外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2005年10月27日(木) 靖国問題で政府答弁書決定 「戦犯」は存在せず 公式参拝であっても合憲←「戦犯」云々をわざわざ「閣議決定」する必然性が認められない

◆記事:靖国問題で政府答弁書決定 「戦犯」は存在せず 公式参拝であっても合憲

 

 政府は二十五日の閣議で、さきの大戦後、連合国によって「戦犯」とされた軍人・軍属らが死刑や禁固刑などを受けたことについて、国内法上は戦犯は存在しないとの見解を明確にした答弁書を決定した。

 首相の靖国神社参拝に関しては「公式参拝」であっても、宗教上の目的ではないことが外観上も明らかな場合には、憲法に抵触しないとの見解を改めて示した。

 いずれも民主党の野田佳彦国対委員長の質問主意書に答えた。

 答弁書は「(極東国際軍事裁判所やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した)刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と指摘。

 A、B、C各級の「戦犯」は、国内では戦争犯罪人とはいえないことを明確にした。

 この問題で自民党の森岡正宏厚生労働政務官(当時)は今年五月、「(戦犯とされた人々は)罪を償っており、日本国内ではもう罪人ではない」と発言したが、細田博之官房長官は「政府見解と大いに異なっているので論評する必要もない」と述べていた。

 また、答弁書は首相の靖国参拝に関し、「戦没者の追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく、宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合は、憲法二〇条三項の禁じる国の宗教的活動に当たることはない」との見解を改めて表明した。

 靖国参拝について藤波孝生官房長官(当時)は昭和六十年、「首相、閣僚が国務大臣としての資格で戦没者の追悼を目的として、靖国神社の本殿、社頭で一礼する方式で参拝することは、憲法の規定に違反する疑いはない」との政府統一見解を発表している。

 首相の靖国参拝をめぐっては、大阪高裁が拘束力を持たない「傍論」で靖国参拝を「公的行為」と認定。憲法の禁止する宗教的活動に当たるとしたが、政府見解はこれを真っ向から否定した。(産経新聞) - 10月26日2時47分更新


◆コメント:「戦争犯罪人」は戦勝国から見た概念であるから、国内法上「戦犯」が無いのは当たり前。

 

 戦犯とは東京裁判で、「人道に対する罪」「平和に対する罪」を侵したとされた人々のことである。元々連合国側が勝手に貼ったレッテルですから、国内法上「戦犯の概念」が存在しないのは当然です。


◆靖国参拝が違憲とされるのはまず、国の宗教的活動を禁じた、20条3項に反するからです。

 

 冒頭の記事は、戦犯の話と、同時にまた、靖国参拝が宗教色がなければ合憲だという二点に関した話が載っています。第二点目について。

 昨日の日記で引用したとおり、政府は、昨日の閣議で

「首相の靖国神社参拝に関し、追悼目的であることを公にし「2礼2拍手1礼」など神道の儀式を踏まなければ、公式参拝であっても憲法に抵触しないとする答弁書を閣議決定

したとのこと。

 冒頭記事の二点目は、昨日と同じ事を繰り返しているだけなので、私のコメントも変りません。

 内閣が内閣自身の行為の合憲性を「閣議決定する」権限は無いのです。宗教性の有無も含め、その判断は司法に委ねられるべきです。



◆「戦犯」が国内法上存在しない、ということをわざわざ喧伝する必然性が認められない。

 日本国憲法をはじめ、日本の国内法には、「戦争犯罪」という文言(もんごん)は一カ所もありません。

それはそうなのだが、そのことを閣議決定すれば、世界に報道されます。 そのことに、何らかのメリットがあるとは思えません。


◆「サンフランシスコ講和条約に今更ケチを付ける気か?」と受け取られかねない。

 

 サンフランシスコ講和条約は、原語で "Treaty of Peace with Japan"(日本国との平和条約)といいます。

 1952年4月28日に発効(法的効力を持つ)しました。それまで、この条約に調印した国々と日本は、国際法上はまだ戦争状態にあったのです。

 この条約はその状態はもう終わりにしましょう、という条約です。 サンフランシスコ講和条約の最初の条文は、こうなっている。

 

「日本国と各連合国との間戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。」

 つまり、「日本がこれに調印すれば、他の条約締結国と、日本との「戦争状態」は終わりにしようと、いうことですね。
 その代わり、戦争中、日本の武力攻撃により、迷惑している国もあるから、日本もこの条約で定める条件、謂わば「交換条件」を受け入れろ、ということです。

日本でしばしば物議をかもすのは、11条です。

第11条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

 ここで、「戦争犯罪」という文言が使われています。

11条は日本に対して、日本は戦争犯罪を犯したことを認めなさい。と。東京裁判の判決を受け入れると云いなさいと要求している。

 これが先ほど述べた、日本の国際社会への復帰のための「交換条件」の一つなわけです。


◆兎にも角にも、それに対して、日本は「わかりました」と応じたのです。

  

 応じるとは、「サンフランシスコ講和条約に調印すること」(正しくはその後批准すること)です。そして、日本はやむを得ないということで、調印しました。

  国内法に戦犯に関する規程が無いのは、間違いではありません。

  また、東京裁判の国際法的有効性に対する疑問は、靖国神社は何故問題になるのか「入門編」で書いたとおり、私は十二分に承知しています。

  しかし、兎にも角にも、国際法的には「戦争犯罪人」の存在を日本は認めているのです。それがサンフランシスコ講和条約を締結した、ということなのです。


◆「国内法上」とはいうものの、誤解を招きやすい閣議決定をわざわざしなくてよい。

 

 「国内法上」と但し書き(法律用語の「但書」の意味で使っているのではない)を付けているとはいえ、「戦争犯罪人はいない」という公式のコメントを日本国が発するということは、

 下手をすると、サンフランシスコ講和条約の東京裁判に関する第11条に抗議しようとしていると受け取られかねない。

 非常にミスリーディング(誤解を招くような)なステートメントです。

  戦後、国際社会における立場が弱いときには、おとなしく条約を受け入れておいて、それから、53年が経ち、世界第2位の経済大国で世界第3位の軍事大国になって、いきなりこのような閣議決定を発表しなければならない、必然性が認められません。

 あたかも、日本国が「あの、サンフランシスコ講和条約の11条はおかしいのではないか?」と文句を付けようとしているかのごとき「印象」を他の条約締結国に与える可能性は十分にあり、それは、日本に取って何のメリットもない。

  こういう「余計な」閣議決定はするべきでも、発表するべきでもありません。


2004年10月27日(水) 「極東条項の見直し求めず」「牛肉輸入、安全配慮し進める」地震騒ぎの間に大変なことをパウエルと小泉が。
2003年10月27日(月) 「太陽に巨大黒点2個出現 地球直径の10倍の大きさ」 地球にも影響を及ぼすのである。

JIRO |HomePage

My追加