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JIROの独断的日記
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2005年08月15日(月) 「きけ わだつみのこえ」を読んだことがありますか?(その2) 書き写したから読んでみて下さいな。

◆読んで下さいと言っても、なかなか読んでもらえないようなので・・・。

 

 表題に「(その2)」を付けたのは何故かというと、「きけ、わだつみのこえ」に関してはちょうど2年前にも書いたからである。

 二年前は、まだ、この日記(今はココログとエキサイトブロッグにも同じ文章を載せている)は、今ほど多くの方に読んで頂いていなかった。

 今は、有難いことに、何百人もの方が毎日、駄文に目を通してくださる。

 そこで、再び、「『きけ、わだつみのこえ』を読んで下さい」と訴えたい。

 私が読んだ本の中で、これほど「戦争の悲惨」を強く、直裁的に、読者に訴える書物は他に無いと思うからである。今回は、2年前よりも手間をかけた。原文を引用する。


◆「きけ わだつみのこえ」とは何か。 

 

 この本は何かというと、戦没学生の遺書を本にまとめたものである。右も左も、何の宗教も関係が無い。

 太平洋戦争後期から、一般の大学生が徴兵された。学徒動員という。

 6000人もの10代・20代の若者が無理矢理(表向きは非常に「名誉なこと」と言わなければならなかった)特攻隊に「志願」させられた。

 「どうせ」敵艦につっこんで死ぬ訳であるから、片道分の燃料しか積まない戦闘機に乗り、飛行機ごと、敵陣に突っ込んで「玉砕」した。

 しかし、多くは、相手に突っ込む前に敵に打ち落とされた。全くの犬死であった。 

 亡くなった若者の多くは、いざ明日出撃する、つまり、「明日自分は死ぬのだ」、と確実に分かっている状況で、驚くほど理路整然と、如何に戦争が下らないかを説き、一刻も早く日本はこのバカな戦争を止めるべきだと訴えている。

 「きけ わだつみのこえ」は複数の出版社から刊行されている。

 どれでも良いが、一番手に入りやすいのは岩波文庫である。

 また、最近、電子書籍になっていることを発見した。

 電子書籍というのは、規格が統一されていないので、苛立たしいところがあるけれども、これは、e-booksである。

 ここに、新版 きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記及びその第二集がある。


◆そうはいっても、お金を払ってまで読みたくないと言う人のために、私が引用します。

 

「きけ、わだつみのこえ」の冒頭に掲載されている、あまりにも有名な名文を、途中一部カットして、そのまま転載させていただく。

 著者は、 上原良司(うえはらりょうじ)氏。

 1922(大正11)年9月27日生。長野県出身。

 慶應義塾大学予科を経て、1943(昭和18)年、経済学部入学。

 1943年12月1日、松本第五〇連隊に入隊。

 1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊員として、沖縄嘉手納湾の米機動部隊に突入戦死。陸軍大尉。享年、22歳。


◆この格調高い文章を書いたのは22歳の青年である。この青年は翌日、沖縄の海に散った。

 

以下、引用する文章を読むにあたり、よーく覚えておいていただきたいのは、
 


  • この文章を認めた青年は、翌日、自分の生命が、国家の強制により確実に失われることを知っていた(つまり、完全に死を覚悟している)、ということ。

  •  この文章を書いたとき、僅か22歳だったこと。その驚くべき精神的習熟。すでに確立した、自己の思想を持っていた、ということ


 である。

 【引用はじめ】
 所感

 栄光有る祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきを痛感いたしております(引用者注:筆写の本心は正反対だが、とりあえず、冒頭にこのようなことを書かないと、検閲にひっかかり、家族の手に届かない恐れがあったのだ)。

 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは、自由主義者と言われるかも知れませんが、自由の勝利は明白の事だと思います。人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられているがごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つということは、彼のイタリアのクローチェ(注:イタリアの哲学者。1986-1952)も言っているごとく真理であると考えます。

 権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後に敗れることは明白な事実です。我々はその審理を今次世界大戦の枢軸国家(日本・ドイツ・イタリア。つまり、三国同盟を結んだ国)において見ることが出来ると思います。ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツはまた、既に敗れ、今は権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

 真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示した如く、未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。自己の信念の正しかったこと、この事はあるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが、吾人(引用者注:「我々」の意)にとっては嬉しい限りです。現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

 愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても方で風を切って歩く日本人、これが私が夢見た理想でした。

 特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言ったことは確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向って吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性を持って考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば、彼らの言うごとく自殺者とでも言いましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も言う権利もありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。

 こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれたことを光栄に思っている次第です
。 

 飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。

 愛する恋人に死なれたとき、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

 明日は出撃です。

 勿論発表すべきことではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。なにも系統だてず、思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。

 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後ろ姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

 言いたいことだけを言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で。

 出撃の前夜記す

 【引用終わり】


◆コメント:これでも、日本の憲法を変えて、戦争が出来る国に逆戻りするべきだと思いますか?

 

 最近は、想像力の乏しい若者が多い。

 戦争がいかなる悲劇かをよく考えないで、日本に集団的自衛権の行使を認めるべきだとか、交戦権を認めるべきだとか、核武装するべきだとか、、好戦的な主張をする人がいる(それ自体は、今の日本では思想の自由を侵してはならないから、許されることなのだ。残念ながら)。

 しかしながら、上に引用した、故・上原良司氏の文章を読めば、「戦争になると、国家は個人に対して、どんなにやりたいことがあっても、どんなに大切な家族がいても、死ぬことを強要する」、と言うことが分かる筈である。22歳にしてこれほど、思想を錬磨した優秀な人材が、何千人も無駄に死なされたのである。それが戦争である。かかる悲惨が繰り返されて良いとは私には思えない。
 上原氏の文章を読んで、なお、「戦争をしたい」という人は、気の毒だが知能が低いか、人間の悲しみを理解する感受性が欠落しているのではないかと思う。

 上原氏の遺書は、何百ページにもわたる「きけわだつみのこえ」の、最初のたった一文だけである。このあと、延々と、涙なくしては読めない文章が続く。

 日本を戦争が出来る国に逆戻りさせたいと考える思想の自由は認める。しかし、そう主張する前に、きけわだつみのこえは読むべきである。

 それでも、戦争をしたいのなら、戦争になったら、まず自分から志願して下さい。と申し上げる。 

 もう一つ。

 小泉内閣の支持率が上昇しているそうだが、彼は憲法九条を改正し、自衛隊を軍隊を呼び、日本の集団的自衛権の行使を認めようとしている人物であることを、思い出していただきたい。


2004年08月15日(日) 「米国務長官、憲法9条再検討の必要性を指摘」黙れ。日本国の最高法規に口を挟むな。
2003年08月15日(金) 今日は終戦記念日である。「きけ わだつみのこえ」を読んだこと、ありますか?

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