェンセスラウ・デ・モラエス(1854年5月30日 - 1929年7月1日)というポルトガルの外交官。実在の人物。

 神戸のポルトガル領事として着任するが、在任中にゲイシャ「おヨネ」と知り合い、

 おヨネの故郷・徳島に移り、一緒に暮らすようになる。

 1912年、おヨネに先立たれ、その後、かなり辛い日々だったらしいが、

 祖国を思いつつ1929年、徳島で死没。



 新田次郎氏はモラエスの生涯に大変惚れ込み、日本における取材はできるだけ済ませた後、

 モラエスの故郷、ポルトガルをかなり長期間取材旅行したのだ。



 「サウダーデ」はポルトガル語特有の情的概念で多国語には翻訳不可能らしい。



 数年前、ポップスの「ポルノグラフィティ」(グループの名前です)がこの「サウダーデ」を曲名にした歌をあっけらかんと歌っていたが、

 「サウダーデ」という概念に最初に着目したのは新田次郎氏なのである。



・ 遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス

 これは、海外駐在中、又は、海外永住を決めた日本人なら、誰が読んでも興味深く、

 少なからず、共感を覚えるであろう言葉が随所にある。

 例えば、

 

「外国に住む、とは、日本を常にそして過剰に意識することである。」(文字通りではないかも知れない)。


 他の人に訊くと必ずしもそうでもないらしいが、私には、ハタと膝を叩きたくなるほどの名文句だ。

 ケンブリッジに研究員として僅かに一年だが、滞在したときのエピソード。

 天下の大秀才・天才に囲まれた葛藤。

 私生活では藤原氏の次男が現地校でひどいイジメに遭い、それを克服するまでの話。

 最後は気持ちよく読み終えることができるが、とにかくこれは面白い。


◆要するに「国家の品格」だけで判断するな、と言いたいのです。

 

人間は単純ではない。

 ある人のある著書の、ある部分だけを誇大に強調し、その論理的破綻指摘して、「だから、こいつはダメなのだ」、

 というようなものの云い方をする人が非常に多いが、人の評価はそれほど簡単に下せるものではない。

 少なくとも、本人の主だった著書を併せて読むべきなのだ。

 藤原正彦氏に関しては、ご自身の体験も豊富だが、

 その上、個性が強烈なご両親の影響も考慮にいれないと、何故、「武士道」が出てくるのか分からないだろう。


2004年01月14日(水) 「空自先遣隊 バスラ空港を視察」 これで、東京はテロの攻撃対象になりました。

JIRO |HomePage

My追加