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JIROの独断的日記
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2005年05月04日(水) 「被害者の知人」だといって、JR職員をこづき回している男がいた。いい加減にしなさい。

◆被害者側の立場に「のみ」立った扇情的報道、行動は止めろ

 

 今日の夕方、日本テレビのニュースを見ていたら、ひどい映像に出遭ってしまった。

 先週の列車事故の被害者の「知人」だ(遺族ではない)と称する男が、現場の献花台に控えているJR西日本の職員の頭を小突き、髪の毛を掴んで揺さぶり、挙げ句に胸ぐらを掴んだ。その間、ずっと聴くに堪えない罵声を浴びせているのである。

 「ワシの知り合いはのー。おまえらに殺されたんじゃー。よくも平気で生きていられるなおまー。挙げ句に運転手が(事故列車に)乗っていたのにそのまま逃げたそうやないかー。敵前逃亡やでー。」という調子である。


◆あら探しもいい加減にしろ。

 

 被害者の知人? それが何を偉そうに?

 なんだよ、「敵前逃亡」ってのは?

 どの新聞もマスコミも申し合わせたように、事故車に乗っていた運転士が救助活動をせずに、業務に向かったことをけしからん、と云う。

 それは、おかしい。

 運転士であり、自分の乗務があれば、普通そちらに向かうだろう。

 行かなかったら、出るべき電車が出なくなる。そうなったらなったで、マスコミや世間は文句を言うに違いない。

 「現場で救助活動にたずさわり、自分の乗務を忘れた運転士が二人いた」と。



 自分に当てはめて想像してみることだ。

 現場から勤務に向かった二人の運転士がけしからんという人。仮に、自分が運転士でなくてもよい、今の職業で現場に遭遇し、その朝大事な会議があったとして、自分が欠席したら会議にならないという状況で、おまえさんは、「自分ならば、それでも救助を優先した」と、全く迷うことなく言い切れるのか?


◆「被害者側の人間なら」暴行を働いてもよいのか?

 

 日テレのニュースに映ったオヤジのけしからんことは、罵声を浴びせるばかりでなく、JR西日本の職員に対して、明らかに物理的に暴力を振るっている、と言うことである。

 この様子では、多分、テレビではさすがにまずいというので放映しないが、本気でJR職員を殴った奴が、何人もいることだろう。

 しかも、遺族でもない。被害者の知人だという。JRの職員が絶対に口答え出来ないこと、抵抗しないことを知った上でやっているのだ。

 事件が悲惨だったら、「被害者側」の人間は何を言っても、何を行っても許されるのか?

 今度殴られたら、JR職員は警察を呼べばよい。暴行は歴とした犯罪だからだ。人を殴った人間は、暴行の罪で刑罰を受けるのだ。

 「被害者の知人」だからJR職員に暴行を働いても良いのか?

 良くない。全く良くない。たとえ遺族でも、良くない。

 被害者側の人間ならば、JR職員に暴行を働いても構わないというのであれば、全ての被害者の勤務先の全社員、通学していた全ての学校の全学生は、無条件で、JR西日本の職員をぶん殴っても良い、という理屈になる。そんな無法な状態が許されないことは自明である。

  事件の悲劇性と、暴行の違法性とは全く別個の問題である。

 そして、「自力救済の禁止」(仕返し、仇討ちをしてはならない、ということ)が近代法治国家の大原則であることぐらい、高校生でも知ってるだろう。

 事故が起きて辛いのは、遺族だけではない。 

 JR西日本の職員やその家族まで、肩身の狭い思いをしているのだ。その一人一人には責任はないにも関わらず。

 それなのに、家族は、嫌がらせを受け、子供が学校で虐められたりしている。

 繰り返すが、JRは決して抵抗・反論出来ないと分かっていて、これに対して様々な精神的・肉体的苦痛を加えるのはいくら事件が悲惨だったからと言っても、卑怯だし、法的にも許されない行為なのだ。


◆扇情的な報道が、さらに感情的な行動を惹起している。

 

 腹立たしいのは、JR職員に暴行を働く男ばかりではない。、献花台に立っていたJR西日本の職員が殴られるのを、「これは美味しい画像(え)だ」(嫌な言い方だが、これがマスコミの本音だろ?)とばかりに、カメラに納め、暴行を止めなかったテレビ局の職員。そういうのを下司(げす)な根性というのだ。

 単に下司では、済まない場合もある。

 法的責任が問われるかも知れないのだ。幇助(ほうじょ)という。

 状況によっては、暴行罪の幇助犯(共犯の一種、他人の犯罪の実行を容易にすること。見て見ぬふりをして、暴行を止めなかっただけで、幇助とされた判例もある)になるかも知れない。

 法的云々はともかく、このような映像を流しておいて、これはいけませんね、という「キャスター」はいなかった。

 つまり、少なくとも日本テレビは、この暴力を妥当であると考えているのだろう。その態度が間違っている。


◆繰り返す。マスコミは、事故の本質に関わる、重要な客観的事実だけを伝えよ。

 一昨日書いたばかりだが、マスコミは、視聴率を求める余り、センセーショナリズムに走るべきではない。今は、大新聞や主要テレビ局までもが、週刊誌風ゴシップ記事(に使える事実)を探すのに血道をあげているが、それは、不幸な人間を増やすだけだ。全く関係の無い視聴者まで、不快にするだけの情報を流すぐらいならば、事件の最終調査結果が出るまで、何も伝えない方が良い。


2004年05月04日(火) 「イラクで女性収容者を裸でビデオ撮影−米紙が軍内部報告入手」こういうのをアラブ諸国の民主化っていうの?ブッシュさん?
2003年05月04日(日) マスコミの実態

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