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JIROの独断的日記
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2002年11月16日(土) 小沢征爾氏がウィーン国立歌劇場音楽監督に就任した意義

指揮者、小沢征爾氏がウィーン国立歌劇場の音楽監督として、いよいよ活動を開始した。この地位に小澤氏が就任することが発表されたのは1999年6月24日のことである。同歌劇場支配人は「小澤氏は現存する最も偉大な指揮者の1人である」とまで、称賛した。

一般にはピンとこないかもしれないが、ウィーンのオペラハウスの音楽監督になるというのは目もくらむほど名誉な事なのである。

ウィーンこそは、音楽の都である。モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、マーラー等、人類の歴史に永遠に名を残すであろう作曲家は、みなここで修行した。西洋音楽の粋がこの街に凝縮されている。

ウィーン国立歌劇場はその象徴的存在である。パリ、ミラノ、メトロポリタンの歌劇場で指揮をすることも、超一流の指揮者にしか認められない。しかし、ウィーンは更にその上に君臨する存在である。

ここの指揮者になるということは、西洋音楽2000年の伝統がDNAに組み込まれている、本場の音楽家、聴衆たちに、西洋音楽に接して100数十年の歴史しか持たない日本人であるにもかかわらず、小沢征爾氏の才能が認められたということだ。殆ど奇跡である。

小澤氏だけではない。ヨーロッパでは他にも多くの日本人音楽家が活躍している。例えば、カラヤンが30年間音楽監督をつとめていた、超一流のオーケストラ、ベルリン・フィルのコンサートマスターの1人は安永徹氏である。 コンサートマスターとは指揮者の意図を汲み取り、全オーケストラの演奏をリードする立場にある。自分のバイオリンパートが弾ければよいというものではない。指揮者と同じぐらい、全曲の構成を把握していなければならない。

無論、バイオリン演奏の技術はソリストとして十分通用するぐらいの技量があって当然とみなされる。第一バイオリンには数十人の奏者がいるが、そこで何年弾いていようとも、コンサートマスターになるためには、改めてオーディションを受け、団員の投票と音楽監督の承認がなければならない。とにかく、並の人間に務まるポジションではないのである。安永氏はそのポジションを20年近くもつとめており、今尚、ベルリン・フィルのメンバーの信認が厚いという。

以前、当時の西ドイツ首相だった、シュミットという人がいる。政治家だが、音楽を愛し、自らもピアノがプロ級の腕だった。彼が、ニューズウィークのインタビューで述べていた言葉は大変、印象的だ。

「ドイツや他のヨーロッパのオーケストラで演奏している、優秀な日本人奏者が大勢いる。彼らは、日本のどんな政治家、外交官、財界人よりも、日本人に対するヨーロッパ人の評価の向上に貢献している。」

真の芸術家は、誠に偉大である。


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