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JIROの独断的日記
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2005年02月23日(水) 「特ダネは、やはり気持ちいい。」 (テレビ朝日のメルマガ) 他人の不幸で食っている人々。

◆テレビ朝日報道局のメールマガジン「報道ブーメラン」より。

「特ダネは、やはり気持ちいい。昼ニュースのデスクが本業だが、22、23日の昼のANNニュースはともにトップ項目は特ダネだった。「NHK職員が痴漢で逮捕」と「陶芸窯で遺体を焼いた事件に関係した男が拘置所で死亡」だ。現場記者の努力が実を結んだ瞬間。その時間を共有できたことに喜びを感じる。中立、公正は当然だが、躍動感あるニュースを発信できるようこれからも精進したい。」


◆コメント:気持ちいい・・・ですか。他人の不幸がそんなに嬉しいですか。

 

マスコミの現場の人間の言葉を読みたくて、いくつか、メルマガを購読している。

 ブンヤ(マスコミ)というのは、こういうものだ。と分かってはいたものの、こういうことを何の疑いも躊躇いもなく書いてしまう人たちの神経は、やはり、常人(少なくとも私)とはだいぶ違う。

嫌だなあ、とおもうのは、マスコミ(報道)の人間というのは、世の中の不幸な出来事がメシの種なのだ、という、どうしようもない現実である。

 特に社会部がその本質から、「事件・事故」を期待する人々になってしまう。


上の例で云えば、NHKの職員が痴漢をした。痴漢をした本人は悪いに決まっている。

 しかし、本件に限らず、痴漢で捕まる人間がいる場合、被疑者に家族がいたとしたら、地獄だ。

 妻は、「痴漢の妻」として、他の奥さん達の井戸端会議の格好の標的となる。社宅にでも住んでいたら、針のむしろだろう。

子供はもっと可哀想だ。「痴漢の子供」としていじめられるだろう。そういうこと、想像しませんか?

痴漢は、繰り返すが、もちろん、被疑者が悪いのだが、このような「事件」は、無かった方が良かったに決まっているではないか?

「事件」がなければ、不幸な人が生まれなくて済んだ(うっかり、NHK職員の有罪が確定したかのように書いてしまったが、 云うまでもなく、当のNHK職員はまだ被疑者であり、有罪の判決が確定するまでは、「無罪」が推定されなければならないことを、忘れてはならぬ)。

ところが、テレビ朝日のこの「デスク」らしき人物は喜んでいる。

 「他人が不幸になることをいち早く世間に言いふらすことができたこと」を、喜んでいる。

悲しい。

ついでに嫌味を言わせてもらうが、性犯罪に関して云えば、テレビ朝日には数年前、連続レイプ魔がいた。

 痴漢どころではない。ニュースになったときには懲戒免職になっていたが、犯行時はテレ朝の社員だったはずだ

 だから、テレ朝は、あまり偉そうなことは云えないと思うのだが。
なぜ、この「デスク」が喜んでいるかというと、絶対、彼らは認めないだろうが、民放の報道局というのは、NHKにたいしてコンプレックスをもっているからである。それは、我々の想像を遙かに超えている。

しかし、「気持ちいい」は言い過ぎだ。

 「陶芸窯で死体が焼かれた」事件だって、「そんなことは起きなかったほうが良いに決まっている」、という、あまりにも当たり前の感覚を忘れているところが怖い。


「躍動感のあるニュース」ねえ。

私はもう、うんざりだ。こんなニュースが無くなるのが、世の中の理想ではないのか?(現実の世界から、一切の事件が無くなることなど、永久にないのは、私は百も承知である。それでも「理想」を書いているのだ。念のため書き添える。)

毎日毎日、人殺しがある。

 性犯罪がある。 

 事故で人が死ぬ。

 有価証券報告書虚偽記載で検察に取り調べを受けていた人物が自殺する。

こんなことは、すべて「無いにこしたことはない」ではないか。

デスクには、こう、書いて欲しかった。

「このような、悲惨な事件を伝えなくても済む世の中がくることを、たとえ、無理だと分かっていても、祈る」と。


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