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JIROの独断的日記
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2004年09月01日(水) 30年前、丸の内でテロがあった。

◆記事:三菱重工爆破事件

昭和49年8月30日昼過ぎ、東京・丸の内にある三菱重工ビルの正面玄関前に仕掛けられていた時限爆弾が爆発した。この爆破の5分前、同社に爆破の予告電話があり警備員らが捜索しようとした矢先であった。この爆破で三菱重工ビルはもとより、近隣のビルの窓ガラスが破壊され、お昼に外食で歩いていたサラリーマン、OLらは空から降ってくるガラスの破片で重軽傷を負った。

爆破事件から一ヶ月後、「東アジア反日武装戦線」が反抗声明を出す。東アジア反日武装戦線は斉藤和(都立大学中退)と友人の佐々木則夫が昭和46年に結成した。《アジアの発展途上国に進出する日本企業を日本帝国主義の走狗》としアジアや南米など発展途上国に進出する日本企業を攻撃することを目的とした「新左翼」の集団であった。東アジア反日武装戦線の組織は『狼』、『さそり』、『大地の牙』の3グループに編成され、メンバーが逮捕された場合は青酸カリで自決するように指示されていた。

その後、昭和50年8月4日、日本赤軍の西川純、日高敏彦ら5人がマレーシアのアメリカ大使館とスウェーデン大使館を占拠し日本政治犯の釈放を要求。指名された8人のうち佐々木則夫を含む5人が超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流した。

さらに52年9月28日、日本赤軍の日航ハイジャック(ダッカ事件)で大道寺あや子、浴田由紀子ら6人が同じく超法規的措置で釈放され日本赤軍に合流した。残った大道寺将司、益永利明は昭和53年11月12日、東京地裁で死刑判決。黒川芳正に無期懲役が言い渡された。

「超法規的措置」で釈放したのはテロに屈したことを意味し国際社会から非難の声が高まった。


◆コメント;都心でテロが発生したことがあるんだよ。1974年に。但し、犯人は日本人で、後になんと、釈放された。

 

私は既に中学生だったから、この大事件のことは、はっきりと記憶に残っている。

とにかく新聞の写真は悲惨だった。今は何というのか、耐久性の強いガラス、若しくは、自動車のフロントグラスのように割れても、こまかい粒になるようなガラスが開発されているが、このころの丸の内のビルなんて、まさか、日本人が日本人を無差別に爆弾で殺すなんて、想像だにしなかったから、爆風が、道を歩いている人の体中に突き刺さって・・・。本当に気の毒だった。

足を吹き飛ばされた人の生々しい写真が新聞に載っていて、嫌でも目に入ってしまった。子供心に、こんな事をして世の中が変わる、しかも「良くなる」訳がないだろう、と思った。そもそも「良くなる」とはどういうことなのだ。自分たちが勝手に描いた理想を他人に強要するために無垢な人々を殺戮する、テロリストは卑怯者だ。


◆昔から腰抜けの日本政府。

 

しかし、何とも腹立たしいことに、このテロの実行犯達は捕まって、八つ裂きにしてもまだ飽き足らないというのに、後に、仲間がハイジャックで、テロリストを解放しないと人質を殺すというので、超法規的措置という全然訳の分からない政府の決定により、多くの無辜の市民を殺傷したテロリストのガキどもを釈放したのである。日本現代史の恥だ。


◆私の知る限りで、少しは気持ちが慰められる、いくつかの逸話。


 

テロが起きたとき、道を歩いていた人は、皆ガラスで、血だらけになった。しかし、それでも、殆どの人が、もっとひどいけがをして出血の激しい負傷者を、自分のネクタイやシャツを破いたもので、出血箇所を縛り、救急車が来るまで、手当をした。きっと当時のサラリーマンにはまだ、戦争体験者がいたからね。それも影響していたと思う。今、同じ事が起きたら、どうなるだろうか。怪我人を携帯で写真に撮ったりする奴がきっといるのだろう。


◆犠牲者の息子に、ニニ・ロッソがトランペットを贈って励ました。

 爆風の直撃を食らって即死した、働き盛りのサラリーマンには、中学生の息子さんがいた。息子さんは、中学のブラスバンドでトランペットを吹いていた。彼が、事件の後に、お父さんの思い出を書いた。30年経っても、私はその内容をはっきりと記憶している。



 

「僕が中学校でトランペットを吹きたいと、父に言ったとき。父はあまり良い顔をしなかった。

『男子は音楽などよりも体育に励め』というのだった。しかし、僕はどうしてもトランペットが吹きたかったので繰り返し、ねだった。
ある日、父が新品のトランペットを買ってきてくれた。(中略)文化祭でブラスバンドが演奏する時間になったら、思いがけず、父が聴きに来てくれた。

楽器を買ってくれはしたものの、依然としてあまり音楽などに関心を示さない父が来てくれた・・・。

演奏中、客席の父と目が合った。父は『なかなか、いいぞ』というような嬉しそうな表情を初めて見せた。すごくうれしかった。」



 

イタリア人の、ニニロッソという、何年か前に亡くなったが、毎年日本にやってくるポップス系のトランペッター(「夜空のトランペット」って、聴いたこと、ありませんか?)がこの話を知った。何とか、少年を励ましたいと思い、上等のトランペットを贈ることにした。少年とニニロッソは直接会い、少年はこの思いがけない、プレゼントに感激した。

 ニニロッソ本人の前だから、緊張したが、中学生は一所懸命に「夜空のトランペット」を吹いた。ニニロッソが相好を崩して喜んでくれた。しかし、その音を、少年の父が聴く機会は、永遠に、失われた。


2003年09月01日(月) 「東証大引け・大幅続伸で年初来高値 」 ←バカ 「小泉首相の「再選支持」が66%」もうだめだね、日本は。

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