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JIROの独断的日記
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2002年10月24日(木) モスクワで起きた事件の背景。チェチェン問題の基礎知識

モスクワ中心部の劇場をチェチェン人の武装勢力が観客を人質にとり、立てこもったというニュースを聞いたとき、背景を知らなかったので、頭の中が「???」という状態になった。
 
 恥ずかしながら、チェチェン問題と云う言葉は聞いたことがあっても、その実態については全く無知だったので、調べた。

 1991年、ソ連が崩壊したとき、それまでソ連を構成していた共和国の多くが独立を宣言した。北カフカス地方にあるチェチェン共和国も独立宣言をしたのだが、チェチェンの場所というのがたまたまトルコ・イランに近いため、防衛上の要所であったこと、また、カスピ海からの石油パイプラインが通っている場所なので、これを何としても確保せねばならぬと考えたロシアのエリツィン大統領の命令により「憲法秩序の回復」という大義名分の下、94年12月、ロシア連邦軍がチェチェンに投入されて「第一次チェチェン戦争」が勃発した。

 チェチェン側もだまっておらず、ゲリラ部隊を中心としたチェチェン軍の抵抗が始まり、戦争は1年半続いた。その末に、チェチェンの独立を宣言した初代大統領、ドゥダエフ氏が戦死。ロシア国内でも厭戦気分が高まり、ロシアとチェチェンの間で和平交渉が行われて、その交渉が行われた場所の名前に因んで、ハサブユルト合意が締結され、その合意に基づいて、96年8月31日に戦争は終わり、チェチェンの独立問題は2001年まで先送りされることになった。

 それ以降定期的に会談が行われていたのだが、99年春にこの定期会談がストップ(何故かは知らない)。で、折悪しく、それから暫く経った、99年の8月末から9月中旬までの間に、モスクワで5件連続のアパート爆破事件が起き、300人近い死者が出た。ロシアはこれは全部チェチェンのテロリストの仕業だと断定した。チェチェン側は否定した。今もって真相は謎。

 アパート爆破(テロ)と同じ頃、チェチェンの野戦司令官、シャミーリ・バサーエフという男(ロシアが最も怖れている「テロリスト」なのだそうだ)がチェチェンの隣国ダゲスタン(どうも聞き慣れない名前ばかりでややこしい)に侵攻した。

 この二つの動きでロシアがキレた。「テロリスト掃討のために」、ロシアは99年9月23日、チェチェンへの空爆を始めた。「第二次チェチェン戦争」の始まりである。チェチェンの首都、グロズヌイには無差別爆撃が繰り返され、一般市民も当然被害を受けている。ロシアはある村を「テロリストをかくまっている」と決め付けると、その村落を包囲し、住民のうち10歳から60歳台にいたる全ての男性を拘束して尋問(多分拷問も)加え、ダチヌイという村では、尋問の後51名を殺害した。

 チェチェン側は当然だまっておらず、一見ロシア軍のほうが圧倒的に強そうなのだが、チェチェンは最近ではゲリラ戦に転じており、しかもゲリラ戦にたけていて、今年の8月には、ロシア軍の大型輸送ヘリを、携帯型の対空ミサイルで撃墜し、結果118名が死亡した。

 今回の事件の背景にはこういう10年以上に及ぶ長い紛争の歴史があったわけである。戦争だから、どちらが一方的に正しいということは有り得ない。今回の劇場の占拠も、だから、チェチェン人だけが悪いとはいえない。

 ただ一つ確かな事は、戦争が起きれば、ごく普通の日常を送りたいと願っている弱い一般人も必ず巻き込まれて、貴重な生命が失われていくという事だ。


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