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JIROの独断的日記
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2003年01月04日(土) 「イラク攻撃」は征服でなく解放…米大統領演説 アメリカの強迫性人格障害的行動

◆ブッシュ米大統領は3日、テキサス州のフォートフッド陸軍基地で約4000人の兵士を前に対イラク攻撃について演説し、「君たちは征服のためでなく、人々を解放するために戦うことになる」と述べ、イラクが大量破壊兵器の廃棄に応じなければ武力行使に踏み切る決意を改めて示した。

◆アメリカは人になぞらえて述べるならば強迫的人格障害に近いのではないかと思う。という講義を学生の頃に聞いた。以下は、その時の覚書から引用するものである。

◆強迫(脅迫ではない)的人格障害の特徴としては、道徳や価値観に過度に固執して融通がきかない。人を疎外し、他人が自分の要求に従う事を主張する、などがあげれる。

強迫性人格障害は、自己欺瞞にその端を発する。

たとえば、ある人が子どもの頃、幼い弟か妹をいじめて虐待したのを、本人は弟や妹のためをおもって厳しいしつけをしてやったのだと、正当化したとする。ここに自己欺瞞がある。このような人は将来、例えば会社で自分が上司となった場合には、彼は強迫的に部下をいじめ、虐待するようになる。彼がここで、部下に対して優しく接して事が上手く運んでしまうと、かつて、弟や妹にもこのように優しく接するべきだったのではないか、という苦しい疑問にぶつかる。そうなれば、かつての弟妹に対する態度は実はしつけではなくて、虐待だったということを認めざるを得なくなり、そのことに関する罪を認め責任をとらなければならなくなる。したがって、それを避けるため、彼は部下に優しく接する事が出来ず、彼はいつまでたっても、自分の勢力下にあるものを虐待しつづけ、その行為は相手のためを思ってやったのだ、と正当化しつづけるしか道が無い。逆にいえば、彼がこのような虐待をやめるためには、かつての虐待を虐待であったと認め、その罪と罰を引き受けるしかないのである。

これを、アメリカの歴史にあてはめると実にピッタリ来るのである。
アメリカ人の始まりは17世紀にメイフラワー号にのってヨーロッパからやってきた人々で、かれらはピルグリム・ファーザーズと呼ばれ、アメリカの自由と民主主義の始祖であるとして神聖視されている。

しかし、彼らはひどいことをやっている。この「聖徒」の一人はある日、アメリカ大陸の先住民インディアンの酋長とその18歳の弟、ほかにもう2人のインディアンを自分の執務室に招待して食事をすることにした。インディアンは名誉を重んじ、客を丁重にもてなすのが掟であるから、この招待を受けても危険は無いと思ってやってきた。

ところが、アメリカ人の「聖徒」はとんでもないことをした。インディアンたちが部屋に入るなり、ドアに鍵がかけられ、「聖徒」は自らナイフを振りかざして、インディアンの一人をズタズタに切り裂いた。「聖徒」の部下たちは酋長ともう一人のインディアンを剣でめった切りにした。18歳の少年は、その場では殺されず、あとで、皆の前に引きずり出して絞首刑に処せられた。

「聖徒」はインディアンの酋長の首をもってプリマス砦に引き返し、人々は歓喜して彼を迎えた。酋長の首は棒にさされて
20年もプリマスの砦に掲げられ、名物とされた。

この残虐な事件が、事実としてアメリカ人によるインディアンの惨殺事件として認識されていれば、自己欺瞞とはならないはずだった。

問題は、この残虐な殺人犯たちがアメリカの自由と民主主義の基礎を築いた人として尊敬されたことにある。完全な自己欺瞞である。この結果、以後、アメリカにとって、「自由」と「民主主義」は裏切りと暴力を正当化する口実になった。

アメリカの対外侵略も、自己の正当性を自分に言い聞かせるための強迫的反復である。他民族をみると、裏切りと暴力を使って、アメリカの「自由と民主主義」を押し付けたくなる、強迫的衝動に駆られているものだとおもわれる。

◆以上が私が聞いた講義の概要である。その当時は何の事か分からなかったが、今考えると実に的を得た主張である。
ブッシュ大統領の「イラク攻撃は征服でなく解放」という言葉も、いまだにアメリカが自己欺瞞を続けている証左であろう。


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