外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2004年11月04日(木) キリスト教原理主義と大統領選挙。宗教の名の下に人を殺す人間の滑稽さ。

◆キリスト教原理主義という、正気の沙汰とは思われない、一大勢力。

 

 アメリカの有権者をごく大雑把に二分すると、社会的保守、とリベラル(自由主義)になって、共和党は保守であり、今回の大統領選挙は、だから、つまり、保守の勝利なのだが、そのかなりの部分を占めるキリスト教原理主義者という、調べれば調べるほど困った連中がいるわけである。

 しかし、とにかく、今回(前回もだが)ブッシュが勝った一つの大きな要因は、この訳の分からない連中を味方にした、ということだ。ブッシュ自らもキリスト教原理主義者である。

 本件に関しては、米国について日頃から論じている人たちにとってはイロハのイだが、一般にはあまり知られていないかも知れないので、あえて書く。

 知っている人は読まないで結構です。


◆キリスト教原理主義者が絶対とあがめる「真実」笑うよ。


  1. 聖書の絶対不可謬性(聖書には、絶対に間違ったことは書いていない、ということ)
  2. キリストの処女降臨 キリストの母聖母マリアは、処女のまま妊娠して、キリストを産んだのだ、ということ。妊娠したことを、天使ガブリエルがマリアに告げる瞬間を「受胎告知」といって、エル・グレコはいうまでもなく、数えきれぬほどの画家が、画題にしている。
  3. 人類の罪に対するキリストの代理贖罪((キリスト教の教義の一。自らではあがなうことのできない人間の罪を、神の子であり、人となったキリストが十字架の死によってあがない、そのおかげで神様と人間とが和解できたのだそうです。)
  4. キリストの身体的復活
  5. 地上へのキリストの降臨

 

 4と5になると、ただごとではない。キリストの肉体が本当に物理的に復活して、地上に降り立つのだそうだ(くどいようだが、これを本気で信じている人間が、アメリカには大勢いるのである。因みに今は、21世紀である。)


◆キリスト教原理主義者の狂信性


  1. 進化論を否定する。進化論を学校で教えることを止めろ、と本気で主張する。
  2. 中絶禁止。生まれてくる生命を殺すのは殺人だ、といって、中絶手術を行う産婦人科医を銃殺することもある。胎児は殺してはいけないが、産婦人科医は殺しても良いと考えているわけで、その滑稽さに気がつかない、低脳。
  3. ブッシュがイラク戦争の正当性を主張してゆずらないのは、キリスト教原理主義は善悪二元論で、アメリカが善でフセインその他は悪だ、という、合理性に欠ける狂信的な信念によるものである。

 次のような記事がある。

 

「実際、フセイン打倒の先頭に立っているのが、南部のキリスト教原理主義勢力である。2002年11月24日には、テキサス州南部サンアントニオのキリスト教会で、「イスラエルをたたえる夜」と題した集会が開催され、テレビ伝道師のジョン・ヘイギー師(コーナーストーン教会)が次のように語っていた。

 「フセイン(イラク大統領)よ、よく聞け。ホワイトハウスにいるテキサス人(ブッシュ大統領)が、おまえを必ず引きずり降ろす」

 ヘイギー師は、ブッシュ大統領がテキサス州知事時代に親交を持った実力者で(→[ブッシュとキリスト教原理主義])、イスラエルの右派政党リクードとも関係が深い(『毎日新聞』2003年1月6日付朝刊)。」


◆今に始まったことではないが、宗教を理由に殺し合うという矛盾、滑稽。

 キリスト教の聖典は聖書で、マタイ福音書(マタイ伝)の始めのあたりに、有名な言葉が載っている。



 されど、我、汝らに告ぐ。汝らの仇を愛し、汝らを責むる者の為に祈れ、と。


 

 この一言だけで十分だ。キリスト教原理主義に限らず、キリスト教徒であるならば、聖書の教えに忠実に生きているはずですから(建前は)、他人を攻撃することなど、もってのほか。神を冒涜する行為の筈である。

 しかしながら、実際には、十字軍までさかのぼるまでもなく、現代において、日本の何百倍ものキリスト教徒がいる国々が核兵器やその他の大量破壊兵器を持っていて、アメリカは太平洋戦争が終わってからもずっと、どこかで戦争をして人を殺している。

 キリスト教原理主義は「聖書の絶対不可謬性」を前提とするのでしょう?

 ならば、どうして、人を殺せるんだよ?


◆イスラム教(アラブ)も似たようなもの。

 

 イスラム教徒も「異教徒を殺す」としばしば口にする。これは、おかしい。

 そもそも、イスラム教の教えでは、世界は全てアラーの神が創り給うたものであり、人間も当然世界の一部だから、これを殺すということは、神の創造物をぶっ壊しているわけで、バチ当たりな行為なのだ。

 自爆テロも同様。「自分」も世界の一部なのだから、勝手にこわしては(自殺しては)いけないのである。



 結局のところ、どの宗教も本来、人を救うためにあるのだが、信仰を持つ(と自分では思っている)連中は、自分の都合のいいように曲解して、人殺しの正当化事由にしているのだ。こんなことなら、世界から一切の宗教が無くなった方がマシである。


◆信仰を持つのは何故か。

 

 人間が、信仰を持ちたがるのは何故かというと、「如何に生きるべきか」ということを考えないで済むからである。

人間にとって「如何に生きるべきか」を考えることほど面倒なことは無い。信仰をもつと、「ああしなさい、こうしなさい。そうすれば、救われます。」と断定してくれる。ここが重要である。

 日本では、天下の秀才が、何故、見るからに怪しげなオウム真理教などに入信して、地下鉄サリン事件の実行犯にまでなってしまったか、ということについて、色々説明があったが、これも同じことで、麻原彰晃の言う通りにしていれば救われる、と確信してしまえば、楽になるからである。

 ブッシュは学生の頃からものを考えるのが大嫌いだったという。面倒くさいのだ。そもそもそのような人物が政治家になること自体が間違っている。我が国の総理大臣も同様だ。だから、バカ同士、気が合うのだろう。


2003年11月04日(火) 「留学生ら意識に欠けた」西北大学事件で 外相←日本で人殺しをしている中国人の意識はどうなんですか?
2002年11月04日(月) 安倍官房副長官の方が首相よりも毅然としている

JIRO |HomePage

My追加