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JIROの独断的日記
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2004年06月07日(月) 「百年後、関東の夏は九州南部並みに」(気象庁) そんなに甘い問題ではない。/「さっちゃん。ごめんな」憔悴の父親が手記

◆記事1:百年後、関東の夏は九州南部並みに

 

西暦2100年8月。夏空の広がる関東地方は、朝からぐんぐん気温が上がり、各地で最高気温36度を超える――。気象庁は7日、100年後の関東地方の気温について発表した。

 典型的な夏の1日を想定して計算した結果、2100年ごろの関東地方は連日猛暑が続き、平均気温で最大1・5度上昇、現在の九州南部に近い気温になりそうだという。

 同庁では、これまでにも「地球温暖化予測情報」として、日本周辺や世界全体の予測を公表してきたが、「もっと細かい情報がほしい」との研究者らからの求めに応じて、新しく「都市気候モデル」を開発した。

このモデルは、二酸化炭素など温室効果ガスや都市排熱の効果などを考慮したうえで、関東地方をカバーする200キロ四方を領域として計算。それを4キロごとに区切って、気温、風、湿度を予測した。想定したのは「2100年ごろの夏のある1日」で「風の弱い晴れた日」。

 このモデルによると、100年後の日中の気温(最高気温)は、東京北部から埼玉の広い範囲で35度以上になり、埼玉中部では36度を超える酷暑に見舞われるという結果が得られた。


◆コメント:甘い。何故、真実を伝えて危機感を高めないんだ。

私の日記では、過去、何度も取り上げたが、1999年に国連環境プログラムという、世界30カ国、800人の専門家からなる組織が「地球環境概況2000」というレポートのまとめた。GEO-2000: 概況と提言という項を、何故、発表されてから5年も経つのに、日本の国会は問題にしないのか。何故マスコミはもっと大きく取り上げないのか?

ほうっておいたら、21年後には、地球上の3人に2人は水不足に苦しむのだ。目をそらすな。いやでも、読んでもらおう。



◆記事2:地球環境概況2000より抜粋


  • もし、現在の消費傾向が続くならば、2025年には地球上の3人に2人が水問題に直面することになる。
  • 世界中の珊瑚礁の半数以上が、人類の活動により潜在的に脅かされており、人口の集中する地域では80%が危険な状況にある。
  • 有害化学物質にさらされることにより、出生異常からガン発生まで、人類はおびただしい数の悪影響に巻き込まれている。地球規模の農薬使用により、年間350万人から500万人の急性の農薬中毒者が発生している。
  • 世界の乾燥地帯の約20%において人類の活動が土壌劣化を起こしており、10億人以上の人々の生計基盤が危険な状況にある。


さらに、

  • 地球規模の水循環は、今後数十年間に予想される需要を満たすことができそうもない。
  • 土地劣化が農業の生産性と可能性を押し下げている。これらの損失は、農地の拡大や生産性の向上によってもたらされた改善の多くをうち消している。
  • 熱帯林の破壊の速度が速く、取り返しのつかない損失を防ぐことができない。失われた森林を取り戻すには何世代も必要であり、森とともに失われた文化は決して回復できない。
  • 環境悪化が目に見えるようになるまでには時間がかかり、政策立案者の反応も遅いため、地球上の多くの種が、すでに失われたかあるいは絶滅の危機に瀕している。かつて地球上に見られた多様な生物種の全てを保存するには手遅れである。
  • 多くの海洋漁業では、過剰捕獲が続けられており、資源の回復は遅い。
  • 人間の活動により、世界のサンゴ礁の半数以上が危機に瀕している。そのうちのある程度は生き残るであろうが、多くは手遅れである。
  • 開発途上地域の多くの大都市において、大気汚染問題が深刻化し、多くの住民の健康を損ねている。
  • 温室効果ガスの排出量増加により、地球温暖化を防止するのはおそらく手遅れであり、更に、京都議定書において合意された多くの目標は達成されないかもしれない。


◆コメント:環境問題は、海岸のゴミ拾いとか、割り箸を使わないという次元の問題ではないのだ。

環境問題というのは、公園や海岸のごみを拾うとか、紙をリサイクルするとかそういう地味な、「出来れば、取り組んだ方が良い問題」ではなくて、ほうっておけば人類が滅亡する、という問題なのです。昔のかわい子ちゃんニュースキャスターを環境大臣にしておくべきではない。

なんで、日本政府はこれほど簡単な理屈が分からないの?年金よりも、憲法よりも、景気よりも大事でしょ?人類が滅亡したら、全ては終わりでしょ?
小泉内閣総理大臣というひとはほとほと困る。合理的に考えることが出来ない人が人類を滅ぼす。


◆佐世保事件:「さっちゃん。ごめんな」憔悴の父親が手記 (読売新聞)

さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。

さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏(のどぼとけ)が飛び出しそうになる。お腹(なか)の中で熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯をかみしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。

 もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。



 あの日。さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。

「体操服は要らないのか」

「イラナーイ」

「忘れ物ないなー」

「ナーイ」

うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。

5人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと2人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。

でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。これはもう、父さんにはできないこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。

 母さんがいなくなった寂しさで、何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」。何度言われたことか。

それと、家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。

 家の中には、さっちゃん愛用のマグカップ、ご飯とおつゆの茶碗(ちゃわん)、箸(はし)、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。

ふと我に返ると、時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯(ばんごはん)なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。

なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。

頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いている時は冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。

さっちゃん。ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。

2004年6月7日

御手洗 恭二 [ 2004年6月7日22時46分 ]


◆コメント:コメント・・・できない。

なまじ、美辞麗句を連ねるべきではない。それは、お父さんの娘を思う気持ちへの冒涜になろう。


2003年06月07日(土) ハチャトゥリアン(「剣の舞」の作曲者)生誕100年

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