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JIROの独断的日記
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2003年09月25日(木) 病気を治すのは医師と患者の共同作業である。何でも医師を叩けばよいというものではない。

 どうも、最近、医療報道が過熱気味で、それが原因となってなんとなく医者と患者の関係がギスギスしてくるのは困る。本来、医師と患者は信頼しあう関係であるべきだ。そうでないと、治る病気も治らなくなる。マスコミのやり口というのは実に単純で社会的に高い地位にある者、強い者、を何でもいいから叩けば良いと考えている節がある。それならば、本当に叩かれなければならないのはマスコミ自身である。

 それはさておき、今日逮捕された慈恵の3人の医師は手術の経験が未熟であったというが、問題は3人全員が腹腔鏡手術の経験不足だったということであって、その点において病院の管理責任は問われるべきかもしれないが、未熟な医師が手術をする事自体を禁じていては、永久にベテランは育たない。

 現在、巷に「天才外科医」と呼ばれている人がどれぐらいいるのか知らないが、彼、若しくは彼女だって、いうまでもなく「初めての手術」を経験しているわけで、はっきり言って、その後、何らかの失敗を経験しながら、技量を向上させていったであろうことは想像に難くない。

 医療技術に限らず、凡そ、技術の習得とはそのようなトライ・アンド・エラーの過程である。「医師が扱う対象は人体であるから、『絶対に』ミスをしてはならない」といくら言っても、医師自身、人間である以上、絶対という事はありえない。

 医者に限らないけれども、技術者に対して取るべき態度というのは、まずは信頼して、任せるのである。それで、よほど運が悪くて手術中に死んだら、それは運が悪かったと諦めるしかない。医師がベストを尽くしてくれたかどうかは、それまでの医師との付き合いや、術後の対応で分かる。

 逆の立場から言えば、医師が患者に訴えられるケースでは、医師が失敗したという事実よりも、その態度、気持ちの持ち方が患者や家族の気持ちを逆撫でしたからだろうとおもう。医師にたとえ失敗があっても、誠意を尽くした結果であり、また、その失敗を包み隠さず話して謝れば、普通の患者はなっとくするものである。

 かつて日本初の生体肝移植手術のことを書いた。読んで頂けば分かるが、結果的に患者の杉本裕弥ちゃんは亡くなった。しかし、それまでの医師団の努力は文字通り医師生命を賭けた血の滲むようなものであった。それをずっとみていた、裕弥ちゃんのご両親は、後に生まれた子供に、裕弥ちゃんの主治医の名前から一文字を用いて名前を付けた.。

 たとえ、患者がなくなっても、家族から尊敬される医師もいるのである。

 患者を思う医師の気持ちと医師を信頼する患者の気持ちが交わることが大切なのである。


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