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JIROの独断的日記
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2004年02月14日(土) 「ラスト・サムライ」もいいが、新渡戸稲造の「Bushido」を読むと、あまりの教養と語学力に度肝を抜かれる。

◆新渡戸稲造氏(1862-1933)略歴(「5千円札の人」ではひどすぎる

教育家、農政学者文久2年9月1日、盛岡に生まれる。東京英語学校(現:東京外語大)を経て、1881年、札幌農学校卒業。在学中に受洗し、クリスチャンになる。84年アメリカに留学。その後ドイツにも留学。1991年帰国。札幌農学校教授となる。1906年旧制一高(当時のエリート中のエリートが行く学校)校長。その後、東京帝国大学(東大ですね)教授、東京女子大学(西荻窪にある。俗にトンジョと呼ぶ)学長。子供の頃から公言していたとおり、「太平洋の橋となる」(日米の交流のために貢献したいという意味)ために、渡米。国際連盟事務次長(1920〜26)あるいは太平洋問題調査会理事長(1929〜33)として、国際理解と世界平和のために活躍した。


◆物凄い教養と語学力に触れるだけでも、感服する。

新渡戸稲造氏の著書でひときわ有名なのが「Bushido」(武士道)である。何故、ローマ字を先に書いたのかというと、この本は、原本が英文、つまり、英語の本であり、"Bushido"こそ、正式の書名なのだからである。

映画の「ラスト・サムライ」がヒットしたのに乗じて、また、訳本が出ている。ラスト・サムライの製作にも、この本が影響を与えたとか、本の帯に書いてあるが、ほんとかね。

とにかく読んで御覧なさい。これが日本人が書いた英語とは信じられない。ハーバードの英語の教授が、「外国人が書いた英語とは思えない」と舌を巻いているのである。


◆英語が出来ない、言い訳がなくなる。
この本が書かれたのは1899年。今とは比較にならぬほど、語学学習の材料も、道具(テープも、CDも、ビデオも、PCも、電子辞書もなかったのですからね。当たり前だが)も無かった、100年以上も前に、これほどの英語力を持った人がいた(他にも、漱石とか、岡倉天心とか、すごい人がいるが)ことを知ると、最早、現代の日本人が、英語が出来ないことに関して、肉体的障害などの理由を除けば、如何なる言い訳も出来ないことを悟るであろう。英語が出来ないのは努力が足りないのである。

武士道が日本古来の優れた精神性だと述べているこの本は、しかし、決して、封建的でも、国粋主義でもなく、武士道の中から現代にも通用する価値観、そして、西洋文化との接点を探っている、たぐい稀なる名著である。この本を書いたときに、新渡戸博士はまだ、37歳だったのだ。何たる教養と見識・・・・。

新渡戸博士のような人物が、今の日本にいたら、決してこんな卑屈な国にはならなかっただろう。偉大な人物はどうして、ある時期に集中して出現して、一度にいなくなってしまうのであろうか・・・。


"Bushido"を一部書き写して、訳してみた。ちょっと読んだだけでも、分かるでしょう。これを読んで、大した事は無い、下らない。と思う人は自分がそれぞれの形容詞に該当すると思った方が、いいだろう。

◆"Bushido"より一部抜粋と日本語訳

Courage was scarcely deemed worthy to be counted among virtues, unless it was execised in the couse of righteousness. In his Analects Confucius defines courage by explaining, as is often his wont, what its negative is, "Perciving what is right,"he says "and doing it not, argues lack of courage." Put this epigram into a positive statement, and it runs "Courage is doing what is right." To run all kinds of hazards, to leopard one's self, to rush into the jaws of death --these are too often identified with valour, and int the profession of arms such rashness of conduct--what Shakesperare calls "valour misbegot"-- is unjustly applauded; but not so in the Precepts fo Knighthood.Death for a cause unworthy of dying for, was called a "dong's death.""To rush into the thick of battle and to be slain in it," says a Price of Mito, "is easy enough and the merest churl is equal to the task; but,"he continues,"it is true courage to live when it isi right to live, and to die only when it is right to die"--and yet the princehad not even heard of the name of Plato, who defines courage as "the knowledge of things that a man shouldfear and the he should not fear."

勇気は、正義のために為されるのでなければ、美徳としての価値は殆んど、無い。孔子は論語の中で、「義を見てせざるは勇なきなり」という言い方をしている。彼は、いつもこういう消極的なものの言い方をするのである。これを積極的な言い方に直せば「勇気とは正義を実行する事である」と、なろう。
あらゆる危険をおかして、生命を危険に晒して突進する事は、しばしば、勇気と混同された。しかし、このような行いは、シェークスピアがいうところの「勇気の私生児(misbegot)」であり、不当に美化された。

しかし、武士道においては、そうではなく、死に値しない死を「犬死」といって、いやしめた。水戸光国は、「戦いに臨んで討ち死にする事は、難しい事ではない。しかし、それは、最も愚かな田舎者でもできることだ。」彼は、こう続けている「生きるべきときには生きて、死ぬべきときに死ぬ事こそが本当の勇気なのだ。」

水戸光国はプラトンの名前さえ知らなかったけれども、奇しくもプラトンは勇気を次のように定義している。「恐れるべきものと、恐れるべきでは無いものを区別することだ」


2003年02月14日(金) 外務省、バグダッド滞在邦人に退避勧告。日本人だけ助かればよいというものではない。

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